• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

    食事

    vol.13 「ランナーズハイ(脳内麻薬)」で自己肯定感を上げる行動変容術
    vol.13 「ランナーズハイ(脳内麻薬)」で自己肯定感を上げる行動変容術 150 150 HAKU


    自分のことが信じられず、他人の幸せばかりが目に映る日々。

    そんな自分から脱却したくて、私は「即効性のある快楽」を脳科学に求めた。 それが、最強の脳内麻薬とも言われる「エンドルフィン」だ。

    このホルモンは「脳内麻薬」と呼ばれ、モルヒネに似た鎮痛作用と幸福感をもたらすという。とにかく時間がない。自分のことが嫌いな時間を減らしたいという一心で、手っ取り早く自分の脳内にエンドルフィンを分泌させたかったのだ。

    脳内麻薬:エンドルフィンを出すための多様な方法

    エンドルフィンを分泌させる方法は、運動や心の状態、食事など、いくつかあるらしい。脳関係の本でいくつか見たが、詳しく書いている本に出会えていなかったので、AIで調べたところ、以下のようなパターンがわかった。

    • 運動: ウォーキング、ジョギングなどの有酸素運動
    • 感情や心理状態: 大いに笑う、感動する、恋愛感情
    • 強い信念: 困難な状況でも「きっと大丈夫」と信じる
    • 食事や感覚: 甘いもの、スパイス、性行為
    • リラクゼーション: 深呼吸、入浴、瞑想

    ランナーズハイと苦手克服がもたらす成長

    エンドルフィンについて調べるうちに、私が最も心惹かれたのは「ランナーズハイ」という言葉だった。ちょうどそのタイミングで、母親の本棚に西東社編集部により出版された「人生を変える言葉2000」という本があり、その中に書かれていた、マラソンランナー高橋尚子さんの言葉に強く心を動かされたのだ。

    「明日のジョーのように、戦い終え、そのまま頭の中が真っ白になっていくほど走れたら本望なんです。」

    マラソンランナーとしての高橋尚子さんのことはあまり詳しくないため、どんな想いからこの言葉を言ったのかはわからない。それでも、この言葉から多量のエンドルフィンが分泌されているのかもしれないと、直感的に感じたのだ。

    友達と会ったり、音楽を聞いたり、甘いものを食べたりしても、それは一時的な幸せでしかなかった。私が求めていたのは、苦しいけれど、それを乗り越えることで成長を実感できる「何か」だった。それが、今まで経験したことのない「ランナーズハイ」になることかもしれないと感じた瞬間だった。

    ランニングが変えた、私の脳と心

    小学生の頃、マラソン大会はいつもビリに近い順位だった。呼吸が乱れ、心臓が破裂しそうなほどバクバクする上、口の中が血の味がし始めるのが嫌で嫌で仕方なかった。年に1度しかないイベントだったのだが、私にとって長く走り続けることは、生きている中で一番つらい運動でしかなかった。

    しかし、その苦手意識が強い分、克服できたらその成長は計り知れないとも思えた。死ぬほどやりたくないけど、走れる自分を見てみたい。できなかったことができるようになったら、どれほどの効果があるのか、試してみたかったのだ。

    4月からランニングを始め、2ヶ月後には2kmだった距離が、5kmまで走れるようになった。この変化は、体力だけではなかった。

    走り終える5km地点に近づく頃には、どんなに嫌なことがあっても「まあ、大したことじゃないか」と思えるようになっていた。ランニングを終え、クタクタの体でシャワーを浴びてコーヒーを飲むと、今までにはなかったポジティブなエネルギーが湧き出てくるのを感じられた。

    明らかに、脳内が良い方向に変わっていたと実感したのだ。

    行動変容の鍵:習慣化とポジティブな連鎖

    ランニングは、ただのつらい運動ではなかった。私の心をコントロールするためのツールだったのだ。走ることで、脳内にはポジティブな感情を生み出すホルモンが分泌される。体が動けば、心も自然と上向きになることがやっとわかった。

    私のように、エンドルフィンを出すための行動が、もしかしたら苦手なことかもしれない。しかし、やってみなければわからないことは、世の中には無限に存在する。やってみて、「やっぱり嫌」ならそれでいい。

    正解は一つじゃない。数学だって、解き方は色々ある。でもきっと、答えはあなたの中にしかない。いろんなことを試しながら、幸福感のホルモンを分泌させてみよう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの哲学者アリストテレスが遺した言葉だ。

    「重要なのは何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかだ。」

    私たちは、生まれつきの才能や環境に恵まれなくても、今持っているものをどう使うかで、新しい自分を創り出せる。ランニングが私にとってのツールだったように、あなたにもきっと何かが見つかるはず。大切なのは、「やってみる」という小さな一歩なのだから。

    自分の脳を意識し、刺激を増やしてみよう。

     

    vol.19 「ドーパミン耐性」をリセット!習慣化に効く制限の行動経済学
    vol.19 「ドーパミン耐性」をリセット!習慣化に効く制限の行動経済学 150 150 HAKU


    目次


    お酒を平日飲まなくなってから、今まで遠ざかっていた「コンビニスイーツ」にドハマりすることになった。

    職場の甘党スタッフに勧められて購入したそのスイーツは、コンビニのものとは思えないほどの美味しさに、スイーツ歴が浅い私はすぐに虜になってしまった。毎日仕事帰りにコンビニへ寄って買って帰るほどハマっていたことから、食後のスイーツ習慣が何日も連続で続いていることに気づき、ふと冷蔵庫を開けながら立ち止まって考えた。

    「筋トレをしているのは、食後に食べるスイーツを正当化するためなのか?それとも、明日も食べたいという欲求が、筋トレの動機なのか?」と、疑問が湧いた。このドーパミン依存へ向けて神経が連携しかけていることに気づいた瞬間、かなり強い焦りを感じたのだった。

    スイーツとアルコール依存:ドーパミン耐性の正体

    ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学など、世界の一流研究機関による研究によると、砂糖や高脂肪食品を多く含む超加工食品は、コカインやニコチンといった依存性薬物と同じように、脳の「報酬系」を直接的に刺激し、ドーパミンを大量に放出させることがわかっている。(参照)ドーパミンが頻繁に大量に分泌される状態が続くと、脳は次第にその刺激に慣れてしまう。これが「耐性」と呼ばれる現象で、依存症のメカニズムになる。この耐性をリセットするために、意図的な制限が有効なのだ。

    そのため私は、お酒と同じように「週2回限定」という枠を設けた。 平日は、比較的ゆっくりと自分を甘やかせる水曜日を。あとは、土日のどちらか。それでも甘いものが食べたい時は、オールブランと豆乳、きなことバナナのヨーグルト、ドン・キホーテの焼き芋といった、腸に良い代替の食べ物を選ぶようにした。

    行動経済学の応用:「制限」がもたらす幸福度アップ

    週に2回のスイーツデーの日は、「今週はローソンの〇〇が絶対に食べたい!」と思うようになった。この制限のおかげで、私の場合本当に食べたいものが明確になっていった。お得だからや期間限定だからとスイーツを買うのではなく、その日本当に食べたいものだけを買うようにした。そうすると、毎日食べなくても満足できるようになっていった。

    習慣化の進化:固定ルールから柔軟な継続へ

    スイーツデーを設定して3ヶ月。 そのリズムが日常に馴染んできた頃、私はあえて、そのルールを廃止することにした。 なぜなら、「食べられる日に食べておかなきゃ」という、強迫観念に近い思考が生まれ始めていたからだ。食べたくないにもかかわらず、スイーツデーだからとチョコやポテチを食べることが何度かあり、この状況に違和感を感じていた。

    自制できるようになっていたため、思い切ってスイーツデーを廃止してみた結果、正解だった。今では曜日に関係なく、食べたい日に食べている。その理由は、すでに習慣が身についているため、毎日食べることはないからだ。曜日による縛りはなくなったが、回数ルール(週2回まで)は継続している。習慣化のおかげで、週に1回程度で済むこともあれば、全く食べない週もある。

    このように、自分で決めたルールが、無理なく生活を楽しむ自由を生んだ。

    メタ認知で依存を克服し、人生をデザインする

    ルールを決めて制限して、毎回フィードバックする。

    「あの日は食べたくなかったのに、スイーツデーだからと言って食べてしまった」とか「金曜日に飲み会を入れてしまったので、土日のどちらか筋トレしよう」など、気になることやいつもと違う行動を取った日は、必ず手帳に書き込むようにすると改善点に気づける。

    スイーツもアルコールも、依存性がかなり高い。どちらも自分にとって「悪」とは決めつけず、回数を制限しながら、食べたいタイミングでスイーツを楽しみ、飲みの予定を入れたのなら、その日はめいいっぱい楽しむことが大切だとわかったのだ。「絶対ダメ」という極端な思考はストレスが高く、結果悪循環になるきっかけになってしまう。

    ストレスが爆発した後、自分がどうなるか容易に想像がつくだろう。

    事後の感情をベースに考えて、制限しながら楽しむことが大切だ。その行動は、しばらくすると自分の中で定着し、やがて制限がなくても継続できるようになる。この継続が、自分をコントロールできているという実感へと変わり、自信へと繋がる。あとはドーパミンとうまく付き合いながら、楽しんでいけばいい。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが遺した、こんな言葉だ。

    「我々が下す判断は、それが正しかろうと間違っていようと、そのつど自分自身を言い含めているにすぎない。」

    スイーツもアルコールも、それを良いか悪いか判断するのはあなた自身だ。
    依存してしまう自分を責めるのではなく、その仕組みを理解し、自分の「欲求」をコントロールできる力を身につけよう。

    vol.31 「説得力」は数字と感情のハイブリッド:行動の可視化戦略
    vol.31 「説得力」は数字と感情のハイブリッド:行動の可視化戦略 HAKU

    目次

    • 行動の可視化:2kmと5kmの数字が語る評価のギャップ
    • 数字が語る努力と成果:習慣化による減量の可視化
    • 真の説得力:感情と論理(数字)のハイブリッド

    • 「人に対して説得力が欲しい。」

      そう思うようになったのは、私が運動を始めてからだ。

      「どんな運動をしてるの?」と聞かれることが増え、メニューや距離は答えられるようになった。けれど、「筋トレは絶対やったほうがいいよ」といったアドバイスを、私はどうしても断言できずにいた。自分の中でまだ確実な変化を確信できていないことに加え、その効果を数字で裏付け、論理的に説明する「言語化」が追いついていなかったからだ。

      そんなとき、2km走れるようになった喜びを夫に報告したら、「たった2kmでしょ」と一蹴された。私にとっては、ゼロから一歩を踏み出した大きな成長だった。別にそれを褒めてほしかったわけではない。ただ、2kmを走りきったという「事実」を共有したかっただけなのだ。そのとき覚えた軽い苛立ちは、自分の主観的な自信を、他者の物差しで測られたことへの拭いきれない違和感でもあった。

      その一言に一瞬、心が沈みかけた。けれど、私はすぐに思い直した。1kmも走っていない人の物差しで、自分の努力を測り、落ち込む必要なんてどこにもないのだ。

      面白いことに、不思議と「見返してやるために、次は5km、10km走ってやる!」というような反骨心すら湧いてこなかった。面白いことに、不思議と「見返してやるために、次は5km、10km走ってやる!」というような反骨心すら湧かなかった。なぜなら、このランニングは誰かに見せるためのパフォーマンスではないからだ。

      誰の目も気にせず、誰の評価も求めない。 走ることは、純度100%の「自分のための行動」なのである。

      この本質的な考え方は間違っていないと、確認できた瞬間でもあった。

      行動の可視化:2kmと5kmの数字が語る評価のギャップ

      しばらくして、年内目標だった5kmを達成した。夫がどう反応するか少しの好奇心を持って報告してみると、返ってきたのは「すごいじゃん!」という言葉だった。

      以前の私なら素直に喜べたのかもしれない。けれどその反応とは裏腹に、私の心はどこか冷めていた。「前は『たった2km』って言っていたのに、なんで5kmはすごいと思ったの?」と聞くと、「いや、5km走るのはなかなか辛いでしょ」という、どこか表面的な答えが返ってきただけだった。

      私にとって、大人になって初めて走った2kmは、果てしなく遠く、苦しい距離だった。だからこそ、走りきった自分を心の底から誇らしく思えた。対して、その後の2ヶ月で2kmから5kmへと距離を伸ばした時間は、すでに走る体力がついていたせいか、あの時ほどのハードルは感じなかった。

      本気で挑んだ「2km」が軽視され、慣れ始めた「5km」という数字が称賛される。他者の評価がいかに適当で、自分の内側の熱量や苦労を反映していないか。その事実に触れたとき、私の中で言葉にしがたい違和感が、確信へと変わった。

      この違いを明確にするために、AIにも聞いてみた。
      漠然ではあるが、「2km走ることは凄くない。しかし、5kmはすごい。なぜ?」と尋ねてみた。

      AI:『2kmを走ることは、多くの場合健康維持や運動不足解消の第一歩であり、特別な能力を必要としない一方、5kmの走行は、ある程度の持久力と体力の必要性、そしてランニングという運動の一般的な目安としての意味合いがあるため、より高いレベルの挑戦と捉えられやすいからです』

      夫は徹底して客観的で、物事をロジックで捉える人だ。彼にとって数字とは、個人の感情を挟まない「誰の目にも明らかな事実」だったのだ。それがわかると、不思議とスッキリした。彼の評価基準は私の努力の「プロセス」ではなく、あくまで提示された「数字」にある。それは単なる「見方の違い」に過ぎないのだ。

      数字が語る努力と成果:習慣化による減量の可視化

      習慣の輪は、ランニング以外にも広がっていった。筋トレや縄跳びを取り入れ、さらに食事管理や飲酒習慣も見直した。一気にやらず、一つひとつの習慣を地層のように重ねていった結果、最終的に8kgの減量に成功した。これも夫に報告すると、やはり5kg減より8kg減の方が反応は格段に良かった。

      2kmから5kmへの距離、そして5kgから8kgへの減量。 どちらも「3」という数字の差だが、他者に伝えた時の反応は驚くほど異なっていた。もちろん私も、人から聞かされたら絶対値の大きい方により強いインパクトを覚えるだろう。

      だが、実際のプロセスを振り返れば、ゼロから一歩を踏み出した「0から2km」の地点こそが最も凄まじい変化であり、そこからさらに距離を伸ばした「2kmから5km」も、本来なら驚くべき進化なのだ。数字は頭の中をクリアにしてくれる便利な道具だが、その評価は常に受け手の物差しに委ねられている。

      「数字って、なんて面白いんだろう」

      そう思ったのは、人生で初めてのことかもしれない。 誰かに褒められるために設定した目標ではなかったが、運動や減量のメリットを正しく、力強く伝えるためには、説得力を生み出す「数字」という共通言語が不可欠なのだと理解した。

      これは、ビジネスのプレゼンテーションと同じだ。 どれほど情熱的に夢を語っても、具体的な数字という裏付けがなければ、相手を動かすことは難しい。情熱は共感を生み、数字は客観的な事実として納得を運んでくる。

      「私」という人間が抱く熱い感情と、達成した数字という事実。この二つが揃って初めて、他者を説得し、周囲を動かす力になるのだ。

      真の説得力:感情と論理(数字)のハイブリッド

      運動や減量は、私にとって「自分のためにやる行動」だ。誰かの評価を求めるためのものではない。だからこそ、夫に「たった2kmでしょ」と言われた時も、心が折れることはなかった。しかし、自分の内なる変化を他者に伝えるためには、主観的な感情だけでは不十分な時がある。

      「どれだけランニングが気持ちいいか」「どれだけ身体が軽くなったか」。それは私だけの至福の感覚であって、相手には直接伝わらない。だが、そこに「5km」「8kg」という数字が加わることで、私の変化は初めて具体性を帯びる。数字は、私の感情を他者に届けるための共通言語であり、確かな証拠になってくれるのだ。


      最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
      これは、古代ローマの哲学者セネカが遺した言葉だ。

      「我々の能力は、それを試すことによって、いや、むしろ、実行することによって発見される。」

      夫の言葉に一喜一憂することなく、私はただ黙々と努力を続けた。その結果として刻まれた数字は、私の情熱と能力を、何よりも雄弁に、そして力強く証明してくれた。

      誰かの評価という不確かなものに振り回される必要はない。大切なのは、いつだって自分自身の「行動」に目を向けることだ。あなたがコツコツと積み上げてきたその歩みは、やがて数字という揺るぎない形となって、あなた自身を支える盾になる。

      他人の言葉に心を乱される前に、まずは自分の足跡をじっと見つめてみてほしい。その一歩一歩の積み重ねこそが、あなただけの物語を創り上げる、かけがえのない糧となるはずだ。

    vol.50「苦手なタスク」を習慣化。ドーパミン報酬でストレスを消す方法
    vol.50「苦手なタスク」を習慣化。ドーパミン報酬でストレスを消す方法 HAKU

     
    我が家は月に1回程度外食をするかしないかという感じで、基本的にはしない。
    というのも、私が家で食べるご飯が好きだからだ。

    子供は好き嫌いが多いため、大人とは別のおかずを食べている。夫とは食事の時間を共有できないばかりか、顔を見ずに過ごす日が大半だ。月曜から金曜まで、家族全員で食卓を囲むことはほぼなく、我が家には週末以外、作りたてのおかずも存在しない。ただ、あるとすれば炊き立てのご飯くらいだろうか。

    何年か前に、「冷蔵庫の中のおかず、適当にとりわけてチンして食べてね」と夫にメールをした後に、全く手をつけていない状態に気づき、直接話したことがあった。冷蔵庫の中に作り置きしている大量のタッパーを見て、夫は「何を食べていいのかわからなかった」らしい。
    その課題を解消するため、タンパク質、野菜、副菜をプレートにして前日の夜のうちに準備し、朝と夜の二回、レンジでチンをすればスムーズにご飯が食べられるようにと、全てシステム化した。

    その中で、唯一これだけはと思ってやっていたのが、子供と二人で食べる朝食の時間だ。テレビを見ながらでも、横並びでもいい。とにかく一日のうちの一食だけでも、一緒にご飯を食べているという時間を作りたかった。

    こうした生活の中で、平日、極力家事をしなくても済むよう、日曜日に1週間分の買い物や作り置き、食材の冷凍を行い、水曜日の作り置きの追加準備を含め、土曜の朝まで食べるものに困らないよう、この体制を維持していた。段取りは完璧でも、「週末の作り置き」という作業が、正直なところかなりのストレスでもあった。

    世の中の母親なら、日曜日は翌週の準備で忙しいのは共通の課題だろう。サボりたい日もあるけれど、そんなことを言ってられない。その気持ちから、私は一人でキッチンに立ち、黙々と作業を進める。やり始める前が一番嫌な時間である。しかし、平日を乗り切るためには、やるしかない。

    日曜日のキッチンの矛盾とストレスの正体

    仕事の疲労、生理周期、休日のお出かけ後の買い出しなど、重なる負荷に耐えきれず、イライラが爆発して夫と衝突することも少なくなかった。冷戦期間中、ついに夫から「冷凍のお弁当をお昼の分だけ1週間お試しで購入してみよう」と提案され、試すことになった。

    頼んだお弁当がそうだっただけかもしれないが、電子レンジで温めると全体的にべちゃっとなってしまい、美味しいとはあまり感じられなかった。また、カロリーが高い点も気になった。さらには、大きなお弁当箱に冷凍庫が隙間なく支配され、他の食材が入らない状況にもストレスを感じていた。

    こうした試行錯誤の結果、(料理は別に得意でも何でもないのだが)やはり自分で作るご飯が、私にとって気持ちの安定(セロトニン的安定)と満たされた気分という二重の報酬を与えてくれることを再確認した。しかし、その報酬を得るための「下準備」という作業自体は、どうしたって大きなストレス源であることは間違いなかった。

    そしてこの矛盾を解消することこそが、私のメタ認知的な最大の課題となっていた。

    行動経済学の真実:ドーパミン報酬の最適化

    ヒントになったのが、エヴァ・ファン・デン・ブルック氏の『勘違いが人を動かす』と言う本だ。この本は、私たちの非合理的な行動を分析する行動経済学に基づいている。本書では、「嫌なことと好きなことを組み合わせると行動力が上がる」と書かれていた。嫌な作業をする時間だけ、好きな活動を許可し、それ以外の時間では制限を設けておくことが重要らしい。

    この理論をヒントに、「嫌な作業である料理を、どうすれば楽しい時間に変えられるだろうか?」と私なりに思考を巡らせた。

    手持ちのアイテムから考えると、「料理×お酒×音楽」が、私にとって最強の組み合わせだと感じた。お酒は週2回までと決めており、日曜日は遅くても18時頃までには飲み終わる。料理中にすべてが楽しめるこの行動は、現状のルールを壊さない、まさにピッタリな解決策だと気づいた。

    キッチンドランカーの戦略:ガソリン注入と自己コントロール

    この行動は、「キッチンドランカー」に分類されるだろう。PCでこのワードについて改めて検索すると、ネガティブな情報が多くて驚いた。そんな中、一部の言葉が私の考え方と似た、現代の母親の気持ちを代弁しているようなブログを発見した。

    キッチンドリンカーってダメですか?』富永寛子さん サンセリテ編集室ライター。
    >アルコールという名のガソリンを注入して、18時以降の体はようやく動き出す。
    >単に酔いたいわけじゃない。動いてタスクを片付けてしまいたいだけなので、飲み過ぎは禁物である。

    時間帯や曜日は違えど、私も日曜日の午後14時頃から大量の食材を捌くことを想像すると、毎回テンションが下がっていた。このストレスを乗り切るために、夫には子供と外出してもらうことをお願いした。そして、私は一人になったキッチンで、ちょっといいワイン(と言っても1,000円くらい)を飲みながら、常備菜の味見を兼ね、音楽を聞いて歌いながら作業することにした(最高!)。

    好きなモノを組み合わせることで、嫌だった作業もそこまで大したことではなくなり、毎週気合いを入れなくても継続できた。これは、脳の「報酬予測システム」を上手に利用した方法だと言える。嫌な作業(料理)に、確実な喜び(お酒と音楽)をセットすることで、脳が作業自体を「楽しい時間に付随するもの」として認識し直してくれたのだ。

    その結果、「行動力」が自然と上がり、脳のドーパミンを意図的に活用する最高の自己コントロール術へと変わった。

    人生をデザイン:苦手なタスクを最高の習慣に変える

    この習慣は、単なるライフハックではない。
    自分の脳をコントロールして、行動をデザインするというメタ認知的なアプローチだ。

    もしあなたが日常的に、嫌だけどやらなきゃいけないタスク、例えば子どもの学校の手続きや、宿題を見る作業、仕事の報告書作成、家事などがあるなら、その時間に合わせて「ご褒美」を設定してみてはどうだろうか。

    まず、あなたの嫌いだけどやらなきゃいけないことやストレスが何であるかを考えてみてほしい。 その上で、その苦手なタスクに、好きなことを組み合わせながらやると、どのように行動力が上がるのか、最高の組み合わせを見つけ出そう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソンが遺した言葉だ。

    「人生とは、意識的に創造されるべき芸術作品である。」

    あなたの苦手な作業も、自分の考え方でご機嫌な時間に変えられる。この小さな「楽しい工夫」の積み重ねこそが、あなたの人生の質を決める大切なプロセスとなる。今ある苦手なタスクを、自分を喜ばせるための習慣にすることから考えてみよう。