• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

    幸福

    Vol.03 なぜ嫌いな人が頭から離れない?メタ認知で解くネガティブ感情の正体
    Vol.03 なぜ嫌いな人が頭から離れない?メタ認知で解くネガティブ感情の正体 1024 1024 HAKU

    嫌いな人ができると、まるで報われない片思いのように、毎日頭の中で繰り返し思い出しては、その人を呪っていた。何年か前に、この思考が自分の心を著しく疲弊させていることに気づいた。そこで、「もう絶対に嫌いな人は作らない!」と子供のように力強く心に決めた時期があった。

    そう思っていても、ママ友付き合いや職場等で「この人何か嫌な感じだな」と思う人は次から次へと湧き出てくる。そのたびに、昔大嫌いだった人たちまでカムバックして思い起こすことになった。朝起きては思い出し、寝る前も嫌いな顔が頭をよぎる。無意識に朝から晩までその人のことを考え続けていた。その結果、寝ても覚めても心の囚人のような状態が何度もあったのだ。

    誰かを嫌う感情が絶えずあり、日々を過ごしている。この状態は私だけなのだろうか。そのネガティブな感情は途切れることなく続き、まるで椅子取りゲームのように順番に私のことをイラつかせてくる。私だけがこんな日々を過ごしているのなら、正直怖い。なぜなら、ネガティブ感情は、私たちの生活の質を著しく低下させるからだ。

    ネガティブ感情の正体:サバンナ脳の仕組み

    ネガティブな感情は、なぜあるのだろうか。その問いに、以前の私なら「日本人は心配性の遺伝子が多く備わっているから?」と答えたかもしれない。しかし、その答えは、私に「不安や心配性は仕方ない」「そういう性格だから」という甘い結論を与えていた。結果として、「だからしょうがない」と問題解決から目をそらし、自分自身を決めつける思考に繋がっていたのだ。

    しかし、『ストレス脳』という本で、その考え方は間違っていると気づいた。そもそも私たちの脳は、大昔からほとんど変わっていない。脳の目的は、「生き延び、子孫を残すこと」だ。新しい行動をとると死んでしまうリスクがあり、危険から身を守るためにネガティブ感情が発生するようになっている。それゆえに、私たちは常に幸せな気分でいられるようには作られていないのだ。

    この事実に気づいた時、私は大きな衝撃を受けた。脳は感情を使って私たちを支配し、危険から守っている。なぜなら、私たちの脳が今でもサバンナで狩猟採集をして暮らしていると思っているからだ。昔と今、変わりすぎた時代に脳は追いついていない。だからこそ、おかしなことが起きている。まずは、この本質から、自分の脳を理解する必要がある。私たち人間の脳は4万年前から変わっていない。すべては、ここから始まる。加えて、このネガティブ感情の仕組みを理解することが、自己肯定感を高めるための第一歩になる。

    メタ認知の鍵:「人間とは何か」の歴史的探求

    脳や行動認知療法を学ぶ過程で、私は人間の本質について、まだ知らないことが多いと気づいた。実際、それがきっかけとなり、子供と図書館へ行った際に、人類の歴史をテーマにした、ベングト=エリック・エングホルム氏の『こどもサピエンス史:生命の始まりからAIまで』という本を見つけた。そこには、情報がない時代、試行錯誤を繰り返して生きてきた私たち人間の物語が綴られていた。ネアンデルタール人とサピエンスの戦いや、架空の物事を信じて大きな集団を作り、お金や科学といった概念を生み出し、文明を築き上げてきた歴史の流れが描かれていた。

    その一方で、科学が加速度的に進化する現代において、私たちは「何になりたいのか」「どうやってそれを実現するのか」を真剣に考えなければならない時代にきている。過去の歴史を知ることは、現代の複雑な社会で自分を見失わないためのメタ認知に不可欠だ。したがって、情報過多の中で思考の軸を保つには、「人間とは何か」という根源的な問いを理解する必要がある。

    幸福の循環:アウトプットの科学的効果と自己成長

    私がこのブログを始めたのも、その自己成長の一環だ。誰かに伝えるというアウトプットの場を持つことで、学んだ知識がより深く脳に定着し、自分の行動がより明確になった。さらに、その過程で、かつて自分が苦しんでいたのと同じように悩んでいる人がいるかもしれないと考えるようになったのだ。

    これは単なる経験則ではない。例えば、アメリカの心理学者、ヘンリー・ローディガー博士らが提唱した「テスト効果」は、情報をただ読むよりも、「思い出す(アウトプットする)行為自体」が、記憶を強化する現象であることを実証している。また、コロンビア大学の研究にある「生成効果」は、情報を自分の言葉で説明することで、記憶がより強固になることを示している。

    私は、自分の知識や経験を通して、そうした人たちの悩みを解決する手助けをしたい。そして何より、自己成長を続けながら、その輪を広げていきたいと強く願っている。ブログというアウトプットは、誰かの役に立ちながら、私自身の成長も加速させる、最も効率的な学習ツールとなった。

    誰かの役に立つことで、自分自身も満たされる。この幸福の循環こそが、私が今、ブログを続ける最強の理由(イシュー)だ。実際、この循環こそが、ネガティブ感情を打ち破る力となる。

    脳の進化と幸せへの道

    現代社会は情報過多で、何が正しいか見極めるのが難しい時代だ。だからこそ、自分の内側に目を向け、何が自分にとって本当に重要なのかを見つけることが不可欠なのだ。重要なのは、誰かの真似をすることではない。真に大切な行動は、あなた自身の根源的な欲求に基づき、内側から生まれてくる。この真理を忘れてはいけない。

    なぜなら、私たちはネガティブな感情から逃れられない。しかし、その感情が私たちの進化の過程で身を守るために生まれたものであると理解することは、自己を深く知る第一歩となる。そして、自分の脳を理解し、正しい知識と行動を組み合わせることで、私たちは困難な時代を生き抜く力を手に入れることができる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。 古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した言葉だ。

    「自分を知らない者は、自分の人生を生きることができない。」

    あなたのネガティブな感情の源を知り、行動を変えること。 それが、より豊かな人生への道なのだ。まずは、自分の脳の仕組みを理解するところからスタートしよう。

    vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣
    vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣 HAKU

    目次


    新しいことを始めるとき、誰かに「もうやった?」「どうだった?」なんて聞かれると、途端に興が削がれ、一気に熱が冷めてしまう。それは、自分だけの聖域に土足で踏み込まれるような感覚だ。それは、誰かに評価されたいという動機ではなく、純粋に「好き」という気持ちだけが行動の源になっているからなのだ。

    特に私は、昔から一人で完結する活動が好きだった。

    知的作業なら、読書、文章を書くこと、想像すること。身体活動なら、水泳や剣道、ランニングなど、全てシングルプレイの競技ばかりを選んできた。誰かの目を気にすることなく、自分のペースで、自分のために。この「一人で完結させる」時間こそが、私の内発的動機を守る手段だった。

    早朝の勉強を始めたときもそうだった。
    夫は毎朝、私が机に向かっている姿を見ていたはずだが、一度も「何してるの?」とは聞いてこなかった。その無関心が、当時の私にとっては本当にありがたかった。もし「何やってるの?」「頑張ってるね」なんて言われていたら、きっとカタツムリが殻に閉じこもるみたいに、そっとやめていたかもしれない。

    良い意味での無関心が、心を解き放つこともあるのだ。

    無関心という最高のサポーター:本心と時間の使い方

    この習慣を2ヶ月ほど続けた後、私から初めて「実は今、朝早く起きて勉強してるんだ」と夫に話した。すると彼は、その分野のおすすめのPodcastや情報をシェアしてくれるようになった。

    佐藤 舞氏の『あっという間に人は死ぬから』という本に、「有意義な人生を送るには、自分の本心、価値、勘にしたがって時間を使うべき」とあった。

    誰かに褒められたいからやるのではない。誰かに見られているからやるのでもない。誰にも知られなくても、誰も見ていなくても、それでもやりたいこと。それこそが、自分の本心からやりたいことなのだと気づいた。

    褒められることを期待せず、誰かに承認されることを目的としない。そんな私にとって、夫はまさに「良い意味での無関心」という最高のサポーターだった。彼の存在が、私のクリエイティブな時間を守ってくれたのだ。この考え方は変だと思われるかもしれない。

    でも、私は変な人が好きだし、自分も変な人間であることは知っている。

    内なる承認の育て方:承認欲求の依存から脱却

    誰にも邪魔されず、ただひたすらに自分の世界に没頭できる時間。
    外部の評価や情報から切り離されることで、心の中に静寂が生まれる。それこそが、私たちの心を豊かにする「思考の余白」なのだ。

    私たちは、誰かに認められたいという欲求を本能的に持っている。しかし、その承認欲求が強すぎると、本来の目的を見失ってしまうことがある。

    たとえば、SNSで「いいね」をもらうために写真を撮ったり、誰かに褒められるために努力をアピールしたり。そうした行動は、一時的な満足感は得られても、本当に満たされることはない。それは、外からの評価という不安定なものに、自分の価値を委ねてしまっているからだ。

    本当に大切なのは、自分の心が感じる「内なる承認」となる。誰かに評価されなくても、「自分はこれが好きだ」「この時間が楽しい」と、心から思えることなのだ。

    思考の余白:小さな芽を育てる継続の習慣

    「好き」という気持ちは、まるで小さな芽のようなのかもしれない。
    最初はとても繊細で、少しの風で揺らいでしまう。だからこそ、静かで安全な場所で、じっくりと水をやり、光を当ててあげることが大切なのだ。

    誰かに話すのは、その芽がしっかりと根を張り、自分の中で確信に変わってからでいい。それまでは、静かに、誰にも気にされないような場所で、あなたの「好き」をじっくりと育てていこう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、フランスの哲学者アランが遺した、こんな言葉だ。

    「幸福を遠ざけるものは、多くを望むことではなく、自分が何者であるかを人から認められようとすることである。」

    誰かの評価に縛られることなく、自分の心の声に耳を傾けること。

    自らの行動そのものを報酬とすることで、習慣は揺るぎないものになる。あなたの人生の豊かさは、あなたが誰から認められたかではなく、あなたがどれだけ自分の本心に従いそれに対して行動できたのかで決まるのだ。

    vol.42 「身銭を切る」自己投資が現状維持バイアスを打ち破る
    vol.42 「身銭を切る」自己投資が現状維持バイアスを打ち破る HAKU

    上の姉兄たちから大きく年の離れた末っ子として生まれた私は、父にとって常に「手元に置いておきたい存在」だったようだ。

    小・中学生時代、父に「宿題はやったのか?」「将来何になりたいんだ?」と聞かれた記憶はほぼゼロに等しい。大学を卒業してもなお、「HAKUは就職はせずに、この家にいたらいいんじゃないか」と本気で提案されるほど、私は徹底して甘やかされて育った。

    大人になって「今度資格を取るんだ」と宣言した時も、父は「HAKUはいつも頑張っているから」と茶封筒に資金を入れて手渡してくれた。資格や学びについてお金に糸目をつけない父は、子どもたちが何歳になろうが、口は出さずにお金を出す。そんな人物であった。

    けれど、私はアラフォーになり、父は70歳を過ぎた。

    いつまでも私を子供だと思われていては困るのだ。「末っ子には永遠の可愛さがあるのだから」と、ぬるま湯に浸かったカエルにはなりたくなかった。変化に気づかぬまま茹で上がってしまう前に、この危機感を行動のエンジンに変えなければならない。

    そう強く思う瞬間が、今まで何度もあった。

    親の庇護からの脱却:「身銭を切る」覚悟

    父の愛は、兄弟の中で私にだけ断トツ甘くて深い。
    その甘すぎる愛こそが、私の「自己成長」のストッパーになっていたのかもしれない。

    親の庇護下にある心地よさは、自分の人生の責任を放棄していることと同義だ。私は、父がいなくなった後も、自分の力で立ち、自分の人生を切り開いていける人間になりたい。いや、ならなければいけない(皮肉なことに、親に甘やかされた人ほど、その危うさを察知するメタ認知能力が育つのではないか、とさえ思う)。

    そんな頃、自分の誕生日に欲しいものができた。
    ブログを書くための、ノートパソコンだ。

    新品じゃなくていい。自分で買える金額の範囲内のスペックで十分だった。夫に協力してもらい、中古のパソコンをメルカリで探して購入した。修理が必要だったので、落札時の価格よりも少し高くついてしまったが、「自分で全額を支払う」ことに最大の意味があった。結果的に、人生で最も満足度の高い買い物となった。

    誕生日が近かったことから、購入前に夫から「俺がプレゼントするよ」と提案されたのだが、丁寧にお断りした。「人の好意を無下にした」と思われても、この価値観だけは譲れなかった。自分で払ったものに価値があり、それを自分が一番感じたかったからだ。

    最高の贅沢:経験的優位性がもたらす持続的な幸福

    自分のやりたいことに身銭を切ろうと思ったのには、明確な理由がある。

    それは、「パソコンを買う」「本を買う」「大学に行く」など、自己成長のための「身銭を切る行為」が、単にモノや知識を得る以上の心理的・認知的なメリットをもたらすことを知っていたからだ。特に、この投資が「知識や経験」に変わる時、その効果は絶大なのである。

    コーネル大学の研究が示すように、人は物質的な「モノ」よりも「経験」に支出した方が、より長く、より深い幸福度を得られるという「経験的優位性」が確認されている。

    パソコンを購入し身銭を切ることで、その購入は単なる所有物ではなく、自己のアイデンティティの一部となる。経験は記憶として残り、時間が経っても価値が薄れにくいため、幸福感が持続するのだ。

    そのパソコンで、毎日ブログを書いたり調べ物をしている。
    自分のお金で買ったものを使うことで、日々やりたいことを実現できているという現状に、小さな幸せを感じている。

    脳科学:身銭を切る行動が自己効力感を強化する理由

    なぜ、誰かに買ってもらうのではなく「自分で支払う」ことが重要なのか?
    それは、脳が支払いのコストと、得られた経験の価値を強く結びつけるからだ。

    自分が働いて作り出したお金(時間と労働力)を投じることで、脳はその成果をより強く「自分のもの」として認識し、大切に扱うようになる。これが自己効力感を高め、次のモチベーションに繋がるのである。

    この行動は、ポジティブ心理学の観点からも非常に合理的だ。グロービス経営大学院などの調査では、働く社会人において、1日あたりの勉強時間(自己成長への投資)が長いほど、主観的幸福度が高いという相関が示されている。つまり、身銭を切る行為は「私は成長にコミットしている」という意識を強化し、結果として幸福感の向上という形でリターンをもたらすのだ。

    もし、あなたも自分にとって必要なもの、それが自分自身を成長させてくれるものだと解っている場合、身銭を切ることでより強く身につくだろう。

    人間とは、そういうものなのかもしれない。
    自分の幸せが何かわかると、それを自分で手に入れたくなるのだ。

    自己決定:幸せは、誰かに与えられるものではない

    誰かに幸せにしてもらうことももちろん重要だが、結局は自分次第だと感じる。その真実を「身銭を切る」という体験を通して、より強く実感できるだろう。

    大切なのは、「必要なものに、自分が投資している」という感覚なのだ。

    この感覚こそが、自己成長のエンジンであり、親からの依存的な庇護から卒業し、自立した大人として生きるための行動である。メタ認知を通じて、自分の真の目的を見極めることが、正しい投資先を見つける鍵となる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソンが遺した言葉だ。

    「自分自身を信頼せよ。あなたの心の中にある、その聖域に頼るのだ。」

    父の深い愛に感謝しつつも、今回初めて私は自分の足で立ち、自らの手で知恵を勝ち取る道を選んだ。

    あなたにとって、身銭を切ってでも手に入れたい未来は何だろう?
    自分にとって、価値のあることに気づくことから始めてみよう。