• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

    マインドセット

    vol.09「バカ」コンプレックスを「無知」で克服する自己肯定感の育て方
    vol.09「バカ」コンプレックスを「無知」で克服する自己肯定感の育て方 1024 1024 HAKU

    これまで私は、「自分は頭が悪い」というコンプレックスを抱えて生きてきた。
    幸いにも恵まれた環境で生きてこられたが、仕事で壁にぶつかるたびにその失敗を「私の能力のせいだ」と決めつけていた。だが、ある本を読んでその考えは大きく変わった。

    その本とは、いかにもなタイトルの一冊。橘 玲氏の『バカと無知』だ。内容は、バカの思考や行動を辛辣な言葉で書かれており、ページを開くたびにショックを受けながらも、どこか自分を重ねて読み進めていった。

    読んで気づいたのは、私はバカなのではなく、ただ「無知」だったかもしれないということだ。この発見が、私に大きな安堵をもたらした。かつての私は、自分がバカであることを知られるのが怖くて、本に書いてあるように、自分を必要以上に大きく見せようとしていた。小学生の頃から「HAKUは真面目な子」と周りに言われ続けたそのイメージを、崩さないよう必死に生きてきたのだ。しかし内側では自分の弱さを理解している、惨めな自分も存在していた。

    内面と外面のバランスを取るために、私は「学び」という選択を決めた。

    「バカ」と「無知」の境界線と自己肯定

    「失敗は悪いことではない」というマインドを、常に持ち続けた。
    うまくいかないことや、自分自身に嫌気がさすことはたくさんあったけれど、「失敗は成功への糧」と何度も心の中で繰り返した。なぜなら、知識や経験がないことは、決して恥ずかしいことではないからだ。

    知識が無いことを自覚し、そこから学ぼうとする行動こそが大切なのだ。その行動が、結果的に成長と幸せに繋がっていく。私は、今まで数えきれないほどの失敗を経験してきた。その都度、学び、成長しようと試みてきたからこそ、今の自分がいる。自分の強さとは、完璧さで測るのではなく、無知であることを認め、そこから学ぼうとする力にあるのだ。

    失敗を恐れない「成長マインドセット」への切り替え

    この考え方は、私の子供との関係にも影響を与えた。
    うまくいかないことがあっても、私は子供に、失敗は成功への糧であることを繰り返し教えた。すると、子供は「そっか」というような顔で失敗を受け止め、前向きな姿勢を見せるようになった。

    大人になっても、日々失敗する。かつての私もそうだった。

    うまくできないことを頭のせいにするのではなく、失敗を成功に繋がる糧だと思考を変える必要がある。この変化は、心理学でいう「成長マインドセット」に切り替わったことを意味する。知能は固定されたものではなく、努力で伸びると信じることで、失敗は「能力の証明」ではなく「学習の機会」となる。現実は見えている。その現実を変えるために、日々勉強をして知識を補充している。その結果、人生はより豊かになっていくことを知ったのだ。

    無知を楽しむ:行動と習慣化の連鎖

    無知な自分を認めたことで、私は人よりも多くの事を喜べるようになった。新しい知識を得るたびに、世界が広がるような感覚がある。それは、まるで分厚い霧が晴れて、目の前に広大な景色が広がるような体験だ。何かを新しく学ぶことは、いつでも、何度でも、私たちをワクワクさせてくれる。その小さな喜びこそが、行動を続けるための最大のエネルギーなのだ。

    この「学ぶ喜び」は、ドーパミンを分泌させ、次の学習行動を促す。さらに、ブログなどで学んだことをアウトプットする行為は、記憶の定着を強固にし、自己成長を加速させる。無知の領域を広げ、それを探求する行動の連鎖こそが、人生を豊かにする鍵となる。

    無知の知の肯定がもたらす人生の変革

    もしかしたら、あなたも自分を「バカ」だと決めつけていないだろうか?
    そうだとしたら、まずその考えを手放してみてほしい。あなたはただ、まだ知らないことが多いだけなのかもしれない。その無知を恥じるのではなく、むしろ探求すべき新領域として捉えてみてはどうだろうか。

    無知は決して悪いことじゃない。
    自分の無知を認め、学び続ける。そのシンプルな行動こそが、無限の可能性と自由を与えてくれる、人生の最高の財産なのだ。そして、その財産を増やすたびに、あなたはより多くの喜びと感動を味わうことになる。学びは、私たちに無限の可能性と自由を与えてくれることを再確認できた。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、現代科学哲学者カール・ポパーが遺した言葉だ。

    「学べば学ぶほど、自分の無知を知る。」

    自分の「無知」を自覚すること。それこそが、コンプレックスを自信に変え、人生の舵を握るためのスタートラインだ。その探求心こそが、あなたの人生に無限の知識という光を与えてくれるだろう。

    vol.10 「ワーキングマザーの習慣化」現状維持の壁を破る短期集中の行動哲学
    vol.10 「ワーキングマザーの習慣化」現状維持の壁を破る短期集中の行動哲学 1024 1024 HAKU

    私は今、「ゼロ100思考」という自らの特性と向き合っている。
    産後、2つの資格(当時働いていた職場で活かせる植物系の資格と、今の仕事で使う医療系の資格)を取得したのだが、その過程は常に極端だった。

    「ゆっくりマイペースで勉強しよう」なんて考えは全くない。
    目標は最短での取得。取れないならやらない。取れないかもしれないなんて、そもそも考えない。やるからには必ず合格してみせる。そんな私を見て、夫がよく言うツッコミを思い出す。「また出たよ、ゼロ100思考!」。それでいい。ゼロだろうがヒャクだろうが、短期間で集中して挑まねば、資格取得は不可能なものだと私は理解できている。

    なぜ「短期」という言葉に、こんなに魂を燃やす必要があるのか?
    それは私のライフスタイルに密接に関わっている。

    ワーキングマザーとホメオスタシスの壁

    今は子育て中の身で、とにかく時間がない。
    子供が少し手を離れたかなと思っても、全くそんなことはない。

    子供が「怖い夢を見た」と夜中にグズグズしながら起きた時に、その理不尽な理由で起こされるのは毎回私で(夫は別室で寝ている。それを望んだのは私だが、腹が立つ)、学校で食べるお弁当を、朝早く起きて仕事に行く前に作るのも私なのだ(夫も学校の連絡アプリを入れているけど、お弁当の日さえ知らない)。

    色んな理由で起きる日々のタスクが多すぎて、自分のやりたいことを実行する為に使える時間が圧倒的に足りないのである。仕事で使える取得したいスキルという「正当な理由」があったとしても、自分の時間を増やすのは本当に難しい。

    おそらく、行動する前にホメオスタシスも全力で働いていたのだろう。

    そんな時、会ったこともない地獄の閻魔様に、こんな風に凄まれるのを想像してしまう。

    「では2ヶ月以内に資格を取得できるのであれば、勉強をスタートさせなさい。ただし仕事や家事、休日の家族とのお出かけも今まで通りやった上で、その隙間で時間を作れるのであればやってみなさい。あなたがやりたいことなので、家族を犠牲にしてまで時間を作ろうなどと思わないように。期間内に資格を取得できなければ…..あなたの舌を抜きますよ?」

    閻魔が舌を抜くなんて、あまりにも非現実的な妄想に「はい、承知いたしました…」とドキドキしながら、目を合わせず答える私がいる。完全に妄想の中での話なのだが、ある意味現実的でもある。

    とにかく時間がない中で、短期間で集中することが求められる。
    そしてその行動を、なぜやらなければいけないのか、家族に説明する必要も出てくる。「資格の勉強をしてくるから、図書館に行ってくる。これは仕事で使う大事な資格だから、勉強が終わるまで家には帰れない。その間、子供の世話と家のことよろしく」なんて、思っても口が裂けても言えない。あくまで私は「資格を取らせていただく側」なのだ(…なんで?)。

    少し前置きが長くなってしまったが、幸いにも資格は何とか期間内に無事に取り終えた。今回のこと以外にも、子育て中の親(特に母)にとって、「終わりよければ全て良し」としなければ、腑に落ちない問題が山ほどあるのだ。

    短期集中と最少行動量の科学的根拠

    そんな時期を終え、また波がやってきた。
    健康やメンタルに良いと、自己流で始めた運動や筋トレだ。資格取得とは種類が異なり、やった分だけ身になる分野の行動である。

    毎日どんなトレーニングが良くて、何が自分に合うのかを、得意の短期集中ルートで探し続けた。パーソナルに通っていたわけではないので、メニュー作りには一番苦労した。教科書のない問題を解くのは初めてだったので、何が正解か全くわからなかった。

    プロからすると、1ヶ月で効果が出るものなどないし、そもそもそんな考え方はやめた方がいいと言われるかもしれないが、こんな科学的データもある。

    早稲田大学などの研究でわかったのは、わずか40秒間だけでも、全力で動くトレーニングをすれば、全身の筋肉が大きく活動し、十分な効果を生む「最少の時間」があるということだ(出典)。また、筋トレ初心者は、筋肉が刺激に慣れていない分、短期間で効果が出やすいことも知られている。私は独断と偏見を可能な限り使い、とにかくやってみた。

    その中で1週間で効果がでたものがあった。それは冨永愛さんのカエル脚腹筋だ。最初は辛かったが、数日で効果が出たのでモチベーションが上がり、毎日続けることができた。それ以外のトレーニングで1ヶ月間効果が出なかったものは切り捨て、ジムのトレーナーがお勧めするものなど、信憑性のある人の発信で本当に効きそうなものだけを試し続けた。

    自分だけの最短ルートメニューを作り、毎月メニューの見直しと更新を行い続けた結果、3ヶ月で友人や家族から「痩せたね」と言われるほど、ボディラインが変わっていた。

    成長マインドセット:失敗を恐れない軌道修正

    牛尾 剛氏の『世界一流エンジニアの思考法』という本には、「検討するより早く失敗した方がいい」と書かれている。挑戦→失敗→振り返り→修正。このサイクルが早いほど価値があるようだ。私も渦中はこの考え方だった。まず、身体機能的にこのトレーニングができるかどうか、試すところから始めた。身体の変化に出にくいものは切り捨て、何が悪かったのかフィードバックし、トレーニングメニューを修正する。

    安全を考慮しつつ、私は筋トレの内容を妥協せず、成果に繋がることだけをやりたかった。なぜなら、できるものだけを何となく続けるのは意味がないと思っていたからだ。

    ちなみに参考にしなかったのは、妊娠中の体重を含めたであろう「⚪︎ヶ月で20kg減量」という発信だ。出産経験がある私からすれば、妊娠前の体重ではなく、子供がお腹にいる状態の増加分まで含めた数字を基準として成果とするのは、フェアではない。そうした信憑性に欠ける発信は、意識的にシャットアウトしていた。

    何を考え、どれを参考にするかは人それぞれだが、正しい情報を選び、適度にフィードバックして修正していく。これも継続する上で必要な考え方だと私は思う。

    継続の本質:行動哲学と自己肯定感

    筋トレを習慣化する上で大切なのは、まず負荷をかけず行動すること。
    そして、どんなに小さくても身体の変化を見つけること。その繰り返しが、やがて確かな自信となる。できないものに執着しなくてもいい。自分で決めた期間内に効果がないなら手放してもいい。

    私の行動がすべて正解だとは思わないが、間違ったやり方を何ヶ月も続けるよりも潔いのではないだろうか。短期間で集中してやる資格取得のためではないので、間違っていたなと思ったらすぐに軌道修正ができるのが、筋トレを含め、体を動かす運動が持つ最大のメリットだと思う。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンが遺した言葉だ。

    「強いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残るのだ。」

    このダーウィンの言葉こそ、あなたの短期集中・軌道修正の哲学を最もよく表している。変化を恐れず、常に実験を繰り返す行動が、人生の答えを導くのだ。積み重ねられた行動データこそが、誰にも奪われない自信となる。

    vol.16 「ネガティブ思考」は伝染する?人間関係の断捨離とメタ認知術
    vol.16 「ネガティブ思考」は伝染する?人間関係の断捨離とメタ認知術 HAKU

    目次


    歳を重ねると、自虐的な発言や、人を小馬鹿にして笑いをとる人が増えているように思う。

    クリニックの受付では、会計を済ませずに帰ろうとする高齢者に「すみません、お会計がまだです。」と声をかけると、「ボケてきちゃって嫌ね」「頭が悪くてごめんなさいね」と返す人が多かった。検査室では、難聴の高齢者の付き添いの人が「この人耳がほとんど聞こえていないから、検査は適当でいいですよ」などと笑いながら言うこともあった。

    どちらのケースも愛想笑いにとどめ、基本はスルーと決めていた。

    正直に言うと、ボケてきた、頭が悪いなどと自分で言う人に対して「そんなことないですよ」と持ち上げるのも面倒であり(本人はそう言って欲しそうな顔をしているが)、難聴者の付き添いにまで気を遣うのは手間なので、そういった相手には極力時間をかけたくなかった。

    この頃から徐々に、「人のネガティブな感情を極力受け取りたくはない」という思いが強くなっていった。医療機関という特殊な場所柄もあるけれど、一見エネルギッシュに見える人であっても、ふとした瞬間にネガティブな本音が見え隠れする。

    そんな空気に包まれて仕事をする中で、私の心には次第にモヤモヤが溜まっていくようになった。

    脳の仕組み:ネガティブ思考の増殖

    思考の質は、人生の質を左右する。

    そう確信したのは、行動を続ける中で、私自身の過去と長く向き合ってきた経験があるからだ。以前はネガティブな考えに囚われ、自分を信じることができなかったのだが、脳の仕組みを理解することで、何とかそのループから抜け出すことができた。しかし、自分を変えるには内面だけでは不十分だと途中で悟った。なぜなら、周囲の環境が思考に与える影響の大きさを知ったからだ。

    佐藤 伝氏の『なぜかうまくいく人のひみつの習慣』によると、人間の脳は一日に約5000ものことを考えており、その約9割はネガティブな内容だという。プラス思考はわずか1割程度しかない。さらに、このマイナス思考には増殖していくという特徴があるらしい。

    しかし、良いニュースもある。プラスの言葉を口にすると、このマイナス思考の増殖をストップさせることができるというのだ。

    それを知ってから、私は仕事中に嫌な感情が湧いた時、「まぁまぁまぁ」「気にしない気にしない」「オッケーオッケー」とポジティブな言葉を繰り返し、小さな声で呟くようになった。一見、怪しい人に見えるかもしれないが、これが自分にとっては非常に効果的だった。感情に支配される前に、自分でコントロールする術を身につけたのだ。

    だが、そのコントロールがうまくいかないことも多々あった。その原因は、職場の同僚による日常的なネガティブな発言だった。

    ストレスを映し出す環境の危険性

    ある同僚は、スタッフルームに入ってきて早々、「疲れた」「眠い」と毎朝言うのが口癖だった。同じく子育て中の身なので、朝から大変なのは理解できる。しかし、まだ仕事も始まっていない状態で、毎日そのネガティブな言葉を聞くことが、私にとって非常に大きなストレスに感じるようになった。

    心理学の研究では、ネガティブな人との会話後、参加者のストレスホルモン(コルチゾール)のレベルが上昇したというデータが報告されている(参照)。これは、脳がその人物を「危険な存在」や「ストレス源」として認識し、自然と距離を置こうとする防衛反応だと考えられる。

    職場で唯一飲みに行くほどの仲だったからこそ、自分の都合で離れていくことに、どこか身勝手な申し訳なさを感じながらも、私は少しずつ彼女から距離を置くことにした。 自分の思考を守るためには、今、この物理的な距離が必要だと判断したのだ。

    人間関係の質と自己成長

    そんな時期に、エミチカ氏の『結局、「手ぶらで生きる女」がうまくいく モナコの大富豪に学んだ、自由に生きる57のヒント』という本を読んだ。そこで、人生を豊かに生きる上で大切なことを再確認した。それは「人間関係は、量より質を大事にする」という事だ。運やツキを掴みたければ、長く付き合いたいと感じる人とだけ全力で関係を築くこと。そして、どんな人と付き合いたいかのイメージを強く持つことが重要だという。周りの人の考えは、自分に映る鏡なのだ。

    どんな人と時間を共にするかによって、良くも悪くも自分自身が引っ張られてしまう。これは本当にその通りだと思う。「疲れた」「できない」「だって」「どうせ」といった思考で頭の中がいっぱいになっている人といると、こっちの気分まで落ち込む。自分が前向きに変わろうとしているタイミングなら、なおさら聞いていられない。

    冒頭で話した患者さんの件も同様だ。自分を下げて笑いを取ろうとする人や、人を小馬鹿にするような人たちとは、一線を引くべきだと感じた。

    断捨離の勇気:ストレス源からの解放

    加藤 俊徳氏の『なぜうまく行く人はひとり言が多いのか』という本にも、似たようなことが書かれていた。「ネガティブな独り言を言うと脳の働きが悪くなる。マイナスな言葉を呟いている友人や親からは距離をおいた方がいい」と。

    ネガティブな思考には、もう二度と引っ張られたくなかった。昔のように彼女と親しい関係を続けるのは難しいと感じ、この一年間プライベートな誘いをすることは一度もなかった。かつての楽しかった時間を思うと胸の奥がチクリと痛むけれど、 それは今の自分をキープするための、私なりの切実な決断でもあった。

    自分を変えるためには、行動だけでなく、環境を選ぶことも大切な選択の一つだ。人間関係も同様に、自分の人生にとって最適なものを選び抜くべきなのだ。自分の成長を阻害するような人間関係は、思い切って手放す勇気を持つべきだ。それは冷たい行為なのではない。自分の可能性を信じ、未来を切り拓くための、賢明な選択なのだ。

    習慣化の鍵:「5人の法則」で人生を彩る

    自分を大切にすることは、心地よい空間と前向きな人を選ぶことにも繋がる。それは、あなた自身の幸せだけでなく、あなたが出会う人々にもポジティブな影響を与える。自己成長を願うなら、まず身の回りの人間関係を見直してみよう。そして、あなたが心から「この人と共に成長したい」と思える人との関係性を大切にしてほしい。

    自分の思考の傾向を理解し、ネガティブな独り言をコントロールする。そして、付き合う人を選ぶ。このシンプルな二つの行動が、あなたの人生を根本から変える力を持つ。それは生まれ持った性格や運命ではなく、あなたが意識的に選択できるものなのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、哲学者ジム・ローンが遺した言葉だ。

    「あなたは、最も多くの時間を過ごす5人の人間の平均である。」

    これはとても有名な言葉なので、知っている人も多いはずだ。
    あなたの人生の質は、あなたが共に過ごす人々によって形作られる。より良い自分へと成長するために、今日、あなたの周りの「5人」を意識的に見直すことから始めてみてはどうだろう。それが、あなたの人生の軌道を好転させる確かな行動である。

    vol.23 「過去の呪縛」を断つ!DMNを止めて今に集中する自己受容の習慣化
    vol.23 「過去の呪縛」を断つ!DMNを止めて今に集中する自己受容の習慣化 150 150 HAKU

    目次


    私は今までずっと、変えられない過去に縛られて生きてきた。というよりも、長い間、自分のことを意識的に目に見えない「過去」という鎖に繋いで生きてきた。

    何かやりたいことがあっても行動に移すのをためらい、新しい人との交流も避けてきた。「それが一番楽で安全な生き方だ」と思い込み、いつも自分の範囲内でしか行動していなかった。

    心の奥底には、いつまでも消えない不甲斐ない記憶が、水を変えずに放置していた水槽のように、重い沈殿物となって澱んでいた。

    そんな私に変化をもたらしたのが、苫米地 英人氏の『頭のゴミを捨てれば脳は一瞬で目覚める』という本だった。この本には、未来が良くなっていれば、過去も現在も最高になると書かれていた。運動や勉強を始めて、この思考を取り入れたことで私は少しずつ変わっていった。

    「未来の自分が良くなるか悪くなるかが、今の自分次第だとしたら?」

    そう考えると、未来の最高の自分を作るために、今できることに集中して行動することができた。辛く暗い経験をこれからも増やし続け、自分のことを嫌いになりたくなかった。

    私がこれから変えていきたいのは、自分を信じられるような行動をとること。 そのために、今の自分にできること、やるべきことは、泥臭くたって何だって、すべてやってやるつもりでいた。

    正直に言えば、この時の私は「わらをもすがる思い」でしかなく、自分を救ってくれるそのわらを、ずっと探し続けているような状態だったのかもしれない。

    過去の呪縛の解放:未来が過去の意味を書き換える

    過去の出来事に対する感情は、私たちの脳に深く刻み込まれてしまう。特にネガティブな経験は、あたかも現実で起きているかのように、何度も脳内で勝手に反芻される。これは、脳が危険を回避するために、嫌な出来事を強く記憶する性質を持っているからだ。そのせいで私たちは、いつまでも過去の呪縛から抜け出せないのだ。

    大切なのは、そのループを断ち切ること。
    過去を無理に忘れようとするのではなく、未来を良くすることで、過去を相対化することが出来る。

    未来が良くなれば、今の自分は「最高の未来に向かって進んでいる途中」とポジティブに捉えられる。すると不思議と、過去の嫌な出来事も、「あの経験があったからこそ、今の私がある」と感謝すらできるようになる。つまり、未来への希望が、過去の意味を書き換えてくれるのだ。

    この過去の呪縛から解放される思考術の核心は、「今」に集中することなのである。

    ナイキの可視化:「小さな成功体験」が未来を創る

    ランニングを習慣にして2ヶ月ほど経った頃、NIKEのRUNというアプリを入れて、走る距離や時間を可視化してみた。記録して1ヶ月経つ頃に「これ最近始めてさ…」と何気なくアプリを見せると、夫はアプリの画面をスクロールしたりタップしながら「今月、これだけ走っているじゃん」と教えてくれた。

    私はその日走った距離と時間がわかればいいと思っていたのだが、今までの総距離を知った途端、「こんなに走っていたんだ!」と、思わず声が出るほど嬉しくなった。その日その時の「今」に必死だった小さな積み重ねが、いつの間にか大きな地層のように積み上がっていた。その事実は、過去の不甲斐ない自分をまるごと肯定してくれるような、確かな『自分への信頼』に変わった瞬間だった。

    過去の出来事は変えられない。けれど、その意味を決める未来なら、今この瞬間からいくらでも作り変えていけるそのために、「今」に集中できる行動を見つけ、実行することが必要となる。自分を嫌っていたからこそ、その穴を埋めるように、自分にとって良いと思える行動にひたすら集中した。

    必死に手を動かし続けたその先で、気づけば手にした結果は、想像していたよりもずっと大きく、私の世界を塗り替えていた。

    脳科学:DMNを今で満たす習慣化戦略

    それでも過去に引き戻されそうになったら、専門的な本をパッと開いて読んだり、複雑な計算問題を解いてみたり、強制的に「今」に集中できる何かを自分で用意することも大切だ。

    過去のネガティブな記憶が呼び起こされるのは、脳の「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」という機能が関わっていると言われている。これは、ぼーっとしている時や何もしていない時に活性化し、過去の反省や未来の不安といった思考を巡らせる働きだ。

    だからこそ、意識的に脳を「今」に集中させる必要がある。

    普段の生活中、過去を思い出してモヤモヤ、イライラしてきたら、自分が大切にしている理念を書いた手帳をこっそり見るようにしている。そして、そのために今何を考えなければいけないのか思い起こす。その結果、意識は過去ではなく「今」に向かう。これにより、自然と頭の中は未来に向けて「今すべきこと」に集中できるようになる。

    未来がよくなる行動を今から少しずつ始めて、小さな成功体験を増やし、過去を思い出す脳のスペースを狭くしてみよう。そうすれば、あなたの脳は、過去を振り返る暇もないほど「今」と「未来」でいっぱいになるはずだ。

    今に集中することこそ自己受容のスタートライン

    過去の上に成り立っている現状を「今はこれで良い」と受け入れる。
    「ああするしかなかった」と過去の自分を受容することで、今に集中できる。この集中こそが、私にとっての成長だった。過去の自分の全てを受け入れることは、とても勇気がいることだ。

    私もそうだったので、それは痛いほどわかる。

    しかし、新しい行動を起こし小さな成功を積み重ねるたびに、あなたの脳は未来に向けた希望で満たされていく。この意識こそが、自分を信じるための行動に繋がり、そして、その先の未来をより良いものに変えるのは「今の行動」なのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、古代ローマの哲学者マルクス・アウレリウスが遺した言葉だ。

    「未来を心配するな。心配は、未来を創る今の力を消耗させるだけだ。」

    未来を心配するよりも、「今」に集中すること。それが、あなたの人生を切り拓く確かな道となり、この瞬間の行動こそが、あなたを最高の未来へと導く習慣と変わるのだ。過去はもう、終わった話だ。過去を断ち切り、未来のために「今」を生きよう。

    vol.24 「すぐやる」習慣化:作業興奮を呼び起こす行動経済学
    vol.24 「すぐやる」習慣化:作業興奮を呼び起こす行動経済学 150 150 HAKU

    目次


    「勉強できる環境じゃないと、捗らない」 「すぐに痩せるわけじゃないなら、やる意味がない」

    完璧な環境が整わなければ、始める意味がない。かつての私は、そうやってやる前からとにかく諦めがちだった。言い訳という名の鎧を纏って、一歩も動けずにいたのだ。

    その理由は、ただ一つ。

    自分を信じていなかったから。 成功した未来の姿を、どうしてもイメージできなかった。

    ただそれだけで、私は自分の可能性に自ら蓋をし、一歩も動けずにいた。

    この考え方で、人生において何か一つでも良い事があっただろうか?

    行動したくない理由を山ほど抱えて、動けなくなっている自分を守るための鎧はあまりにも重すぎる。そんな自分の心と向き合い続けた結果、ようやく気づいたことがある。 準備万端だから始めるのではない。始めていくから、準備が整っていくのだ。

    すべては、行動できないための言い訳にすぎない。
    まずは、その事実に気づくことが大前提なのだ。


    「作業興奮」の仕組み:すぐやる脳が教えてくれた脳科学

    言い訳ばかりしている中で、ある本を読んだ。菅原 道仁氏の『すぐやる脳』という本だ。

    この本で、私は「作業興奮」という言葉に出会った。これは「やる気がなくても、やり始めれば次第にやる気が高まってくる」という脳の仕組みのことだ。具体的には、側坐核(そくざかく)という脳の部位が刺激されることで起こる現象だ。やる気を迎えにいくつもりで、まずは小さな一歩を踏み出すことが大切なのだという。

    ランニングを始めたときは、特に準備らしい準備はしなかった。家にある無地のTシャツと短パン、そして持っている靴の中で一番走りやすそうなスニーカー。「何事も最初が肝心」というけれど、その考え方が行動を妨げるなら、最初は肝心じゃなくてもいい。そのくらいフラットに、ハードルを極限まで下げて始めることこそが、本当の意味で最初の一歩なのだ。

    今までは、新しいことを始めるために、完璧なウェアやシューズを買い揃えることに全力を尽くし、準備が整うのをひたすら待っていた。

    しかし、それは脳が巧妙に仕掛けた「ホメオスタシス(現状維持機能)」という名の言い訳にすぎなかったのだ。

    完璧な準備という甘い誘惑は、行動を先延ばしにするための最大の罠なのである。 私はようやく、そのカラクリを悟った。

    行動経済学の真実:時間は「資産」である

    あれこれ考えている時間が、とにかくもったいない。時間は資産だ。考えているだけで行動できなくなるような思考を、そもそも作る必要なんてない。

    準備しすぎなかったおかげで、私はすぐに走り出すことができた。
    そして走り続けるうちに「この靴の方が脚に良さそう」「汗を吸収するサラッとしたTシャツが欲しい」と、今の自分に必要なものがだんだん見えてきた。

    これは、行動経済学でいう「プロスペクト理論」の応用とも言える。完璧な準備で得られる「利益」よりも、早く始めなかったことによる「損失の回避(時間を失う損失)」に焦点を当てた結果だ。

    大切なのは、自分が動けなくなる状態を、自分自身で作り出さないことだ。頭でっかちになり、考えれば考えるほど行動できなくなる状態は避けよう。行動するまでの時間を最小限にすることが、何かを始める上で最も重要なこととなる。

    思考の余白をなくす習慣化戦略

    仕事を終え、疲れて帰ってきてソファに座り込んだ瞬間も、自分にとって危険な時間だった。この「区切りの合図」を「行動のスイッチ」に切り替える必要がある。帰宅後はすぐ運動、仕事がない日の朝はランニングといったように、行動の前に余計なことを考える余地を与えない。こうすることで、ダラダラする時間を作らないようにした。

    「あと30分、やっぱり1時間後にやろう」と考えても、時間が近づくほど実行したくなくなるのが人間の脳だ。思考を遮断するイメージで、筋トレやランニングなどの行動そのものを嫌だなと思ったらすぐにやる。脳内に「面倒くさい」が蔓延する前に、行動でネガティブ思考を食い止めるのだ。

    この戦略こそ、私の脳を「考えるモード(DMN)」から「実行モード」へ強制的に切り替える手段であった。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの哲学者ニーチェが遺した言葉だ。

    「計画は実行しながら練り直せ。」

    完璧な計画を立ててから行動に移すのは、時間の無駄になるかもしれない。まず始めてみて、うまくいかないところは微調整しながら進めばいい。この柔軟な思考こそが、習慣化を成功させる鍵となる。

    vol.26 感情バイアスを乗りこなす「思考の訓練」と習慣の力
    vol.26 感情バイアスを乗りこなす「思考の訓練」と習慣の力 150 150 HAKU

    運動が日常の心地よいリズムとして習慣化し始めた頃。 私は、5月に幕張で開催される「THE BEACH 2025」というイベントに、友人と行く予定を立てていた。

    最高のコンディションで、爆音の中、砂浜で踊り狂う。

    その瞬間をイメージして積み上げてきたトレーニングは、日ごとに熱を帯び、私の準備はこれ以上ないほど完璧だった。
    ところが、イベント前日の夜に届いたのは「イベント中止」のメール。
    先に現地入りしていた友人は、お金も時間も無駄になったと、ひどく落ち込んでいる様子だった。

    ところが、イベント前日の夜に届いたのは「イベント中止」のメールだった。先に現地入りしていた友人は、お金も時間も無駄になったと、ひどく落ち込んでいる様子だった。

    一方、私はまったく逆のテンションだった。「どうしよう?どこ行く?何する?」と、むしろワクワクしていた。なぜなら、イベントが中止になった分、遊ぶ時間が増えたと考えることができたからだ。結局、翌日は急遽プランを書き換え、豊洲エリアで、2人で気の向くままに食べ歩きを楽しんだ。

    ネガティブ感情をチャンスに変える行動経済学的思考

    以前の私だったら、間違いなく絶望の淵に立たされていたはずだ。 友人と共に「お金も時間も無駄にした」と嘆き、その苛立ちを家族にぶつけ、周囲の空気まで最悪に染め上げていたに違いない。

    ところが、この時の私は自分でも驚くほど、真逆の思考の地平にいた。

    なぜなら、2ヶ月間積み上げてきたトレーニングの価値は、イベントの有無に関わらず、私の肉体と精神に刻まれていると知っていたからだ。 運動を通して、私の脳はすでにポジティブな回路へと再編されていたのである。

    この出来事の後に読んだ、岡崎 太郎氏の『億万長者のすごい習慣』という本に、「起きてしまったことは変えられないのだから、気持ちを切り替えて次の行動に移る」という考え方があった。それは、今回の私自身の経験と重なり、とても腑に落ちた。

    物事に良いも悪いもない。
    良くも悪くも、どう考えるかは自分次第だ。

    起きてしまったことを変えられないのであれば、なおさら意識して別の方向に切り替えることが大切になる。イベントは中止になってしまったけれど、この日感じた行動と思考の変化は、私にとってとても有益な体験であった。

    脳科学:気持ちの切り替えと「感情バイアス」の仕組み

    気分や感情の切り替えが、実は私たち自身の脳の機能に深く関係している事を知っているだろうか?

    脳には、物事を良いか悪いか、ポジティブかネガティブかで判断する「感情バイアス」という仕組みがあるらしい。これは、私たちが生き延びるために進化の過程で身につけた機能で、危険を察知したり、リスクを回避したりするのに役立つものとなる。

    しかし、この感情バイアスがネガティブな方向に偏ってしまうと、些細なことでも「最悪だ」と感じたり、過去の失敗をいつまでも引きずることになる。せっかくの人生を、このまま無駄にしてはならない。

    そこで役立つのが、この「気持ちを切り替える習慣」だ。これは脳の感情バイアスを上手にコントロールするトレーニングとなる。

    たとえば、ネガティブな出来事が起きた時、まず一呼吸おいてこう考えてみる。
    「この出来事から学べることは何だろう?」
    「この状況でも、楽しむ方法はないだろうか?」

    こうやって意識的にポジティブな問いを自分に投げかけることで、脳は新しい解決策や可能性を探し始める。ネガティブな感情でいっぱいだった頭の中に、空間が生まれる。これこそがまさに「思考の余白」であり、新しい風が吹き込むような感覚なのだ。

    思考の余白:良い習慣が人生にもたらす自己成長

    運動が私に与えてくれたように、良い習慣は、思わぬところであなたの思考を変え、人生を好転させてくれるものとなる。それは、毎日5分の瞑想かもしれないし、寝る前の読書かもしれない。あるいは、朝起きて最初に窓を開けて、新鮮な空気を吸い込むことかもしれない。

    どんな小さなことでも、それが「あなたにとって良い習慣」であるなら、必ずあなたの心と脳に良い影響を与える。なぜなら、習慣が行動を、行動が思考を、思考が感情を変えるという認知行動療法のループを作り出すからだ。

    「気持ちの切り替え」を習慣化することで、あなたの脳はネガティブな情報をシャットアウトし、ポジティブな情報を優先的に集めるようになる。この思考の再プログラミングこそが、自己成長の最大の加速装置なのだ。

    今、あなたが続けようとしている「良い習慣」は何なのだろう?
    きっと継続するうちに、それは未来のあなたを助けてくれるものに変わるだろう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。 古代ギリシアの哲学者アリストテレスが遺した、こんな言葉だ。

    「我々は、繰り返し行うことの集大成である。それゆえ、優秀であることは行為ではなく、習慣なのだ。」

    良い習慣を続けることで、感情の波に飲まれない冷静な自分を築くことができる。
    そして、それはやがてあなたの人生そのものを、柔軟な思考と前向きな気持ちに満ちたものに変えてくれるものに、必ずなるはずだ。

    vol.27 仕事と育児に追われるあなたへ。脳のゴールデンタイムを見つける方法
    vol.27 仕事と育児に追われるあなたへ。脳のゴールデンタイムを見つける方法 HAKU

    目次


    「時間がない。」

    「自分の時間」なんて、今の私には夢のまた夢。 子育てや仕事に追われ、そう諦めていた私でも、この数ヶ月で人生を変える習慣を見つけることができた。

    それは、朝に時間を「創る」こと。 最初から完璧を求めたわけじゃない。何度も試して、ようやく私にとって一番心地いい「朝4時」という時間を見つけ出したのだ。

    夜9時にはベッドに入り、朝4時に起きる。

    たったこれだけのシフトで、私の日常には驚くほど穏やかな余裕が生まれた。

    時間の作り方:朝のゴールデンタイムを「見つける」思考法

    「時間がない。」が口癖になっていた頃、私は少しずつ変わろうとしているタイミングだった。そんな私は時間を少しでも作ろうと、家事の効率を上げたり、移動時間を減らしたり、必死になってスキマ時間を探していたが、いつも何かに追われている感覚から抜け出せなかった。

    しかし、ある時、考え方が180度変わった。
    時間は誰かに与えられるものでも、苦労して捻出するものでもない。すでにある時間の中から、自分の意志で「見つける」ものなのだと悟った。

    その答えが、朝だった。子どもが寝静まり、夫も眠っている早朝。誰にも邪魔されない、私だけの静かで穏やかなひととき。

    この静寂こそが、私にとっての「思考の余白」だった。誰のためでもない、自分だけの時間。その価値を、私は今まで知らなかったのだ。この自己投資の時間こそが、日々のイライラを解消する武器となった。

    脳科学が証明する朝活の力と感謝の習慣

    「早起きのメリット」は、科学的にたくさん証明されている。
    私が何より実感したのは、ストレスが減ったことだ。これはもう、お金では買えない価値だと悟った。

    リチャード・カールソン氏の『小さいことにくよくよするな』という本を読んだ時、「人間はどれだけ忙しくても、毎日自分の時間を取らないと不満を感じる生き物だ」といった内容に、深く納得した。朝の2時間が、まさにその不満を解消してくれる余白の時間になっていたのだ。

    また、朝は脳が一番クリアな状態だと脳科学でも言われている。朝起きてから3時間は、脳のパフォーマンスが最も高い「ゴールデンタイム」である。この時間に何をインプットするかで、その日の集中力や生産性が決まる。

    さらに、ひすい こたろう氏の『人生が変わる朝の言葉』には、「朝起きると時間を有効に使えるようになって、人生の目的が明確になる」と書かれている。まさにその通りで、朝の時間は私に心のゆとりと、次にやるべきことを明確にしてくれた。

    毎日、世界では10万人以上が亡くなっているという。
    そんな中で、目が覚めて一日をスタートできるのは、奇跡のようなことだ。そう思うようになってから、朝早く起きること、そしてその時間で何をやるか目的を決めること、そして毎日感謝して起きることを習慣に取り入れた。感謝の気持ちで一日を始めると、その日一日がポジティブな気持ちで過ごせるようになった。

    「なんとなく」から「本気」へ変わる習慣化戦略

    仕事と育児を両立する中で、自分の時間を作るなら朝しかない。やらなければいけない家事ではなく、自分にとって意味のあることに朝の時間を使いたかった。

    最初は漠然とした目的だったと思う。5分のストレッチが習慣化した後に、運動、脳科学、朝の習慣など興味のあることをひたすらノートに書き込み、調べてインプットし続けた。

    しばらくすると、この「なんとなく」の行動がだんだん「本気」に変わっていった。朝勉強しないと、なんだか一日が物足りなく感じてしまい、「ちょっとでいいから勉強しようかな」と、体が突き動かされるようになった。

    なぜ、これほどまでに続けられたのか。 それは、朝を義務ではなく「純粋な楽しみ」として、最優先の予定に入れていたからだ。

    寝る前に「明日の朝に楽しむリスト」を予約しておく。 「第1位、2位、3位」と順位をつけ、ワクワクしながらリストを書き出す。

    「明日の朝、これが待っている」 そう思いながら眠りにつくことで、朝、布団から出るのが「辛い行為」ではなく、「楽しみへの入り口」へと変わったのだ。

    楽しみがあるから朝起きられる、起きる目的があるから毎日続く。
    行動と習慣の作り方は、誰かに教えてもらうものではなく、結局のところ自分の中にしか答えがない。

    この「楽しみ」を仕込む戦略こそ、行動経済学における「プロスペクト理論」の応用だ。人は損失回避を強く望むため、寝る前に「楽しい時間」という報酬を確保しておくと、朝寝坊による「報酬の損失」を避けようと体が自然と動くようになる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、フランスの哲学者ベルクソンが遺した、こんな言葉だ。

    「行動は、思考を形にし、習慣は、その行動を不動のものにする。」

    「時間がない」と悩んでいるなら、まずは自分のための時間を「見つける」ことから始めてみてほしい。それが次第に習慣となり、やがてその時間がとても有意義なものへと変わるはずだ。

    vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣
    vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣 HAKU

    目次


    新しいことを始めるとき、誰かに「もうやった?」「どうだった?」なんて聞かれると、途端に興が削がれ、一気に熱が冷めてしまう。それは、自分だけの聖域に土足で踏み込まれるような感覚だ。それは、誰かに評価されたいという動機ではなく、純粋に「好き」という気持ちだけが行動の源になっているからなのだ。

    特に私は、昔から一人で完結する活動が好きだった。

    知的作業なら、読書、文章を書くこと、想像すること。身体活動なら、水泳や剣道、ランニングなど、全てシングルプレイの競技ばかりを選んできた。誰かの目を気にすることなく、自分のペースで、自分のために。この「一人で完結させる」時間こそが、私の内発的動機を守る手段だった。

    早朝の勉強を始めたときもそうだった。
    夫は毎朝、私が机に向かっている姿を見ていたはずだが、一度も「何してるの?」とは聞いてこなかった。その無関心が、当時の私にとっては本当にありがたかった。もし「何やってるの?」「頑張ってるね」なんて言われていたら、きっとカタツムリが殻に閉じこもるみたいに、そっとやめていたかもしれない。

    良い意味での無関心が、心を解き放つこともあるのだ。

    無関心という最高のサポーター:本心と時間の使い方

    この習慣を2ヶ月ほど続けた後、私から初めて「実は今、朝早く起きて勉強してるんだ」と夫に話した。すると彼は、その分野のおすすめのPodcastや情報をシェアしてくれるようになった。

    佐藤 舞氏の『あっという間に人は死ぬから』という本に、「有意義な人生を送るには、自分の本心、価値、勘にしたがって時間を使うべき」とあった。

    誰かに褒められたいからやるのではない。誰かに見られているからやるのでもない。誰にも知られなくても、誰も見ていなくても、それでもやりたいこと。それこそが、自分の本心からやりたいことなのだと気づいた。

    褒められることを期待せず、誰かに承認されることを目的としない。そんな私にとって、夫はまさに「良い意味での無関心」という最高のサポーターだった。彼の存在が、私のクリエイティブな時間を守ってくれたのだ。この考え方は変だと思われるかもしれない。

    でも、私は変な人が好きだし、自分も変な人間であることは知っている。

    内なる承認の育て方:承認欲求の依存から脱却

    誰にも邪魔されず、ただひたすらに自分の世界に没頭できる時間。
    外部の評価や情報から切り離されることで、心の中に静寂が生まれる。それこそが、私たちの心を豊かにする「思考の余白」なのだ。

    私たちは、誰かに認められたいという欲求を本能的に持っている。しかし、その承認欲求が強すぎると、本来の目的を見失ってしまうことがある。

    たとえば、SNSで「いいね」をもらうために写真を撮ったり、誰かに褒められるために努力をアピールしたり。そうした行動は、一時的な満足感は得られても、本当に満たされることはない。それは、外からの評価という不安定なものに、自分の価値を委ねてしまっているからだ。

    本当に大切なのは、自分の心が感じる「内なる承認」となる。誰かに評価されなくても、「自分はこれが好きだ」「この時間が楽しい」と、心から思えることなのだ。

    思考の余白:小さな芽を育てる継続の習慣

    「好き」という気持ちは、まるで小さな芽のようなのかもしれない。
    最初はとても繊細で、少しの風で揺らいでしまう。だからこそ、静かで安全な場所で、じっくりと水をやり、光を当ててあげることが大切なのだ。

    誰かに話すのは、その芽がしっかりと根を張り、自分の中で確信に変わってからでいい。それまでは、静かに、誰にも気にされないような場所で、あなたの「好き」をじっくりと育てていこう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、フランスの哲学者アランが遺した、こんな言葉だ。

    「幸福を遠ざけるものは、多くを望むことではなく、自分が何者であるかを人から認められようとすることである。」

    誰かの評価に縛られることなく、自分の心の声に耳を傾けること。

    自らの行動そのものを報酬とすることで、習慣は揺るぎないものになる。あなたの人生の豊かさは、あなたが誰から認められたかではなく、あなたがどれだけ自分の本心に従いそれに対して行動できたのかで決まるのだ。

    vol.29 感情の波を鎮める利他行動:自己肯定を築く脳科学的習慣術
    vol.29 感情の波を鎮める利他行動:自己肯定を築く脳科学的習慣術 HAKU

    目次


    毎日を自分らしく、幸せだと感じられるような日々を過ごしたい。

    そう思っていても、なぜか気分が沈んでしまう日がある。メイクをする気力さえ湧かず、鏡に映る機嫌の悪そうな自分を見てはため息が出る。

    そんな日は人と会うのを避け、下を向いて歩いてしまう。
    スーパーのレジの店員さんが丁寧すぎることにさえイラついてしまい、一日の質が音を立てて崩れていく。

    そんな「気分の波」に振り回されるたび、お気に入りの音楽やポッドキャストを聴くのだが、それでも気分を紛らわせられない時は、とことん全てがどうでも良く思えた。

    けれども、今ならわかる。その「不調」は、私自身が自分を受け入れられていないサインなのだ。 誰かに気分を上げてもらおうと期待する受け身の姿勢では、本当の意味で人生を乗りこなすことはできない。

    自己肯定感の真実:利他行動が世界で好かれる理由

    星友 啓氏の『全米トップ校が教える自己肯定感の育て方』という本を読んで、私はハッとさせられた。この本には、「優しくて相手を許容できること」が、世界中のどの文化圏でも最も好かれる性格だと科学的に証明されていると書かれていた。さらに、「人に優しくしている自分は、周囲から受け入れられている」ということに気づくという話も印象的だった。

    正直に言うと、私は利他的なマインドを1%も持ち合わせていない、完全に自己中心的な人間だ。その日の気分で感情がコロコロ変わるため、常に自分の感情を優先し、人に優しくできない。できたとしても、それはたまたま機嫌がよかっただけの話だ。利他的なマインドを持つというのは、かなり辛く厳しい苦行のような考え方だと感じた。しかし、この本を読んでから、意識して実行するようにした。

    クリニックでの習慣化:心のフィルターを外す優しさ

    まず、患者さんへの接し方を意識的に変えてみた。

    1. カルテを見るのではなく、必ず患者さんの目を見て、体調の変化がないか聞くようにした。
    2. 耳が聞こえにくい人にも、わかりやすい挨拶や相槌を心がけた。
    3. 話しかけやすい雰囲気を作るようにした。

    たったこれだけのことだが、驚くべき変化があった。「診察室では言えなかった不安」や「家庭の事情」を、患者さん自ら打ち明けてくれるようになったのだ。 私が心のフィルターを外し、柔らかな雰囲気を纏うだけで、閉塞していた人間関係の空気が一気に解き放たれていく。

    誰かを救おうとして始めた行動が、実は、誰よりも私自身の凍りついた心を救っていたのだ。利他とは、自己犠牲ではない。 それは、自分自身を深い愛で満たすための、最も理にかなった「戦略」だった。検査中に話せる時間は限られているが、それでも、患者さんの言葉の端々から、彼らが抱えている悩みを拾い上げ、医師にスムーズに伝わるようカルテに記入した。

    いつも怒っているように見えた人が、私が丁寧に接するだけで、絞り出すように「ありがとう」と言ってくれた。その時、彼の中にあった「誰かに大切にされたい」という痛いほどの渇望に、私は初めて触れた気がした。

    また、いつも上の空だった人が、私の真摯な眼差しを感じた途端、家族の介護で十分に眠れていない過酷な日常を打ち明けてくれた。

    私の纏う空気が柔らかくなったことで、彼らの心の重荷が、ほんの少しだけこちらに預けられたのかもしれない。

    この経験は、私自身の心を大きく揺さぶった。 それまで私が世界に向けていた「不機嫌」という名のフィルターが、いかに歪んでいたかを思い知らされたのだ。

    優しい行動がオキシトシンを呼び、自己肯定感という栄養になる

    「人に優しく接する」という行動を続けた結果、嫌な人にもそれぞれ理由があったことを知った。そして、悩みを打ち明けてもらったことで、「人に優しくしている自分は、周囲に貢献できている」と実感できるようになった。その結果、自分は相手に受け入れられているのだと確信できた。

    利他的なマインドは、「私はあなたの味方です」というメッセージを相手に送る行為なのかもしれない。実際、そのメッセージを受け取った相手が心を開くことで、自分は社会の中で受け入れられているという感覚が生まれ、それが自己肯定感に繋がることがようやくわかった。

    こうして自己肯定感が上がると、仕事中の対応がとても楽になった。他者への優しさが、巡り巡って自分の心を軽くしてくれたのだ。朝嫌なことがあって仕事前に気分が乗らない日でも、誰かに優しくするという行動が、自分自身を喜ばせることにつながった。

    心理学では、「利他行動(altruistic behavior)」が幸福感や自己肯定感を高めることが広く知られている。誰かのために行動することは、脳内で幸福ホルモンであるオキシトシンやセロトニンを分泌させ、ストレスを軽減する効果があるという。つまり、誰かに優しくすることは、自分の心を満たし、人生の質を底上げするための、極めて合理的で科学的な方法でもあるのだ。

    継続のメタ認知:感情の波を鎮めるための科学的習慣

    もしあなたが、今人と関わることに難しさを感じているなら、まずは小さな行動から始めてみてはどうだろう。職場で人に優しくする、電車で席を譲るなど、どんな些細なことでも構わない。

    「自分は優しい人間だ」と意識して行動してみる。

    その思考が、いずれ大きな自信となってあなたを支えてくれるだろう。ストレスを管理し、自己成長を促すための「優しさ」を実践できるような習慣を身につけること。大切なのは、個人の性格や相性を責めるのではなく、健全な行動習慣を築けるような環境を自分自身で整えることにある。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、古代ローマの哲学者セネカが遺した言葉だ。

    「善を行う者は、それ自体が報いである。」

    誰かのために行う親切は、見返りを求める必要がない。
    なぜなら、その行為そのものが、あなたの心を満たし、自己肯定感を育む最も確実な方法だからだ。誰かの心を温めることが、巡り巡って自分の心を温めてくれる。優しい行動が、あなたの心の基盤を豊かにし、揺るぎない自己肯定感を築き上げてくれるだろう。

    vol.31 「説得力」は数字と感情のハイブリッド:行動の可視化戦略
    vol.31 「説得力」は数字と感情のハイブリッド:行動の可視化戦略 HAKU

    目次

    • 行動の可視化:2kmと5kmの数字が語る評価のギャップ
    • 数字が語る努力と成果:習慣化による減量の可視化
    • 真の説得力:感情と論理(数字)のハイブリッド

    • 「人に対して説得力が欲しい。」

      そう思うようになったのは、私が運動を始めてからだ。

      「どんな運動をしてるの?」と聞かれることが増え、メニューや距離は答えられるようになった。けれど、「筋トレは絶対やったほうがいいよ」といったアドバイスを、私はどうしても断言できずにいた。自分の中でまだ確実な変化を確信できていないことに加え、その効果を数字で裏付け、論理的に説明する「言語化」が追いついていなかったからだ。

      そんなとき、2km走れるようになった喜びを夫に報告したら、「たった2kmでしょ」と一蹴された。私にとっては、ゼロから一歩を踏み出した大きな成長だった。別にそれを褒めてほしかったわけではない。ただ、2kmを走りきったという「事実」を共有したかっただけなのだ。そのとき覚えた軽い苛立ちは、自分の主観的な自信を、他者の物差しで測られたことへの拭いきれない違和感でもあった。

      その一言に一瞬、心が沈みかけた。けれど、私はすぐに思い直した。1kmも走っていない人の物差しで、自分の努力を測り、落ち込む必要なんてどこにもないのだ。

      面白いことに、不思議と「見返してやるために、次は5km、10km走ってやる!」というような反骨心すら湧いてこなかった。面白いことに、不思議と「見返してやるために、次は5km、10km走ってやる!」というような反骨心すら湧かなかった。なぜなら、このランニングは誰かに見せるためのパフォーマンスではないからだ。

      誰の目も気にせず、誰の評価も求めない。 走ることは、純度100%の「自分のための行動」なのである。

      この本質的な考え方は間違っていないと、確認できた瞬間でもあった。

      行動の可視化:2kmと5kmの数字が語る評価のギャップ

      しばらくして、年内目標だった5kmを達成した。夫がどう反応するか少しの好奇心を持って報告してみると、返ってきたのは「すごいじゃん!」という言葉だった。

      以前の私なら素直に喜べたのかもしれない。けれどその反応とは裏腹に、私の心はどこか冷めていた。「前は『たった2km』って言っていたのに、なんで5kmはすごいと思ったの?」と聞くと、「いや、5km走るのはなかなか辛いでしょ」という、どこか表面的な答えが返ってきただけだった。

      私にとって、大人になって初めて走った2kmは、果てしなく遠く、苦しい距離だった。だからこそ、走りきった自分を心の底から誇らしく思えた。対して、その後の2ヶ月で2kmから5kmへと距離を伸ばした時間は、すでに走る体力がついていたせいか、あの時ほどのハードルは感じなかった。

      本気で挑んだ「2km」が軽視され、慣れ始めた「5km」という数字が称賛される。他者の評価がいかに適当で、自分の内側の熱量や苦労を反映していないか。その事実に触れたとき、私の中で言葉にしがたい違和感が、確信へと変わった。

      この違いを明確にするために、AIにも聞いてみた。
      漠然ではあるが、「2km走ることは凄くない。しかし、5kmはすごい。なぜ?」と尋ねてみた。

      AI:『2kmを走ることは、多くの場合健康維持や運動不足解消の第一歩であり、特別な能力を必要としない一方、5kmの走行は、ある程度の持久力と体力の必要性、そしてランニングという運動の一般的な目安としての意味合いがあるため、より高いレベルの挑戦と捉えられやすいからです』

      夫は徹底して客観的で、物事をロジックで捉える人だ。彼にとって数字とは、個人の感情を挟まない「誰の目にも明らかな事実」だったのだ。それがわかると、不思議とスッキリした。彼の評価基準は私の努力の「プロセス」ではなく、あくまで提示された「数字」にある。それは単なる「見方の違い」に過ぎないのだ。

      数字が語る努力と成果:習慣化による減量の可視化

      習慣の輪は、ランニング以外にも広がっていった。筋トレや縄跳びを取り入れ、さらに食事管理や飲酒習慣も見直した。一気にやらず、一つひとつの習慣を地層のように重ねていった結果、最終的に8kgの減量に成功した。これも夫に報告すると、やはり5kg減より8kg減の方が反応は格段に良かった。

      2kmから5kmへの距離、そして5kgから8kgへの減量。 どちらも「3」という数字の差だが、他者に伝えた時の反応は驚くほど異なっていた。もちろん私も、人から聞かされたら絶対値の大きい方により強いインパクトを覚えるだろう。

      だが、実際のプロセスを振り返れば、ゼロから一歩を踏み出した「0から2km」の地点こそが最も凄まじい変化であり、そこからさらに距離を伸ばした「2kmから5km」も、本来なら驚くべき進化なのだ。数字は頭の中をクリアにしてくれる便利な道具だが、その評価は常に受け手の物差しに委ねられている。

      「数字って、なんて面白いんだろう」

      そう思ったのは、人生で初めてのことかもしれない。 誰かに褒められるために設定した目標ではなかったが、運動や減量のメリットを正しく、力強く伝えるためには、説得力を生み出す「数字」という共通言語が不可欠なのだと理解した。

      これは、ビジネスのプレゼンテーションと同じだ。 どれほど情熱的に夢を語っても、具体的な数字という裏付けがなければ、相手を動かすことは難しい。情熱は共感を生み、数字は客観的な事実として納得を運んでくる。

      「私」という人間が抱く熱い感情と、達成した数字という事実。この二つが揃って初めて、他者を説得し、周囲を動かす力になるのだ。

      真の説得力:感情と論理(数字)のハイブリッド

      運動や減量は、私にとって「自分のためにやる行動」だ。誰かの評価を求めるためのものではない。だからこそ、夫に「たった2kmでしょ」と言われた時も、心が折れることはなかった。しかし、自分の内なる変化を他者に伝えるためには、主観的な感情だけでは不十分な時がある。

      「どれだけランニングが気持ちいいか」「どれだけ身体が軽くなったか」。それは私だけの至福の感覚であって、相手には直接伝わらない。だが、そこに「5km」「8kg」という数字が加わることで、私の変化は初めて具体性を帯びる。数字は、私の感情を他者に届けるための共通言語であり、確かな証拠になってくれるのだ。


      最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
      これは、古代ローマの哲学者セネカが遺した言葉だ。

      「我々の能力は、それを試すことによって、いや、むしろ、実行することによって発見される。」

      夫の言葉に一喜一憂することなく、私はただ黙々と努力を続けた。その結果として刻まれた数字は、私の情熱と能力を、何よりも雄弁に、そして力強く証明してくれた。

      誰かの評価という不確かなものに振り回される必要はない。大切なのは、いつだって自分自身の「行動」に目を向けることだ。あなたがコツコツと積み上げてきたその歩みは、やがて数字という揺るぎない形となって、あなた自身を支える盾になる。

      他人の言葉に心を乱される前に、まずは自分の足跡をじっと見つめてみてほしい。その一歩一歩の積み重ねこそが、あなただけの物語を創り上げる、かけがえのない糧となるはずだ。

    vol.32 行動が続かないを克服!たった5分で始めるハードルを下げる習慣
    vol.32 行動が続かないを克服!たった5分で始めるハードルを下げる習慣 HAKU

    目次

    • ハードルを下げる習慣がくれた自己肯定感
    • 作業興奮の科学:意味や結果は後からわかる
    • 行動が続かないを克服:小さな一歩の行動戦略

    • 思い返せば学生の頃、世間で大流行した「ビリーズ・ブート・キャンプ」に入隊したときから私の挫折歴は始まっていた。「毎日がんばる!」と意気込んでみたものの、あまりのハードさに3日も続かず、「坊主」にすらなれぬまま除隊。筋肉どころか、残ったのは「続かない自分」という冷酷なセルフイメージのみ。3日も続けられないダメな自分へのレッテルを、自ら強く貼り直しただけだったのだ。

      そんな理由で、大人になっても動画で行うエクササイズ系を避けていた。
      ビリーの時のように、自分は絶対に続かないと強く思っていたからだ。

      そんな時、たまたまYouTubeでおすすめに上がってきた竹脇まりなさんの「5分間ストレッチ」を観る機会があった。整体に行く時間さえ無かった私は、「5分だけなら」と、恐る恐るやってみることにした。すると、固まっていた身体がスッキリし、辛くないのに心地よい感覚が残った。「このくらいなら、できるタイミングでやってみよう。」そう思えたことが大きな一歩となり、初めて3日以上行動が続いたのだった。

      1ヶ月経つ頃には、動画を観なくても体が動くようになっていた。当時住んでいたテラスで、毎日朝日を浴びながら、ぐーっと身体を伸ばして5分だけのストレッチを日課にする。この「自分を喜ばせる時間」を持つことで、スッキリした気持ちで一日をスタートできるようになった。

      ハードルを下げる習慣がくれた自己肯定感

      1日5分の継続で、1ヶ月合計150分(2時間半)になる。
      1ヶ月で2時間半と言うと、少ないと思うか、それとも多いと感じるだろうか。 これは人それぞれだろう。

      しかし、私はたった5分を毎日続けたことで、「朝から良い気分になる」というマインドセットと、「継続できる」という2つの確かな自信がついた。

      彼女の人柄も、可愛らしくてとても好きだ。明るく元気な人を朝イチで見ていたことは、良い影響だったのかもしれない。例えば、朝の5分間ベッドの中でネガティブなニュースを見ながら身体が目覚めるのを待つより、元気な人を観ながらストレッチをした方が、身体にも脳にも良いと感じられた。

      これは、脳科学でいう「プライミング効果」に似ている。
      朝一番にポジティブな情報や活発な映像をインプットすることで、その日一日の気分や行動が影響を受ける。彼女の明るい笑顔と「今日も1日頑張ろう」という最後の声かけは、無意識のうちに私の心を前向きにしてくれていたのだった。

      作業興奮の科学:意味や結果は後からわかる

      井上 新八氏の『続ける思考』にもあったが、意味や目的を深く考えず、「何でもいいからやってみる」ことがとても重要なのだ。

      毎日できそうな軽いストレッチ、筋トレ、散歩など、身体のために良さそうな運動を見つけたら、とりあえずやってみるのがいい(持病がある人は、医師や服用中の薬など制限のある行動について確認が必要だが)。

      たった5分でも朝から良い気分になれるし、毎日続けていることに成長を感じるはずだ。見た目の変化は少ないかもしれないが、心の変化はかなり大きいだろう。最初のスタートはゆるく、そして短いものがいい。意味や結果は後からわかる。

      嫌いなことを嫌々続けるのではなく、「好きなことを続けられている」という感覚を大切にすること。 その結果、継続できたという事実と自信を、自分自身で作り上げていくのだ。

      この小さな行動がなぜ効果的なのかというと、脳の仕組みが関係している。
      私たちの脳は、急激な変化や大きな目標を苦手とする。しかし、たった5分という短い時間なら、「これくらいならできそう」と感じ、行動への抵抗が少なくなる。この小さな成功体験が、脳に「報酬」を与え、次の行動へのモチベーションを高めてくれるのだ。

      これは脳を騙して習慣化させる、賢い戦略なのだ。

      行動が続かないを克服:小さな一歩の行動戦略

      私たちは、生まれ持った性格や運命に縛られる必要はない。

      自分に合ったやり方で、小さな成功体験を積み重ねていく。
      その積み重ねこそが、やがて「自分は変われる」という確信に繋がっていく。

      かつて、何をやっても三日坊主で終わっていた私。そんな私を救い出し、変えてくれたのは、驚くほど小さな「たった5分」の行動だった。この経験は、私に大きな自信を与えてくれた。そして、この「自信」こそが、新しいことに挑戦するための燃料になるのだ。

      「たった5分のストレッチを毎日続けられたのだから、他のことだってできるはず。」
      そう思えるようになったことが、私にとって小さな成功体験となり、最大の収穫だった。


      最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
      古代中国の哲学者老子が遺した、こんな言葉だ。

      「偉大な行為は小さな始まりから生まれる。」

      私たちはつい、最初から大きな目標を立ててしまいがちだ。しかし、本当に大切なのは、完璧なスタートではなく、小さな一歩を踏み出す勇気だ。そして、その一歩を継続すること。まずはそこから考えてみてほしい。

      大きな目標の前に、まずは今日できる「たった5分」のこと。いや、1分でも1回でも構わない。その小さな一歩が、やがてあなたの行動を変える大きな流れに変わるのだ。

    vol.35 集中力は資産 : デジタル断食で思考の余白を創る時間術
    vol.35 集中力は資産 : デジタル断食で思考の余白を創る時間術 HAKU

    目次


    自分のやりたいことが見つかると、スマホでの連絡が途端に億劫に感じるようになった。今までは全く気にしていなかったはずの通知が、届くたびに私の平穏を乱し、かすかな苛立ちを連れてくる。

    母からのメールにさえ、「朝から猫の写真、送ってこなくていいんですけど」と、またしても沼地からライフル銃をかまえた自分が、ぼそっと耳元で囁くようだった。

    1日の中で、私には朝しか自由に使える時間がない。
    そのため、この時間で最大限の活動をする必要がある。

    誰にも邪魔されたくないという「朝」への執着が増すにつれて、私の決意はより強固なものになっていった。

    「今」に集中:スマホの通知は時間を奪う敵

    しかし、自分のやりたいことが明確になってからは、時間に対する考え方が180度変わった。「今」という一瞬一瞬が、未来の自分を作っている。そう考えると、スマホの通知は、私から大切な時間を奪おうとする「敵」のように感じるようになった。

    特に朝の時間は、私にとって最も重要な時間だ。
    この「思考の余白」は、外部情報に支配されない、自らの意志で使うための静かな空間だ。そんな貴重な時間を、スマホの通知に邪魔されたくないと思うのは、ごく自然なことだった。

    集中力は現代の資産:メールストレスの科学

    よく「成功者は返信が早い」と言われる。 けれど、その言葉を鵜呑みにして自分に当てはめれば、私も彼らに近づけるのだろうか。

    思考を止めて盲信する前に、私は一瞬、立ち止まって考えた。

    私は比較的メールの返信は早い方かもしれないが、LINEで仕事の連絡をすることはない。それならば、家族の緊急性のある連絡に対してだけ素早く返し、その他は自分のタイミングで良いのではないかと結論が出た。仕事ができる人は、それが「仕事」だから早いだけ。 あるいは、成功者と呼ばれる人たちは、プライベートの境界線が仕事と溶け合っているだけなのかもしれない。

    そうした仕事で人間関係が回っている人たちの真似を、今の私が貴重な朝の時間を使ってまで無理してやる必要があるのだろうか。自分にとって本当に大切な人との関係は、通知の速さで決まるわけではない。むしろ、質の高いコミュニケーションを、お互いが心地よいタイミングで取る方が、ずっと豊かな関係性を築けるはずだ。

    グロリア・マーク氏の『アテンションスパン デジタル時代の集中力の科学』という本には「私たちが1日に使える集中力は限られている」と書かれていた。メールに費やす時間が長ければ長いほど、人々が受けるストレスは増大するという。多くの現代人は、メールの処理だけで一日の集中力のタンクを使い切ってしまっているのだ。この事実を知り、私はさらに警戒を強めた。朝の貴重なタンクを、緊急性のない連絡で枯渇させるわけにはいかない。

    デジタル断食:ゴールデンタイムを守るための賢者の孤独

    夜は21時までに寝てしまうので、その間に届いていたメールは朝一で返信した方がいいとは思うが、私の起床時間(4時)に連絡を返すのは気が引ける。結局、よほどの緊急性がなければ家を出る前か出勤中に返信する程度で十分なのだ。

    朝のゴールデンタイムは、試行錯誤しながらも自分のために作り出した大切な時間である。
    このわずかな時間に使える集中力を、緊急性のない連絡に削る必要はない。必要な情報と、そうでない情報は見る時間をはっきりさせる事が重要だ。本当に緊急で連絡がほしい時は、相手に電話をすればいいだけの話なのだ。このルールは、相手にもあらかじめ伝えておくことも大切である。

    これは、自分の時間を守るための「デジタル断食」のようなものかもしれない。不必要な情報を遮断し、本当に大切なことにだけ注意を向ける。そうすることで、心にゆとりが生まれ、集中力も高まのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーが遺した、こんな言葉だ。

    「賢者は孤独を愛し、凡人は孤独を恐れる。」

    私たちは、つい孤独を避け、他者とのつながりを求めがちだ。しかし、本当に大切なのは、一人になる時間の中で自分と向き合うことなのだ。そうすれば、他人の評価や連絡の速さに振り回されることなく、自分の時間を自分のためだけに使えるようになるだろう。

    vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略
    vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略 HAKU

    正直な話、私の小学生時代、宿題をやった記憶はほとんどない。

    「宿題ってあったっけ?」というレベルだったが、1時間目が始まる前に急いで問題を解いた記憶はあるので、おそらく宿題自体はちゃんとあったのだろう。夏休みの宿題も、最終日に答えを写しながらなんとか終わらせるのが常だった。

    両親から「宿題をしろ」と言われた記憶も、そういえばなかった。最初こそやっていたのだが、家でわからないことを聞こうとしても、私の理解力が乏しいため父は教えながらイライラし始め、いつも家の仕事で忙しい母には時間的な余裕もなかった。子供心に「親には頼れない」と判断した私は、いつしか学ぶことを放棄していた。

    中学生になっても宿題をやった記憶は皆無だった。部活動や放課後の遊びに明け暮れる生活は、高校時代も続いた。姉から推薦枠にギリギリ入る点数で良いと言われていたので、一応赤点は取らずにはいたが、できる範囲の勉強しか行わなかった。そうしたできる範囲の努力だけで、大学までを泳ぎ切ったのだ。

    大学に入っても全ての教科に興味がないため、授業内容はさっぱり理解できず、周りの友達に助けてもらってやっと卒業できた。しかし、唯一極度の緊張を覚えた瞬間が一度だけあった。それは卒業者発表の掲示板を見に行った日のことだ。掲示板を見に行く直前まで、自分の番号があるか不安すぎてずっとソワソワしていたことを覚えている。当時の私は、この不安が「自分を信じるに足る努力を積み上げていないこと」から来ているのだとは、微塵も気づいていなかった。

    私の学生時代は、最後の最後まで、真剣に努力をすることなく、ただ「運」だけで通り抜けてきてしまっただけなのだ。

    こんな風に大学を卒業するまで、一度も勉強が好きだと思ったことや、自ら学びたいという意識もなく生きていた私だが、運動習慣や朝の勉強時間を始めてもう半年以上になる。その中で、脳科学、認知行動療法、哲学、習慣化の方法など、沢山の本を読み、ノートに書き写し、インプットとアウトプットを繰り返しながら学ぶようになった。

    あの頃の私が今の私を見たら、一体何と言うだろうか?

    プロが実践する:プラトーの停滞期と思考の再構築

    学びの中で出会ったジョージ・レナード氏の『達人のサイエンス』には、真の成長を遂げる人の共通点が記されていた。それは「プラトー(停滞期)」における振る舞いだ。

    • 「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」
    • 「プロになる人はその物事が好き」
    • 「プロになる人は学び続ける」

    プラトーというのは、成長する過程で壁にぶつかっても、その壁を乗り越えて繰り返しどんどん上達していくことを指す。つまりは「停滞期」のことだ。ダイエットでも何でも、うまくいった時こそ、その後の停滞期をどのように乗り越えるかが鍵となるだろう。まさにそれだ。

    私も勉強、筋トレ、ランニングを継続するうちに、プラトーにさしかかったタイミングがいくつかあった。成長を感じられるタイミングの後にいつも、「この方法をこのまま続けていいのだろうか」という不安感が出てくる。もっと良い方法があるのでは無いかと、頭を悩ませながら進めていくことも少なくなかった。

    この不安感は、「思考の再構築」が必要なサインだ。
    脳は同じ作業を繰り返すと効率化しようとするが、停滞期は「現状のやり方では次のレベルに行けない」という警告である。だからこそ、私は行動の質を変えることにした。具体的には、得た知識を別の視点から見直すために「専門外の本を読む」ことや、「やり方を変えてみる」という行動に切り替えた。これは、認知心理学でいう「問題の再定義」に他ならない。

    それを少しずつ、色々な本を読みながら模索して行動し、今に至る。
    その間に確認し続けていたのは、ノートの1ページ目に書いた自分の目標だった。ふと悩んだらそれを目で見て、「今私がやっていることは、何の為にしていることなのか?この先には何があるのか?」と、その都度思い起こしながら勉強や行動を続けた。

    結論は明確になっていたものの、プラトーにさしかかると立ち止まりそうになるため、目標をこまめに確認するようにした。

    覚醒:「好き」が習慣化の最強エンジンとなる理由

    今の私は、「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」、「プロになる人はその物事が好き」「プロになる人は学び続ける」この三つの行動を続けられている。

    その事がわかると、「自分は今やっていることが心から好きで、変化を学びに変えながら実行していて、プラトーの中で時間を過ごしていても辛くない」と感じるようになった。この事実は、私にとって大きな自己認識(メタ認知)の転換だった。かつて勉強が大嫌いだった私が、今は「学び」を楽しんでいる。自分でも信じられないような変化だ。

    実際、このブログを書いたところでお金が発生するわけでもない。 何なら今、読者はゼロ。プレビュー数が「0」という冷厳な数字を前に、私は淡々と文章を紡いでいる。

    むしろ手元にあるのは、早起きによる仕事中の強烈な眠気や、週末の夜更かしという甘い誘惑だけだ。

    客観的に見れば、割に合わない投資かもしれない。けれど、私の中に湧き上がる「学びたい、伝えたい」という衝動は、どんな報酬よりも私の心を充足させてくれる。それが自分にとって最高に意味のある「好きなこと」だとわかっているから。

    報酬がなくても、観客がいなくても、プラトーという停滞期が来ても。 私はもう、自分の意志で選んだこの道を、立ち止まることなんてできないのだ。

    本を読み、気づきを得たこの真実は、自分の中で自信となり、より力強いモチベーションとなっていった。

    この「楽しい」という感情は、単なる気分ではない。
    心理学でいう、内発的動機づけによる幸福である。外的な報酬(給料や評価)に依存せず、活動自体から得られる喜び(フロー状態)が、私を幸せにし、結果として継続を可能にしている。

    人生のテーマ:幸せに生きるための継続の哲学

    プラトーの中で淡々と継続し、その状態をさえ楽しいと思えることを見つけた人。そんな人こそが、最も充実した人生を送っているのかもしれない。プロを目指すかどうかではなく、報酬がなくても続けられる「何か」を持っていること自体が、人生の幸福度を決定づけるのだ。

    最低限の努力で生きていた頃の私は、常に自分を信じることができなかった。しかし今、自分の「好き」を燃料にして行動し続けることで、不透明だった未来は、確かな手応えを感じる自信に変わりつつある。

    あなたが今、無償でも続けていること。
    誰にも見られていなくても、熱中できること。

    それこそが、あなただけの人生の目的そのものなのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが残した言葉だ。

    「苦しみなくして、力ある情熱は生まれない。」

    これはニーチェの言葉の中でも、私が最も大切にしている意識である。
    停滞期(プラトー)という名の苦しみを乗り越え、それでも続けることができるのは、その先にある「好き」という情熱があるからこそ。その情熱こそが、あなたを本当の意味で強くするのだ。

    vol.41 会話力を覚醒。「伝わらない」をなくす脳科学的思考法
    vol.41 会話力を覚醒。「伝わらない」をなくす脳科学的思考法 HAKU

    私は、話すことが大の苦手だ。
    特に物事を順序立てて論理的に説明するのが、最も苦手である。

    そんな私に対し、夫はいつも容赦なかった。「何が言いたいのか伝わってこない」「一体なんの話をしているの?」。以前の私は、その言葉を聞くたびに「文脈から察する能力が足りないからわからないんでしょ」と、伝わらない原因のすべてを相手に押し付け、心の扉を閉ざしていた。

    しかし、医療関係で働くうちに、話が相手に伝わらないのは、自分に原因があるのではないかという、残酷な真実に気づき始めた。

    伝わらない原因:会話のボトルネックと論理構成

    「言葉の使い方が美しい人」として一番最初に思ったのは、過去に総合病院で働いていた時に会った消化器外科のN医師だった。 患者さんが途切れた診察室から漏れ聞こえる彼の話し方は、驚くほど整理され、流れるように綺麗だった。

    医師という立場から、患者さんに説明するスキルが求められるのは当然だが、そうではない医師も多いのが現状だ。

    自分の知識だけで完結しているような説明では、患者さんの理解度が極端に低くなり、医療における情報格差を生む。実際、勤務医の約3割がトラブルを経験し、医療事故の約7割近くがコミュニケーションエラーから発生しているというデータもある。このようなデータからも、医師の真のスキルは経験年数ではなく、患者への想像力に依存すると強く感じる。

    結局、「伝わらない」のは相手の理解力が低いからではなく、「伝える」側の論理と構成が甘いからだと、この時期に痛感したのである。

    共感の鍵:「例えば」が作る想像力

    消化器外科のN医師は、専門用語は一切使わず、とにかくわかりやすく話していた。そして話の度に「例えば」を使って、誰にでも思い浮かべられるイメージを作り、相手に柔らかくボールを投げるように言葉を発していた。

    同じ空間で聞いていた私にもよくわかる内容のもので、ずっと喋っていて欲しいと感じるほどだった。

    現在の職場であるクリニックのDr.も、まさにその話し方をする医師だ。子供からお年寄りまで、本当にわかりやすく話している。

    例え方のレパートリーも多く、難しい言葉は一切使わず、相手のための言葉を選びながら説明している姿を見ると、心から尊敬する。

    難しいことを、難しそうな顔で話すのは簡単だ。しかし、本当に知性が高い人は、相手に合わせて言葉を「翻訳」することができる。知識の量や語彙の豊富さをひけらかすのではなく、相手が今何に困り、どんな言葉なら受け取れるのかを徹底的に想像する。コミュニケーションの質とは、語彙力の多寡ではなく、相手への想像力の深さに比例するのだ。

    メタ認知:頭が良い人の「話す前の思考」

    安達 裕哉氏『頭の良い人が話す前に考えていること』という本で、今話題に出した2人のDr.のことが多く書かれていた。彼らの話し方は、まさに「頭が良い人の話し方」を体現していたのだ。

    • 相手のために言葉を使う
    • 相手のレベルに合わせてわかりやすく伝える
    • 感情的にならず冷静に話す
    • 話す前に相手の求めている結論を考える

    これらの要素が一致していたからこそ、多くの患者さんが「先生に診てもらいたい」と訪れるのだろう。信頼と影響力は、言葉の選び方に多く含まれている。

    私も近くで勉強させてもらいながら、その影響を強く受けている1人である。
    伝えるべき内容を「相手の視点」で考えることは、メタ認知(自分の思考を客観視する力)の訓練にもなる。話す前に相手の頭の中を想像し、「この人は何に一番困っているのか?」「どんな結論を求めているのか?」を先回りして考えることで、会話の無駄を極限まで減らせるのだった。

    この「話す前の思考」を習慣化することは、認知行動療法の観点から見ても、コミュニケーションの不安を軽減し、冷静さを保つことにつながる。感情的にならずに論理的に話すことで、相手の脳に負担をかけずに情報を受け渡すことができるのである。

    行動変容:ロールプレイングで会話力を習慣化する

    もし、あなたも私と同じく説明が苦手で、人との会話が億劫に感じるとしたら、一つ視点を変えてみてはどうだろう。

    身の回りで話の流れが綺麗な人がいないか見て、もしいたら少しずつ真似をしてみる。なりたい人をイメージして、その人が言うように自分もやって見る。まずはそこから始めてみよう。

    意識するのは「あの人ならどんな風にこの内容を相手に伝えるだろうか?」という視点だ。イメージが湧くと、それを演じるような振る舞いができてくることだろう。

    これは、自分の脳を「伝わる話し方」モードに切り替えるための、最も簡単な認知行動療法である。あなたの周りにいる「話し方が綺麗な人」こそが、あなたの自己成長を加速させるための最高の教材になるはずだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    20世紀ベルギーの哲学者、ハイム・ペレルマンが遺した言葉だ。

    「話し手は、話しかけようとする相手に順応しなければならぬ。」

    あなたの言葉の伝え方を変えることは、人間関係の質と仕事の成果を劇的に変える、最も強力な自己投資となる。今日から、相手の「聞く準備」に合わせて、話し方を設計してみよう。相手のために言葉を選ぶ習慣こそが、あなたの信頼と影響力を高める。どんな言葉を選ぶか考えることから、あなたの世界はゆっくり変わり始めるはずだ。

    vol.46 虚無感を埋める最強の習慣:「目的」への時間の投資
    vol.46 虚無感を埋める最強の習慣:「目的」への時間の投資 HAKU

    22歳の、クリスマスの時期だったと思う。
    大学生だった私が、文字通り全力で遊んでいた時期だ。

    飲み会の前の時間は、書店で時間を潰したり、HMVで洋楽のアルバムを試聴していたのだが、今思えばその全てがただの「暇つぶし」だった。

    雪のちらつく帰り道、セブンのおでんを片手に「つまんなかったな」と独り言を言いながら歩いた、あの寒い冬の日の感覚を今でも鮮明に覚えている。年末まで2週間、びっしりと飲み会の予定を詰め込みながら、私の心はどこまでも冷え切っていた。

    当時の私は、無駄に溶けていく時間に対して罪悪感すら抱けず、ただ漠然とした虚無感に無自覚なまま生きていた。毎日誰かと約束があり、華やかな場所に身を置いているはずなのに、なぜあんなにも満たされなかったのか。

    その真実を、今の私は痛いほど理解できている。

    快楽は虚無感に繋がる:行動経済学的な理由

    毎日遊んでいても、なぜか満たされない。
    この矛盾、あなたにも心当たりがあるだろうか?

    そのモヤモヤは、ラス ハリス氏の『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』という本を読むまで気づかなかった。この本には、なぜ人間がネガティブなのかや、自分の価値を見つける方法など書かれている。そして、「人は快楽を追いかけても一瞬気持ちいいだけで、長い目で見た時に幸せにはなれない」とことを伝えている。

    人間は、夢に向かって行動している時が最も幸せなのだという。

    これには私も強く共感している。やりたいこともなく、やらなきゃいけないことを避けて遊んでばかりいた時期がまさにそうだった。自分の価値が何かさえわからず、夢も持てず、ただ快楽だけ求めて遊び続けていた。嫌なことがあっても、友達とお酒を飲めば楽しくなる。彼氏に会えば満たされる。自分と向き合わずにすむ方法が、あの頃の私の唯一の解決策だったのだ。

    しかし本にもある通り、怖いことから逃げて楽なことばかりしていても、幸福にはなれなかった。好きなことばかりしてもただ虚しいだけで、目的がないため達成感も得られず、お金ばかりが減っていった。

    なぜ快楽は長続きしないのか?

    それは、脳が快楽に「慣れる」ようにできているからだ。ドーパミンが分泌されることで一時的に幸福感を得ても、その刺激が当たり前になると、脳はさらに強い刺激を求めるようになる。これが、快楽を追いかける人生が「虚無感」に繋がる脳科学的なメカニズムである。

    一方、「夢に向かって行動する時」の幸せは、達成感や自己効力感によって得られる、より持続的な幸福(セロトニンやオキシトシン)だと言われている。これは、「内発的動機」に基づいた行動の報酬であり、時間が経つほど自己肯定感を高めていく。

    人間は、快楽の中にいる時ではなく、自らの価値に沿った「目的」に向かって行動している時にこそ、最も深く持続的な幸福を感じるようにできている。当時の私は、その「目的」から最も遠い場所にいたということなのだ。

    時間の投資の真実:スーパー営業マンと10年後の差

    大学生の頃、私の周りは「人生の目的が明確な者」と「そうでない者」に二分されていた。

    私は自分と似た目的がないタイプの友達とはすぐに仲良くなり、時間を溶かすように遊んでいた。一方、目的がある友達は勉強、資格、バイトでいつも忙しそうだった。この対照的な違いこそが、人生という行動経済学的な資産を、早期に自己投資しているか否かの明確な差だった。

    同じサークルの男の子で、宅建の資格取得という目標に向かい、行動している子がいた。学部の違う彼と同じ授業を終え、薄暗くなった外を見ながら、教室を出るタイミングで、彼は「これからバイトなのに、昼飯を食う時間がなかったわ」と呟いた。その時、私はとっさに何かしてあげたくて、飲み会前に食べようと思っていたパンをバッグの中から取り出し、「これ食べなよ」と彼に手渡した。彼はコンビニで立ち止まる時間すら惜しんでいたようで、とても喜んで受け取ってくれた。

    その10年後。
    その子が地域の不動産のフリーペーパーに載っていて、スーパー営業マン的な記事と共に紹介されていた。それを見た瞬間、「あぁ、資格をとってちゃんと仕事に活かせているんだな」と心の底から羨ましい気持ちが沸いた。

    フリーペーパーに掲載された彼の笑顔は、あの頃のようにキラキラしていた。彼は、自分にとって価値があることがわかっており、それに向かって努力を続けていた。今はもう別の夢に向かって走っているのだろうと、彼の笑顔から読み取れた。

    当時の私は、彼らの持つ目的意識がどこから生まれているのか全く理解できず、その理由を深く掘り下げることも避けていた。周りが勉強やバイトに励む中、私はやりたいことを見つけられず、同じ授業を受けていても何も吸収できず、ただ椅子に座っているだけだった。

    そんな輝きに満ちた彼らを横目に、携帯で誰かと次の飲み会の予定を組むことだけが、当時の私にできる唯一の行動だった。

    幸せの習慣:内発的動機による心の穴埋め

    だが、今は違う。
    私には早起きして取り組むべき目的があり、その価値を自分自身で見出している。

    運動によってストレスに強い心身を作り、幸せを感じられるホルモンが出るような行動を自律的に選択しているのだ。その価値を感じる行動の継続は、ブログの記事として、そして読んだ本と共に一つひとつ確かな証跡として積み重なっている。

    結局嫌なことから逃げても、幸福にはなれない。
    幸せになりたくて毎日楽しいことをやっていたとしても、持続的な幸せは得られない。

    大学生の時に感じていた「私だけ何もない」という心の穴は、誰かに埋めてもらうものではなく、自分自身の価値に沿った行動の積み重ねでしか埋められないものだった。「あの時はしょうがなかったのかもしれない」と理解し、過去は手放そう。少しの負荷と、自分の価値に沿った目的こそが、自分が幸せになるための真実なのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの哲学者ジョン・デューイが遺した言葉だ。

    「幸福は、人が自己の目的に向かって進んでいるときにのみ生じる。」

    誰かの真似ではなく、あなたが定めた「目的」こそが、人生を真の幸福で満たしてくれる鍵なのだ。その一歩を踏み出した瞬間から、あなたの毎日は「暇つぶし」から「確かな投資」へと変わる。その小さな確信こそが、空虚な心を埋める一番の答えになるだろう。

    vol.48 「褒める力」で自己承認を築く:ミラーニューロンによる成長戦略
    vol.48 「褒める力」で自己承認を築く:ミラーニューロンによる成長戦略 HAKU

    八木 仁平氏の『世界一やさしい才能の見つけかた』という本に、「人よりうまくできることが才能なのではなく、無意識でついやってしまうことが才能」ということが書かれていた。もしそうであるならば、私にとっての才能は「人を褒めること」かもしれない。

    私は義務や計算で人を褒めることはない。ただ純粋に、心が動かされた瞬間に称賛を送りたくなってしまうのだ。これは子供に対しても、周囲の大人に対しても同じだ。

    いつしか「HAKUさんって褒めるのが上手ですよね」と言われるようになり、それが自分自身の「無意識の強み」であることに気づかされた。

    内なる承認:褒めたいが止まらない本質

    私の周りには、魅力的な人が溢れている。
    皆それぞれが、今の自分を変えようと静かに動き始めている。

    週6出勤に加え、自分磨き、おしゃれ、友人関係など、多忙を極める職場の年下のスタッフは、「行くのが面倒くさいんですよ〜」と言いつつ、定期的にジムに通っている。運動と読書習慣がなかった知人からは、私に影響されスクワットと読書を始めたと、飲みながら教えてもらった。地元の友人は、手軽なジムでランニングをしていたが、本格的なスポーツジムに入会し直し、トレーナーさんに教えてもらいながら筋トレを始めたという。

    褒めるという行為は、単なる行動ではなく、忙しい日常の中で自分のために、何かを楽しみながら続けているという背景にこそ、素直にリスペクトを感じているからだ。

    自分自身が一生懸命に生き、理想に向かって行動し続けていると、同じような熱量を持つ人が自然と引き寄せられる。逆に、現状への不満を抱えたまま立ち止まっている人は、他者の努力を素直に認められない。他者の輝きが「行動しない自分」を照らし出し、自己否定を突きつける鏡になってしまうからだ。他者を褒められるということは、それだけで自分がポジティブなループの中にいる証拠なのかもしれない。

    ストイックな私とミラーニューロンによる影響力

    私はよく「ストイック」だと言われるが、その基準を他人に押し付けることはない。なぜなら、努力の物差しは人それぞれであり、自分の中にしかないものだからだ。「やるならめちゃくちゃハードルを下げて、スクワットは1日1回を3日間続けるところからで、いいんじゃないですかね」とヘラヘラしながら、心理的な負荷を最大限に削ぎ落として伝えるようにしている。

    中野 信子氏の『世界の頭の良い人がやっていること』を読み、驚きの発見があった。それは、人を上手に褒めることが、頭の良い人の行動の一つだと書かれていたからだ。自分が世界の頭の良い人の中に入って嬉しいという事ではなく、この予期せぬ発見が、私の行動にさらなる動機付けを与えたのである。

    人を褒めることで、自分自身の脳のミラーニューロンが活性化する。他者の素晴らしい行動を認識し、称賛することで、自分自身の脳内でもそのポジティブな回路が強化され、次の行動へのモチベーションへと変換されるのだ。

    まずは自分自身を褒めることから始めよう。
    そうやって毎日、自分の良いところを見つけ、肯定していく習慣は、やがて「なりたい自分」を形作る確かな指針となる。そしてそれは、周囲の人々を惹きつける魅力へと磨き上げられていくのだ。

    実際、私が自分自身を信じられるよう日々行動を積み重ねるうちに、その効果は見た目や思考の鋭さとして表れ始めた。私が「良い」と感じたものや行動を周囲に伝えると、それを聞いた人々が、自ら「自分に出来ること」を自然に始めてくれていた。私の変化を間近で見ていた彼らは、言葉を超えた何かを受け取ってくれていたのかもしれない。

    褒める力の科学:自己承認の循環を創る

    人を心から褒めるためには、まず自分自身の価値を認め、目的を明確に持っている必要がある。これは脳科学やポジティブ心理学が示す、「自己承認の循環」そのものである。自分の変化を自分で認め、日々自分を褒めている人だけが、他者の微かな変化を察知し、光を当てることができる。

    他者の行動を「素晴らしい」と認識する行為は、脳のミラーニューロンを活性化させ、これにより褒めている自分自身の脳内でも、そのポジティブな行動(努力やクリエイティブな活動)の回路が強化され、次の行動へのモチベーションへと繋がる。つまり、褒めることは、自分の脳を成長させるための能動的な行為でもあるのだ。

    あなたの目的が定まり、動き出したとき、あなたは周りの人を素直に褒められるだろうか?
    もしそうであれば、それはあなたが自分の人生と努力を、心から認められている何よりの証拠となるだろう。

    ニーチェの哲学:自分への義務と他者への光

    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが遺した言葉だ。

    「最も大事なことは、自分自身に課した義務を、どれだけ継続できるかである。」

    誰かを褒める前に、まず自分自身への義務(目標設定や行動)を果たし、その努力を認めてあげよう。あなた自身の成長という火が灯ってこそ、他人の良さを照らし出す「光」になれるからだ。

    自分の努力を認められる人は、他者の努力にも寄り添える。
    その相互承認の連鎖こそが、孤独な努力を「共に高め合う理想的な状態」へと変えていく。あなたの内なる努力は、誰かのためではない。けれどその結果として、あなたの日常は、称賛し合える豊かな人々で満たされていくことになるだろう。