• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

    Vol.08 「幸せ」を掴む習慣化の鍵:ウェルビーイングをイシューにするメタ認知術
    Vol.08 「幸せ」を掴む習慣化の鍵:ウェルビーイングをイシューにするメタ認知術 1024 1024 HAKU

    子供を育てていると、「自分」という存在が希薄になる瞬間がある。

    自分が何をしたいのか分からなくなるのではない。日々の忙しさに追われすぎて、その問い自体を心の奥底に埋めてしまっていた状態だった。たとえ時間があったとしても、お酒やスマホに流されて、その問いに向き合うことを拒否する始末。あの頃の私には、問題に向き合うための余裕も、それを許す心の余白も全くなかったのだ。

    母としてではなく、「私」として使える考える時間が欲しかった。

    しかし、1人になる時間があって考えたとしても、結局自分の幸せが何かわからない。何を目的に生きるのかが見えていない間は、何をやっても面白いと感じられず、多くの時間と労力を無駄にしていた。

    ただ頑張るのではなく、どこを目的に、何から始めるかをその都度考えなければいけない。これは、何が大切かもわからなかった私が、唯一無意識のなかで作り出していた行動の鉄則だった。

    メタ認知が導く:「私」の人生の目的

    そんな学びの渦中に、私は二冊の重要な本に出会った。安宅 和人氏の『イシューからはじめよ』では、本当に取り組むべき課題を見極める力(イシュー)の重要性を知った。また、岡崎 かつひろ氏の『お金に困らない人が学んでいること』からは、知識はアウトプットすることで記憶効率が上がり、人に見られると行動が加速することを学んだ。

    ノートに書き写している最中、この二つの知識が結びつき、私はパッと手を止めた。

    「そのために何に取り組むべきなのか?」「今までのやり方と、これから私がすることは何が違うのか?」この二つの問いを深く、何度も繰り返し紙に書き出した。

    そして、今までのノートを読み返し、自分は何を求めて行動を続けていたのか、それが誰の役に立つのかを自問自答し続け、一つの結論にたどり着いたのだ。

    最高の課題(イシュー)の発見とウェルビーイング

    沢山の本を読み進めた結果、「人は、常に幸せな状態を求めている」という真理にたどり着いた。そして、この真実を誰よりも切実に必要とし、行動していた私は、自分の人生の究極のイシュー(取り組むべき課題)として設定したのだ。

    これは、まさに時代が求めるウェルビーイング的生き方と言える。ウェルビーイングという「幸せ」の定義は、単に一時的な喜びではない。心身ともに健康で、人間関係が良好であること。自分の人生に意味や目的を感じ、目標に向かって成長できる、といった持続的な状態を指す。

    私自身の行動と学びを共有することで、ネガティブな状態から抜け出し、ウェルビーイングという持続的な幸せを、他の人でも掴めると私は信じている。このブログは、その信念と全ての想いを込めて行動を発信していくための決意表明なのだ。

    幸福度ランキングが示す「イシュー設定」の必要性

    World Happiness Report(世界幸福度報告書)という調査がある。これは、GDP、健康寿命、社会的支援、自由度、寛大さ、そして腐敗の認識といった要素を考慮して幸福度を算出している。2025年の調査で、日本の幸福度ランキングは147カ国中55位。前年よりも4ランク下落している。さらに、G7の中では最下位だという。経済的に豊かで治安も安定している一方で、精神的な幸福度が低いという事実に、私は驚きを隠せなかった。

    私たちは今すぐにでも立ち止まって、自分自身の幸せについて真剣に考えるべき時なのだ。「イシューからはじめよ」という問いかけは、もはや個人的な成長目標ではなく、国民的な課題だと捉える方が賢明なのかもしれない。

    習慣化と行動:幸せを創造する鍵

    「自分は今、常に幸せな状態だ」と心から思える人が増えれば、この世界はより良くなるはず。

    そのために私はこのイシューを言葉にし、毎日行動し続けなければならないと感じている。それは、個人の幸福追求にとどまらず、より良い社会を創るための静かなる挑戦なのだ。そして、この方法は誰にでも始めることができる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。 これは、精神科医ヴィクトール・フランクルが遺した言葉だ。

    「ただ願うだけではだめだ。行動し、その行動に意味を与えることこそが、幸せの鍵だ。」

    あなたの行動こそが、あなたの人生を定義する。その一歩に意味を見出し、幸せな状態でいられるよう行動し続けよう。あなたが今日得たこの知識は、もう誰にも奪えない。あなたの人生は、今、あなたがどんな行動をとるかという「日々の行動の積み重ね」で決まるのだ。

    vol.35 集中力は資産 : デジタル断食で思考の余白を創る時間術
    vol.35 集中力は資産 : デジタル断食で思考の余白を創る時間術 HAKU

    目次


    自分のやりたいことが見つかると、スマホでの連絡が途端に億劫に感じるようになった。今までは全く気にしていなかったはずの通知が、届くたびに私の平穏を乱し、かすかな苛立ちを連れてくる。

    母からのメールにさえ、「朝から猫の写真、送ってこなくていいんですけど」と、またしても沼地からライフル銃をかまえた自分が、ぼそっと耳元で囁くようだった。

    1日の中で、私には朝しか自由に使える時間がない。
    そのため、この時間で最大限の活動をする必要がある。

    誰にも邪魔されたくないという「朝」への執着が増すにつれて、私の決意はより強固なものになっていった。

    「今」に集中:スマホの通知は時間を奪う敵

    しかし、自分のやりたいことが明確になってからは、時間に対する考え方が180度変わった。「今」という一瞬一瞬が、未来の自分を作っている。そう考えると、スマホの通知は、私から大切な時間を奪おうとする「敵」のように感じるようになった。

    特に朝の時間は、私にとって最も重要な時間だ。
    この「思考の余白」は、外部情報に支配されない、自らの意志で使うための静かな空間だ。そんな貴重な時間を、スマホの通知に邪魔されたくないと思うのは、ごく自然なことだった。

    集中力は現代の資産:メールストレスの科学

    よく「成功者は返信が早い」と言われる。 けれど、その言葉を鵜呑みにして自分に当てはめれば、私も彼らに近づけるのだろうか。

    思考を止めて盲信する前に、私は一瞬、立ち止まって考えた。

    私は比較的メールの返信は早い方かもしれないが、LINEで仕事の連絡をすることはない。それならば、家族の緊急性のある連絡に対してだけ素早く返し、その他は自分のタイミングで良いのではないかと結論が出た。仕事ができる人は、それが「仕事」だから早いだけ。 あるいは、成功者と呼ばれる人たちは、プライベートの境界線が仕事と溶け合っているだけなのかもしれない。

    そうした仕事で人間関係が回っている人たちの真似を、今の私が貴重な朝の時間を使ってまで無理してやる必要があるのだろうか。自分にとって本当に大切な人との関係は、通知の速さで決まるわけではない。むしろ、質の高いコミュニケーションを、お互いが心地よいタイミングで取る方が、ずっと豊かな関係性を築けるはずだ。

    グロリア・マーク氏の『アテンションスパン デジタル時代の集中力の科学』という本には「私たちが1日に使える集中力は限られている」と書かれていた。メールに費やす時間が長ければ長いほど、人々が受けるストレスは増大するという。多くの現代人は、メールの処理だけで一日の集中力のタンクを使い切ってしまっているのだ。この事実を知り、私はさらに警戒を強めた。朝の貴重なタンクを、緊急性のない連絡で枯渇させるわけにはいかない。

    デジタル断食:ゴールデンタイムを守るための賢者の孤独

    夜は21時までに寝てしまうので、その間に届いていたメールは朝一で返信した方がいいとは思うが、私の起床時間(4時)に連絡を返すのは気が引ける。結局、よほどの緊急性がなければ家を出る前か出勤中に返信する程度で十分なのだ。

    朝のゴールデンタイムは、試行錯誤しながらも自分のために作り出した大切な時間である。
    このわずかな時間に使える集中力を、緊急性のない連絡に削る必要はない。必要な情報と、そうでない情報は見る時間をはっきりさせる事が重要だ。本当に緊急で連絡がほしい時は、相手に電話をすればいいだけの話なのだ。このルールは、相手にもあらかじめ伝えておくことも大切である。

    これは、自分の時間を守るための「デジタル断食」のようなものかもしれない。不必要な情報を遮断し、本当に大切なことにだけ注意を向ける。そうすることで、心にゆとりが生まれ、集中力も高まのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーが遺した、こんな言葉だ。

    「賢者は孤独を愛し、凡人は孤独を恐れる。」

    私たちは、つい孤独を避け、他者とのつながりを求めがちだ。しかし、本当に大切なのは、一人になる時間の中で自分と向き合うことなのだ。そうすれば、他人の評価や連絡の速さに振り回されることなく、自分の時間を自分のためだけに使えるようになるだろう。

    vol.43 モノより体験へ投資!幸福を持続させる贈り物の選び方
    vol.43 モノより体験へ投資!幸福を持続させる贈り物の選び方 HAKU

    毎年、母の日の直後にやってくる、私の母の誕生日。
    一昨年はスカート、昨年は日傘。今までは本人のリクエストに応じた「モノ」を贈っていたのだが、今年は違った。脳科学や心理学を学び、「物質的なモノは幸福をもたらさない」という科学的な知識を得ていたため、今年は例年以上に頭を悩ませることになった。

    母が喜びそうなものは何か、一生懸命考えた。
    モノではなく、行動、経験、旅行など、何を楽しめるか思考を巡らせた。

    その結果、母が昔よく「ものまね歌合戦」をテレビで見ていたことを思い出し、当時出ていた芸能人のイベントがないか検索した。その結果、「コロッケ&美川憲一のコンサート」が近隣で開催されることを知り、すぐに母にメールを送った。

    母は一人でコンサートに行くタイプではない。だからこそ、これは「母との思い出作り」という名目の、私自身の時間を投じる投資でもあった。当時のモノマネの詳細は覚えていないけれど、私は母の付き添いとして、会場へと足を運んだ。

    行動経済学の選択:モノではなく体験に投資する理由

    結果は、大成功だった。

    母の表情が緩んでいくのを隣で見届けて、この「記憶への投資」の正しさを確信した。 けれど、物語はそこでは終わらなかったのだ。

    驚くべきことに、私自身もまた、予想を遥かに上回る衝撃を受けることになったのである。

    本音を言うと、母への誕生日プレゼントなので私自身はそこまで楽しまなくても良いと思っていた。しかし、予想を上回るほどコンサートは楽しい体験となり、終わってからも色々考えるきっかけとなった。

    ポジティブ心理学が示すように、物質的なモノは購入直後に幸福度のピークを迎え、その後はすぐに慣れて価値が低下する。しかし、コンサートのような「体験への投資」は、記憶として残り、時間が経つほど価値が増していく。モノではなく時間を贈るという選択は、母の幸福を持続させるための最も賢い行動経済学的な判断だった。

    この経験は、「誰かのために行動する」ことが、結局は「自分の幸福度を高める」という、利他的な行為が自己肯定感に繋がるというポジティブ心理学の原則とも一致する。相手の喜びが、自分自身のセロトニン分泌を促した一つの証明だ。

    予期せぬ気づき:一流のエンタメが思考を変える

    会場でまず目を奪われたのは、満席のホールを埋め尽くした高齢者たちの、弾けるような笑い声と、一幕ごとにかける声援の力強さだった。

    日々のクリニック勤務で目にするのは、疾患や苦痛を抱えた患者さんたちの姿。その日常との強烈な対比によって、私は「健康」の真意を再定義することになった。健康とは、単に病気がないことではない。心から笑い、魂を震わせるエネルギーを持っていることなのかもしれない。

    次に感じたのは、コロッケ氏を知っているようで知らない私でも、爆笑するほど面白いネタを見たという感覚だった。実際のところ、人を笑わせるのは、怒らせるよりもずっと大変なはずだ。それなのに、昔のネタを知らない私を含め、会場のほぼ全員が笑っている。それは、彼らの芸が感情の本質に訴えかけているからだと感じた。一流のエンターテインメントは、世代や知識、時代さえも超えて人の心を動かす力を持っているのだ。

    そして、美川憲一氏がシャンソンの歌の合間に放ったこの一言が、私の胸の奥深く、最も熱い場所に突き刺さった。

    「死ぬほど生きなさい」

    その言葉は、棘よりも鋭く、心臓を直接揺さぶるほどの重みを持っていた。

    この時の私は、夜明け前から走り、誰にも言わずに学び、自分を信じるために必死で行動を積み上げている最中だった。何ヶ月もかけて「死ぬほど生きている」と言ってもいいほど、真剣になっていたからからこそ、この言葉が刺さったのだろう。母の隣で、涙をこぼそうになったが必死にこらえた。なぜかというと、私がこの頃何をしていたのかを、両親にはまだ伝えていなかったからだ。説明の出来ない涙は、流せない主義なのである。

    母のために選んだ場所で、自分の潜在意識が必要としていた「答え」に出会う。この予期せぬ覚醒が、私のこれからの行動に、さらなる強固な動機づけを与えてくれた。

    行動が先:メタ認知で無知を楽しむ習慣化

    この体験が教えてくれたのは、「行動」が先で、「気づき」は後からついてくるという習慣化の鉄則だ。未知の場所に自分からどんどん飛び込んでみる他ない。たとえ自分には関係ないと思っていた分野であっても、一流のものに触れることで、自己成長の扉は思いがけない方向から開かれる。

    自分から動くことはもちろん、時には「誰かの誘いに乗ってみる」のも一つの手だ。
    自分のフィルターだけでは選ばない場所に身を置くことで、思考の余白に新しい風が吹き込み、思いがけない発見がもたらされる。自分の殻に閉じこもらず、メタ認知によって「自分の知らない世界」を面白がること。その姿勢こそが、新しい自分への道を切り開く最高のスキルとなるだろう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの科学者・哲学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツが遺した言葉だ。

    「最も良い着想は、問題から離れ、気晴らしをしている時に、思いがけずやってくる。」

    母のために選んだ体験への投資は、結局、自分自身の人生を豊かにする決断の一部となった。
    効率ばかりを追い求める脳に、あえて「普段の自分なら選ばない選択」という投資をしてみよう。その先に、思いがけない発見があることだろう。

    vol.44 「ゼロヒャク思考」は欠点ではない:ドーパミン報酬を最適化するメタ認知
    vol.44 「ゼロヒャク思考」は欠点ではない:ドーパミン報酬を最適化するメタ認知 HAKU

    黒か白、0か100。パンよりご飯、犬より猫、海より山。
    昔から、妥協や曖昧さを嫌う、そんな極端な性格だった。

    楽しいことには周囲が引くほどの熱量で突き進むが、興味を失えば糸が切れたように止まってしまう。そんな私に対し、夫や家族は呆れ顔を見せることが少なくなかった。

    「やりたくないことは、絶対に無理」「私はこういう性格なのだから仕方ない」

    かつての私は、そう一点張りで生きてきた。極端な性格を個性だと信じることで、かろうじて自分の形を保っていたからだ。自発的な制御の欠如という言葉では片付けられない、核のような強いこだわり。それをうまく言語化できず、「お母さんはいつもわがまま」というレッテルを、ただ黙って飲み込むしかなかった。

    脳科学の真実:ゼロヒャク思考と報酬が足りない脳

    そんな私を肯定してくれるような記事を見つけた。

    以前から薄々感じていた「自分はADHDかもしれない」という特性について、脳科学系の本を多く出版しているアンデシュ・ハンセン氏の『最強脳』の中で深く知ることができた。この本には、ADHD(注意欠如・多動症)の強みと弱み、ADHDとドーパミンの関係が書かれていた。

    まず、私の0か100かという思考はドーパミンが影響しているようだ。さらにいえば、脳の側坐核(そくざかく)という部分が関係しているという。

    一般の人が普通の喜びで分泌されるドーパミンで満足できるのに対し、ADHD傾向のある脳は、側坐核がドーパミンを十分に受け取ることが難しい。そのため、他の人と同じ体験をしても「報酬」を感じにくく、気分の良さを得るためには、より強い刺激、より高いハードル、あるいは特別なご褒美を必要とするのである。

    欠点ではない:「0か100」の強みとメタ認知

    だからこそ、私は他人に誘われるだけの娯楽には満足できなかったのだ。「「自分で選んだ場所で、好きなことに全力を注ぐ」という極端なコミットメントがなければ、私の脳は満足(報酬)を得られなかった。

    最強脳』によれば、ADHD傾向のある人は、周囲が尻込みするような状況でも「ないなら自分で作ってしまおう」という思考に切り替えやすいという。この傾向が強いため、新しい発見を見出す成功者が多いとも書かれていた。自分は成功者ではないのだが、だからこそ、私はどこの職場でも、どこの場所へいっても足りないものや違和感のある部分に目をつけてしまっていたのだろう。このことを知って、すとんと腑に落ちた。

    どこの職場へ行っても改善すべき点に気づき、変化を望まずにはいられない。これまで「面倒な性格」だと思っていたその特性の正体は、私の脳が常に新しい価値を探し求めている証拠だったのだ。このメタ認知こそが、長年の自己嫌悪から私を解放し、前を向くための土台となった。

    行動変容の鍵:ドーパミンを自己成長のエンジンにする

    全力で楽しむ努力や、「ないなら自分でつくってしまおう」という思考は、もともと自分の中に存在する意識だった。この特性をネガティブなものとして捉えるのではなく、「生まれ持った探求心」として受け入れることが、自己肯定感に繋がる。

    これからも、自分に対して好きなことをやって、とことん楽しみながら生きていきたい。それは一人で楽しむことも重要ではあるが、家族といる時であっても自分が楽しめる状態にもっていく双方の努力が必要になる。それが今、自分にはできていない。

    そのためには、レクリエーションのように「目的地はここで遊ぶけど、一箇所だけお母さんも楽しめる場所や食べ物を共有してほしい」という要望をうまく取り入れてもらいながら進めるべきなのかもしれない。

    自分ばかりが我慢して行きたくないこと、やりたくないことをする必要はない。ドーパミンを受け取りにくい脳だからこそ、「楽しさの最大化」への戦略的努力が必要なのだ。

    人生を100%楽しむための設計図

    自分の脳の特性を理解することは、「人生をデザインする」ことと同義である。

    私たちが目指すべきは、ドーパミンの分泌を抑えることではない。分泌のトリガーを「自己成長や健康的な体験」へと切り替えることだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    フランスの思想家サルトルが遺した言葉だ。

    「人は自分の選んだもののなかに自己を投げ入れ、それによって、全人類に対して自己を選ぶという責任を負うのである。」

    あなたの「0か100か」という情熱は、あなたが自己を投げ入れるための最強のエンジンだ。この特性を欠点として隠すのをやめて、味方につけること。 それが、あなたの脳の「最高のご褒美」を理解し、誰にも真似できない100%の自己実現を達成する鍵となる。