• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

    睡眠

    Vol.04 ドーパミン依存から脱却する脳科学的アプローチ(1)
    Vol.04 ドーパミン依存から脱却する脳科学的アプローチ(1) 1024 1024 HAKU

    運動を始めたら、今度は脳の仕組みに夢中になった。
    アンデシュ・ハンセン氏の『運動脳』『ストレス脳』など、脳科学や神経科学の本を読み漁った。当時はまだ自分に自信が持てず、本の中に答えや救いを探していたからだ。

    過去のダメな自分を肯定したかったわけではない。

    「どうしてあんな状態だったのか?」「なぜあんな行動をとってしまったのか?」その根本的な理由を知りたかった。脳に操られ、目的もなく、毎日同じことの繰り返し。刺激を求めては、ネガティブな方向ばかり向いていた。そんなイライラしていた日々には、特別な理由があるのではないか。

    そう考え始めた頃だった。

    依存のメカニズム:「意志の弱さ」ではない脳の真実

    快楽の報酬を予測するドーパミンは、私たちを簡単に快楽の虜にするホルモンだ。
    食べること、お酒、ゲーム、買い物、ポルノ。これらの行動でドーパミンは簡単に分泌される。そして、それが繰り返されると、その快楽をまた味わいたいと感じ、何度も同じ行動を繰り返すように脳はプログラムされている。

    私の場合は、毎日のお酒によってドーパミンを分泌する神経回路網が、病的なまでに強固に構築されていることに気づいた。依存とは意志の弱さではなく、脳が過学習によって支配された状態なのだ。この制御不能な行動を、当時の私は「自分の意志が弱いせいだ」と思い込んでいた。しかし、それは単なる思い込みだった。この真実に気づくことこそが、長年の自己嫌悪から解放される鍵となった。

    負のスパイラル:報酬がストレスに変わる瞬間

    しかし、お酒を飲めば飲むほどストレスは増えていった。
    お酒を飲んだあとのデメリットが多すぎて、毎日最悪な気分だった。お酒を飲むとトイレの回数が増え、そのたびに睡眠が中断され、質の高い睡眠がとれない。寝不足はコルチゾール(ストレスホルモン)の分泌を促し、翌日のイライラに直結する。

    脳はお酒を「報酬」と記憶しているため、「ストレスを感じる→飲酒」という負のスパイラルを勝手に作り出す。意志の弱さではどうにもならない、脳の仕組みだったのだ。

    依存は、脳が報酬を過剰に学習し、その報酬がない状態を危険と認識することから始まる。お酒を飲んだ後のデメリット(寝不足、イライラ、後悔)を知っていてもやめられないのは、脳が「生存に必要な行動」だと誤って指令を出しているからだったのだ。

    解放の戦略:メタ認知による代替報酬への習慣化

    この仕組みを理解したことで、お酒という誤った報酬を、運動や学習という健全な報酬に代替すればいいとわかった。このメタ認知こそが、行動変革の第一歩となる。

    今ではたまに夫がお酒を買ってきて、冷蔵庫にストックしていても「私はいらない」とスルーできるようになった。この背景には、「脳に操られていた過去の私には戻りたくない」という強い気持ちがあるのはもちろんのことだ。

      運動や朝の学習が、まさにその代替報酬戦略であり、お酒よりも遥かに高いリターンをもたらしてくれた。

    自己肯定感の獲得:支配から自由へ

    過去の私は、意志の弱さを嘆き、自堕落な生活を何年も続けていた。

    しかし、脳の仕組みという論理を知ったことで、自己否定が自己肯定へと反転した。自分を責める必要はない。必要なのは、正しい知識と、脳を再教育するための行動だ。

    「自分はできないダメなやつだ」と諦めてしまうのはまだ早い。自分がとってしまうネガティブな行動に、まず疑問を持とう。これこそがまさにメタ認知のトレーニングとなる。

    (ドーパミン依存から脱却する脳科学的アプローチ(2)へ続く)

    vol.07 受動的な時間からの脱却:「内発的動機」で人生の主導権を握る
    vol.07 受動的な時間からの脱却:「内発的動機」で人生の主導権を握る 1024 1024 HAKU

    私には、年の離れた姉がいる。大学を卒業するまでの間、私の人生は姉が監修・仕切っていた。

    姉は、両親よりも私の進路に対して現実的で、影響力のある存在だった。やりたいことも夢もなかった私にとって、自分で道を切り開くより、姉の言う通りに進路をなぞる方が確実で安全だった。

    そして何より、そう選択する方が悩まずに済む、一番「楽」な方法だったのだ。

    大学に入るまではよかった。ドラえもん的存在から守られ、のび太のように特に努力せずに生きてこられた。しかし、大学3年生頃から周囲の様子が変わり始めていた。同じ年の子は就職活動のため、スーツ姿で授業を受けたり、キャンパスへ来たりしていたのだが、それに気づいても私は全く焦ることもなく、勉強した記憶がほとんどないほど遊び倒していた。

    結局、なんとなく時間は過ぎ、就職どころか「そもそも無事に卒業できるのか?」という切実な問題に直面した。4年の秋頃からやっと焦り始め、結果毎日卒論に追われることになった。

    家族依存と虚無感:外部のレールに乗った23年間

    そんな私を見ていても、姉は「就活どうするの?」とは言わなかった。それどころか私の家族は、私だけ過保護に育てながらも、当時最も重要だった人生の岐路(就職)には一切口出しをしないという、極めて矛盾したスタイルだった。

    父は末っ子の私をすごく可愛がっていたので、手元におきたかったのだろう。卒論が終わり、気だるそうにパソコンで求人サイトを検索する私を見て、「HAKUは就職しないで家にいたらいいんじゃないか」と父から言われた。「それはさすがにマズイだろう」と、逆にこっちがドン引きし、焦るきっかけになったのを今でも覚えている。専業主婦の母は、なぜだろう。就活には全く関与してこなかった。

    そんな中、祖父がICUに入るほど身体を悪くし、入院退院を繰り返していた。家族の話し合いの末、我が家で最期を過ごすことが決まり、祖父、両親、私、姉との五人暮らしが始まった。

    私は祖父が大好きで、幼い頃からとても懐いていた。夏休みに従兄弟が遊びに来ていても、祖父から一番愛されているのは私だと信じていた。小学生の頃、姉の前でわざと祖父に「お姉ちゃんと私、どっちが好き?」と聞くような性格の悪い妹だったのだが、姉に気を遣いながらも「HAKUが一番だなぁ」とビールを片手に照れながら言ってくれる祖父の姿が大好きだった。

    そんな祖父があと数ヶ月しか生きられないということを母から伝えられ、就活がさらにどうでも良いものとなり、考えることを完全にやめた。できる限り祖父の近くにいたかったのだ。同時に、祖父が家にいる限り、まだ自由が手に入るとさえ思っていた節があった。

    覚醒の瞬間:内発的衝動が人生の転機を作る

    姉としては、妹がこのまま何もしないのはまずいと思っていたのだろう。中途採用に有利になるようにと、IT系のスクールを探してくれた。もちろん私は行きたいわけではなかったのだが、面接で「卒業後は何をしていましたか?」と聞かれた場合、答えに窮してばつが悪いことはわかっていた。そのため、姉から提案された時はすんなり言うことを聞き、当然お金も出してもらった。だが、真剣に勉強していたかと言うと、全くしていなかったのは言うまでもない。

    祖父が他界したあとに、「この会社に入って仕事したい!」と強く惹かれる求人を1件見つけた。勤務場所は東京だ。受けるなら引っ越しせざるを得ない。実家暮らしで、社会に出て働いたこともない私には、想像もできない未来だった。

    「さて、どうする?」ここから私の人生は一変する。

    求人へ応募する前に、両親と姉を説得するという最大の難関が待っていた。「どうしてもここじゃなきゃ嫌だ、ここで働くためならなんだってやる!」と、その情熱を、履歴書ではなく、まず家族に訴えるところから就活を始めたのだった。

    今でも覚えている。心惹かれた瞬間の、心臓がバクバクする感覚を。生まれて初めて湧き上がった「内発的な衝動」が、私を「受動的なレール」から引きずり出した瞬間だった。

    私はこの時、「内発的動機」に突き動かされていたことを、歳を重ねて初めて理解した。行動してきた中で読んだ、沢山の本の知識を得て初めて、あの時の突き動かされるような衝動が何だったのか、今では明確に言語化できるようになった。

    ドーパミンの真実:受動的な時間は脳を殺す

    内発的動機とは、「やりたい」「面白い」「好き」という、自分の内側から生まれるやる気のことだ。外発的動機とは、「親や上司に褒められるから」といった外部からの働きかけによって湧き出てくるやる気のことである。

    学生時代まで、私は「外発的動機」でしか物事に取り組んでこなかった。やりたいこともなく、言われたことをその通りにする方が楽だったからだ。しかし、生まれて初めて、自分の中から湧き出て、溢れてとまらないほどやってみたい仕事を見つけた。

    結果的に内定をもらい、家族の協力のもと東京に引っ越せた。全てうまくいくような流れを作れたのは、自分から生まれた「内発的動機」が大きかったからだ。一番行きたい会社に就職が決まったことも嬉しかったが、それ以上に、姉の言うことよりも自分のしたいことを初めて優先できた体験が、ものすごく大きな付加価値となった。

    それまでの、家族のいうことを聞いているだけの状態は、本当の意味で生きていない受動的な時間だった。やりたいこともなく、大事な時間をただ溶かしていた頃は、身体は動かせているのに、脳は死んでいるような状態だったのではないだろうか。

    星 友啓氏の「全米トップ校が教える自己肯定感の育て方」という本には、成績や他人の評価、お金やステータスといった外発的報酬は内発的満足度とは対照的で、おまけの報酬にすぎないと書かれていた。これらは短期的には強いが、長期的に依存していると心身ともに悪影響を及ぼすそうだ。

    内発的動機による行動は、ドーパミンを内側から持続的に分泌させ、フロー状態(集中しているが時間が経つのを忘れる状態)を生み出す。一方、外発的動機は、ストレスホルモンであるコルチゾールを伴うため、疲弊しやすく、長続きしない。遊んでドーパミンは出ていたものの、すぐに消えてしまい持続しなかったことが、私が学生時代に感じた虚無感の正体であり、ドーパミンの枯渇だったと言える。

    行動変容の鍵:あなたのやる気は、外から?中から?

    もしやりたいことがわからない人や、今の状態が合っているかわからない人は、一度立ち止まって考えてみてほしい。その物事に対するやる気が、「内発的動機」か「外発的動機」かを見つめ直してみるといい。

    「親に言われたから」「世間体が良いから」といった外発的動機で動いている限り、あなたの人生の主導権は他人にある。

    親や周りにはちょっと理解されないかもしれないが、「これをやってる時が最高に楽しい!」という感情こそが、あなたの人生を動かす真の内発的動機となる。自己分析を通じて、様々な気づきを得るだろう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。 アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソンが遺した言葉だ。

    「最も大事なことは、自分の心の声に耳を傾け、その声に従って生きることだ。」

    あなたの内側から湧き出る「やりたいこと」は、一体何だろうか。その炎こそが、人生の困難を乗り越える確かなエネルギー源となるだろう。

    vol.17 朝活の習慣化 : 夜更かし依存を断ち切る「脳のゴールデンタイム」活用術
    vol.17 朝活の習慣化 : 夜更かし依存を断ち切る「脳のゴールデンタイム」活用術 150 150 HAKU


    目次


    「毎日をどう幸せに過ごすか。それは、夜の過ごし方が重要だ。」
    いまの生活に変わる前、私はずっとそう思っていた。

    休みの日は、お酒を飲みながら夜更かしをしたいところだが、子供はいつもの時間に寝かしつけていた。そのため19時59分まで飲めるだけワインを飲み、20時になったら寝る支度を始めていた。

    まだまだ飲みたい気持ちをグッと我慢して、21時頃ようやく子供と寝るのだが、たいてい真夜中に目が覚めてしまう。トイレに行きたくて時計を見ると、まだ深夜だ。用を足し、そのまま眠ってしまえばいいものを、眠気まなこでここぞとばかりにNetflixを再生する。 「やっと自分の時間が取れた」という、ささやかな満足感と引き換えに、明け方また浅い眠りにつく。 そんな週末を、私はずっと繰り返していた。

    朝早くに起きた子供に無理やり起こされ、3時間ほどの睡眠で朝ご飯を作り、洗濯物を回す。寝不足でイライラしながら、いつまでたっても起きる気配のない夫を起こし交代する。今度は私が休む番だと仮眠を取り始めるのだが、結局昼近くまで寝てしまい、せっかくの休日が台無しになる。そんなことが度々あった。

    今ならわかる。その日が幸せだと感じるかどうかは、休みだからと夜の生活をだらだらするのではなく、すべて朝の過ごし方で決まるのだ。

    朝活の秘訣:時間の優先順位を変えるだけ

    私は運動する時間を最優先にし、次に朝の勉強と家族との時間を大切にするようになった。とはいえ、自分の時間は、家族が起きる前の朝にしか捻出できない。そこで私は、休日であっても夜21時までには寝て、朝早く起きてランニングと勉強をする生活を行動に移した。

    この転換を可能にしたのは、夜活のデメリットと朝活のメリットを、脳科学の視点から理解したからだった。

    脳のゴールデンタイムを制するメリット

    「朝の2〜3時間は脳のゴールデンタイム」

    「朝の1時間は夜の3時間に匹敵する」

    これは多くの人が知っている情報かもしれないけれど、実際にやってみると本当にその通りだと実感できる。朝の2時間でやりたいことを全部やると、満足感と達成感が同時に得られた。

    これに対し、夜に自分の時間を確保しようとすると、子供がなかなか寝なかったり、夫の帰りが遅かったりするだけで、家族と過ごす最中に「私だってやりたいことがあるのに」とイライラしてしまうことになる。しかし、朝にすべてを済ませてしまえば、そうした感情は意外と湧かないものだと気づいてしまった。

    朝の時間を確保するには、前日の夜の過ごし方が重要だ。朝6時に起きるためにも、夜更かしは厳禁。お酒を飲む日でも、「夕方18時まで」と時間を区切って決めてしまう。このように、翌日の行動にフォーカスすることで、ついつい飲みすぎて翌朝起きられないという事態を避けることができる。

    次の日の「走る楽しみ」や「勉強をする目的」があるから、理性的になれる。自分のやりたいことを明確にすることで、スムーズに行動を変えられるようになれたのだ。

    思考の余白:朝活が創る自己成長の源泉

    朝型生活のメリットは、単に時間を効率的に使えることだけではない。それは、自分自身と向き合う「思考の余白」を生み出すこと。誰にも邪魔されない静かな時間の中で、自分の好きなことをやる。その時間こそが、私にとっての自己成長の源泉であり、日々のイライラから解放されるための最高の時間にも繋がった。

    自分を満たすことで、周りの人にも優しくできる。それは、自己犠牲の上に成り立つ優しさではなく、自分を大切にした結果として与えられる優しさなのだと気づいた。

    あなたの幸せに繋がる「朝起きる喜び」を見つける

    早起きの目的は人それぞれだ。皆同じことをする必要はない。自己成長や目標達成に繋がるような、朝起きる喜びを見つけてみてほしい。そして、ほんの少しずつでいいから、そのための行動を起こせばいい。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、アメリカの著述家であるベンジャミン・フランクリンが遺した言葉だ。

    「早寝早起きは人を健康に、裕福に、賢明にする。」

    朝の時間に自己投資をする習慣は、あなたの未来の時間を生み出す。
    今日の夜から、ほんの少し早く寝ることから始めてみよう。

    vol.21 「睡眠負債」が招く感情の乱れ:自己受容を高める運動習慣
    vol.21 「睡眠負債」が招く感情の乱れ:自己受容を高める運動習慣 150 150 HAKU

    私自身、かつて慢性的な睡眠不足に陥っていた。
    運動習慣がなかった頃は、ベッドに入っても2〜3時間眠れず、夜中に何度も目が覚めるのが当たり前。子供が大きくなっても、風邪やアレルギーで、鼻が詰まったり咳き込む音に神経を尖らせてしまい、眠りたいのに眠れない日々が10年以上続いていた。

    夜中に目が覚めると、昼間の失敗が頭を占拠し、心臓の鼓動が耳元まで響く。 夢の中でさえ仕事に追われ、出口のない閉鎖空間を彷徨うような悪夢。そして、休まる暇もなく残酷に朝はやってくる。

    その結果、私の心は常に限界まで張り詰めていた。 今思えば、それが睡眠不足のせいなのか、生理前の揺らぎなのか、あるいはその両方だったのか。

    正体のわからないイライラに振り回され、些細なことで声を荒らげ、物に当たってしまう。そんな醜い自分を直視するのが怖くて、夜のお風呂で声を殺して泣くのが、当時の私の精一杯の浄化だった。子供に辛く当たり、感情の矛先をモノに向けてしまう自分。 そのすべてを自分の弱さのせいにしていたあの頃は、ただ涙を流すことしかできなかった。

    自己嫌悪からの脱却:睡眠不足と脳のゴミ

    そんな最悪な毎日から抜け出すため、私は脳科学の知識をつけ、お酒の回数を減らし、運動習慣を取り入れた。すると、ある変化が起きた。ぐっすり眠れるようになったのだ。夜中に目が覚める「中途覚醒」が減り、気づいたら朝だったという日が徐々に増えていった。

    以前は、子どもを寝かしつけた後、眠れないのでスマホや動画を見るのがルーティンだった。しかし、運動を始めてからは身体が疲れているせいか、一緒に寝落ちすることが増えた。今まで2〜3時間かかっていた入眠時間が、大幅に短縮されたのだ。

    ある日、子どもから「最近、朝いつも優しいね」と言われた。その言葉は、私に大きな喜びを与えると同時に、深い罪悪感も与えた。自分が眠れていないことで、周りにどれほどネガティブな影響を与えていたか、ハッとさせられたのだ。今まで感情をぶつけてきたことを思い出し、胸が締め付けられる思いだった。

    脳科学が示す真実:睡眠負債が引き起こす認知機能の低下

    なぜ、私は自分をコントロールできなかったのだろう?その答えを、脳科学から学んだ。

    加藤 俊徳氏の『脳の名医が教える自己肯定感』という本によると、7時間以上の睡眠が推奨されている。ジョンズ・ホプキンス大学の研究では、「6時間以下」の睡眠の人たちが、最も老廃物が脳に溜まっていたという。つまり、睡眠不足は脳の清掃不足を引き起こし、思考がゴミで溢れてしまうのだ。

    さらにオックスフォード大学の研究では、長期的な睡眠不足が脳を収縮させるという結果が出ている。そして、脳が収縮するとさらに睡眠の質が落ち、より脳が縮んでいくという悪循環に陥るらしい。

    この事実を知ったことで、私が感情をコントロールできず考え方を変えられなかったのは、意志の弱さの問題ではなく、頭の中がゴミで溢れ(睡眠不足やストレスによるネガティブ思考、ワーキングメモリの過負荷など)、脳のパフォーマンスが低下していることも原因であることがわかった。私はこのゴミの山を、少しずつ排除することを決意した。

    運動習慣と体温変化:睡眠の質がもたらす行動変容

    眠りに焦点を当て、脳のゴミを捨てて、余白を作り出すために意識と行動を変えていくことにした。眠れるようになると、朝の思考がクリアになり、穏やかな気持ちで一日を始められる。これは、単に気分が良いだけでなく、日中のパフォーマンスに直結する。睡眠という基本的な行動が、私の自己管理能力を飛躍的に高めてくれたのだ。

    運動と睡眠の質の研究から、定期的な有酸素運動が入眠をスムーズにする効果は実証済みだ。メカニズムの核心は、運動後の体温変化にある。運動で一度深部体温を上げると、その後、熱を放出しようとして体温が急激に下がる。この急降下が入眠を促すトリガーとなる。実際、運動習慣がある人は、寝付きにかかる時間が短くなるというデータは多数存在する。

    さらに、アメリカ国立睡眠財団が支援した研究では、定期的に運動を始めた不眠症患者は、そうでない患者に比べて「睡眠の質が改善した」と答えた割合が約65%も高かったというデータがあるのだ。

    自己受容への投資:行動変容の第一歩

    私たちは、外部の刺激や環境に反応するだけの存在ではない。
    自らの内側、特に脳の仕組みを理解することで、より良く生きるための戦略を立てることができる。感情の波に飲まれるのではなく、その原因と向き合い、根本から解決する。質の高い睡眠を確保することこそ、その戦略の土台となる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した言葉だ。

    「世界を動そうと思ったら、まず自分自身を動かせ。」

    睡眠という、まず自分が動かすべき土台を整えること。そして、運動という行動があなたの脳のゴミを清掃し、自己受容を高める。健康的な脳こそがあらゆる成長の基盤であり、どんな困難な状況にあっても冷静に思考し、最適な判断を下すための不可欠なツールとなるのだ。

    vol.22 「悪い習慣」を断つ!ドーパミンとミラーニューロンで習慣化を成功させる方法
    vol.22 「悪い習慣」を断つ!ドーパミンとミラーニューロンで習慣化を成功させる方法 150 150 HAKU

    誰にでも、「やめたい」と思っているのに、どうしてもやめられない習慣があるはずだ。
    私にとってのそれは、食べ過ぎ、度を越したお酒、そして終わりのないSNSのスクロール。 欲望を極限まで満たしたはずなのに、あとに残るのは心地よい充足感ではなく、冷え切った自己嫌悪と、出口のないモヤモヤだけだった。

    頭ではダメだとわかっているのに繰り返してしまうのは、脳の「ドーパミン」が大きく関係している。ドーパミンは、何かを達成した時や快感を感じた時に分泌され、その行動を「報酬」として脳に強く記憶させる。その結果、悪い行動も含め私たちはその快感を再び求め、行動に依存し、自分のことが嫌いになっていく。

    しかし、このループから抜け出すことは可能だった。

    悪い習慣:人生のエネルギー漏れを塞ぐ行動経済学

    スコット・アラン氏の『GREAT LIFE 1度しかない人生を最高の人生にする方法』という本を読んで、ハッとさせられた。私たちは日々、膨大なエネルギーを消費して生きている。そんな中、悪い習慣を断つことは、決して自分を律するだけの苦行ではないのだ。

    悪い習慣とは、人生というバケツに開いた「穴」そのもの。せっかく貯めたエネルギーが、知らぬ間にそこから漏れ出している。 この「穴」の正体が、意志の弱さではなく脳のドーパミンというシステムにあると知ったとき、視界が一気に開けた。

    こうした脳の仕組みを味方につけて、私は一つひとつ、自分の「悪い習慣」を解体していくことにした。

    まずは、食べ過ぎについて。ストレスが溜まると、無性にジャンクフードやスイーツに逃げたくなる。ボトムスのボタンを外すほど食べてしまった後、あとに残るのはただ重たい自己嫌悪だけだった。生理前の抗えない衝動は、幾度となく私の決意を無力化させてきた。

    だからこそ、力ずくで自分を縛るのはもうやめた。「絶対に食べない」という禁止は、かえってその食べ物への執着を深めてしまう。脳の仕組みを考えれば、それは戦略ミスでしかないと気づいたから。

    身体に良いものなら、たまには食べ過ぎてもいい。 ジャンクフードや激辛料理は「3ヶ月に一回の贅沢」として、あえて「ゆるい余白」を作る。自分を厳しく律するのではなく、手綱を緩めながら賢く付き合っていく。

    次に、SNSとの付き合い方になる。今までは朝起きてすぐにスマホを手に取り、SNSのタイムラインをただスクロールする日々だったが、その代わりに体を起こしてコップ一杯の水を飲み、軽いストレッチや運動に充てるようにした。

    他人の華やかな日常と自分を無意識に比較し、時にはネガティブな動画に心を削られる。そんな情報のノイズで疲弊するのをやめた。

    特に、この「入れる情報を選ぶ」という意識。これが私の毎日をガラッと変える大きなきっかけになった。

    寝る前のひとときも、SNSの内容を「自分のモチベーションを押し上げてくれる投稿」だけに絞った。徹底的に情報の取捨選択を行うことで、私の脳は少しずつ、前向きなエネルギーを取り戻していった。

    モチベーションの科学:ミラーニューロンが習慣化を加速する

    寝る前に見ていたのは、毎日努力を続ける2人、kento_lifeworkさんとkidou_vlogさんのアカウントだった。

    彼らのひたむきな姿を見て、やりたいことをやるために、今ある時間を有効的に使おうと強く決意した。この情熱を失わないため、やる気がない時ほど彼らの投稿を見るようにした。それが、私のモチベーションを常に維持してくれる、最高の燃料となった。

    そしてもう一人。気づくとつい目で追ってしまうのが、@jiajiaさんの投稿だった。運動、学び、遊び、ワインやピザを楽しむことなど、彼女が生き生きと人生を謳歌している姿を見ると、自分の心も元気になる。自分よりもずっと年下の彼女から、沢山のポジティブなエネルギーをもらっていた。

    実はこれ、脳科学的に理由がある。

    人間の脳には「ミラーニューロン」という神経細胞がある。これは、他人の行動を見たときに、まるで自分がその行動をしているかのように反応する不思議な細胞だ。誰かが頑張っている姿を見ると、自分の脳も「頑張ろう!」という信号を出すようにプログラムされているらしい。

    つまり、活動の前に彼らの投稿を見ることは、自分の脳にとって「目標達成」のための予行練習になっていたのだ。彼らのポジティブなエネルギーを、無意識のうちに自分のものに変えていた。

    こうした意識を続けるうちに、早く休んで明日に備えようという気持ちが自然と芽生えるようになった。その結果、「今すぐ寝よう!」「今から始めよう!」と、行動への切り替えが格段に速くなり、毎日早めの睡眠を意識する生活が、徐々に定着していった。

    小さな習慣が自己肯定感と自信を創り出す仕組み

    悪い習慣をなくすことは、決して苦行ではない。それは、人生をよりスムーズに、豊かにするための戦略的なメンテナンスのようなものだ。

    自分を信じて行動し続けるために、悪い習慣を見つけ出し、少しずつでいいから変えていく。その積み重ねが、やがて大きな自信となる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。 
    それは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した、こんな言葉だ。

    「満たされない欲望を追求しつづける生活は、網の破れたバケツに水を汲み続けるようなものだ。」

    悪い習慣は、心の穴を埋める一時しのぎの行為だ。 その穴を塞ぎ、自分のやりたいことという名のバケツを満タンにするために、今日からできる小さなことを見つけて始めてみよう。

    あなたにとって、成長を妨げている「悪い習慣」は何だろう?

    vol.33「時間の投資」で実現する人間関係の断捨離と自己成長
    vol.33「時間の投資」で実現する人間関係の断捨離と自己成長 HAKU

    目次


    私は今まで、ほとんどの物事を「好きか嫌いか」で判断してきた。自分を信じることは難しくても、自分の中にある「好き」や「嫌い」という感覚にだけは、常に揺るぎない確信を持って生きてきたのだ。

    だからこそ、私が何を愛し、何を拒むのかを理解してもらえない相手とは、基本的に深く関わることができない。

    自分の繊細さを自覚しているからこそ、境界線を無視して土足で踏み込んでくるような、無遠慮な言動には人一倍敏感に反応してしまうのだ。

    いわば「取り扱い注意」な自分を理解しているからこその、防衛策。表面的なだけの立ち話や、惰性で続くママ友付き合いは、私の世界には存在すらしない。

    大人になって「この人と友達になりたい」と思う瞬間はあっても、その関係が長く続くことは稀だった。相手に「つまらなさ」を感じた瞬間、繋がりを維持する努力をやめてしまう。それは冷淡さというより、自分自身の感覚に嘘をつけないという、不器用な誠実さの裏返しなのかもしれない。

    時間の資産:「好き」に縛られていた過去

    星 渉氏の『神時間』という本を読んで、改めて立ち止まって考えた。「好き嫌い」と同じくらい、「時間」について深く考えるきっかけになったのだ。
    「人生とは時間の投資。自分に与えられた24時間を何に投資すれば、自分の欲しいものが得られるかを考える」と書いてあった。今の私が欲しいものは、「自分を信じる力」。そのために、小さな成功体験を作る行動として、まず運動を最優先にすると決意していた頃だった。

    最初、24時間あるうち、たった30分筋トレする時間を捻出することさえとても難しかった。それでも、必ず無駄な時間があるはずだと疑って、私は自分の時間を洗い出した。出勤前に15分見ていたスマホをやめて腕のストレッチをしたり、昼休みにはスクワットをしたり。そうして、隙間時間を使いながらトータル1時間、1日の中で運動する時間を捻出することができた。

    本には「ゴールに関係のない頼みは断る」という徹底した戦略が記されていた。私はこれを、人間関係に適用した。大好きな友人であっても、「今はその時じゃない」と感じれば、迷わず自分の時間を優先した。もともと誘う側の人間だったこともあり、断ることへの罪悪感は驚くほどなかった。

    私の性格は「猫」そのものだ。
    甘えたい時は自分から寄っていくが、そうじゃない時は放っておいてほしい。

    幸い、私の数少ない友人たちは、その気まぐれさを無言で受け入れてくれた。数ヶ月会わなくても、「きっと何かで忙しいんだろう」と察してくれる。その静かな理解に、今は心から感謝している。

    時間の投資戦略:人間関係の価値を問い直す

    私たちは皆、平等に24時間という資産を持っている。
    この資産を何に投資するかで、未来の自分が決まる。私はこのシンプルな事実に気づいてから、時間に対する意識が大きく変わった。

    友人と会って楽しく過ごす時間は、もちろん貴重だ。しかし、今の私にとって最も価値のある投資先は、「自分を成長させるための時間」だった。筋トレや勉強、自分の内面と向き合う時間。これらは、すぐに目に見える結果が出ないかもしれないけれど、未来の私を強く、自信に満ちたものにしてくれる希望の時間である。

    この「時間の投資」という考え方は、人間関係にもそのまま当てはまる。友人と会う時は基本的に飲みの場なため、「その人との時間に、週末の睡眠時間や翌朝のランニング、または勉強の時間を引き換えにするだけの価値があるか?」私はそう問うようになった。

    価値のない関係を断つという選択は、もしかしたら冷淡に映るかもしれない。だが、私の周りにはそう思う友人はいないので、安心していいだろう。これは友人を信じ、愛しているからこそ思うことかもしれない。離れていても、全く気まずくない関係性をかれこれ20年近く続けている。

    人からどう思われるかではなく、今は自分がどうなりたいかを最優先にすること。それが、この時の私にとって一番大切なことだと確信していた。

    断捨離と行動原理:「猫」と「価値」の基準

    私は人間関係において「お互いを高め合えるか」を絶対的な基準にしている。 尊敬する人からの言葉は、私の心を輝かせる宝物になる。

    けれど、互いに高め合えない関係から発せられる言葉は、私の大切な「心の余白」をただ曇らせるだけのものに感じてしまうのだ。

    だから私は、自分の資産(時間)を投じるべき相手を、静かに、けれど確信を持って厳選することに決めた。

    それは誰かを切り捨てるためではなく、私が私らしく、前を向いて歩き続けるために。 互いの熱量を共鳴させられる「尊敬の念を抱ける相手」を、丁寧に選び取る。その作業こそが、私の人生をより鮮やかに、そして豊かにしてくれるのだと確信している。

    試行錯誤の末、友人とは3ヶ月に1回の頻度で誘うようになった。以前は毎月会っていたほどの仲なので、久しぶりに会った時はハグするほど嬉しかったし、話すことが止まらなくて結果的に二日酔いになるほど楽しめた(翌日二日酔いというのもスケジュールに入れておく)。そんな、爆発的な質を伴う再会こそが、今の私には必要な「投資」なのだ。

    今の自分にはやりたいことがあり、そのモチベーションは高い状態が続いている。故に、付き合う人を洗い出し、その関係性に価値があるのかどうか確認することは、時間という資産を使う上で極めて重要だと知った。

    会った時間が「自分に必要な投資だった」と思えるためには、お互いの進歩やモチベーションを高め合える対話が不可欠だ。その前提があるからこそ、友人との時間を最大限に活かそうとする事前の準備や、日々の努力の質も爆発的に上がるのだった。

    自己成長:人生は、自分で選ぶ時間でできている

    投資先を厳選すれば、当然、失われる関係もある。
    常にネガティブな言葉を吐き、自らを「うまくいかない場所」に置き続ける人。変化を拒む人。以前の私なら、相手に合わせて自分の感情を殺してお酒を飲むこともできた。けれど、今の私はもうそこにいない。他人を変えるエネルギーがあるなら、それは自分のために使いたい。不満だらけの友からは、そっと、そして静かに離れればいいのだ。

    友を失うことは怖かった。けれど、自分が変われば、住む世界(コンフォートゾーン)も、そこに集まる人々も変わるのが道理だ。相手を攻撃したり、傷つける必要はない。ただ、静かに、優しく離れればいい。今の私には、新しい関係を築く余裕はないかもしれない。けれど、それでいい。「今はこれで良い」と割り切ることも、立派な戦略なのだから。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した言葉だ。

    「人生は選択の連続である。」

    私たちは、どんな人と時間を過ごし、何に時間を投資するか、すべて自分自身で選択できる。その選択一つひとつが、未来のあなたを創るのだ。今日から「時間の使い方」に意識を向け、未来の自分のために選択していこう。

    自分を大切にするとは、心地いい空間と前向きな人を選ぶことと同義だ。この自己決定と自己探求こそが、あなたの人生をより深く、より強く、そして何よりも揺るぎない充足感で満たしてくれるだろう。

    vol.34 「一人になりたい」の裏にある真実:不幸の反転でウェルビーイングを見つける方法
    vol.34 「一人になりたい」の裏にある真実:不幸の反転でウェルビーイングを見つける方法 HAKU

    目次


    「1人になりたい」

    大型連休や長期休暇が来るたびに、私はずっとそう強く願ってきた。家族との旅行や外出を楽しむよりも、ただ一人で静かに過ごしたい。その欲求が人一倍強いことを、半ば逃れられない性分のように自覚していたのだ。

    旅行に行くとなれば、夫は直前まで仕事に追われ、子供の荷造りから帰宅後の大量の洗濯、荷解きまで、そのすべてが私の肩にのしかかる。

    さらに、結婚前から10年以上続く夫の大音量のいびき。扉扉3枚分も離れた部屋に寝ているはずなのに、耳栓越しに聞こえてくるその騒音のせいで眠れず、イライラを募らせることは今の家に引っ越してからも日常茶飯事だ。

    旅行先ともなれば、そんな大音量のいびきを真隣で聴かされることになる。最高に嫌な気分で朝を迎え、一日中イライラして過ごす時間は、もはや休息ではなくただの「罰ゲーム」でしかなかった。

    せっかく旅行に行っても、私だけ休めない。
    どこへ行っても、私だけがイライラしている。
    そんな旅行なら、行かない方がいい。

    私がイライラしてしまうことで、家族との思い出を壊してしまうくらいなら、最初から旅行を避けるべきだと判断するようになった。

    そのため、基本的には長期休暇などは、夫の両親や兄妹、従兄弟たちと水入らずの旅行を楽しんできてもらうことにしている。こういう時の私は、心なしか哀愁が漂う顔をしつつも、心の中はニッコニコで夫と子供を車まで見送っていたのだった。

    「一人になりたい」という不満の正体

    「家族旅行は嫌」――そんな風に考える人は、きっと私だけではないだろう。

    温泉では子供の目が離せないため、ゆっくり入ったことは家族旅行で1度もない(サウナなんて論外だ)。帰宅後はというと、荷解きと山積みの洗濯物が待っている。せっかくのリフレッシュのはずが、結局は別の何か(労働)にすり替わっているような感覚だった。

    旅行から帰った日は、決まって疲れとイライラで心がいっぱいになり、余裕がない。
    楽しかったはずの記憶も、帰宅した途端に「疲労」で黒く塗りつぶされてしまう。だから、私はいつも「一人になりたい」と心の中で叫んでいた。家族に「旅行に行こう」と誘われるたびに、面倒くさいという気持ちが先行し、「仕事で忙しい」だったり「あなたのいびきがうるさくて眠れないから無理」と言い、毎回断り続けた。

    カナダの研究が示す、ウェルビーイングと時間の要求

    だが、私が感じていたこの「一人の時間」への渇望は、多くの母親が共有するウェルビーイング(幸福)を維持するための、科学的な要求であることがわかった。

    長時間、育児やタスクに集中すると、ストレスホルモンであるコルチゾールが上昇し続ける。この状態が慢性化すると、脳は思考力を維持できなくなる。そのため、誰にも邪魔されない休息時間は、脳の機能を正常に戻すために不可欠なのだ。

    カナダの親を対象とした調査データによると、母親の半数以上(50%超)が「もっと一人で過ごす時間が必要だ」と報告しているのに対し、父親ではその割合が約3分の1にとどまった。母親が育児や家事にかける時間が増えるほど、「一人でいる時間」への欲求が高まることが示されており、これは単なる個人の感情ではなく、脳機能を維持するための資源として切実に必要とされていることを示している。

    このデータを知って、私は安堵した。自分の疲労を回復させ、脳に「思考の余白」を取り戻すための、極めて人間的な欲求だったのだと論理的に理解できたからだ。

    ちょうどその頃、全力で一人になろうとしていたお盆休みがあり、星 渉氏の『99%は幸せの素人』という本を読んだ。その中に「絶対になりたくない不幸な状態を書いてみる」という、ユニークな思考実験が紹介されていた。

    思考実験:絶対になりたくない不幸の反転

    正直に言うと、最初は「?」だったが、物は試しと思い紙に書き出してみた。

    • 仕事を嫌いになること
    • 忙しいこと
    • 太っている状態
    • 一人になること

    このリストを見て、私は心底驚いた。いつも「一人になりたい」と願っていたのに、絶対になりたくない不幸な状態に「一人になること」が含まれている。これはどういうことだろうか?自分の内面が完全に矛盾していることに気がついた。

    私は、家族が自分から絶対離れないと勝手に思い込んでいたのだ。だから、偉そうにしたり怒りを撒き散らし、ぞんざいな扱い(特に夫に対して)をしても、平気な顔をしていた。しかし、もしそんな私にうんざりして、家族がいつか離れてしまったとしたら?

    そんな状態に私は耐えられるはずがなく、心底後悔することだろう。
    この事実に気づいた途端、もの凄く怖くなった。

    本によると、この「絶対になりたくない不幸な状態」を反転させると、自分が本当に求めている「幸せな状態」がわかるらしい。

    • 仕事が嫌いなことが嫌→ 仕事を楽しめるように工夫すること
    • 忙しいのが嫌 → 時間の使い方を工夫すること
    • 太っているのが嫌 → 筋トレやランニングで引き締まった身体を作ること
    • 一人になるのが嫌 → 家族と一緒にいること

    これが自分にとっての幸せであり、取るべき行動なのだと、明確な答えが出た。これは、目標や課題(イシュー)を定めるのとはまた違う、自分の本心にたどり着くためのアプローチである。

    メタ認知:本心と行動が導く自己受容

    この気づきを得て、私は自分の行動を反省した。

    私にとっての幸せは、一人になることではなく、家族と過ごすことだったのだ。

    もちろん、たまには一人の時間を作ったり、遠方ではなく近場を選んで旅行するなど、自分の負担を減らすことも必要だ。宿泊時にいびき対策として部屋を二つおさえるといった工夫は、自分を守るための必要な行動である。しかし、「心まで家族から離れてはいけない」と痛感した。

    この経験を通して、私は大きな真実を発見した。自分が本当に欲しているものは、不満や怒りといったネガティブな感情の奥に隠されている。これは、私たちが「メタ認知」の視点を持つことで初めて発見できる真実なのだ。感情的な「一人になりたい」の裏には、論理的な「一人になるのは怖い」という、より深い本心が隠れていた。

    家族がいてくれる安心感に甘えて、わがまま放題だった私は、この理由に気づいた時、自分の身勝手さが恥ずかしくなったのだった。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの哲学者ソクラテスが残した言葉だ。

    「真実を見つける唯一の方法は、自ら探求する旅に出ることである。」

    誰かから教えられるのではなく、自分自身で探して初めて、本当の答えにたどり着くことができる。 もしあなたが「何か」に不満を抱いているなら、その不満を紙に書き出してみてほしい。そして、その感情を反転させてみよう。

    あなたの「絶対になりたくない不幸な状態」は、なんだろう?
    それを反転したら、思いも寄らない真実が、心の奥底の扉が開かれたかのように見えてくるかもしれない。