• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

    心理学

    Vol.03 なぜ嫌いな人が頭から離れない?メタ認知で解くネガティブ感情の正体
    Vol.03 なぜ嫌いな人が頭から離れない?メタ認知で解くネガティブ感情の正体 1024 1024 HAKU

    嫌いな人ができると、まるで報われない片思いのように、毎日頭の中で繰り返し思い出しては、その人を呪っていた。何年か前に、この思考が自分の心を著しく疲弊させていることに気づいた。そこで、「もう絶対に嫌いな人は作らない!」と子供のように力強く心に決めた時期があった。

    そう思っていても、ママ友付き合いや職場等で「この人何か嫌な感じだな」と思う人は次から次へと湧き出てくる。そのたびに、昔大嫌いだった人たちまでカムバックして思い起こすことになった。朝起きては思い出し、寝る前も嫌いな顔が頭をよぎる。無意識に朝から晩までその人のことを考え続けていた。その結果、寝ても覚めても心の囚人のような状態が何度もあったのだ。

    誰かを嫌う感情が絶えずあり、日々を過ごしている。この状態は私だけなのだろうか。そのネガティブな感情は途切れることなく続き、まるで椅子取りゲームのように順番に私のことをイラつかせてくる。私だけがこんな日々を過ごしているのなら、正直怖い。なぜなら、ネガティブ感情は、私たちの生活の質を著しく低下させるからだ。

    ネガティブ感情の正体:サバンナ脳の仕組み

    ネガティブな感情は、なぜあるのだろうか。その問いに、以前の私なら「日本人は心配性の遺伝子が多く備わっているから?」と答えたかもしれない。しかし、その答えは、私に「不安や心配性は仕方ない」「そういう性格だから」という甘い結論を与えていた。結果として、「だからしょうがない」と問題解決から目をそらし、自分自身を決めつける思考に繋がっていたのだ。

    しかし、『ストレス脳』という本で、その考え方は間違っていると気づいた。そもそも私たちの脳は、大昔からほとんど変わっていない。脳の目的は、「生き延び、子孫を残すこと」だ。新しい行動をとると死んでしまうリスクがあり、危険から身を守るためにネガティブ感情が発生するようになっている。それゆえに、私たちは常に幸せな気分でいられるようには作られていないのだ。

    この事実に気づいた時、私は大きな衝撃を受けた。脳は感情を使って私たちを支配し、危険から守っている。なぜなら、私たちの脳が今でもサバンナで狩猟採集をして暮らしていると思っているからだ。昔と今、変わりすぎた時代に脳は追いついていない。だからこそ、おかしなことが起きている。まずは、この本質から、自分の脳を理解する必要がある。私たち人間の脳は4万年前から変わっていない。すべては、ここから始まる。加えて、このネガティブ感情の仕組みを理解することが、自己肯定感を高めるための第一歩になる。

    メタ認知の鍵:「人間とは何か」の歴史的探求

    脳や行動認知療法を学ぶ過程で、私は人間の本質について、まだ知らないことが多いと気づいた。実際、それがきっかけとなり、子供と図書館へ行った際に、人類の歴史をテーマにした、ベングト=エリック・エングホルム氏の『こどもサピエンス史:生命の始まりからAIまで』という本を見つけた。そこには、情報がない時代、試行錯誤を繰り返して生きてきた私たち人間の物語が綴られていた。ネアンデルタール人とサピエンスの戦いや、架空の物事を信じて大きな集団を作り、お金や科学といった概念を生み出し、文明を築き上げてきた歴史の流れが描かれていた。

    その一方で、科学が加速度的に進化する現代において、私たちは「何になりたいのか」「どうやってそれを実現するのか」を真剣に考えなければならない時代にきている。過去の歴史を知ることは、現代の複雑な社会で自分を見失わないためのメタ認知に不可欠だ。したがって、情報過多の中で思考の軸を保つには、「人間とは何か」という根源的な問いを理解する必要がある。

    幸福の循環:アウトプットの科学的効果と自己成長

    私がこのブログを始めたのも、その自己成長の一環だ。誰かに伝えるというアウトプットの場を持つことで、学んだ知識がより深く脳に定着し、自分の行動がより明確になった。さらに、その過程で、かつて自分が苦しんでいたのと同じように悩んでいる人がいるかもしれないと考えるようになったのだ。

    これは単なる経験則ではない。例えば、アメリカの心理学者、ヘンリー・ローディガー博士らが提唱した「テスト効果」は、情報をただ読むよりも、「思い出す(アウトプットする)行為自体」が、記憶を強化する現象であることを実証している。また、コロンビア大学の研究にある「生成効果」は、情報を自分の言葉で説明することで、記憶がより強固になることを示している。

    私は、自分の知識や経験を通して、そうした人たちの悩みを解決する手助けをしたい。そして何より、自己成長を続けながら、その輪を広げていきたいと強く願っている。ブログというアウトプットは、誰かの役に立ちながら、私自身の成長も加速させる、最も効率的な学習ツールとなった。

    誰かの役に立つことで、自分自身も満たされる。この幸福の循環こそが、私が今、ブログを続ける最強の理由(イシュー)だ。実際、この循環こそが、ネガティブ感情を打ち破る力となる。

    脳の進化と幸せへの道

    現代社会は情報過多で、何が正しいか見極めるのが難しい時代だ。だからこそ、自分の内側に目を向け、何が自分にとって本当に重要なのかを見つけることが不可欠なのだ。重要なのは、誰かの真似をすることではない。真に大切な行動は、あなた自身の根源的な欲求に基づき、内側から生まれてくる。この真理を忘れてはいけない。

    なぜなら、私たちはネガティブな感情から逃れられない。しかし、その感情が私たちの進化の過程で身を守るために生まれたものであると理解することは、自己を深く知る第一歩となる。そして、自分の脳を理解し、正しい知識と行動を組み合わせることで、私たちは困難な時代を生き抜く力を手に入れることができる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。 古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した言葉だ。

    「自分を知らない者は、自分の人生を生きることができない。」

    あなたのネガティブな感情の源を知り、行動を変えること。 それが、より豊かな人生への道なのだ。まずは、自分の脳の仕組みを理解するところからスタートしよう。

    Vol.06「怒りの遺伝」は嘘。BDNFとアンガーマネジメントで感情の連鎖を断つ
    Vol.06「怒りの遺伝」は嘘。BDNFとアンガーマネジメントで感情の連鎖を断つ 1024 1024 HAKU

    実家は5人家族なのだが、母以外は怒りのコントロールが苦手で、すぐに感情を爆発させる人間ばかりだった。私たちはそれを「遺伝だから」「血だから」と割り切り、直そうともしなかった。今でも、私以外の3人はこの考えのままだ。

    そんな環境の中、母は家族から理不尽なイライラをぶつけられても耐える人だった。姉から聞く話によると、感情のままに拳をテーブルに叩きつけるような父に対し、母は言い返すこともなかったようだ。子供の頃から私は、父が仕事のストレスを家の中で発散することや、それによって家族団欒の空気を壊していることに違和感は覚えず、「いつものことだ」と思っていた。

    そして、気づけば家族のその負の感情のバトンを、今は私自身がしっかり握っていた。その「怒りの役割」を今度は自分が担う側になっている。これは最悪な事実だ。

    習慣の呪い:「怒りの遺伝」の正体とBDNF

    脳科学や認知行動療法に関する本を読み進めるうちに、私は意外な真実を発見した。怒りやストレスといった感情は、「遺伝」ではなく、脳の習慣から生まれるというのだ。そして、特に運動にはストレスを抑える効果があり、怒りの暴走を防ぐという事実が判明した。

    アンデシュ・ハンセン氏の『運動脳』は、私の認識を大きく変えた。この本によると、脳の機能は生まれつきのものではない。後天的に変えていくことが可能だというのだ。運動によって、私たちは慢性的なストレスを感じにくくなる。ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を減らし、気分のムラやうつ状態を改善できる。

    さらに重要なのが、「BDNF(脳由来神経栄養因子)」というタンパク質だ。運動とBDNFの相乗効果は何年も前から注目されており、BDNFは脳の細胞を保護し、新しい細胞の成長を促す。神経細胞のつながりを強化し、細胞の老化を遅らせる効果がある。心拍数を上げる有酸素運動をすることで、このBDNFを大量に分泌させることができる。その結果、気分の落ち込みから自分を守り、うつ病を予防できるのだ。

    アンガーマネジメント:運動がくれる静かで力強い行動

    私はすぐにこの知識を、行動に移すことにした。怒りに支配される前に、怒りから逃げることを選んだのだ。家族に嫌な思いをさせたくない、職場の雰囲気を壊したくない。そして何よりも、これ以上自分で自分を嫌いたくなかった。

    私たち「イライラ組」には、運動習慣ゼロという共通点があった。その事実に気づいた瞬間、頭の中で点と点が繋がった。身体を動かさず、ただじっとしていたことが、怒りの暴走を許していた原因だったのかもしれないと腑に落ちたのだ。

    私は、多幸感をもたらすエンドルフィンと、BDNFを増やすランニングを掛け合わせ、少しずつ行動を重ねていった。ランニングを続けるうちに、走る行為そのものが、本当にストレスホルモンを抑えてくれるように感じた。嫌なことがあっても、走り終わった後は不思議と心が落ち着き、ネガティブな感情が薄れていくのだ。私はこの小さな感覚を大切にし、自らの脳を守るという強い意志を持つことにした。

    ニーチェの教え:遺伝の鎖を断ち切る自己決定

    この個人的な経験は、誰もが直面する課題にも応用できる。自分や周りの人々の行動や感情を、性格や相性のせいと片付けるのではなく、その根本にある脳の仕組みを理解することが重要だ。運動習慣がないことが、怒りやストレスの原因であるように、私たちの行動や感情は特定の習慣の欠如から生まれることが多い。

    ストレスを管理し、自己成長を促すための「運動」を実践できる習慣を身につけること。特に、ストレス解消に特化するなら、新しいスキルを学ぶよりも運動のほうが効果的だ。大切なのは、個人の遺伝や性格を責めることではない。健全な行動習慣を築けるような環境を、自分自身で整えることにある。

    結果、怒りから逃げるためのランニングは、私にとって単なる身体活動ではなかった。それは、長年抱え続けてきた「自分を信じられないこと」や、「遺伝だから」という諦めの思考から逃れるための、静かで力強い行動だった。

    私たちは、生まれ持った脳の構造を変えることはできない。しかし、その「脳の習慣」を知り、意識することで確実に変えていける。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが遺した言葉だ。

    「自己決定に際しては、他に誰もおらず、代わりの人間がいない、ということを考慮せよ。」

    遺伝や環境のせいだと諦めそうになったら、この言葉を思い出してほしい。私たちが自分を創るのは、与えられたものをどう使うか。その選択の連続なのだ。今日、あなたが何を学び、どう行動するか。その小さな決断こそが、運命の鎖を断ち切る、小さなきっかけとなり、大きな希望に変わる。

    vol.09「バカ」コンプレックスを「無知」で克服する自己肯定感の育て方
    vol.09「バカ」コンプレックスを「無知」で克服する自己肯定感の育て方 1024 1024 HAKU

    これまで私は、「自分は頭が悪い」というコンプレックスを抱えて生きてきた。
    幸いにも恵まれた環境で生きてこられたが、仕事で壁にぶつかるたびにその失敗を「私の能力のせいだ」と決めつけていた。だが、ある本を読んでその考えは大きく変わった。

    その本とは、いかにもなタイトルの一冊。橘 玲氏の『バカと無知』だ。内容は、バカの思考や行動を辛辣な言葉で書かれており、ページを開くたびにショックを受けながらも、どこか自分を重ねて読み進めていった。

    読んで気づいたのは、私はバカなのではなく、ただ「無知」だったかもしれないということだ。この発見が、私に大きな安堵をもたらした。かつての私は、自分がバカであることを知られるのが怖くて、本に書いてあるように、自分を必要以上に大きく見せようとしていた。小学生の頃から「HAKUは真面目な子」と周りに言われ続けたそのイメージを、崩さないよう必死に生きてきたのだ。しかし内側では自分の弱さを理解している、惨めな自分も存在していた。

    内面と外面のバランスを取るために、私は「学び」という選択を決めた。

    「バカ」と「無知」の境界線と自己肯定

    「失敗は悪いことではない」というマインドを、常に持ち続けた。
    うまくいかないことや、自分自身に嫌気がさすことはたくさんあったけれど、「失敗は成功への糧」と何度も心の中で繰り返した。なぜなら、知識や経験がないことは、決して恥ずかしいことではないからだ。

    知識が無いことを自覚し、そこから学ぼうとする行動こそが大切なのだ。その行動が、結果的に成長と幸せに繋がっていく。私は、今まで数えきれないほどの失敗を経験してきた。その都度、学び、成長しようと試みてきたからこそ、今の自分がいる。自分の強さとは、完璧さで測るのではなく、無知であることを認め、そこから学ぼうとする力にあるのだ。

    失敗を恐れない「成長マインドセット」への切り替え

    この考え方は、私の子供との関係にも影響を与えた。
    うまくいかないことがあっても、私は子供に、失敗は成功への糧であることを繰り返し教えた。すると、子供は「そっか」というような顔で失敗を受け止め、前向きな姿勢を見せるようになった。

    大人になっても、日々失敗する。かつての私もそうだった。

    うまくできないことを頭のせいにするのではなく、失敗を成功に繋がる糧だと思考を変える必要がある。この変化は、心理学でいう「成長マインドセット」に切り替わったことを意味する。知能は固定されたものではなく、努力で伸びると信じることで、失敗は「能力の証明」ではなく「学習の機会」となる。現実は見えている。その現実を変えるために、日々勉強をして知識を補充している。その結果、人生はより豊かになっていくことを知ったのだ。

    無知を楽しむ:行動と習慣化の連鎖

    無知な自分を認めたことで、私は人よりも多くの事を喜べるようになった。新しい知識を得るたびに、世界が広がるような感覚がある。それは、まるで分厚い霧が晴れて、目の前に広大な景色が広がるような体験だ。何かを新しく学ぶことは、いつでも、何度でも、私たちをワクワクさせてくれる。その小さな喜びこそが、行動を続けるための最大のエネルギーなのだ。

    この「学ぶ喜び」は、ドーパミンを分泌させ、次の学習行動を促す。さらに、ブログなどで学んだことをアウトプットする行為は、記憶の定着を強固にし、自己成長を加速させる。無知の領域を広げ、それを探求する行動の連鎖こそが、人生を豊かにする鍵となる。

    無知の知の肯定がもたらす人生の変革

    もしかしたら、あなたも自分を「バカ」だと決めつけていないだろうか?
    そうだとしたら、まずその考えを手放してみてほしい。あなたはただ、まだ知らないことが多いだけなのかもしれない。その無知を恥じるのではなく、むしろ探求すべき新領域として捉えてみてはどうだろうか。

    無知は決して悪いことじゃない。
    自分の無知を認め、学び続ける。そのシンプルな行動こそが、無限の可能性と自由を与えてくれる、人生の最高の財産なのだ。そして、その財産を増やすたびに、あなたはより多くの喜びと感動を味わうことになる。学びは、私たちに無限の可能性と自由を与えてくれることを再確認できた。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、現代科学哲学者カール・ポパーが遺した言葉だ。

    「学べば学ぶほど、自分の無知を知る。」

    自分の「無知」を自覚すること。それこそが、コンプレックスを自信に変え、人生の舵を握るためのスタートラインだ。その探求心こそが、あなたの人生に無限の知識という光を与えてくれるだろう。

    vol.12 「現状維持バイアス」を破るリスキーシフトで自己成長を加速
    vol.12 「現状維持バイアス」を破るリスキーシフトで自己成長を加速 150 150 HAKU

    目次


    子どもが幼稚園に通い始めた頃。 自分の存在を、外の世界でも確立したいという欲求が、静かに、でも確実に膨らんでいた。キャリアの岐路で、私は正反対の2つの求人を天秤にかけ、数日間思考を巡らせていた。

    1つ目は、ファッションブランドの工場。家から車で5分。徒歩でも行ける距離にある大きな工場は安定的で、仕事内容も想像通りだった。

    もう1つは園芸店で、接客のほかに鉢植えなどの仕立てもあると書かれていた。仕事内容を見てピンとくるものはゼロという、ほぼ未知の世界の求人だった。さらに、通勤に片道40分かかる県外の職場で、興味はあったものの、比較するまでもないというのが最初の印象である。

    当時の私にとって、植物は「草、花、木」程度の認識だった。観葉植物という言葉さえ知らず、知識があるとかないの問題ではない状態だった。リスクしかないと思える未知への選択に、私の心はなぜ反応してしまったのか。この選択が、その後の思考と人生を大きく変えることになる。

    なぜ私はリスキーシフトを選んだのか

    結局、私が連絡を入れたのは園芸店の方だった。 面接を経て、私の新しい日常はそこから動き出した。

    数日間悩んだのだが、心の中では最初からこっちを選んでいた気がする。植物を買ったことも育てたこともなかったため、全くの無知の状態であったにもかかわらず、「知らないからこそやってみたい」という気持ちがとても強く湧いていた。そこから、植物についての猛勉強がスタートした。

    当時の私にとって、その選択はリスクでしかなかった。安定した近所の企業、想像の範囲内の仕事、そして何より通勤時間の短さ。これらの要素を捨てて、未知の世界に飛び込むことに迷いがなかったわけではない。夫には「職場は近くがいいよ」と言われていたし、義母からも「あの会社は長く働けるよ」と勧められていた。

    しかし、心の中で「知らないことを知りたい」という純粋な好奇心が迷いを打ち消していったのだ。自分の人生を、他者ではなく自分自身で切り開いていくという、解放的な感覚をその瞬間再び味わってしまった。この「知らないを楽しむ」という感覚は、行動経済学でいう「現状維持バイアス」を打ち破る最良の戦略だったと言える。

    神経可塑性:新しい挑戦が脳を強くする理由

    私たちの脳は、一度完成したら変わらないと考える人もいるが、実際は生涯にわたって変化し続ける能力を持っている。専門的には「神経可塑性(しんけいかそせい)」と呼ばれ、脳は柔軟に形を変え、新しい機能を獲得できるというのだ。

    特に新しい体験は、この脳の柔軟性を最大限に引き出す。新しいスキルを学ぶ、新しい場所を旅する、新しい人と出会うといった経験は、脳内で新たな神経回路を形成し、既存の回路を強化する。ハーバード大学の研究でも、好奇心が創造性や柔軟な思考力の向上につながることが示されている(出典)。知識がゼロの状態で新しい世界に飛び込み、猛勉強を始めたことは、結果として私の脳に新しい回路を構築し、人生を豊かにする柔軟な思考力を育んだ。

    自己成長を望むなら、脳に新しい刺激を与えることが不可欠なのだ。

    未知の楽しさとドーパミンの報酬

    ゲイリー・ジョン・ビショップ氏の『あなたはあなたの使っている言葉でできている』という本に「先がわからないから面白い」ことが記されており、今回のことを照らし合わせた結果その通りだと痛感している。人は安定を求めて、どうなるかわからないものを避け、いつも通りのものを選んでしまう癖がある。その結果、人生はつまらないものと思うようになるのだ。

    今だからこそわかる。あの時は、先が読めなかったからこそ、毎日とても楽しかった。わからなかったことが理解できるようになって、少しずつ世界が広がっていくような感覚があった。植物の幅広い内容と種類に「全ては覚えられない」と思うことはあったが、その困難な課題を乗り越えるための努力こそが、辛さではなく楽しさであったことを今でも覚えている。

    新しいことを学ぶことは、脳にとって最高の喜びだ。期待や発見があるたびにドーパミンが分泌され、モチベーションが上がり、さらに学びたいという欲求が湧いてくる。それ以来、私は無意識に「わからない事」を探し、「知らないを楽しむ」という行動を増やすようにしていった。

    これは、思考の余白をネガティブな感情ではなく、ポジティブな好奇心で満たすメタ認知の実践でもあった。

    自己成長と習慣化:困難な道から得る真の豊かさ

    この経験をもとに、「やったことがない」or「面倒なもの」であればあるほど、大きな経験を得られると考えた。「面倒な未知の経験」を選択したことで、大袈裟ではなく、本当に人生が豊かになっていった。

    もちろん、何を選択するかにもよるだろう。今回、私は植物を選んだことで、自然をより身近に感じることができ、心から好きになれた。都会では感じにくかった季節の移ろいを肌と目で感じられるようになり、自然と一緒に生きていると実感できるように変わった。

    困難な道を選ぶことは、一見遠回りに見えるかもしれない。 だが、その道のりには、予期せぬ出会いや発見が待っている。安定した道だけを進んでいたら、決して見ることのできなかった景色だ。そして、その経験は揺るぎない自信となり、次の挑戦への原動力となる。これは、仕事に限った話ではない。趣味や人間関係でも、新しいことに挑戦するたびに、私の世界は確実に広がっていった。ポジティブ心理学でいうところの、「フロー状態(時間の感覚を忘れるほど集中し、活動自体が喜びとなる精神状態)」に近い、充実した日々を送れるようになったのだ。

    メタ認知:視野を広げ、次の自分を創造する

    あなたが今いる場所で満足しているなら、それは素晴らしいことだ。だけどもし、少しでも「何かを変えたい」と思っているなら、一度立ち止まって、自分の心の奥底を覗いてみてほしい。

    「先がわからない」ことに、怖さを感じるかもしれない。でも、その怖さの先には、想像もしていなかった自分に出会う喜びが待っている。私たちは、知らないことややったことのないことに挑戦するたびに、新しい自分に生まれ変わる。それは、自分の脳を再プログラミングするようなものだ。


    最後に、私自身がこの挑戦と自己成長を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。

    これは、ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェの言葉だ。

    「世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。」

    このニーチェの言葉こそ、「先がわからないからこそ進む」というあなたの選択の哲学を最もよく表している。変化や困難を恐れず、誰にも真似できない行動を積み重ねること。それが、人生の答えを導くのだ。積み重ねられた行動データこそが、誰にも奪われない自信となる。

    自分の脳を意識し、刺激を増やしてみよう。


    vol.16 「ネガティブ思考」は伝染する?人間関係の断捨離とメタ認知術
    vol.16 「ネガティブ思考」は伝染する?人間関係の断捨離とメタ認知術 HAKU

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    歳を重ねると、自虐的な発言や、人を小馬鹿にして笑いをとる人が増えているように思う。

    クリニックの受付では、会計を済ませずに帰ろうとする高齢者に「すみません、お会計がまだです。」と声をかけると、「ボケてきちゃって嫌ね」「頭が悪くてごめんなさいね」と返す人が多かった。検査室では、難聴の高齢者の付き添いの人が「この人耳がほとんど聞こえていないから、検査は適当でいいですよ」などと笑いながら言うこともあった。

    どちらのケースも愛想笑いにとどめ、基本はスルーと決めていた。

    正直に言うと、ボケてきた、頭が悪いなどと自分で言う人に対して「そんなことないですよ」と持ち上げるのも面倒であり(本人はそう言って欲しそうな顔をしているが)、難聴者の付き添いにまで気を遣うのは手間なので、そういった相手には極力時間をかけたくなかった。

    この頃から徐々に、「人のネガティブな感情を極力受け取りたくはない」という思いが強くなっていった。医療機関という特殊な場所柄もあるけれど、一見エネルギッシュに見える人であっても、ふとした瞬間にネガティブな本音が見え隠れする。

    そんな空気に包まれて仕事をする中で、私の心には次第にモヤモヤが溜まっていくようになった。

    脳の仕組み:ネガティブ思考の増殖

    思考の質は、人生の質を左右する。

    そう確信したのは、行動を続ける中で、私自身の過去と長く向き合ってきた経験があるからだ。以前はネガティブな考えに囚われ、自分を信じることができなかったのだが、脳の仕組みを理解することで、何とかそのループから抜け出すことができた。しかし、自分を変えるには内面だけでは不十分だと途中で悟った。なぜなら、周囲の環境が思考に与える影響の大きさを知ったからだ。

    佐藤 伝氏の『なぜかうまくいく人のひみつの習慣』によると、人間の脳は一日に約5000ものことを考えており、その約9割はネガティブな内容だという。プラス思考はわずか1割程度しかない。さらに、このマイナス思考には増殖していくという特徴があるらしい。

    しかし、良いニュースもある。プラスの言葉を口にすると、このマイナス思考の増殖をストップさせることができるというのだ。

    それを知ってから、私は仕事中に嫌な感情が湧いた時、「まぁまぁまぁ」「気にしない気にしない」「オッケーオッケー」とポジティブな言葉を繰り返し、小さな声で呟くようになった。一見、怪しい人に見えるかもしれないが、これが自分にとっては非常に効果的だった。感情に支配される前に、自分でコントロールする術を身につけたのだ。

    だが、そのコントロールがうまくいかないことも多々あった。その原因は、職場の同僚による日常的なネガティブな発言だった。

    ストレスを映し出す環境の危険性

    ある同僚は、スタッフルームに入ってきて早々、「疲れた」「眠い」と毎朝言うのが口癖だった。同じく子育て中の身なので、朝から大変なのは理解できる。しかし、まだ仕事も始まっていない状態で、毎日そのネガティブな言葉を聞くことが、私にとって非常に大きなストレスに感じるようになった。

    心理学の研究では、ネガティブな人との会話後、参加者のストレスホルモン(コルチゾール)のレベルが上昇したというデータが報告されている(参照)。これは、脳がその人物を「危険な存在」や「ストレス源」として認識し、自然と距離を置こうとする防衛反応だと考えられる。

    職場で唯一飲みに行くほどの仲だったからこそ、自分の都合で離れていくことに、どこか身勝手な申し訳なさを感じながらも、私は少しずつ彼女から距離を置くことにした。 自分の思考を守るためには、今、この物理的な距離が必要だと判断したのだ。

    人間関係の質と自己成長

    そんな時期に、エミチカ氏の『結局、「手ぶらで生きる女」がうまくいく モナコの大富豪に学んだ、自由に生きる57のヒント』という本を読んだ。そこで、人生を豊かに生きる上で大切なことを再確認した。それは「人間関係は、量より質を大事にする」という事だ。運やツキを掴みたければ、長く付き合いたいと感じる人とだけ全力で関係を築くこと。そして、どんな人と付き合いたいかのイメージを強く持つことが重要だという。周りの人の考えは、自分に映る鏡なのだ。

    どんな人と時間を共にするかによって、良くも悪くも自分自身が引っ張られてしまう。これは本当にその通りだと思う。「疲れた」「できない」「だって」「どうせ」といった思考で頭の中がいっぱいになっている人といると、こっちの気分まで落ち込む。自分が前向きに変わろうとしているタイミングなら、なおさら聞いていられない。

    冒頭で話した患者さんの件も同様だ。自分を下げて笑いを取ろうとする人や、人を小馬鹿にするような人たちとは、一線を引くべきだと感じた。

    断捨離の勇気:ストレス源からの解放

    加藤 俊徳氏の『なぜうまく行く人はひとり言が多いのか』という本にも、似たようなことが書かれていた。「ネガティブな独り言を言うと脳の働きが悪くなる。マイナスな言葉を呟いている友人や親からは距離をおいた方がいい」と。

    ネガティブな思考には、もう二度と引っ張られたくなかった。昔のように彼女と親しい関係を続けるのは難しいと感じ、この一年間プライベートな誘いをすることは一度もなかった。かつての楽しかった時間を思うと胸の奥がチクリと痛むけれど、 それは今の自分をキープするための、私なりの切実な決断でもあった。

    自分を変えるためには、行動だけでなく、環境を選ぶことも大切な選択の一つだ。人間関係も同様に、自分の人生にとって最適なものを選び抜くべきなのだ。自分の成長を阻害するような人間関係は、思い切って手放す勇気を持つべきだ。それは冷たい行為なのではない。自分の可能性を信じ、未来を切り拓くための、賢明な選択なのだ。

    習慣化の鍵:「5人の法則」で人生を彩る

    自分を大切にすることは、心地よい空間と前向きな人を選ぶことにも繋がる。それは、あなた自身の幸せだけでなく、あなたが出会う人々にもポジティブな影響を与える。自己成長を願うなら、まず身の回りの人間関係を見直してみよう。そして、あなたが心から「この人と共に成長したい」と思える人との関係性を大切にしてほしい。

    自分の思考の傾向を理解し、ネガティブな独り言をコントロールする。そして、付き合う人を選ぶ。このシンプルな二つの行動が、あなたの人生を根本から変える力を持つ。それは生まれ持った性格や運命ではなく、あなたが意識的に選択できるものなのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、哲学者ジム・ローンが遺した言葉だ。

    「あなたは、最も多くの時間を過ごす5人の人間の平均である。」

    これはとても有名な言葉なので、知っている人も多いはずだ。
    あなたの人生の質は、あなたが共に過ごす人々によって形作られる。より良い自分へと成長するために、今日、あなたの周りの「5人」を意識的に見直すことから始めてみてはどうだろう。それが、あなたの人生の軌道を好転させる確かな行動である。

    vol.26 感情バイアスを乗りこなす「思考の訓練」と習慣の力
    vol.26 感情バイアスを乗りこなす「思考の訓練」と習慣の力 150 150 HAKU

    運動が日常の心地よいリズムとして習慣化し始めた頃。 私は、5月に幕張で開催される「THE BEACH 2025」というイベントに、友人と行く予定を立てていた。

    最高のコンディションで、爆音の中、砂浜で踊り狂う。

    その瞬間をイメージして積み上げてきたトレーニングは、日ごとに熱を帯び、私の準備はこれ以上ないほど完璧だった。
    ところが、イベント前日の夜に届いたのは「イベント中止」のメール。
    先に現地入りしていた友人は、お金も時間も無駄になったと、ひどく落ち込んでいる様子だった。

    ところが、イベント前日の夜に届いたのは「イベント中止」のメールだった。先に現地入りしていた友人は、お金も時間も無駄になったと、ひどく落ち込んでいる様子だった。

    一方、私はまったく逆のテンションだった。「どうしよう?どこ行く?何する?」と、むしろワクワクしていた。なぜなら、イベントが中止になった分、遊ぶ時間が増えたと考えることができたからだ。結局、翌日は急遽プランを書き換え、豊洲エリアで、2人で気の向くままに食べ歩きを楽しんだ。

    ネガティブ感情をチャンスに変える行動経済学的思考

    以前の私だったら、間違いなく絶望の淵に立たされていたはずだ。 友人と共に「お金も時間も無駄にした」と嘆き、その苛立ちを家族にぶつけ、周囲の空気まで最悪に染め上げていたに違いない。

    ところが、この時の私は自分でも驚くほど、真逆の思考の地平にいた。

    なぜなら、2ヶ月間積み上げてきたトレーニングの価値は、イベントの有無に関わらず、私の肉体と精神に刻まれていると知っていたからだ。 運動を通して、私の脳はすでにポジティブな回路へと再編されていたのである。

    この出来事の後に読んだ、岡崎 太郎氏の『億万長者のすごい習慣』という本に、「起きてしまったことは変えられないのだから、気持ちを切り替えて次の行動に移る」という考え方があった。それは、今回の私自身の経験と重なり、とても腑に落ちた。

    物事に良いも悪いもない。
    良くも悪くも、どう考えるかは自分次第だ。

    起きてしまったことを変えられないのであれば、なおさら意識して別の方向に切り替えることが大切になる。イベントは中止になってしまったけれど、この日感じた行動と思考の変化は、私にとってとても有益な体験であった。

    脳科学:気持ちの切り替えと「感情バイアス」の仕組み

    気分や感情の切り替えが、実は私たち自身の脳の機能に深く関係している事を知っているだろうか?

    脳には、物事を良いか悪いか、ポジティブかネガティブかで判断する「感情バイアス」という仕組みがあるらしい。これは、私たちが生き延びるために進化の過程で身につけた機能で、危険を察知したり、リスクを回避したりするのに役立つものとなる。

    しかし、この感情バイアスがネガティブな方向に偏ってしまうと、些細なことでも「最悪だ」と感じたり、過去の失敗をいつまでも引きずることになる。せっかくの人生を、このまま無駄にしてはならない。

    そこで役立つのが、この「気持ちを切り替える習慣」だ。これは脳の感情バイアスを上手にコントロールするトレーニングとなる。

    たとえば、ネガティブな出来事が起きた時、まず一呼吸おいてこう考えてみる。
    「この出来事から学べることは何だろう?」
    「この状況でも、楽しむ方法はないだろうか?」

    こうやって意識的にポジティブな問いを自分に投げかけることで、脳は新しい解決策や可能性を探し始める。ネガティブな感情でいっぱいだった頭の中に、空間が生まれる。これこそがまさに「思考の余白」であり、新しい風が吹き込むような感覚なのだ。

    思考の余白:良い習慣が人生にもたらす自己成長

    運動が私に与えてくれたように、良い習慣は、思わぬところであなたの思考を変え、人生を好転させてくれるものとなる。それは、毎日5分の瞑想かもしれないし、寝る前の読書かもしれない。あるいは、朝起きて最初に窓を開けて、新鮮な空気を吸い込むことかもしれない。

    どんな小さなことでも、それが「あなたにとって良い習慣」であるなら、必ずあなたの心と脳に良い影響を与える。なぜなら、習慣が行動を、行動が思考を、思考が感情を変えるという認知行動療法のループを作り出すからだ。

    「気持ちの切り替え」を習慣化することで、あなたの脳はネガティブな情報をシャットアウトし、ポジティブな情報を優先的に集めるようになる。この思考の再プログラミングこそが、自己成長の最大の加速装置なのだ。

    今、あなたが続けようとしている「良い習慣」は何なのだろう?
    きっと継続するうちに、それは未来のあなたを助けてくれるものに変わるだろう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。 古代ギリシアの哲学者アリストテレスが遺した、こんな言葉だ。

    「我々は、繰り返し行うことの集大成である。それゆえ、優秀であることは行為ではなく、習慣なのだ。」

    良い習慣を続けることで、感情の波に飲まれない冷静な自分を築くことができる。
    そして、それはやがてあなたの人生そのものを、柔軟な思考と前向きな気持ちに満ちたものに変えてくれるものに、必ずなるはずだ。

    vol.27 仕事と育児に追われるあなたへ。脳のゴールデンタイムを見つける方法
    vol.27 仕事と育児に追われるあなたへ。脳のゴールデンタイムを見つける方法 HAKU

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    「時間がない。」

    「自分の時間」なんて、今の私には夢のまた夢。 子育てや仕事に追われ、そう諦めていた私でも、この数ヶ月で人生を変える習慣を見つけることができた。

    それは、朝に時間を「創る」こと。 最初から完璧を求めたわけじゃない。何度も試して、ようやく私にとって一番心地いい「朝4時」という時間を見つけ出したのだ。

    夜9時にはベッドに入り、朝4時に起きる。

    たったこれだけのシフトで、私の日常には驚くほど穏やかな余裕が生まれた。

    時間の作り方:朝のゴールデンタイムを「見つける」思考法

    「時間がない。」が口癖になっていた頃、私は少しずつ変わろうとしているタイミングだった。そんな私は時間を少しでも作ろうと、家事の効率を上げたり、移動時間を減らしたり、必死になってスキマ時間を探していたが、いつも何かに追われている感覚から抜け出せなかった。

    しかし、ある時、考え方が180度変わった。
    時間は誰かに与えられるものでも、苦労して捻出するものでもない。すでにある時間の中から、自分の意志で「見つける」ものなのだと悟った。

    その答えが、朝だった。子どもが寝静まり、夫も眠っている早朝。誰にも邪魔されない、私だけの静かで穏やかなひととき。

    この静寂こそが、私にとっての「思考の余白」だった。誰のためでもない、自分だけの時間。その価値を、私は今まで知らなかったのだ。この自己投資の時間こそが、日々のイライラを解消する武器となった。

    脳科学が証明する朝活の力と感謝の習慣

    「早起きのメリット」は、科学的にたくさん証明されている。
    私が何より実感したのは、ストレスが減ったことだ。これはもう、お金では買えない価値だと悟った。

    リチャード・カールソン氏の『小さいことにくよくよするな』という本を読んだ時、「人間はどれだけ忙しくても、毎日自分の時間を取らないと不満を感じる生き物だ」といった内容に、深く納得した。朝の2時間が、まさにその不満を解消してくれる余白の時間になっていたのだ。

    また、朝は脳が一番クリアな状態だと脳科学でも言われている。朝起きてから3時間は、脳のパフォーマンスが最も高い「ゴールデンタイム」である。この時間に何をインプットするかで、その日の集中力や生産性が決まる。

    さらに、ひすい こたろう氏の『人生が変わる朝の言葉』には、「朝起きると時間を有効に使えるようになって、人生の目的が明確になる」と書かれている。まさにその通りで、朝の時間は私に心のゆとりと、次にやるべきことを明確にしてくれた。

    毎日、世界では10万人以上が亡くなっているという。
    そんな中で、目が覚めて一日をスタートできるのは、奇跡のようなことだ。そう思うようになってから、朝早く起きること、そしてその時間で何をやるか目的を決めること、そして毎日感謝して起きることを習慣に取り入れた。感謝の気持ちで一日を始めると、その日一日がポジティブな気持ちで過ごせるようになった。

    「なんとなく」から「本気」へ変わる習慣化戦略

    仕事と育児を両立する中で、自分の時間を作るなら朝しかない。やらなければいけない家事ではなく、自分にとって意味のあることに朝の時間を使いたかった。

    最初は漠然とした目的だったと思う。5分のストレッチが習慣化した後に、運動、脳科学、朝の習慣など興味のあることをひたすらノートに書き込み、調べてインプットし続けた。

    しばらくすると、この「なんとなく」の行動がだんだん「本気」に変わっていった。朝勉強しないと、なんだか一日が物足りなく感じてしまい、「ちょっとでいいから勉強しようかな」と、体が突き動かされるようになった。

    なぜ、これほどまでに続けられたのか。 それは、朝を義務ではなく「純粋な楽しみ」として、最優先の予定に入れていたからだ。

    寝る前に「明日の朝に楽しむリスト」を予約しておく。 「第1位、2位、3位」と順位をつけ、ワクワクしながらリストを書き出す。

    「明日の朝、これが待っている」 そう思いながら眠りにつくことで、朝、布団から出るのが「辛い行為」ではなく、「楽しみへの入り口」へと変わったのだ。

    楽しみがあるから朝起きられる、起きる目的があるから毎日続く。
    行動と習慣の作り方は、誰かに教えてもらうものではなく、結局のところ自分の中にしか答えがない。

    この「楽しみ」を仕込む戦略こそ、行動経済学における「プロスペクト理論」の応用だ。人は損失回避を強く望むため、寝る前に「楽しい時間」という報酬を確保しておくと、朝寝坊による「報酬の損失」を避けようと体が自然と動くようになる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、フランスの哲学者ベルクソンが遺した、こんな言葉だ。

    「行動は、思考を形にし、習慣は、その行動を不動のものにする。」

    「時間がない」と悩んでいるなら、まずは自分のための時間を「見つける」ことから始めてみてほしい。それが次第に習慣となり、やがてその時間がとても有意義なものへと変わるはずだ。

    vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣
    vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣 HAKU

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    新しいことを始めるとき、誰かに「もうやった?」「どうだった?」なんて聞かれると、途端に興が削がれ、一気に熱が冷めてしまう。それは、自分だけの聖域に土足で踏み込まれるような感覚だ。それは、誰かに評価されたいという動機ではなく、純粋に「好き」という気持ちだけが行動の源になっているからなのだ。

    特に私は、昔から一人で完結する活動が好きだった。

    知的作業なら、読書、文章を書くこと、想像すること。身体活動なら、水泳や剣道、ランニングなど、全てシングルプレイの競技ばかりを選んできた。誰かの目を気にすることなく、自分のペースで、自分のために。この「一人で完結させる」時間こそが、私の内発的動機を守る手段だった。

    早朝の勉強を始めたときもそうだった。
    夫は毎朝、私が机に向かっている姿を見ていたはずだが、一度も「何してるの?」とは聞いてこなかった。その無関心が、当時の私にとっては本当にありがたかった。もし「何やってるの?」「頑張ってるね」なんて言われていたら、きっとカタツムリが殻に閉じこもるみたいに、そっとやめていたかもしれない。

    良い意味での無関心が、心を解き放つこともあるのだ。

    無関心という最高のサポーター:本心と時間の使い方

    この習慣を2ヶ月ほど続けた後、私から初めて「実は今、朝早く起きて勉強してるんだ」と夫に話した。すると彼は、その分野のおすすめのPodcastや情報をシェアしてくれるようになった。

    佐藤 舞氏の『あっという間に人は死ぬから』という本に、「有意義な人生を送るには、自分の本心、価値、勘にしたがって時間を使うべき」とあった。

    誰かに褒められたいからやるのではない。誰かに見られているからやるのでもない。誰にも知られなくても、誰も見ていなくても、それでもやりたいこと。それこそが、自分の本心からやりたいことなのだと気づいた。

    褒められることを期待せず、誰かに承認されることを目的としない。そんな私にとって、夫はまさに「良い意味での無関心」という最高のサポーターだった。彼の存在が、私のクリエイティブな時間を守ってくれたのだ。この考え方は変だと思われるかもしれない。

    でも、私は変な人が好きだし、自分も変な人間であることは知っている。

    内なる承認の育て方:承認欲求の依存から脱却

    誰にも邪魔されず、ただひたすらに自分の世界に没頭できる時間。
    外部の評価や情報から切り離されることで、心の中に静寂が生まれる。それこそが、私たちの心を豊かにする「思考の余白」なのだ。

    私たちは、誰かに認められたいという欲求を本能的に持っている。しかし、その承認欲求が強すぎると、本来の目的を見失ってしまうことがある。

    たとえば、SNSで「いいね」をもらうために写真を撮ったり、誰かに褒められるために努力をアピールしたり。そうした行動は、一時的な満足感は得られても、本当に満たされることはない。それは、外からの評価という不安定なものに、自分の価値を委ねてしまっているからだ。

    本当に大切なのは、自分の心が感じる「内なる承認」となる。誰かに評価されなくても、「自分はこれが好きだ」「この時間が楽しい」と、心から思えることなのだ。

    思考の余白:小さな芽を育てる継続の習慣

    「好き」という気持ちは、まるで小さな芽のようなのかもしれない。
    最初はとても繊細で、少しの風で揺らいでしまう。だからこそ、静かで安全な場所で、じっくりと水をやり、光を当ててあげることが大切なのだ。

    誰かに話すのは、その芽がしっかりと根を張り、自分の中で確信に変わってからでいい。それまでは、静かに、誰にも気にされないような場所で、あなたの「好き」をじっくりと育てていこう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、フランスの哲学者アランが遺した、こんな言葉だ。

    「幸福を遠ざけるものは、多くを望むことではなく、自分が何者であるかを人から認められようとすることである。」

    誰かの評価に縛られることなく、自分の心の声に耳を傾けること。

    自らの行動そのものを報酬とすることで、習慣は揺るぎないものになる。あなたの人生の豊かさは、あなたが誰から認められたかではなく、あなたがどれだけ自分の本心に従いそれに対して行動できたのかで決まるのだ。

    vol.29 感情の波を鎮める利他行動:自己肯定を築く脳科学的習慣術
    vol.29 感情の波を鎮める利他行動:自己肯定を築く脳科学的習慣術 HAKU

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    毎日を自分らしく、幸せだと感じられるような日々を過ごしたい。

    そう思っていても、なぜか気分が沈んでしまう日がある。メイクをする気力さえ湧かず、鏡に映る機嫌の悪そうな自分を見てはため息が出る。

    そんな日は人と会うのを避け、下を向いて歩いてしまう。
    スーパーのレジの店員さんが丁寧すぎることにさえイラついてしまい、一日の質が音を立てて崩れていく。

    そんな「気分の波」に振り回されるたび、お気に入りの音楽やポッドキャストを聴くのだが、それでも気分を紛らわせられない時は、とことん全てがどうでも良く思えた。

    けれども、今ならわかる。その「不調」は、私自身が自分を受け入れられていないサインなのだ。 誰かに気分を上げてもらおうと期待する受け身の姿勢では、本当の意味で人生を乗りこなすことはできない。

    自己肯定感の真実:利他行動が世界で好かれる理由

    星友 啓氏の『全米トップ校が教える自己肯定感の育て方』という本を読んで、私はハッとさせられた。この本には、「優しくて相手を許容できること」が、世界中のどの文化圏でも最も好かれる性格だと科学的に証明されていると書かれていた。さらに、「人に優しくしている自分は、周囲から受け入れられている」ということに気づくという話も印象的だった。

    正直に言うと、私は利他的なマインドを1%も持ち合わせていない、完全に自己中心的な人間だ。その日の気分で感情がコロコロ変わるため、常に自分の感情を優先し、人に優しくできない。できたとしても、それはたまたま機嫌がよかっただけの話だ。利他的なマインドを持つというのは、かなり辛く厳しい苦行のような考え方だと感じた。しかし、この本を読んでから、意識して実行するようにした。

    クリニックでの習慣化:心のフィルターを外す優しさ

    まず、患者さんへの接し方を意識的に変えてみた。

    1. カルテを見るのではなく、必ず患者さんの目を見て、体調の変化がないか聞くようにした。
    2. 耳が聞こえにくい人にも、わかりやすい挨拶や相槌を心がけた。
    3. 話しかけやすい雰囲気を作るようにした。

    たったこれだけのことだが、驚くべき変化があった。「診察室では言えなかった不安」や「家庭の事情」を、患者さん自ら打ち明けてくれるようになったのだ。 私が心のフィルターを外し、柔らかな雰囲気を纏うだけで、閉塞していた人間関係の空気が一気に解き放たれていく。

    誰かを救おうとして始めた行動が、実は、誰よりも私自身の凍りついた心を救っていたのだ。利他とは、自己犠牲ではない。 それは、自分自身を深い愛で満たすための、最も理にかなった「戦略」だった。検査中に話せる時間は限られているが、それでも、患者さんの言葉の端々から、彼らが抱えている悩みを拾い上げ、医師にスムーズに伝わるようカルテに記入した。

    いつも怒っているように見えた人が、私が丁寧に接するだけで、絞り出すように「ありがとう」と言ってくれた。その時、彼の中にあった「誰かに大切にされたい」という痛いほどの渇望に、私は初めて触れた気がした。

    また、いつも上の空だった人が、私の真摯な眼差しを感じた途端、家族の介護で十分に眠れていない過酷な日常を打ち明けてくれた。

    私の纏う空気が柔らかくなったことで、彼らの心の重荷が、ほんの少しだけこちらに預けられたのかもしれない。

    この経験は、私自身の心を大きく揺さぶった。 それまで私が世界に向けていた「不機嫌」という名のフィルターが、いかに歪んでいたかを思い知らされたのだ。

    優しい行動がオキシトシンを呼び、自己肯定感という栄養になる

    「人に優しく接する」という行動を続けた結果、嫌な人にもそれぞれ理由があったことを知った。そして、悩みを打ち明けてもらったことで、「人に優しくしている自分は、周囲に貢献できている」と実感できるようになった。その結果、自分は相手に受け入れられているのだと確信できた。

    利他的なマインドは、「私はあなたの味方です」というメッセージを相手に送る行為なのかもしれない。実際、そのメッセージを受け取った相手が心を開くことで、自分は社会の中で受け入れられているという感覚が生まれ、それが自己肯定感に繋がることがようやくわかった。

    こうして自己肯定感が上がると、仕事中の対応がとても楽になった。他者への優しさが、巡り巡って自分の心を軽くしてくれたのだ。朝嫌なことがあって仕事前に気分が乗らない日でも、誰かに優しくするという行動が、自分自身を喜ばせることにつながった。

    心理学では、「利他行動(altruistic behavior)」が幸福感や自己肯定感を高めることが広く知られている。誰かのために行動することは、脳内で幸福ホルモンであるオキシトシンやセロトニンを分泌させ、ストレスを軽減する効果があるという。つまり、誰かに優しくすることは、自分の心を満たし、人生の質を底上げするための、極めて合理的で科学的な方法でもあるのだ。

    継続のメタ認知:感情の波を鎮めるための科学的習慣

    もしあなたが、今人と関わることに難しさを感じているなら、まずは小さな行動から始めてみてはどうだろう。職場で人に優しくする、電車で席を譲るなど、どんな些細なことでも構わない。

    「自分は優しい人間だ」と意識して行動してみる。

    その思考が、いずれ大きな自信となってあなたを支えてくれるだろう。ストレスを管理し、自己成長を促すための「優しさ」を実践できるような習慣を身につけること。大切なのは、個人の性格や相性を責めるのではなく、健全な行動習慣を築けるような環境を自分自身で整えることにある。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、古代ローマの哲学者セネカが遺した言葉だ。

    「善を行う者は、それ自体が報いである。」

    誰かのために行う親切は、見返りを求める必要がない。
    なぜなら、その行為そのものが、あなたの心を満たし、自己肯定感を育む最も確実な方法だからだ。誰かの心を温めることが、巡り巡って自分の心を温めてくれる。優しい行動が、あなたの心の基盤を豊かにし、揺るぎない自己肯定感を築き上げてくれるだろう。

    vol.34 「一人になりたい」の裏にある真実:不幸の反転でウェルビーイングを見つける方法
    vol.34 「一人になりたい」の裏にある真実:不幸の反転でウェルビーイングを見つける方法 HAKU

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    「1人になりたい」

    大型連休や長期休暇が来るたびに、私はずっとそう強く願ってきた。家族との旅行や外出を楽しむよりも、ただ一人で静かに過ごしたい。その欲求が人一倍強いことを、半ば逃れられない性分のように自覚していたのだ。

    旅行に行くとなれば、夫は直前まで仕事に追われ、子供の荷造りから帰宅後の大量の洗濯、荷解きまで、そのすべてが私の肩にのしかかる。

    さらに、結婚前から10年以上続く夫の大音量のいびき。扉扉3枚分も離れた部屋に寝ているはずなのに、耳栓越しに聞こえてくるその騒音のせいで眠れず、イライラを募らせることは今の家に引っ越してからも日常茶飯事だ。

    旅行先ともなれば、そんな大音量のいびきを真隣で聴かされることになる。最高に嫌な気分で朝を迎え、一日中イライラして過ごす時間は、もはや休息ではなくただの「罰ゲーム」でしかなかった。

    せっかく旅行に行っても、私だけ休めない。
    どこへ行っても、私だけがイライラしている。
    そんな旅行なら、行かない方がいい。

    私がイライラしてしまうことで、家族との思い出を壊してしまうくらいなら、最初から旅行を避けるべきだと判断するようになった。

    そのため、基本的には長期休暇などは、夫の両親や兄妹、従兄弟たちと水入らずの旅行を楽しんできてもらうことにしている。こういう時の私は、心なしか哀愁が漂う顔をしつつも、心の中はニッコニコで夫と子供を車まで見送っていたのだった。

    「一人になりたい」という不満の正体

    「家族旅行は嫌」――そんな風に考える人は、きっと私だけではないだろう。

    温泉では子供の目が離せないため、ゆっくり入ったことは家族旅行で1度もない(サウナなんて論外だ)。帰宅後はというと、荷解きと山積みの洗濯物が待っている。せっかくのリフレッシュのはずが、結局は別の何か(労働)にすり替わっているような感覚だった。

    旅行から帰った日は、決まって疲れとイライラで心がいっぱいになり、余裕がない。
    楽しかったはずの記憶も、帰宅した途端に「疲労」で黒く塗りつぶされてしまう。だから、私はいつも「一人になりたい」と心の中で叫んでいた。家族に「旅行に行こう」と誘われるたびに、面倒くさいという気持ちが先行し、「仕事で忙しい」だったり「あなたのいびきがうるさくて眠れないから無理」と言い、毎回断り続けた。

    カナダの研究が示す、ウェルビーイングと時間の要求

    だが、私が感じていたこの「一人の時間」への渇望は、多くの母親が共有するウェルビーイング(幸福)を維持するための、科学的な要求であることがわかった。

    長時間、育児やタスクに集中すると、ストレスホルモンであるコルチゾールが上昇し続ける。この状態が慢性化すると、脳は思考力を維持できなくなる。そのため、誰にも邪魔されない休息時間は、脳の機能を正常に戻すために不可欠なのだ。

    カナダの親を対象とした調査データによると、母親の半数以上(50%超)が「もっと一人で過ごす時間が必要だ」と報告しているのに対し、父親ではその割合が約3分の1にとどまった。母親が育児や家事にかける時間が増えるほど、「一人でいる時間」への欲求が高まることが示されており、これは単なる個人の感情ではなく、脳機能を維持するための資源として切実に必要とされていることを示している。

    このデータを知って、私は安堵した。自分の疲労を回復させ、脳に「思考の余白」を取り戻すための、極めて人間的な欲求だったのだと論理的に理解できたからだ。

    ちょうどその頃、全力で一人になろうとしていたお盆休みがあり、星 渉氏の『99%は幸せの素人』という本を読んだ。その中に「絶対になりたくない不幸な状態を書いてみる」という、ユニークな思考実験が紹介されていた。

    思考実験:絶対になりたくない不幸の反転

    正直に言うと、最初は「?」だったが、物は試しと思い紙に書き出してみた。

    • 仕事を嫌いになること
    • 忙しいこと
    • 太っている状態
    • 一人になること

    このリストを見て、私は心底驚いた。いつも「一人になりたい」と願っていたのに、絶対になりたくない不幸な状態に「一人になること」が含まれている。これはどういうことだろうか?自分の内面が完全に矛盾していることに気がついた。

    私は、家族が自分から絶対離れないと勝手に思い込んでいたのだ。だから、偉そうにしたり怒りを撒き散らし、ぞんざいな扱い(特に夫に対して)をしても、平気な顔をしていた。しかし、もしそんな私にうんざりして、家族がいつか離れてしまったとしたら?

    そんな状態に私は耐えられるはずがなく、心底後悔することだろう。
    この事実に気づいた途端、もの凄く怖くなった。

    本によると、この「絶対になりたくない不幸な状態」を反転させると、自分が本当に求めている「幸せな状態」がわかるらしい。

    • 仕事が嫌いなことが嫌→ 仕事を楽しめるように工夫すること
    • 忙しいのが嫌 → 時間の使い方を工夫すること
    • 太っているのが嫌 → 筋トレやランニングで引き締まった身体を作ること
    • 一人になるのが嫌 → 家族と一緒にいること

    これが自分にとっての幸せであり、取るべき行動なのだと、明確な答えが出た。これは、目標や課題(イシュー)を定めるのとはまた違う、自分の本心にたどり着くためのアプローチである。

    メタ認知:本心と行動が導く自己受容

    この気づきを得て、私は自分の行動を反省した。

    私にとっての幸せは、一人になることではなく、家族と過ごすことだったのだ。

    もちろん、たまには一人の時間を作ったり、遠方ではなく近場を選んで旅行するなど、自分の負担を減らすことも必要だ。宿泊時にいびき対策として部屋を二つおさえるといった工夫は、自分を守るための必要な行動である。しかし、「心まで家族から離れてはいけない」と痛感した。

    この経験を通して、私は大きな真実を発見した。自分が本当に欲しているものは、不満や怒りといったネガティブな感情の奥に隠されている。これは、私たちが「メタ認知」の視点を持つことで初めて発見できる真実なのだ。感情的な「一人になりたい」の裏には、論理的な「一人になるのは怖い」という、より深い本心が隠れていた。

    家族がいてくれる安心感に甘えて、わがまま放題だった私は、この理由に気づいた時、自分の身勝手さが恥ずかしくなったのだった。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの哲学者ソクラテスが残した言葉だ。

    「真実を見つける唯一の方法は、自ら探求する旅に出ることである。」

    誰かから教えられるのではなく、自分自身で探して初めて、本当の答えにたどり着くことができる。 もしあなたが「何か」に不満を抱いているなら、その不満を紙に書き出してみてほしい。そして、その感情を反転させてみよう。

    あなたの「絶対になりたくない不幸な状態」は、なんだろう?
    それを反転したら、思いも寄らない真実が、心の奥底の扉が開かれたかのように見えてくるかもしれない。

    vol.35 集中力は資産 : デジタル断食で思考の余白を創る時間術
    vol.35 集中力は資産 : デジタル断食で思考の余白を創る時間術 HAKU

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    自分のやりたいことが見つかると、スマホでの連絡が途端に億劫に感じるようになった。今までは全く気にしていなかったはずの通知が、届くたびに私の平穏を乱し、かすかな苛立ちを連れてくる。

    母からのメールにさえ、「朝から猫の写真、送ってこなくていいんですけど」と、またしても沼地からライフル銃をかまえた自分が、ぼそっと耳元で囁くようだった。

    1日の中で、私には朝しか自由に使える時間がない。
    そのため、この時間で最大限の活動をする必要がある。

    誰にも邪魔されたくないという「朝」への執着が増すにつれて、私の決意はより強固なものになっていった。

    「今」に集中:スマホの通知は時間を奪う敵

    しかし、自分のやりたいことが明確になってからは、時間に対する考え方が180度変わった。「今」という一瞬一瞬が、未来の自分を作っている。そう考えると、スマホの通知は、私から大切な時間を奪おうとする「敵」のように感じるようになった。

    特に朝の時間は、私にとって最も重要な時間だ。
    この「思考の余白」は、外部情報に支配されない、自らの意志で使うための静かな空間だ。そんな貴重な時間を、スマホの通知に邪魔されたくないと思うのは、ごく自然なことだった。

    集中力は現代の資産:メールストレスの科学

    よく「成功者は返信が早い」と言われる。 けれど、その言葉を鵜呑みにして自分に当てはめれば、私も彼らに近づけるのだろうか。

    思考を止めて盲信する前に、私は一瞬、立ち止まって考えた。

    私は比較的メールの返信は早い方かもしれないが、LINEで仕事の連絡をすることはない。それならば、家族の緊急性のある連絡に対してだけ素早く返し、その他は自分のタイミングで良いのではないかと結論が出た。仕事ができる人は、それが「仕事」だから早いだけ。 あるいは、成功者と呼ばれる人たちは、プライベートの境界線が仕事と溶け合っているだけなのかもしれない。

    そうした仕事で人間関係が回っている人たちの真似を、今の私が貴重な朝の時間を使ってまで無理してやる必要があるのだろうか。自分にとって本当に大切な人との関係は、通知の速さで決まるわけではない。むしろ、質の高いコミュニケーションを、お互いが心地よいタイミングで取る方が、ずっと豊かな関係性を築けるはずだ。

    グロリア・マーク氏の『アテンションスパン デジタル時代の集中力の科学』という本には「私たちが1日に使える集中力は限られている」と書かれていた。メールに費やす時間が長ければ長いほど、人々が受けるストレスは増大するという。多くの現代人は、メールの処理だけで一日の集中力のタンクを使い切ってしまっているのだ。この事実を知り、私はさらに警戒を強めた。朝の貴重なタンクを、緊急性のない連絡で枯渇させるわけにはいかない。

    デジタル断食:ゴールデンタイムを守るための賢者の孤独

    夜は21時までに寝てしまうので、その間に届いていたメールは朝一で返信した方がいいとは思うが、私の起床時間(4時)に連絡を返すのは気が引ける。結局、よほどの緊急性がなければ家を出る前か出勤中に返信する程度で十分なのだ。

    朝のゴールデンタイムは、試行錯誤しながらも自分のために作り出した大切な時間である。
    このわずかな時間に使える集中力を、緊急性のない連絡に削る必要はない。必要な情報と、そうでない情報は見る時間をはっきりさせる事が重要だ。本当に緊急で連絡がほしい時は、相手に電話をすればいいだけの話なのだ。このルールは、相手にもあらかじめ伝えておくことも大切である。

    これは、自分の時間を守るための「デジタル断食」のようなものかもしれない。不必要な情報を遮断し、本当に大切なことにだけ注意を向ける。そうすることで、心にゆとりが生まれ、集中力も高まのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーが遺した、こんな言葉だ。

    「賢者は孤独を愛し、凡人は孤独を恐れる。」

    私たちは、つい孤独を避け、他者とのつながりを求めがちだ。しかし、本当に大切なのは、一人になる時間の中で自分と向き合うことなのだ。そうすれば、他人の評価や連絡の速さに振り回されることなく、自分の時間を自分のためだけに使えるようになるだろう。

    vol.36 40代への投資 : 時間の使い方と家族との黄金時間
    vol.36 40代への投資 : 時間の使い方と家族との黄金時間 HAKU

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    10代の頃に「20代の頃にしておきたい17のこと」を読み、20代では30代版、そして今、30代の終わりに「40代にしておきたい17のこと」を読み終えた。

    振り返れば、これまでの私は文字通り「今」を生きていなかった。頭の中は常に先の未来を読み、不安を先回りさせていた。それなのに、実行に移す勇気はなく、多くの時間とお金を無駄にし、東京の街で大した経験も積まずに遊び呆けていた。「あの時、もっとちゃんとしていれば」。そんな後悔が頭をよぎることもある。

    けれど、ふと思うのだ。 当時の私は、今ほど高いモチベーションや明確な目標を抱けるほどの「器」ではなかった。

    あの時の私には、あの生き方が、あの選択が、精一杯だったのだ。

    過去は変えられない。 過ぎ去った時間を惜しむよりも、その未熟だった自分さえも「必要なプロセス」だったと抱きしめてあげたい。

    器が足りなかった過去を認める強さを持てた今、私はようやく、40代という新しい器を、自分の意志で、自分の意志で、より鮮やかに描き出していける気がしている。

    過去の呪縛を断つメタ認知:DMNと「しょうがない」

    「あの時」の後悔の念に囚われるのは、脳の「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」が活発になっている証拠だという。DMNは、脳が休んでいるときに過去の反省や未来の不安といった思考を巡らせる機能だ。しかし、過去は変えられない。だからこそ、その思考のループから意識的に抜け出すメタ認知が大切になる。

    私は過去の自分を「しょうがない」と受け入れた。

    これは諦めではなく、当時の自分には今の情熱が備わっていなかったことを冷静に認める戦略的受容なのだ。そうすることで、過去への後悔に費やされていたエネルギーを、すべて「今」と「未来」に振り向けることができる。

    過去を肯定し、思考を「実行モード」へ切り替える。この土台があって初めて、新しい習慣を受け入れるための「思考の余白」が脳内に生まれるのである。

    40代への自己投資:健康と時間の価値

    「40代にしておきたい17のこと」から抜粋した、今の自分にできていることがある。

    本「40代にしておきたい17のこと」から、今の私が全力を注いでいるテーマがある。それは「健康と時間への投資」だ。40代からは生き方の差がはっきりと外見に現れる。顔のたるみ、シワ、体型。これらはすべて、これまでの生活習慣や人間性が蓄積された「人生の履歴書」のようなものだ。

    生き方が表情に表れるからこそ、健康への投資は未来の自分という「資産」を育てる行動経済学的なアプローチと言える。朝の運動で分泌されるセロトニンがストレスを軽減し、内面的な安定をもたらす。この地道な努力が、40代以降の「表情の明るさ」という形で見事に還元されるのだ。

    自己投資は早く始めた分だけ、そして年齢が上がるほどそのリターンは大きくなる。私は今、未来の自分のために最も価値ある資産を積み立てている最中なのだ。

    家族との時間:経験への温かい投資

    もう一つ、本から学んだ大切なこと。
    それは、「家族と繋がる最後の10年を大切にする」ということだ。

    この本を読むのが遅かったこともあるが、私の場合はあと5年と考えた方が良さそうだ。私は母親が35歳の時に産んだ子なので、両親ともに同じ学年の子の親と比べて年齢が高い。さらに子供の年齢も考えると、あと10年も共に楽しむことは難しいかもしれない。

    「私には自分のやりたいことを実行する時間だけでなく、家族と過ごす時間も作らなければならない」と思い直すことができた。今まで一人で過ごしたい欲が強かったので、少し反省した。

    誕生日やイベントを企画し、久しく疎遠だった兄や姉も含めて集まる場を作る。兄弟仲が良いとは言えない期間が長く続いていたが、せめて母が楽しそうに笑い、集合写真を撮るその瞬間だけでも、私たちは家族として協力してもいいのではないだろうか。

    親の喜ぶ顔を見ることは、自己中心的な私の中にも温かい感情を呼び起こす。これは単なる消費ではなく、自分自身の心の土台を安定させるための「精神的な投資」だ。もちろん、無理をしてストレスを溜める必要はない。「無理のない範囲」での調整こそが、良好な関係を長く続ける秘訣なのだから。

    行動こそが未来:ジェームズに学ぶ自己成長

    色んな思い出の形がある中で、私はやはり、自分の両親の喜ぶ顔を見るのが好きなのだと思う。

    旅行先でお土産を買っても、素敵な洋服をプレゼントしても、体験という思い出ほど人の記憶に残るものはないだろう。これは、経験(時間)への投資が、物質的なものへの投資よりも大きな幸福をもたらすというポジティブ心理学の原則とも一致している。モノはすぐに価値が減るが、経験は記憶として残り、幸福度を増し続けるのだ。

    あと少しの間、30代でできる最大限のことを実行しよう。
    そのために、自分のための運動であり、勉強であり、そして家族との時間を作り、思い出を増やしていくのが良いかもしれない。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが遺した言葉だ。

    「未来は、今、あなたの手の中にある。」

    年齢やステージが変わるたびに、人生の設計図も変化する。
    その変化を傍観するのではなく、自ら主体的に行動し、未来という設計図を描き続けることが大切なのである。過去を気に病むのではなく、今、目の前の経験に全力を尽くそう。あなたが今投資した健康と時間が、これからの人生を豊かにしてくれる確かな資産となるだろう。

    vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略
    vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略 HAKU

    正直な話、私の小学生時代、宿題をやった記憶はほとんどない。

    「宿題ってあったっけ?」というレベルだったが、1時間目が始まる前に急いで問題を解いた記憶はあるので、おそらく宿題自体はちゃんとあったのだろう。夏休みの宿題も、最終日に答えを写しながらなんとか終わらせるのが常だった。

    両親から「宿題をしろ」と言われた記憶も、そういえばなかった。最初こそやっていたのだが、家でわからないことを聞こうとしても、私の理解力が乏しいため父は教えながらイライラし始め、いつも家の仕事で忙しい母には時間的な余裕もなかった。子供心に「親には頼れない」と判断した私は、いつしか学ぶことを放棄していた。

    中学生になっても宿題をやった記憶は皆無だった。部活動や放課後の遊びに明け暮れる生活は、高校時代も続いた。姉から推薦枠にギリギリ入る点数で良いと言われていたので、一応赤点は取らずにはいたが、できる範囲の勉強しか行わなかった。そうしたできる範囲の努力だけで、大学までを泳ぎ切ったのだ。

    大学に入っても全ての教科に興味がないため、授業内容はさっぱり理解できず、周りの友達に助けてもらってやっと卒業できた。しかし、唯一極度の緊張を覚えた瞬間が一度だけあった。それは卒業者発表の掲示板を見に行った日のことだ。掲示板を見に行く直前まで、自分の番号があるか不安すぎてずっとソワソワしていたことを覚えている。当時の私は、この不安が「自分を信じるに足る努力を積み上げていないこと」から来ているのだとは、微塵も気づいていなかった。

    私の学生時代は、最後の最後まで、真剣に努力をすることなく、ただ「運」だけで通り抜けてきてしまっただけなのだ。

    こんな風に大学を卒業するまで、一度も勉強が好きだと思ったことや、自ら学びたいという意識もなく生きていた私だが、運動習慣や朝の勉強時間を始めてもう半年以上になる。その中で、脳科学、認知行動療法、哲学、習慣化の方法など、沢山の本を読み、ノートに書き写し、インプットとアウトプットを繰り返しながら学ぶようになった。

    あの頃の私が今の私を見たら、一体何と言うだろうか?

    プロが実践する:プラトーの停滞期と思考の再構築

    学びの中で出会ったジョージ・レナード氏の『達人のサイエンス』には、真の成長を遂げる人の共通点が記されていた。それは「プラトー(停滞期)」における振る舞いだ。

    • 「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」
    • 「プロになる人はその物事が好き」
    • 「プロになる人は学び続ける」

    プラトーというのは、成長する過程で壁にぶつかっても、その壁を乗り越えて繰り返しどんどん上達していくことを指す。つまりは「停滞期」のことだ。ダイエットでも何でも、うまくいった時こそ、その後の停滞期をどのように乗り越えるかが鍵となるだろう。まさにそれだ。

    私も勉強、筋トレ、ランニングを継続するうちに、プラトーにさしかかったタイミングがいくつかあった。成長を感じられるタイミングの後にいつも、「この方法をこのまま続けていいのだろうか」という不安感が出てくる。もっと良い方法があるのでは無いかと、頭を悩ませながら進めていくことも少なくなかった。

    この不安感は、「思考の再構築」が必要なサインだ。
    脳は同じ作業を繰り返すと効率化しようとするが、停滞期は「現状のやり方では次のレベルに行けない」という警告である。だからこそ、私は行動の質を変えることにした。具体的には、得た知識を別の視点から見直すために「専門外の本を読む」ことや、「やり方を変えてみる」という行動に切り替えた。これは、認知心理学でいう「問題の再定義」に他ならない。

    それを少しずつ、色々な本を読みながら模索して行動し、今に至る。
    その間に確認し続けていたのは、ノートの1ページ目に書いた自分の目標だった。ふと悩んだらそれを目で見て、「今私がやっていることは、何の為にしていることなのか?この先には何があるのか?」と、その都度思い起こしながら勉強や行動を続けた。

    結論は明確になっていたものの、プラトーにさしかかると立ち止まりそうになるため、目標をこまめに確認するようにした。

    覚醒:「好き」が習慣化の最強エンジンとなる理由

    今の私は、「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」、「プロになる人はその物事が好き」「プロになる人は学び続ける」この三つの行動を続けられている。

    その事がわかると、「自分は今やっていることが心から好きで、変化を学びに変えながら実行していて、プラトーの中で時間を過ごしていても辛くない」と感じるようになった。この事実は、私にとって大きな自己認識(メタ認知)の転換だった。かつて勉強が大嫌いだった私が、今は「学び」を楽しんでいる。自分でも信じられないような変化だ。

    実際、このブログを書いたところでお金が発生するわけでもない。 何なら今、読者はゼロ。プレビュー数が「0」という冷厳な数字を前に、私は淡々と文章を紡いでいる。

    むしろ手元にあるのは、早起きによる仕事中の強烈な眠気や、週末の夜更かしという甘い誘惑だけだ。

    客観的に見れば、割に合わない投資かもしれない。けれど、私の中に湧き上がる「学びたい、伝えたい」という衝動は、どんな報酬よりも私の心を充足させてくれる。それが自分にとって最高に意味のある「好きなこと」だとわかっているから。

    報酬がなくても、観客がいなくても、プラトーという停滞期が来ても。 私はもう、自分の意志で選んだこの道を、立ち止まることなんてできないのだ。

    本を読み、気づきを得たこの真実は、自分の中で自信となり、より力強いモチベーションとなっていった。

    この「楽しい」という感情は、単なる気分ではない。
    心理学でいう、内発的動機づけによる幸福である。外的な報酬(給料や評価)に依存せず、活動自体から得られる喜び(フロー状態)が、私を幸せにし、結果として継続を可能にしている。

    人生のテーマ:幸せに生きるための継続の哲学

    プラトーの中で淡々と継続し、その状態をさえ楽しいと思えることを見つけた人。そんな人こそが、最も充実した人生を送っているのかもしれない。プロを目指すかどうかではなく、報酬がなくても続けられる「何か」を持っていること自体が、人生の幸福度を決定づけるのだ。

    最低限の努力で生きていた頃の私は、常に自分を信じることができなかった。しかし今、自分の「好き」を燃料にして行動し続けることで、不透明だった未来は、確かな手応えを感じる自信に変わりつつある。

    あなたが今、無償でも続けていること。
    誰にも見られていなくても、熱中できること。

    それこそが、あなただけの人生の目的そのものなのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが残した言葉だ。

    「苦しみなくして、力ある情熱は生まれない。」

    これはニーチェの言葉の中でも、私が最も大切にしている意識である。
    停滞期(プラトー)という名の苦しみを乗り越え、それでも続けることができるのは、その先にある「好き」という情熱があるからこそ。その情熱こそが、あなたを本当の意味で強くするのだ。

    vol.38 ストレス解消の自然療法:「畏怖の念」が思考の余白を創る
    vol.38 ストレス解消の自然療法:「畏怖の念」が思考の余白を創る HAKU

    私が育った場所は、いわゆるコンクリートジャングルだった。視界を遮るようにマンションが立ち並び、植物は限られ、川のせせらぎさえも遠い世界。夜空の星には点滅する飛行機の光が混ざり、強度近視の私にはその区別さえつかなかった。
     
    虫も動物も、カラスや鳩、蟻やセミといういわゆる定番の生き物しか目にすることはなかった。図鑑で見るような宝石色の虫は、もはやファンタジーの産物。ホタルに関して言えば、ツチノコと同じくらい、非現実的な生き物のように感じていた。田んぼにいる鷺を見た時は「通報しなければ」と思うほど、カラスや鷹よりも大きな鳥を、30歳になるまで自然界で見たことがなかった。

    東京に住んでいた頃は、四方八方にマンションやビルが多く建っていたため、遠くから雨雲が迫っていることも気付くことはなく、洗濯物を干したあとに土砂降りの雨が降ることも多かった。仕事が休みの日、窓を開けてベッドから見上げた空は、建物の隙間に切り取られたほんのわずかな断片。やりたいこともなく過ぎる毎日と、その隙間から流れるように消えゆく鱗雲は、どこか似ているような気がしていた。

    そして地元に戻った今の家も、空の広さは東京ほどではないにせよ、コンクリートに囲まれている環境はさほど変わっていない。早朝に帰宅する酔っ払いが喚く声や、カラスの鳴き声が響くマンションの一室で、夫と子供と静かに暮らしている。

    都会の脳疲労:「自然への投資」が欠けていたピース

    常に人工的な情報とノイズに囲まれてきた私の脳は、「自然に触れることがストレス解消になる」という概念自体を知らずに生きてきた。

    そんな中、フローレンス・ウィリアムズ氏の『自然が最高の脳を作る』という本を読んだ。自然に触れるとストレスが解消されて脳が働くようになるのだという。都会を歩いている時と比較して、森の中を歩いている時の方がストレスホルモンの値が下がることがわかっているらしい。

    この本が提唱する「自然への投資」こそが、私の生活に欠けていた1つのピースだとハッとした。脳科学的に見ても、人工的な環境は絶え間なく注意を引くため、脳の集中力を使い果たしてしまう。自然の中に身を置くことは、その疲弊した注意力を回復させるための最高のリカバリーだったのだ。

    長年、都会の喧騒や人工的な情報に晒されてきた私の脳は、無意識のうちに疲弊しきっていたのだろう。その疲労は「イライラ」や「不満」という形で表現されていたに過ぎなかった。

    畏怖の念の科学:20分間の魔法と思考の余白

    この本の中には「1ヶ月に5時間は自然の中で過ごすと良い」と書かれている。そして年に一回は、大自然に畏怖の念を抱く経験をすることを勧めている。

    人は畏怖の念のような大自然を見ると、謙虚になり、他者への思いやりや視野の広がり、寛大な行動や好奇心が高まるようだ。この「畏怖の念」は、ネガティブな感情や自己中心的な思考を一時的に棚上げし、心を解放してくれる効果があるという。

    コンクリートと人工物ばかりの環境で育った私が、地元に帰ってきて初めて、思いがけず「畏怖の念」を感じた場所があった。それが、河原沿いのランニングコースだった。

    走り始めてすぐ、沿道に様々な植物が植えられていることに気づいた。7月だったので、ネムノキのピンクの花、美しく咲く紫陽花、民家の庭に生えているラベンダーなど、走っているだけで、季節の豊かさや生命の息吹を感じ、目でも楽しめた。

    ランニングコースは、往復2kmの距離。Uターンして日の出の方向へ向かった瞬間、赤い太陽とどこまでも澄み切った青空のコントラストに、私は言葉を失い立ち止まった。

    富士山の山頂まで行かずとも、河原の上に無限に広がる雄大な空だけで、私は十分に「畏怖」を感じることができたのだ。その瞬間、内側から希望が溢れ出すような感覚に包まれ、抱えていた悩みのスケールが驚くほど小さく見えた。

    これこそが、メタ認知的な「視点の転換」を強制的に引き起こす、自然の魔法なのだ。

    幸福度を高める:経験への投資がもたらす長期的リターン

    この体験は、科学的データとも一致している。

    ミシガン大学の研究では、都市生活を送る人々が自然の中で20分から30分過ごすだけで、ストレスホルモンである唾液中のコルチゾール値が有意に低下することが示された。これは、自然との接触が自律神経系のリラックス(副交感神経の活動)を促していることを裏付けている。

    畏怖の念を感じる経験をすることで、「あぁ、今抱えている悩み事なんて大したことではないのかも」と、物事のスケールが小さく感じられたり、「今日も一日やりきろう!」と前向きな気持ちが湧いてくることがわかった。自然の力は本当にすごい。怖い側面もあるけれど、その中に身を置くことで、心は確実に前向きな思考へと変わる。毎週走り続けたことで、日常で起きたストレスがだんだん小さなことに思えた。

    ストレス解消と称して爆食いするよりも、モノを散財するよりも、定期的に自然の中に身を置き、畏怖の念を感じられるような経験をすることが、どんなストレス解消にも負けない方法になることを行動により実感できた。

    これは、モノを使ってドーパミンを即座にドバドバだす快楽よりも、「経験への投資」が持続的な幸福をもたらすというポジティブ心理学の原則と完全に一致している。衝動買いで一時的に気分を上げても、その幸せはすぐに消える。自然の中でセロトニンやオキシトシンを出した方が、脳と心にとって遥かに幸せなのだ。

    そして、私の心と体を本当に満たすのは、モノの所有ではなく、時間と場所の使い方にあるということが、この体験を通して改めてわかった。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの医師であり哲学者であるヒポクラテスが残した言葉だ。

    「自然は、もっとも偉大な治療家である。」

    高価なセラピーや一時的な快楽に頼るのではなく、自然との調和こそが、私たちの心と体のバランスを整える本質的要素なのだ。あなたの疲れた心を癒すために、自然という名の「癒やし」に意識的に時間を投資してみてほしい。

    vol.39 「ネガティブな口癖」が人生を止める:一言で思考を整理する習慣術
    vol.39 「ネガティブな口癖」が人生を止める:一言で思考を整理する習慣術 HAKU

    口癖に関しては、正直、私は厳しい方かもしれない。

    「疲れた」「どうせ」「私なんか」

    この3大ネガティブワードを無意識に垂れ流していないか、私は常に自分自身の意識を律しながら過ごしている。子供に対しても、これらの言葉が出たときは「自分を傷つける言葉はやめようね」と即座に注意してしまうほどだ。

    その背景には、姉の存在がある。
    姉は「疲れた」「めんどくさい」「時間がない」「運が悪い」という言葉を連発する人だった。

    スマホを眺めている時や歌のアプリに熱中している時はあんなに生き生きとしているのに、仕事の話になれば途端に「時間がない!」とイライラを募らせる。家族であっても、本人の意志がなければ人は変えられない。だから私は、負の言葉を撒き散らしながら自らを「可哀想な人間」へと追い込んでいく姉の姿を、ただ横目で見て見ぬふりをするしかなかったのだ。

    「疲れた」という度に疲れるし、「運が悪い」と思うほどに運が悪くなってしまう。そんな暮らしの中で、姉に対して「口癖だけなら変えられるのに」と、ずっと思っていた。結局のところ、本人の意志でしか、行動や思考の舵を切り替えることはできないのだから。

    思考のストッパー:3大ネガティブワードとの決別

    私たちは、自分が発した言葉を、一番近くで、そして一番多く聞いている。脳科学的に見ても、自分の言葉が「先行する刺激がその後の行動に無意識の影響を与える」セルフ・プライミングとなり、思考や感情、行動を方向づけてしまう。ネガティブな言葉を繰り返すことは、自分で自分の脳に「私は不幸だ」「私は無力だ」という呪いをかけているようなものだ。

    姉の姿を見ていて痛感したのは、ネガティブな口癖は「思考のストッパー」になるということだ。「疲れた」からやらない、「時間がない」から諦める。これでは現状を打破するための「思考の余白」など生まれるはずがない。

    性格を変えるのは時間がかかるが、口癖だけなら今この瞬間の「一言」で変えられる。行動が続かないと感じたなら、まずはこの一言を変えることから始めるのが最も簡単な自己改革になるはずだ。この「一言の習慣」を変えるだけで、脳は行動への抵抗を減らし始める。

    セルフ・プライミング:脳をサクサク動かす独り言

    さらに、アンガーマネジメントの視点からも「言葉」の重要性を学んだ。安藤 俊介氏の『心がラクになる言い方』という本には、怒りをコントロールし、脳をポジティブな方向へ誘導する「魔法の独り言」が紹介されている。

    その中に、「ポジティブになれる独り言」が紹介されていたので、一部をシェアする。

    • 「ま、いっか」
    • 「終わりよければ全てよし」
    • 「こう言うこともある」
    • 「大したことではない」

    私はよく「ま、いっか」を使う。許容範囲を広げることで脳の疲れを防ぐためだ。
    思い返せば、私の母の口癖は「大したことじゃない」だった。父や姉がイライラするたびに、母のその一言が家庭内の不穏な空気をニュートラルに戻していた。あれは無意識のアンガーマネジメントだったのかもしれない。

    母の言葉が家庭内の「イライラ」を鎮めるように、職場にも同じような「魔法の独り言」があることに気づいた。

    Dr.が仕事中によく言う「よし、よし!」という言葉だ。
    私も一つ一つの作業の終わりに、先生のように決意を表す感嘆詞を真似するようになった。これを口にすると、サクサク作業が進み、次もちゃちゃっと終わらせてしまおうという気持ちになる。これは、脳科学でいう「ドーパミン報酬系」の仕組みを利用している。脳が「よし!」をトリガーに小さな報酬(達成感)を認識し、次の行動へのモチベーション(ドーパミン)を分泌させている状態だ。自ら小さなご褒美を与え、効率を上げているのである。

    言葉と思考:ポジティブ心理学的セルフ・コントロール

    言葉に関する多くの本を読んで、さらに気づいたことがある。口から出る言葉は全て自身の行動に繋がっており、怒りと思考と言葉の点は、全てつながって自己が形成されていることがわかった。

    ネガティブな言葉を吐く人の頭の中には常に悪い思考が渦巻き、ポジティブな言葉を吐く人は自分を肯定しながら生きている。

    だからこそ、ポジティブな言葉を意識的に使うことで、脳は現実の中からその言葉を裏付ける事実を探し始める。例えば、「大したことじゃない」と言えば、脳は本当にその問題が些細なものである理由を無意識に探し、ストレスレベルを下げようとする。これが、ポジティブ心理学に基づいた、脳のセルフ・コントロール術なのだ。

    行動の舵:一言が人生を決める哲学

    もしあなたが自分を変えたいと願いながらも、ソファから立ち上がるのさえ億劫に感じるなら、まずは口癖だけを変えてみてほしい。一歩踏み出すよりも、一言発するほうがずっと楽なはずだ。その小さな一言から、あなたの思考の舵は確実に回り始める。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスが残した言葉だ。

    「言葉は、思考の道具であり、行動の舵である。」

    あなたの発する一言が、あなたの人生を左右する。今日から、意識的にその舵をポジティブな方向に向けてみよう。その小さな言葉の選択こそが、あなたが望む未来へと進むための、パワフルなスイッチとなるだろう。

    vol.42 「身銭を切る」自己投資が現状維持バイアスを打ち破る
    vol.42 「身銭を切る」自己投資が現状維持バイアスを打ち破る HAKU

    上の姉兄たちから大きく年の離れた末っ子として生まれた私は、父にとって常に「手元に置いておきたい存在」だったようだ。

    小・中学生時代、父に「宿題はやったのか?」「将来何になりたいんだ?」と聞かれた記憶はほぼゼロに等しい。大学を卒業してもなお、「HAKUは就職はせずに、この家にいたらいいんじゃないか」と本気で提案されるほど、私は徹底して甘やかされて育った。

    大人になって「今度資格を取るんだ」と宣言した時も、父は「HAKUはいつも頑張っているから」と茶封筒に資金を入れて手渡してくれた。資格や学びについてお金に糸目をつけない父は、子どもたちが何歳になろうが、口は出さずにお金を出す。そんな人物であった。

    けれど、私はアラフォーになり、父は70歳を過ぎた。

    いつまでも私を子供だと思われていては困るのだ。「末っ子には永遠の可愛さがあるのだから」と、ぬるま湯に浸かったカエルにはなりたくなかった。変化に気づかぬまま茹で上がってしまう前に、この危機感を行動のエンジンに変えなければならない。

    そう強く思う瞬間が、今まで何度もあった。

    親の庇護からの脱却:「身銭を切る」覚悟

    父の愛は、兄弟の中で私にだけ断トツ甘くて深い。
    その甘すぎる愛こそが、私の「自己成長」のストッパーになっていたのかもしれない。

    親の庇護下にある心地よさは、自分の人生の責任を放棄していることと同義だ。私は、父がいなくなった後も、自分の力で立ち、自分の人生を切り開いていける人間になりたい。いや、ならなければいけない(皮肉なことに、親に甘やかされた人ほど、その危うさを察知するメタ認知能力が育つのではないか、とさえ思う)。

    そんな頃、自分の誕生日に欲しいものができた。
    ブログを書くための、ノートパソコンだ。

    新品じゃなくていい。自分で買える金額の範囲内のスペックで十分だった。夫に協力してもらい、中古のパソコンをメルカリで探して購入した。修理が必要だったので、落札時の価格よりも少し高くついてしまったが、「自分で全額を支払う」ことに最大の意味があった。結果的に、人生で最も満足度の高い買い物となった。

    誕生日が近かったことから、購入前に夫から「俺がプレゼントするよ」と提案されたのだが、丁寧にお断りした。「人の好意を無下にした」と思われても、この価値観だけは譲れなかった。自分で払ったものに価値があり、それを自分が一番感じたかったからだ。

    最高の贅沢:経験的優位性がもたらす持続的な幸福

    自分のやりたいことに身銭を切ろうと思ったのには、明確な理由がある。

    それは、「パソコンを買う」「本を買う」「大学に行く」など、自己成長のための「身銭を切る行為」が、単にモノや知識を得る以上の心理的・認知的なメリットをもたらすことを知っていたからだ。特に、この投資が「知識や経験」に変わる時、その効果は絶大なのである。

    コーネル大学の研究が示すように、人は物質的な「モノ」よりも「経験」に支出した方が、より長く、より深い幸福度を得られるという「経験的優位性」が確認されている。

    パソコンを購入し身銭を切ることで、その購入は単なる所有物ではなく、自己のアイデンティティの一部となる。経験は記憶として残り、時間が経っても価値が薄れにくいため、幸福感が持続するのだ。

    そのパソコンで、毎日ブログを書いたり調べ物をしている。
    自分のお金で買ったものを使うことで、日々やりたいことを実現できているという現状に、小さな幸せを感じている。

    脳科学:身銭を切る行動が自己効力感を強化する理由

    なぜ、誰かに買ってもらうのではなく「自分で支払う」ことが重要なのか?
    それは、脳が支払いのコストと、得られた経験の価値を強く結びつけるからだ。

    自分が働いて作り出したお金(時間と労働力)を投じることで、脳はその成果をより強く「自分のもの」として認識し、大切に扱うようになる。これが自己効力感を高め、次のモチベーションに繋がるのである。

    この行動は、ポジティブ心理学の観点からも非常に合理的だ。グロービス経営大学院などの調査では、働く社会人において、1日あたりの勉強時間(自己成長への投資)が長いほど、主観的幸福度が高いという相関が示されている。つまり、身銭を切る行為は「私は成長にコミットしている」という意識を強化し、結果として幸福感の向上という形でリターンをもたらすのだ。

    もし、あなたも自分にとって必要なもの、それが自分自身を成長させてくれるものだと解っている場合、身銭を切ることでより強く身につくだろう。

    人間とは、そういうものなのかもしれない。
    自分の幸せが何かわかると、それを自分で手に入れたくなるのだ。

    自己決定:幸せは、誰かに与えられるものではない

    誰かに幸せにしてもらうことももちろん重要だが、結局は自分次第だと感じる。その真実を「身銭を切る」という体験を通して、より強く実感できるだろう。

    大切なのは、「必要なものに、自分が投資している」という感覚なのだ。

    この感覚こそが、自己成長のエンジンであり、親からの依存的な庇護から卒業し、自立した大人として生きるための行動である。メタ認知を通じて、自分の真の目的を見極めることが、正しい投資先を見つける鍵となる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソンが遺した言葉だ。

    「自分自身を信頼せよ。あなたの心の中にある、その聖域に頼るのだ。」

    父の深い愛に感謝しつつも、今回初めて私は自分の足で立ち、自らの手で知恵を勝ち取る道を選んだ。

    あなたにとって、身銭を切ってでも手に入れたい未来は何だろう?
    自分にとって、価値のあることに気づくことから始めてみよう。