• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

    自己投資

    vol.42 「身銭を切る」自己投資が現状維持バイアスを打ち破る
    vol.42 「身銭を切る」自己投資が現状維持バイアスを打ち破る HAKU

    上の姉兄たちから大きく年の離れた末っ子として生まれた私は、父にとって常に「手元に置いておきたい存在」だったようだ。

    小・中学生時代、父に「宿題はやったのか?」「将来何になりたいんだ?」と聞かれた記憶はほぼゼロに等しい。大学を卒業してもなお、「HAKUは就職はせずに、この家にいたらいいんじゃないか」と本気で提案されるほど、私は徹底して甘やかされて育った。

    大人になって「今度資格を取るんだ」と宣言した時も、父は「HAKUはいつも頑張っているから」と茶封筒に資金を入れて手渡してくれた。資格や学びについてお金に糸目をつけない父は、子どもたちが何歳になろうが、口は出さずにお金を出す。そんな人物であった。

    けれど、私はアラフォーになり、父は70歳を過ぎた。

    いつまでも私を子供だと思われていては困るのだ。「末っ子には永遠の可愛さがあるのだから」と、ぬるま湯に浸かったカエルにはなりたくなかった。変化に気づかぬまま茹で上がってしまう前に、この危機感を行動のエンジンに変えなければならない。

    そう強く思う瞬間が、今まで何度もあった。

    親の庇護からの脱却:「身銭を切る」覚悟

    父の愛は、兄弟の中で私にだけ断トツ甘くて深い。
    その甘すぎる愛こそが、私の「自己成長」のストッパーになっていたのかもしれない。

    親の庇護下にある心地よさは、自分の人生の責任を放棄していることと同義だ。私は、父がいなくなった後も、自分の力で立ち、自分の人生を切り開いていける人間になりたい。いや、ならなければいけない(皮肉なことに、親に甘やかされた人ほど、その危うさを察知するメタ認知能力が育つのではないか、とさえ思う)。

    そんな頃、自分の誕生日に欲しいものができた。
    ブログを書くための、ノートパソコンだ。

    新品じゃなくていい。自分で買える金額の範囲内のスペックで十分だった。夫に協力してもらい、中古のパソコンをメルカリで探して購入した。修理が必要だったので、落札時の価格よりも少し高くついてしまったが、「自分で全額を支払う」ことに最大の意味があった。結果的に、人生で最も満足度の高い買い物となった。

    誕生日が近かったことから、購入前に夫から「俺がプレゼントするよ」と提案されたのだが、丁寧にお断りした。「人の好意を無下にした」と思われても、この価値観だけは譲れなかった。自分で払ったものに価値があり、それを自分が一番感じたかったからだ。

    最高の贅沢:経験的優位性がもたらす持続的な幸福

    自分のやりたいことに身銭を切ろうと思ったのには、明確な理由がある。

    それは、「パソコンを買う」「本を買う」「大学に行く」など、自己成長のための「身銭を切る行為」が、単にモノや知識を得る以上の心理的・認知的なメリットをもたらすことを知っていたからだ。特に、この投資が「知識や経験」に変わる時、その効果は絶大なのである。

    コーネル大学の研究が示すように、人は物質的な「モノ」よりも「経験」に支出した方が、より長く、より深い幸福度を得られるという「経験的優位性」が確認されている。

    パソコンを購入し身銭を切ることで、その購入は単なる所有物ではなく、自己のアイデンティティの一部となる。経験は記憶として残り、時間が経っても価値が薄れにくいため、幸福感が持続するのだ。

    そのパソコンで、毎日ブログを書いたり調べ物をしている。
    自分のお金で買ったものを使うことで、日々やりたいことを実現できているという現状に、小さな幸せを感じている。

    脳科学:身銭を切る行動が自己効力感を強化する理由

    なぜ、誰かに買ってもらうのではなく「自分で支払う」ことが重要なのか?
    それは、脳が支払いのコストと、得られた経験の価値を強く結びつけるからだ。

    自分が働いて作り出したお金(時間と労働力)を投じることで、脳はその成果をより強く「自分のもの」として認識し、大切に扱うようになる。これが自己効力感を高め、次のモチベーションに繋がるのである。

    この行動は、ポジティブ心理学の観点からも非常に合理的だ。グロービス経営大学院などの調査では、働く社会人において、1日あたりの勉強時間(自己成長への投資)が長いほど、主観的幸福度が高いという相関が示されている。つまり、身銭を切る行為は「私は成長にコミットしている」という意識を強化し、結果として幸福感の向上という形でリターンをもたらすのだ。

    もし、あなたも自分にとって必要なもの、それが自分自身を成長させてくれるものだと解っている場合、身銭を切ることでより強く身につくだろう。

    人間とは、そういうものなのかもしれない。
    自分の幸せが何かわかると、それを自分で手に入れたくなるのだ。

    自己決定:幸せは、誰かに与えられるものではない

    誰かに幸せにしてもらうことももちろん重要だが、結局は自分次第だと感じる。その真実を「身銭を切る」という体験を通して、より強く実感できるだろう。

    大切なのは、「必要なものに、自分が投資している」という感覚なのだ。

    この感覚こそが、自己成長のエンジンであり、親からの依存的な庇護から卒業し、自立した大人として生きるための行動である。メタ認知を通じて、自分の真の目的を見極めることが、正しい投資先を見つける鍵となる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソンが遺した言葉だ。

    「自分自身を信頼せよ。あなたの心の中にある、その聖域に頼るのだ。」

    父の深い愛に感謝しつつも、今回初めて私は自分の足で立ち、自らの手で知恵を勝ち取る道を選んだ。

    あなたにとって、身銭を切ってでも手に入れたい未来は何だろう?
    自分にとって、価値のあることに気づくことから始めてみよう。

    vol.43 モノより体験へ投資!幸福を持続させる贈り物の選び方
    vol.43 モノより体験へ投資!幸福を持続させる贈り物の選び方 HAKU

    毎年、母の日の直後にやってくる、私の母の誕生日。
    一昨年はスカート、昨年は日傘。今までは本人のリクエストに応じた「モノ」を贈っていたのだが、今年は違った。脳科学や心理学を学び、「物質的なモノは幸福をもたらさない」という科学的な知識を得ていたため、今年は例年以上に頭を悩ませることになった。

    母が喜びそうなものは何か、一生懸命考えた。
    モノではなく、行動、経験、旅行など、何を楽しめるか思考を巡らせた。

    その結果、母が昔よく「ものまね歌合戦」をテレビで見ていたことを思い出し、当時出ていた芸能人のイベントがないか検索した。その結果、「コロッケ&美川憲一のコンサート」が近隣で開催されることを知り、すぐに母にメールを送った。

    母は一人でコンサートに行くタイプではない。だからこそ、これは「母との思い出作り」という名目の、私自身の時間を投じる投資でもあった。当時のモノマネの詳細は覚えていないけれど、私は母の付き添いとして、会場へと足を運んだ。

    行動経済学の選択:モノではなく体験に投資する理由

    結果は、大成功だった。

    母の表情が緩んでいくのを隣で見届けて、この「記憶への投資」の正しさを確信した。 けれど、物語はそこでは終わらなかったのだ。

    驚くべきことに、私自身もまた、予想を遥かに上回る衝撃を受けることになったのである。

    本音を言うと、母への誕生日プレゼントなので私自身はそこまで楽しまなくても良いと思っていた。しかし、予想を上回るほどコンサートは楽しい体験となり、終わってからも色々考えるきっかけとなった。

    ポジティブ心理学が示すように、物質的なモノは購入直後に幸福度のピークを迎え、その後はすぐに慣れて価値が低下する。しかし、コンサートのような「体験への投資」は、記憶として残り、時間が経つほど価値が増していく。モノではなく時間を贈るという選択は、母の幸福を持続させるための最も賢い行動経済学的な判断だった。

    この経験は、「誰かのために行動する」ことが、結局は「自分の幸福度を高める」という、利他的な行為が自己肯定感に繋がるというポジティブ心理学の原則とも一致する。相手の喜びが、自分自身のセロトニン分泌を促した一つの証明だ。

    予期せぬ気づき:一流のエンタメが思考を変える

    会場でまず目を奪われたのは、満席のホールを埋め尽くした高齢者たちの、弾けるような笑い声と、一幕ごとにかける声援の力強さだった。

    日々のクリニック勤務で目にするのは、疾患や苦痛を抱えた患者さんたちの姿。その日常との強烈な対比によって、私は「健康」の真意を再定義することになった。健康とは、単に病気がないことではない。心から笑い、魂を震わせるエネルギーを持っていることなのかもしれない。

    次に感じたのは、コロッケ氏を知っているようで知らない私でも、爆笑するほど面白いネタを見たという感覚だった。実際のところ、人を笑わせるのは、怒らせるよりもずっと大変なはずだ。それなのに、昔のネタを知らない私を含め、会場のほぼ全員が笑っている。それは、彼らの芸が感情の本質に訴えかけているからだと感じた。一流のエンターテインメントは、世代や知識、時代さえも超えて人の心を動かす力を持っているのだ。

    そして、美川憲一氏がシャンソンの歌の合間に放ったこの一言が、私の胸の奥深く、最も熱い場所に突き刺さった。

    「死ぬほど生きなさい」

    その言葉は、棘よりも鋭く、心臓を直接揺さぶるほどの重みを持っていた。

    この時の私は、夜明け前から走り、誰にも言わずに学び、自分を信じるために必死で行動を積み上げている最中だった。何ヶ月もかけて「死ぬほど生きている」と言ってもいいほど、真剣になっていたからからこそ、この言葉が刺さったのだろう。母の隣で、涙をこぼそうになったが必死にこらえた。なぜかというと、私がこの頃何をしていたのかを、両親にはまだ伝えていなかったからだ。説明の出来ない涙は、流せない主義なのである。

    母のために選んだ場所で、自分の潜在意識が必要としていた「答え」に出会う。この予期せぬ覚醒が、私のこれからの行動に、さらなる強固な動機づけを与えてくれた。

    行動が先:メタ認知で無知を楽しむ習慣化

    この体験が教えてくれたのは、「行動」が先で、「気づき」は後からついてくるという習慣化の鉄則だ。未知の場所に自分からどんどん飛び込んでみる他ない。たとえ自分には関係ないと思っていた分野であっても、一流のものに触れることで、自己成長の扉は思いがけない方向から開かれる。

    自分から動くことはもちろん、時には「誰かの誘いに乗ってみる」のも一つの手だ。
    自分のフィルターだけでは選ばない場所に身を置くことで、思考の余白に新しい風が吹き込み、思いがけない発見がもたらされる。自分の殻に閉じこもらず、メタ認知によって「自分の知らない世界」を面白がること。その姿勢こそが、新しい自分への道を切り開く最高のスキルとなるだろう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの科学者・哲学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツが遺した言葉だ。

    「最も良い着想は、問題から離れ、気晴らしをしている時に、思いがけずやってくる。」

    母のために選んだ体験への投資は、結局、自分自身の人生を豊かにする決断の一部となった。
    効率ばかりを追い求める脳に、あえて「普段の自分なら選ばない選択」という投資をしてみよう。その先に、思いがけない発見があることだろう。

    vol.47 キャリアの危機感をチャンスに変える「船の乗り換え」戦略
    vol.47 キャリアの危機感をチャンスに変える「船の乗り換え」戦略 HAKU

    帰郷後、私は派遣社員として地元の総合病院に勤め始めた。

    配属先の仕事内容は、コロナ関連部署での検査と事務対応だった。通勤時間が30分以内という好条件に加え、総合病院を選んだことで、両親にも「病院で働く娘」として安心してもらえた。当初は大した資格も持っていないのに、「大きな船に乗れてよかった」と、心から安堵を感じていた。

    コロナ号が沈む:危機感がメタ認知を覚醒させた瞬間

    総合病院に派遣社員として入職し、しばらくたった頃に、在職中のコロナ部署が2ヶ月後に終わるかもしれないという話を上司からされた。派遣会社との契約は3ヶ月更新。コロナ部署の終了は、規定外のタイミングとなってしまった。

    幸い、別の部署への配属が提案され、即座に職を失う事態は避けられたが、私の中にあった微かな懸念は、確信に満ちた「危機感」へと変わった瞬間でもあった。

    年末の休みに入り、世間がお休みモードへと変わる中、私は家で転職サイトにかじりついていた。初夢さえ覚えていないほど、頭の中は「次の一手」で埋め尽くされていた。

    この差し迫った危機感こそが、私のメタ認知を強制的に覚醒させた。
    沈みゆく船に乗っている自分を客観視し、溺れる前に次の岸を目指す。生存本能に基づいた、冷徹で素早い判断の始まりだったのだ。

    船の切符:学ぶ力と資格が証明する努力の価値

    岡崎 かつひろ氏の『お金に困らない人が学んでいること』という本に、「学ぶ力がある人が生き残る」と書かれてあり、まさにその通りだと実感した。沈む船から別の船へ乗り換えるためには、自分が有能であることを証明する「切符(カード)」が必要であり、私にとってそれは「資格」だった。

    「私は自分で目標を立て、努力し、それを達成できる人間です」。面接という名の交渉の場で、そう堂々と宣言するための証拠が欲しかった。私は子育ての合間を縫って、病院実務に直結する2つの資格を数ヶ月で取得することに決めた。学びに対する娘の本気の姿勢を見た父は、あの頃よくこう言っていた。「HAKUが勉強しているの、今まで見たことがない」と。そのくらい、自分でも学びを得たいという気持ちで、自発的に何かを学ぶことは人生で初めてだった。

    最終的に総合病院から、現在のクリニックという船に乗り換えることができた。 私の行動の素早さと学ぶ力が、良い方向に傾いた満足いく結果となった。派遣という更新が必要な業種と、コロナという異例の部署が、私の行動をよりスピーディーにさせてくれたのだろう。

    私は「ここまでは絶対に成し遂げる」と期限を設けると、集中力が極限まで高まるようだ。今回のこの差し迫った危機感は、私に「生きるか死ぬか」のような強烈な目標を与えてくれたのだ。

    その目標に向かって進んだ努力のプロセスこそが、知識や資格以上に、私にとっての揺るぎない自己肯定感の確かな土台となった。

    行動経済学:変化できない者が失うコスト

    同じ部署で、沈みかけている船に同乗していた年上の女性がいた。
    私とは対照的に、その人はこちらが焦る状況でも、かなりのんびりしている様子だった。部署がなくなることは同時にわかっていたにも関わらず、彼女は何も行動を起こさなかった。同時期に契約終了となった数週間後、会社から契約を打ち切られたと連絡が来た。

    彼女はメールで「世知辛い世の中だ。」と言っていたが、本当にそうだろうか。

    自ら動かず、現状維持こそがリスク回避だという様子で、昼の休憩中パンをかじりながらスマホを楽しむ彼女を常に見ていた。そのため、私は全く同情できなかった。徹底して受け身の生存戦略を選んだ者に伝えられた、担当者の最終回答が「契約打ち切り」という現実を目の当たりにした。

    生きていくための変化は、明らかに自分のためだ。誰かになんとかしてもらおうと待っていても、結局何も起きない。だからこそ、自分で行動しなければいけない。いつ何時だって、思っていたことと異なる困難が人生に何度もやってくる。そんな時に、船を乗り換えられるような思考や行動を、常に持ち続ける必要があると知れたのだ。

    私のように、期限付きの特殊な環境で働く人や、現状に疑問を感じる場所にいる人は、今すぐにでも次のキャリアへ移るための「切符(資格やスキル等)」を作る戦略を立てた方が良いだろう。自分には何が足りないか。次のステージで何を活かせるか。学ぶことで人生の解像度を上げ、ピンチを飛躍のバネにしていかなければならない。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンが遺した言葉だ。

    「強いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残るのだ。」

    現代社会を生き抜くための、行動経済学的な真理である。
    変化を恐れず、常に切符を準備する必要がある。その切符(資格やスキル)とは、他者に依存しない「学ぶ力」と「変化を読み行動する力」によって裏打ちされるものである。変化し続ける勇気こそが、あなたの人生の大きな資産となるだろう。