vol.30 「自分を愛する」セルフケアが思考の余白と自信を創る方法
vol.30 「自分を愛する」セルフケアが思考の余白と自信を創る方法 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537目次
朝の時間を活用し、運動が習慣化して自分を客観視できる余裕が生まれてきた頃。カズレーザー氏による「見た目がいい人は中身もいい」と語るショート動画が、ふと目に留まった。
そのフレーズは、驚くほどストンと私の腑に落ちた。 クリニックで日々多くの患者さんと接する中で、私自身も同じことを肌で感じていたからだ。
外見に「品」や「余裕」が漂っている人は、内面も驚くほど優しく、穏やかであることが多い。 それは、造形が整っているとか、高価なブランドを纏っているということではない。
自分の心身を丁寧に扱い、大切にしているという「自愛」の姿勢が、その人の佇まいとして外側に溢れ出しているのだ。
自己報酬系の強化:「愛すべき部分」を磨く自己投資習慣
私は気分が乗らない日があると、とことんネガティブの沼に沈んでいくタイプだった。そんな時、田中 克成氏の『自分をよろこばせる習慣』という本で、「自分の顔の1パーツを溺愛しよう」という言葉に出会った。
最初は、そんなことだけで変わるのかと半信半疑だったが、試してみることにした。私が実践したのは、「コンプレックスだったパーツを、愛おしい部分へと変える」ことだ。私の場合は、顔の中ではダントツ「歯」がコンプレックスだった。長年のコーヒー習慣と赤ワインで着色した歯は、鏡を見るたび落ち込むほど黄ばんでいた。
当時、子供に読んでいた長谷川 摂子氏の絵本『めっきらもっきら どおんどん』に、「もんもんびゃっこ」というキャラクターがいた。その妖怪は、顔は真っ白なのに歯は真っ黄色という、目をひく姿だった。読み聞かせている最中に、子供がその妖怪を指差し、「これお母さん!」と言われた時は、リアルにショックだった(ひどい)。
仕事中はマスクの着用が欠かせないが、プライベートでは基本的にマスクはしないようにしている。だからこそ、歯に自信をつけるため、ホームホワイトニングと年一回のオフィスホワイトニングを試すことにした。その結果、周りから「歯が白いね」と言われるようになり、笑顔の写真を見返すと明らかに過去の私とは表情が違っていた。
「友達と心から笑うための下準備」「赤いリップをつけたい」のように、自分を喜ばせるための行動として捉える。この習慣を続けると、驚くほど心が上向きになり、自分を認める力が強まっていくのを感じた。ストイックになりすぎず、「たまにはホットコーヒーもいい」「今夜は赤ワインを楽しもう」と、ゆるく考えることも大切だ。
完璧主義を捨て、柔軟な「余白」を持つ。
これこそが、行動を軽やかに続け、自分を好きでいられる秘訣なのだ。
脳科学が証明:ドーパミンとセロトニンの習慣化
では、なぜこうした「自分を喜ばせる行動」が、これほどまでに心を上向きにさせるのだろうか。
それには、脳科学的な理由がある。私たちの脳には、何かを達成した時に「ドーパミン」という報酬系のホルモンが分泌される。歯が白くなったり、二の腕が引き締まったりといった変化を鏡で確認するたびに、脳は「頑張ったね、偉いね」とご褒美をくれるのだ。
このドーパミンが、やる気を引き出し、自己肯定感を高めてくれる。
さらに、自分を大切にすることは、「セロトニン」という心の安定に関わるホルモンの分泌も促してくれる。好きな香りのボディクリームを塗る、お気に入りの歯磨き粉を使う、そういった五感を満たす行動は、脳に安心感を与え、穏やかな気持ちにさせてくれるのだ。
つまり、コンプレックスを愛おしい部分へと変える行為は、単なる美容習慣ではなく、脳の「自己報酬系」を能動的に強化するトレーニングなのだ。これこそが、気分の波に振り回されない、揺るぎない自信を育む土台となる。
未来の自分を創る:自己肯定感の積み重ね
この習慣が身につけば、気分の波に振り回されることは減るだろう。鏡に映る自分を見て、ため息をつく代わりに、小さな自信を積み重ねることができる。
メイクをしていない日でも、深く被った帽子やマスクに頼らなくても、あなたは堂々と歩けるようになる。なぜなら、人からどう見られるかではなく、自分が自分を愛せているという確信が、あなたの内側から輝きを放つからだ。
この自己投資は、やがてあなたの「思考の余白」を大きくしてくれる。
外からの評価を気にしたり、自分を責めたりするネガティブな思考が減り、本当に大切なことにエネルギーを使えるようになる。例えば、新しい趣味に挑戦したり、大切な人とじっくり向き合ったり。自己肯定感が低いと、これらの行動に踏み出せないことが多い。しかし、自分を大切にすることで、その一歩を踏み出す勇気が湧いてくるのだ。
誰かの正解を生きるのではなく、自分で自分を喜ばせる術を知っている人は強い。毎日を豊かに生きるための、自分だけの「自己投資メソッド」を手に入れたあなたは、これからどんな人生でも創り出していける。
習慣化の第一歩:ソクラテスに学ぶ行動
本書とは異なるが、それは顔のパーツでも、身体のパーツでも、どこだっていいはずだ。
コンプレックスだった部分でも、元々好きだった部分でも構わない。「ここを育てれば、私は気分が上がる!」と、自分の本心がワクワクする場所を見つけることなのだ。
まずは鏡を出して、自分をみつめてみよう。
一番最初に、あなたが「ここを育てたら最高かも」と思うのは、どこなのだろう?
そのために、自己投資したい場所を見つけ、一歩を踏み出してみよう。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
それは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した、こんな言葉だ。
「自分を愛せない者は、他者を愛せない。」
誰かを喜ばせるためには、まず自分自身が満たされている必要がある。
そして、自分を愛するための第一歩が、日々の小さな「行動」という習慣で作られる。自己肯定感を高めることは、自分を大切にすること。それが、他者への優しさ、そして自分らしくありたい生き方へと繋がっていくはずだ。
vol.31 「説得力」は数字と感情のハイブリッド:行動の可視化戦略
vol.31 「説得力」は数字と感情のハイブリッド:行動の可視化戦略 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537目次
- 行動の可視化:2kmと5kmの数字が語る評価のギャップ
- 数字が語る努力と成果:習慣化による減量の可視化
- 真の説得力:感情と論理(数字)のハイブリッド
「人に対して説得力が欲しい。」
そう思うようになったのは、私が運動を始めてからだ。
「どんな運動をしてるの?」と聞かれることが増え、メニューや距離は答えられるようになった。けれど、「筋トレは絶対やったほうがいいよ」といったアドバイスを、私はどうしても断言できずにいた。自分の中でまだ確実な変化を確信できていないことに加え、その効果を数字で裏付け、論理的に説明する「言語化」が追いついていなかったからだ。
そんなとき、2km走れるようになった喜びを夫に報告したら、「たった2kmでしょ」と一蹴された。私にとっては、ゼロから一歩を踏み出した大きな成長だった。別にそれを褒めてほしかったわけではない。ただ、2kmを走りきったという「事実」を共有したかっただけなのだ。そのとき覚えた軽い苛立ちは、自分の主観的な自信を、他者の物差しで測られたことへの拭いきれない違和感でもあった。
その一言に一瞬、心が沈みかけた。けれど、私はすぐに思い直した。1kmも走っていない人の物差しで、自分の努力を測り、落ち込む必要なんてどこにもないのだ。
面白いことに、不思議と「見返してやるために、次は5km、10km走ってやる!」というような反骨心すら湧いてこなかった。面白いことに、不思議と「見返してやるために、次は5km、10km走ってやる!」というような反骨心すら湧かなかった。なぜなら、このランニングは誰かに見せるためのパフォーマンスではないからだ。
誰の目も気にせず、誰の評価も求めない。 走ることは、純度100%の「自分のための行動」なのである。
この本質的な考え方は間違っていないと、確認できた瞬間でもあった。
行動の可視化:2kmと5kmの数字が語る評価のギャップ
しばらくして、年内目標だった5kmを達成した。夫がどう反応するか少しの好奇心を持って報告してみると、返ってきたのは「すごいじゃん!」という言葉だった。
以前の私なら素直に喜べたのかもしれない。けれどその反応とは裏腹に、私の心はどこか冷めていた。「前は『たった2km』って言っていたのに、なんで5kmはすごいと思ったの?」と聞くと、「いや、5km走るのはなかなか辛いでしょ」という、どこか表面的な答えが返ってきただけだった。
私にとって、大人になって初めて走った2kmは、果てしなく遠く、苦しい距離だった。だからこそ、走りきった自分を心の底から誇らしく思えた。対して、その後の2ヶ月で2kmから5kmへと距離を伸ばした時間は、すでに走る体力がついていたせいか、あの時ほどのハードルは感じなかった。
本気で挑んだ「2km」が軽視され、慣れ始めた「5km」という数字が称賛される。他者の評価がいかに適当で、自分の内側の熱量や苦労を反映していないか。その事実に触れたとき、私の中で言葉にしがたい違和感が、確信へと変わった。
この違いを明確にするために、AIにも聞いてみた。
漠然ではあるが、「2km走ることは凄くない。しかし、5kmはすごい。なぜ?」と尋ねてみた。
AI:『2kmを走ることは、多くの場合健康維持や運動不足解消の第一歩であり、特別な能力を必要としない一方、5kmの走行は、ある程度の持久力と体力の必要性、そしてランニングという運動の一般的な目安としての意味合いがあるため、より高いレベルの挑戦と捉えられやすいからです』
夫は徹底して客観的で、物事をロジックで捉える人だ。彼にとって数字とは、個人の感情を挟まない「誰の目にも明らかな事実」だったのだ。それがわかると、不思議とスッキリした。彼の評価基準は私の努力の「プロセス」ではなく、あくまで提示された「数字」にある。それは単なる「見方の違い」に過ぎないのだ。
数字が語る努力と成果:習慣化による減量の可視化
習慣の輪は、ランニング以外にも広がっていった。筋トレや縄跳びを取り入れ、さらに食事管理や飲酒習慣も見直した。一気にやらず、一つひとつの習慣を地層のように重ねていった結果、最終的に8kgの減量に成功した。これも夫に報告すると、やはり5kg減より8kg減の方が反応は格段に良かった。
2kmから5kmへの距離、そして5kgから8kgへの減量。 どちらも「3」という数字の差だが、他者に伝えた時の反応は驚くほど異なっていた。もちろん私も、人から聞かされたら絶対値の大きい方により強いインパクトを覚えるだろう。
だが、実際のプロセスを振り返れば、ゼロから一歩を踏み出した「0から2km」の地点こそが最も凄まじい変化であり、そこからさらに距離を伸ばした「2kmから5km」も、本来なら驚くべき進化なのだ。数字は頭の中をクリアにしてくれる便利な道具だが、その評価は常に受け手の物差しに委ねられている。
「数字って、なんて面白いんだろう」
そう思ったのは、人生で初めてのことかもしれない。 誰かに褒められるために設定した目標ではなかったが、運動や減量のメリットを正しく、力強く伝えるためには、説得力を生み出す「数字」という共通言語が不可欠なのだと理解した。
これは、ビジネスのプレゼンテーションと同じだ。 どれほど情熱的に夢を語っても、具体的な数字という裏付けがなければ、相手を動かすことは難しい。情熱は共感を生み、数字は客観的な事実として納得を運んでくる。
「私」という人間が抱く熱い感情と、達成した数字という事実。この二つが揃って初めて、他者を説得し、周囲を動かす力になるのだ。
真の説得力:感情と論理(数字)のハイブリッド
運動や減量は、私にとって「自分のためにやる行動」だ。誰かの評価を求めるためのものではない。だからこそ、夫に「たった2kmでしょ」と言われた時も、心が折れることはなかった。しかし、自分の内なる変化を他者に伝えるためには、主観的な感情だけでは不十分な時がある。
「どれだけランニングが気持ちいいか」「どれだけ身体が軽くなったか」。それは私だけの至福の感覚であって、相手には直接伝わらない。だが、そこに「5km」「8kg」という数字が加わることで、私の変化は初めて具体性を帯びる。数字は、私の感情を他者に届けるための共通言語であり、確かな証拠になってくれるのだ。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
これは、古代ローマの哲学者セネカが遺した言葉だ。
「我々の能力は、それを試すことによって、いや、むしろ、実行することによって発見される。」
夫の言葉に一喜一憂することなく、私はただ黙々と努力を続けた。その結果として刻まれた数字は、私の情熱と能力を、何よりも雄弁に、そして力強く証明してくれた。
誰かの評価という不確かなものに振り回される必要はない。大切なのは、いつだって自分自身の「行動」に目を向けることだ。あなたがコツコツと積み上げてきたその歩みは、やがて数字という揺るぎない形となって、あなた自身を支える盾になる。
他人の言葉に心を乱される前に、まずは自分の足跡をじっと見つめてみてほしい。その一歩一歩の積み重ねこそが、あなただけの物語を創り上げる、かけがえのない糧となるはずだ。
vol.32 行動が続かないを克服!たった5分で始めるハードルを下げる習慣
vol.32 行動が続かないを克服!たった5分で始めるハードルを下げる習慣 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537目次
- ハードルを下げる習慣がくれた自己肯定感
- 作業興奮の科学:意味や結果は後からわかる
- 行動が続かないを克服:小さな一歩の行動戦略
思い返せば学生の頃、世間で大流行した「ビリーズ・ブート・キャンプ」に入隊したときから私の挫折歴は始まっていた。「毎日がんばる!」と意気込んでみたものの、あまりのハードさに3日も続かず、「坊主」にすらなれぬまま除隊。筋肉どころか、残ったのは「続かない自分」という冷酷なセルフイメージのみ。3日も続けられないダメな自分へのレッテルを、自ら強く貼り直しただけだったのだ。
そんな理由で、大人になっても動画で行うエクササイズ系を避けていた。
ビリーの時のように、自分は絶対に続かないと強く思っていたからだ。
そんな時、たまたまYouTubeでおすすめに上がってきた竹脇まりなさんの「5分間ストレッチ」を観る機会があった。整体に行く時間さえ無かった私は、「5分だけなら」と、恐る恐るやってみることにした。すると、固まっていた身体がスッキリし、辛くないのに心地よい感覚が残った。「このくらいなら、できるタイミングでやってみよう。」そう思えたことが大きな一歩となり、初めて3日以上行動が続いたのだった。
1ヶ月経つ頃には、動画を観なくても体が動くようになっていた。当時住んでいたテラスで、毎日朝日を浴びながら、ぐーっと身体を伸ばして5分だけのストレッチを日課にする。この「自分を喜ばせる時間」を持つことで、スッキリした気持ちで一日をスタートできるようになった。
ハードルを下げる習慣がくれた自己肯定感
1日5分の継続で、1ヶ月合計150分(2時間半)になる。
1ヶ月で2時間半と言うと、少ないと思うか、それとも多いと感じるだろうか。 これは人それぞれだろう。
しかし、私はたった5分を毎日続けたことで、「朝から良い気分になる」というマインドセットと、「継続できる」という2つの確かな自信がついた。
彼女の人柄も、可愛らしくてとても好きだ。明るく元気な人を朝イチで見ていたことは、良い影響だったのかもしれない。例えば、朝の5分間ベッドの中でネガティブなニュースを見ながら身体が目覚めるのを待つより、元気な人を観ながらストレッチをした方が、身体にも脳にも良いと感じられた。
これは、脳科学でいう「プライミング効果」に似ている。
朝一番にポジティブな情報や活発な映像をインプットすることで、その日一日の気分や行動が影響を受ける。彼女の明るい笑顔と「今日も1日頑張ろう」という最後の声かけは、無意識のうちに私の心を前向きにしてくれていたのだった。
作業興奮の科学:意味や結果は後からわかる
井上 新八氏の『続ける思考』にもあったが、意味や目的を深く考えず、「何でもいいからやってみる」ことがとても重要なのだ。
毎日できそうな軽いストレッチ、筋トレ、散歩など、身体のために良さそうな運動を見つけたら、とりあえずやってみるのがいい(持病がある人は、医師や服用中の薬など制限のある行動について確認が必要だが)。
たった5分でも朝から良い気分になれるし、毎日続けていることに成長を感じるはずだ。見た目の変化は少ないかもしれないが、心の変化はかなり大きいだろう。最初のスタートはゆるく、そして短いものがいい。意味や結果は後からわかる。
嫌いなことを嫌々続けるのではなく、「好きなことを続けられている」という感覚を大切にすること。 その結果、継続できたという事実と自信を、自分自身で作り上げていくのだ。
この小さな行動がなぜ効果的なのかというと、脳の仕組みが関係している。
私たちの脳は、急激な変化や大きな目標を苦手とする。しかし、たった5分という短い時間なら、「これくらいならできそう」と感じ、行動への抵抗が少なくなる。この小さな成功体験が、脳に「報酬」を与え、次の行動へのモチベーションを高めてくれるのだ。
これは脳を騙して習慣化させる、賢い戦略なのだ。
行動が続かないを克服:小さな一歩の行動戦略
私たちは、生まれ持った性格や運命に縛られる必要はない。
自分に合ったやり方で、小さな成功体験を積み重ねていく。
その積み重ねこそが、やがて「自分は変われる」という確信に繋がっていく。
かつて、何をやっても三日坊主で終わっていた私。そんな私を救い出し、変えてくれたのは、驚くほど小さな「たった5分」の行動だった。この経験は、私に大きな自信を与えてくれた。そして、この「自信」こそが、新しいことに挑戦するための燃料になるのだ。
「たった5分のストレッチを毎日続けられたのだから、他のことだってできるはず。」
そう思えるようになったことが、私にとって小さな成功体験となり、最大の収穫だった。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
古代中国の哲学者老子が遺した、こんな言葉だ。
「偉大な行為は小さな始まりから生まれる。」
私たちはつい、最初から大きな目標を立ててしまいがちだ。しかし、本当に大切なのは、完璧なスタートではなく、小さな一歩を踏み出す勇気だ。そして、その一歩を継続すること。まずはそこから考えてみてほしい。
大きな目標の前に、まずは今日できる「たった5分」のこと。いや、1分でも1回でも構わない。その小さな一歩が、やがてあなたの行動を変える大きな流れに変わるのだ。
vol.33「時間の投資」で実現する人間関係の断捨離と自己成長
vol.33「時間の投資」で実現する人間関係の断捨離と自己成長 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537目次
私は今まで、ほとんどの物事を「好きか嫌いか」で判断してきた。自分を信じることは難しくても、自分の中にある「好き」や「嫌い」という感覚にだけは、常に揺るぎない確信を持って生きてきたのだ。
だからこそ、私が何を愛し、何を拒むのかを理解してもらえない相手とは、基本的に深く関わることができない。
自分の繊細さを自覚しているからこそ、境界線を無視して土足で踏み込んでくるような、無遠慮な言動には人一倍敏感に反応してしまうのだ。
いわば「取り扱い注意」な自分を理解しているからこその、防衛策。表面的なだけの立ち話や、惰性で続くママ友付き合いは、私の世界には存在すらしない。
大人になって「この人と友達になりたい」と思う瞬間はあっても、その関係が長く続くことは稀だった。相手に「つまらなさ」を感じた瞬間、繋がりを維持する努力をやめてしまう。それは冷淡さというより、自分自身の感覚に嘘をつけないという、不器用な誠実さの裏返しなのかもしれない。
時間の資産:「好き」に縛られていた過去
星 渉氏の『神時間』という本を読んで、改めて立ち止まって考えた。「好き嫌い」と同じくらい、「時間」について深く考えるきっかけになったのだ。
「人生とは時間の投資。自分に与えられた24時間を何に投資すれば、自分の欲しいものが得られるかを考える」と書いてあった。今の私が欲しいものは、「自分を信じる力」。そのために、小さな成功体験を作る行動として、まず運動を最優先にすると決意していた頃だった。
最初、24時間あるうち、たった30分筋トレする時間を捻出することさえとても難しかった。それでも、必ず無駄な時間があるはずだと疑って、私は自分の時間を洗い出した。出勤前に15分見ていたスマホをやめて腕のストレッチをしたり、昼休みにはスクワットをしたり。そうして、隙間時間を使いながらトータル1時間、1日の中で運動する時間を捻出することができた。
本には「ゴールに関係のない頼みは断る」という徹底した戦略が記されていた。私はこれを、人間関係に適用した。大好きな友人であっても、「今はその時じゃない」と感じれば、迷わず自分の時間を優先した。もともと誘う側の人間だったこともあり、断ることへの罪悪感は驚くほどなかった。
私の性格は「猫」そのものだ。
甘えたい時は自分から寄っていくが、そうじゃない時は放っておいてほしい。
幸い、私の数少ない友人たちは、その気まぐれさを無言で受け入れてくれた。数ヶ月会わなくても、「きっと何かで忙しいんだろう」と察してくれる。その静かな理解に、今は心から感謝している。
時間の投資戦略:人間関係の価値を問い直す
私たちは皆、平等に24時間という資産を持っている。
この資産を何に投資するかで、未来の自分が決まる。私はこのシンプルな事実に気づいてから、時間に対する意識が大きく変わった。
友人と会って楽しく過ごす時間は、もちろん貴重だ。しかし、今の私にとって最も価値のある投資先は、「自分を成長させるための時間」だった。筋トレや勉強、自分の内面と向き合う時間。これらは、すぐに目に見える結果が出ないかもしれないけれど、未来の私を強く、自信に満ちたものにしてくれる希望の時間である。
この「時間の投資」という考え方は、人間関係にもそのまま当てはまる。友人と会う時は基本的に飲みの場なため、「その人との時間に、週末の睡眠時間や翌朝のランニング、または勉強の時間を引き換えにするだけの価値があるか?」私はそう問うようになった。
価値のない関係を断つという選択は、もしかしたら冷淡に映るかもしれない。だが、私の周りにはそう思う友人はいないので、安心していいだろう。これは友人を信じ、愛しているからこそ思うことかもしれない。離れていても、全く気まずくない関係性をかれこれ20年近く続けている。
人からどう思われるかではなく、今は自分がどうなりたいかを最優先にすること。それが、この時の私にとって一番大切なことだと確信していた。
断捨離と行動原理:「猫」と「価値」の基準
私は人間関係において「お互いを高め合えるか」を絶対的な基準にしている。 尊敬する人からの言葉は、私の心を輝かせる宝物になる。
けれど、互いに高め合えない関係から発せられる言葉は、私の大切な「心の余白」をただ曇らせるだけのものに感じてしまうのだ。
だから私は、自分の資産(時間)を投じるべき相手を、静かに、けれど確信を持って厳選することに決めた。
それは誰かを切り捨てるためではなく、私が私らしく、前を向いて歩き続けるために。 互いの熱量を共鳴させられる「尊敬の念を抱ける相手」を、丁寧に選び取る。その作業こそが、私の人生をより鮮やかに、そして豊かにしてくれるのだと確信している。
試行錯誤の末、友人とは3ヶ月に1回の頻度で誘うようになった。以前は毎月会っていたほどの仲なので、久しぶりに会った時はハグするほど嬉しかったし、話すことが止まらなくて結果的に二日酔いになるほど楽しめた(翌日二日酔いというのもスケジュールに入れておく)。そんな、爆発的な質を伴う再会こそが、今の私には必要な「投資」なのだ。
今の自分にはやりたいことがあり、そのモチベーションは高い状態が続いている。故に、付き合う人を洗い出し、その関係性に価値があるのかどうか確認することは、時間という資産を使う上で極めて重要だと知った。
会った時間が「自分に必要な投資だった」と思えるためには、お互いの進歩やモチベーションを高め合える対話が不可欠だ。その前提があるからこそ、友人との時間を最大限に活かそうとする事前の準備や、日々の努力の質も爆発的に上がるのだった。
自己成長:人生は、自分で選ぶ時間でできている
投資先を厳選すれば、当然、失われる関係もある。
常にネガティブな言葉を吐き、自らを「うまくいかない場所」に置き続ける人。変化を拒む人。以前の私なら、相手に合わせて自分の感情を殺してお酒を飲むこともできた。けれど、今の私はもうそこにいない。他人を変えるエネルギーがあるなら、それは自分のために使いたい。不満だらけの友からは、そっと、そして静かに離れればいいのだ。
友を失うことは怖かった。けれど、自分が変われば、住む世界(コンフォートゾーン)も、そこに集まる人々も変わるのが道理だ。相手を攻撃したり、傷つける必要はない。ただ、静かに、優しく離れればいい。今の私には、新しい関係を築く余裕はないかもしれない。けれど、それでいい。「今はこれで良い」と割り切ることも、立派な戦略なのだから。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した言葉だ。
「人生は選択の連続である。」
私たちは、どんな人と時間を過ごし、何に時間を投資するか、すべて自分自身で選択できる。その選択一つひとつが、未来のあなたを創るのだ。今日から「時間の使い方」に意識を向け、未来の自分のために選択していこう。
自分を大切にするとは、心地いい空間と前向きな人を選ぶことと同義だ。この自己決定と自己探求こそが、あなたの人生をより深く、より強く、そして何よりも揺るぎない充足感で満たしてくれるだろう。
vol.36 40代への投資 : 時間の使い方と家族との黄金時間
vol.36 40代への投資 : 時間の使い方と家族との黄金時間 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537目次
10代の頃に「20代の頃にしておきたい17のこと」を読み、20代では30代版、そして今、30代の終わりに「40代にしておきたい17のこと」を読み終えた。
振り返れば、これまでの私は文字通り「今」を生きていなかった。頭の中は常に先の未来を読み、不安を先回りさせていた。それなのに、実行に移す勇気はなく、多くの時間とお金を無駄にし、東京の街で大した経験も積まずに遊び呆けていた。「あの時、もっとちゃんとしていれば」。そんな後悔が頭をよぎることもある。
けれど、ふと思うのだ。 当時の私は、今ほど高いモチベーションや明確な目標を抱けるほどの「器」ではなかった。
あの時の私には、あの生き方が、あの選択が、精一杯だったのだ。
過去は変えられない。 過ぎ去った時間を惜しむよりも、その未熟だった自分さえも「必要なプロセス」だったと抱きしめてあげたい。
器が足りなかった過去を認める強さを持てた今、私はようやく、40代という新しい器を、自分の意志で、自分の意志で、より鮮やかに描き出していける気がしている。
過去の呪縛を断つメタ認知:DMNと「しょうがない」
「あの時」の後悔の念に囚われるのは、脳の「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」が活発になっている証拠だという。DMNは、脳が休んでいるときに過去の反省や未来の不安といった思考を巡らせる機能だ。しかし、過去は変えられない。だからこそ、その思考のループから意識的に抜け出すメタ認知が大切になる。
私は過去の自分を「しょうがない」と受け入れた。
これは諦めではなく、当時の自分には今の情熱が備わっていなかったことを冷静に認める戦略的受容なのだ。そうすることで、過去への後悔に費やされていたエネルギーを、すべて「今」と「未来」に振り向けることができる。
過去を肯定し、思考を「実行モード」へ切り替える。この土台があって初めて、新しい習慣を受け入れるための「思考の余白」が脳内に生まれるのである。
40代への自己投資:健康と時間の価値
「40代にしておきたい17のこと」から抜粋した、今の自分にできていることがある。
本「40代にしておきたい17のこと」から、今の私が全力を注いでいるテーマがある。それは「健康と時間への投資」だ。40代からは生き方の差がはっきりと外見に現れる。顔のたるみ、シワ、体型。これらはすべて、これまでの生活習慣や人間性が蓄積された「人生の履歴書」のようなものだ。
生き方が表情に表れるからこそ、健康への投資は未来の自分という「資産」を育てる行動経済学的なアプローチと言える。朝の運動で分泌されるセロトニンがストレスを軽減し、内面的な安定をもたらす。この地道な努力が、40代以降の「表情の明るさ」という形で見事に還元されるのだ。
自己投資は早く始めた分だけ、そして年齢が上がるほどそのリターンは大きくなる。私は今、未来の自分のために最も価値ある資産を積み立てている最中なのだ。
家族との時間:経験への温かい投資
もう一つ、本から学んだ大切なこと。
それは、「家族と繋がる最後の10年を大切にする」ということだ。
この本を読むのが遅かったこともあるが、私の場合はあと5年と考えた方が良さそうだ。私は母親が35歳の時に産んだ子なので、両親ともに同じ学年の子の親と比べて年齢が高い。さらに子供の年齢も考えると、あと10年も共に楽しむことは難しいかもしれない。
「私には自分のやりたいことを実行する時間だけでなく、家族と過ごす時間も作らなければならない」と思い直すことができた。今まで一人で過ごしたい欲が強かったので、少し反省した。
誕生日やイベントを企画し、久しく疎遠だった兄や姉も含めて集まる場を作る。兄弟仲が良いとは言えない期間が長く続いていたが、せめて母が楽しそうに笑い、集合写真を撮るその瞬間だけでも、私たちは家族として協力してもいいのではないだろうか。
親の喜ぶ顔を見ることは、自己中心的な私の中にも温かい感情を呼び起こす。これは単なる消費ではなく、自分自身の心の土台を安定させるための「精神的な投資」だ。もちろん、無理をしてストレスを溜める必要はない。「無理のない範囲」での調整こそが、良好な関係を長く続ける秘訣なのだから。
行動こそが未来:ジェームズに学ぶ自己成長
色んな思い出の形がある中で、私はやはり、自分の両親の喜ぶ顔を見るのが好きなのだと思う。
旅行先でお土産を買っても、素敵な洋服をプレゼントしても、体験という思い出ほど人の記憶に残るものはないだろう。これは、経験(時間)への投資が、物質的なものへの投資よりも大きな幸福をもたらすというポジティブ心理学の原則とも一致している。モノはすぐに価値が減るが、経験は記憶として残り、幸福度を増し続けるのだ。
あと少しの間、30代でできる最大限のことを実行しよう。
そのために、自分のための運動であり、勉強であり、そして家族との時間を作り、思い出を増やしていくのが良いかもしれない。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
それは、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが遺した言葉だ。
「未来は、今、あなたの手の中にある。」
年齢やステージが変わるたびに、人生の設計図も変化する。
その変化を傍観するのではなく、自ら主体的に行動し、未来という設計図を描き続けることが大切なのである。過去を気に病むのではなく、今、目の前の経験に全力を尽くそう。あなたが今投資した健康と時間が、これからの人生を豊かにしてくれる確かな資産となるだろう。
vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略
vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537正直な話、私の小学生時代、宿題をやった記憶はほとんどない。
「宿題ってあったっけ?」というレベルだったが、1時間目が始まる前に急いで問題を解いた記憶はあるので、おそらく宿題自体はちゃんとあったのだろう。夏休みの宿題も、最終日に答えを写しながらなんとか終わらせるのが常だった。
両親から「宿題をしろ」と言われた記憶も、そういえばなかった。最初こそやっていたのだが、家でわからないことを聞こうとしても、私の理解力が乏しいため父は教えながらイライラし始め、いつも家の仕事で忙しい母には時間的な余裕もなかった。子供心に「親には頼れない」と判断した私は、いつしか学ぶことを放棄していた。
中学生になっても宿題をやった記憶は皆無だった。部活動や放課後の遊びに明け暮れる生活は、高校時代も続いた。姉から推薦枠にギリギリ入る点数で良いと言われていたので、一応赤点は取らずにはいたが、できる範囲の勉強しか行わなかった。そうしたできる範囲の努力だけで、大学までを泳ぎ切ったのだ。
大学に入っても全ての教科に興味がないため、授業内容はさっぱり理解できず、周りの友達に助けてもらってやっと卒業できた。しかし、唯一極度の緊張を覚えた瞬間が一度だけあった。それは卒業者発表の掲示板を見に行った日のことだ。掲示板を見に行く直前まで、自分の番号があるか不安すぎてずっとソワソワしていたことを覚えている。当時の私は、この不安が「自分を信じるに足る努力を積み上げていないこと」から来ているのだとは、微塵も気づいていなかった。
私の学生時代は、最後の最後まで、真剣に努力をすることなく、ただ「運」だけで通り抜けてきてしまっただけなのだ。
こんな風に大学を卒業するまで、一度も勉強が好きだと思ったことや、自ら学びたいという意識もなく生きていた私だが、運動習慣や朝の勉強時間を始めてもう半年以上になる。その中で、脳科学、認知行動療法、哲学、習慣化の方法など、沢山の本を読み、ノートに書き写し、インプットとアウトプットを繰り返しながら学ぶようになった。
あの頃の私が今の私を見たら、一体何と言うだろうか?
プロが実践する:プラトーの停滞期と思考の再構築
学びの中で出会ったジョージ・レナード氏の『達人のサイエンス』には、真の成長を遂げる人の共通点が記されていた。それは「プラトー(停滞期)」における振る舞いだ。
- 「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」
- 「プロになる人はその物事が好き」
- 「プロになる人は学び続ける」
プラトーというのは、成長する過程で壁にぶつかっても、その壁を乗り越えて繰り返しどんどん上達していくことを指す。つまりは「停滞期」のことだ。ダイエットでも何でも、うまくいった時こそ、その後の停滞期をどのように乗り越えるかが鍵となるだろう。まさにそれだ。
私も勉強、筋トレ、ランニングを継続するうちに、プラトーにさしかかったタイミングがいくつかあった。成長を感じられるタイミングの後にいつも、「この方法をこのまま続けていいのだろうか」という不安感が出てくる。もっと良い方法があるのでは無いかと、頭を悩ませながら進めていくことも少なくなかった。
この不安感は、「思考の再構築」が必要なサインだ。
脳は同じ作業を繰り返すと効率化しようとするが、停滞期は「現状のやり方では次のレベルに行けない」という警告である。だからこそ、私は行動の質を変えることにした。具体的には、得た知識を別の視点から見直すために「専門外の本を読む」ことや、「やり方を変えてみる」という行動に切り替えた。これは、認知心理学でいう「問題の再定義」に他ならない。
それを少しずつ、色々な本を読みながら模索して行動し、今に至る。
その間に確認し続けていたのは、ノートの1ページ目に書いた自分の目標だった。ふと悩んだらそれを目で見て、「今私がやっていることは、何の為にしていることなのか?この先には何があるのか?」と、その都度思い起こしながら勉強や行動を続けた。
結論は明確になっていたものの、プラトーにさしかかると立ち止まりそうになるため、目標をこまめに確認するようにした。
覚醒:「好き」が習慣化の最強エンジンとなる理由
今の私は、「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」、「プロになる人はその物事が好き」「プロになる人は学び続ける」この三つの行動を続けられている。
その事がわかると、「自分は今やっていることが心から好きで、変化を学びに変えながら実行していて、プラトーの中で時間を過ごしていても辛くない」と感じるようになった。この事実は、私にとって大きな自己認識(メタ認知)の転換だった。かつて勉強が大嫌いだった私が、今は「学び」を楽しんでいる。自分でも信じられないような変化だ。
実際、このブログを書いたところでお金が発生するわけでもない。 何なら今、読者はゼロ。プレビュー数が「0」という冷厳な数字を前に、私は淡々と文章を紡いでいる。
むしろ手元にあるのは、早起きによる仕事中の強烈な眠気や、週末の夜更かしという甘い誘惑だけだ。
客観的に見れば、割に合わない投資かもしれない。けれど、私の中に湧き上がる「学びたい、伝えたい」という衝動は、どんな報酬よりも私の心を充足させてくれる。それが自分にとって最高に意味のある「好きなこと」だとわかっているから。
報酬がなくても、観客がいなくても、プラトーという停滞期が来ても。 私はもう、自分の意志で選んだこの道を、立ち止まることなんてできないのだ。
本を読み、気づきを得たこの真実は、自分の中で自信となり、より力強いモチベーションとなっていった。
この「楽しい」という感情は、単なる気分ではない。
心理学でいう、内発的動機づけによる幸福である。外的な報酬(給料や評価)に依存せず、活動自体から得られる喜び(フロー状態)が、私を幸せにし、結果として継続を可能にしている。
人生のテーマ:幸せに生きるための継続の哲学
プラトーの中で淡々と継続し、その状態をさえ楽しいと思えることを見つけた人。そんな人こそが、最も充実した人生を送っているのかもしれない。プロを目指すかどうかではなく、報酬がなくても続けられる「何か」を持っていること自体が、人生の幸福度を決定づけるのだ。
最低限の努力で生きていた頃の私は、常に自分を信じることができなかった。しかし今、自分の「好き」を燃料にして行動し続けることで、不透明だった未来は、確かな手応えを感じる自信に変わりつつある。
あなたが今、無償でも続けていること。
誰にも見られていなくても、熱中できること。
それこそが、あなただけの人生の目的そのものなのだ。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが残した言葉だ。
「苦しみなくして、力ある情熱は生まれない。」
これはニーチェの言葉の中でも、私が最も大切にしている意識である。
停滞期(プラトー)という名の苦しみを乗り越え、それでも続けることができるのは、その先にある「好き」という情熱があるからこそ。その情熱こそが、あなたを本当の意味で強くするのだ。
vol.39 「ネガティブな口癖」が人生を止める:一言で思考を整理する習慣術
vol.39 「ネガティブな口癖」が人生を止める:一言で思考を整理する習慣術 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537口癖に関しては、正直、私は厳しい方かもしれない。
「疲れた」「どうせ」「私なんか」
この3大ネガティブワードを無意識に垂れ流していないか、私は常に自分自身の意識を律しながら過ごしている。子供に対しても、これらの言葉が出たときは「自分を傷つける言葉はやめようね」と即座に注意してしまうほどだ。
その背景には、姉の存在がある。
姉は「疲れた」「めんどくさい」「時間がない」「運が悪い」という言葉を連発する人だった。
スマホを眺めている時や歌のアプリに熱中している時はあんなに生き生きとしているのに、仕事の話になれば途端に「時間がない!」とイライラを募らせる。家族であっても、本人の意志がなければ人は変えられない。だから私は、負の言葉を撒き散らしながら自らを「可哀想な人間」へと追い込んでいく姉の姿を、ただ横目で見て見ぬふりをするしかなかったのだ。
「疲れた」という度に疲れるし、「運が悪い」と思うほどに運が悪くなってしまう。そんな暮らしの中で、姉に対して「口癖だけなら変えられるのに」と、ずっと思っていた。結局のところ、本人の意志でしか、行動や思考の舵を切り替えることはできないのだから。
思考のストッパー:3大ネガティブワードとの決別
私たちは、自分が発した言葉を、一番近くで、そして一番多く聞いている。脳科学的に見ても、自分の言葉が「先行する刺激がその後の行動に無意識の影響を与える」セルフ・プライミングとなり、思考や感情、行動を方向づけてしまう。ネガティブな言葉を繰り返すことは、自分で自分の脳に「私は不幸だ」「私は無力だ」という呪いをかけているようなものだ。
姉の姿を見ていて痛感したのは、ネガティブな口癖は「思考のストッパー」になるということだ。「疲れた」からやらない、「時間がない」から諦める。これでは現状を打破するための「思考の余白」など生まれるはずがない。
性格を変えるのは時間がかかるが、口癖だけなら今この瞬間の「一言」で変えられる。行動が続かないと感じたなら、まずはこの一言を変えることから始めるのが最も簡単な自己改革になるはずだ。この「一言の習慣」を変えるだけで、脳は行動への抵抗を減らし始める。
セルフ・プライミング:脳をサクサク動かす独り言
さらに、アンガーマネジメントの視点からも「言葉」の重要性を学んだ。安藤 俊介氏の『心がラクになる言い方』という本には、怒りをコントロールし、脳をポジティブな方向へ誘導する「魔法の独り言」が紹介されている。
その中に、「ポジティブになれる独り言」が紹介されていたので、一部をシェアする。
- 「ま、いっか」
- 「終わりよければ全てよし」
- 「こう言うこともある」
- 「大したことではない」
私はよく「ま、いっか」を使う。許容範囲を広げることで脳の疲れを防ぐためだ。
思い返せば、私の母の口癖は「大したことじゃない」だった。父や姉がイライラするたびに、母のその一言が家庭内の不穏な空気をニュートラルに戻していた。あれは無意識のアンガーマネジメントだったのかもしれない。
母の言葉が家庭内の「イライラ」を鎮めるように、職場にも同じような「魔法の独り言」があることに気づいた。
Dr.が仕事中によく言う「よし、よし!」という言葉だ。
私も一つ一つの作業の終わりに、先生のように決意を表す感嘆詞を真似するようになった。これを口にすると、サクサク作業が進み、次もちゃちゃっと終わらせてしまおうという気持ちになる。これは、脳科学でいう「ドーパミン報酬系」の仕組みを利用している。脳が「よし!」をトリガーに小さな報酬(達成感)を認識し、次の行動へのモチベーション(ドーパミン)を分泌させている状態だ。自ら小さなご褒美を与え、効率を上げているのである。
言葉と思考:ポジティブ心理学的セルフ・コントロール
言葉に関する多くの本を読んで、さらに気づいたことがある。口から出る言葉は全て自身の行動に繋がっており、怒りと思考と言葉の点は、全てつながって自己が形成されていることがわかった。
ネガティブな言葉を吐く人の頭の中には常に悪い思考が渦巻き、ポジティブな言葉を吐く人は自分を肯定しながら生きている。
だからこそ、ポジティブな言葉を意識的に使うことで、脳は現実の中からその言葉を裏付ける事実を探し始める。例えば、「大したことじゃない」と言えば、脳は本当にその問題が些細なものである理由を無意識に探し、ストレスレベルを下げようとする。これが、ポジティブ心理学に基づいた、脳のセルフ・コントロール術なのだ。
行動の舵:一言が人生を決める哲学
もしあなたが自分を変えたいと願いながらも、ソファから立ち上がるのさえ億劫に感じるなら、まずは口癖だけを変えてみてほしい。一歩踏み出すよりも、一言発するほうがずっと楽なはずだ。その小さな一言から、あなたの思考の舵は確実に回り始める。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
それは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスが残した言葉だ。
「言葉は、思考の道具であり、行動の舵である。」
あなたの発する一言が、あなたの人生を左右する。今日から、意識的にその舵をポジティブな方向に向けてみよう。その小さな言葉の選択こそが、あなたが望む未来へと進むための、パワフルなスイッチとなるだろう。
vol.40 「筋の悪い努力」をやめる質問力:最短距離で自己投資を加速する方法
vol.40 「筋の悪い努力」をやめる質問力:最短距離で自己投資を加速する方法 https://shikou-yohaku.com/wp-content/uploads/2025/10/Gemini_Generated_Image_yd74p3yd74p3yd74-1.png 1024 1024 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537私はよく、人に質問するタイプの人間である。
特に専門職の人には積極的に話しかけて、その知識をわかりやすく教えてもらうことが大好きだ。
新しいことをスタートする時は、まず自分で軽く調べて行動することが多いのだが、それだけでは途中で行き詰まる。現在、身体や筋トレについては信頼できるクリニックのDr.に、髪や頭皮のケアは担当の美容師さんに、そして骨格やストレッチのことは通っている整体師さんに質問すると決めている。
こうしたプロフェッショナルが身近にいる環境は、私にとって計り知れない幸運だ。わからないことを曖昧なままにしておくのは絶対に嫌だし、何より「筋の悪い努力」で時間を浪費することだけは避けたい。信憑性のある「答え」を持つ人に一度聞いておかなければ気が済まない、これは私の譲れない性分なのだ。
専門家の幸運:思考のショートカット戦略
自分で調べてやったことを継続していても、必ず壁にぶち当たる時や、停滞するタイミングが訪れる。そんな時に頼りになるのがプロたちだ。
そんな時、齋藤 孝氏の『本当に頭のいい人の思考習慣』で紹介されていた「専門家から話を聞く」という教えに触れたとき、「自分の直感は間違っていなかったのだ」と背中を押され、これまでの試行錯誤を優しく肯定されたような気持ちになった。
私たちは日々、情報過多の時代に生きている。スマホを開けば、筋トレの方法も、最新の美容法も、仕事の効率化テクニックも無限に出てくる。しかし、その情報が自分に合っているか、正しい順番なのかはわからない。試行錯誤は避けられないが、何が自分に合っているかを確認するタイミングが必ず出てくる。それをせずに時間だけを浪費し、疲弊してしまうのが、「筋の悪い努力」である。
筋の悪い努力を続ければ、なかなか成果が出ず、何が自分に合うかを見つけられずに苦労するだろう。その点、プロのアドバイスは、その人が何年もかけて培った知識と経験の集大成だ。これをたった数分の質問で得られることは、計り知れない価値があり、自己投資に対する大きなリターンとなる。
脳科学的なメリットとして、専門家に聞くという行動は、自分の「思考のショートカット」を可能にする。脳が膨大な情報を処理する手間を省き、最短距離で目標達成に必要な情報だけをインプットできる。これは、「集中力(アテンション・スパン)」を無駄に消耗させない、賢い戦略である。「思考の余白」を確保するためにも、不要な情報収集は避けるべきなのだ。
最短距離の知識:筋の悪い努力vs.確実なリターン
私たちが求めているのは、納得感のある成果だ。
最も非効率なのは、間違ったフォームで努力を続け、体を壊したり時間を失ったりすること。プロのアドバイスは、そうした「失敗のリスク」を劇的に減らしてくれる。
例えば、筋トレのフォームをDr.に相談したとき。「その角度は腰に負担がかかるから、この方法がいい」と即座に修正案をいただいた。もし一人で続けていたら、私は今頃腰を痛めて運動を中断していただいろう。医師としての医学的知見と、自らもパーソナルジムを掛け持ちする実践的な知識。その融合から生まれる一言は、数ヶ月分の試行錯誤と怪我のリスクを回避させてくれたのだ。
インターネットの情報は玉石混交だが、「信頼できる専門家」が選んだ情報は、まさに選りすぐりの宝石である。この「信憑性」に基づいた知識を実践することこそが、目標達成への速度を劇的に高める。これは、自己成長の確信につながるのだ。行動経済学的に見ても、確実なリターンが見込める場所に時間という資源を投資するのは理にかなっている。
メタ認知とドーパミン:成功体験を積み上げる質問術
これを継続していくと、自分にとっての解けない問題は一瞬で解決し、その後の動きがスムーズになる。この継続が深まると、「アドバイスを実践した結果、成果を感じられた」と実感し、よりポジティブに変わる。
プロのアドバイス通りに行動して得られるのは、知識だけではない。それは「成功体験」である。
成功体験を通じて成果を感じると、「私は正しい道を選んだ」あるいは「結果が出た」という確信が持てる。この確信が、ドーパミンを分泌させ、次の努力へのモチベーションになる。筋の悪い努力をしていた頃の不安感やイライラから解放され、心に「思考の余白」が生まれるのだ。
専門家に質問することは、決して難しいことではない。媚びを売る必要もなく、ただ誠実に聞けばいい。プロフェッショナルほど、自分の培った知識を共有することに喜びを感じるものだ。
あなたの身近にいるそのプロたちが、あっという間に問題を解決してくれるだろう。これは、自分の脳を最大限に活用し、最短距離で目標を達成するためのメタ認知的な習慣である。
賢者の行動:なぜ質問こそが最高のスキルなのか
人間は、「知らないこと」を恥と捉え、プライドを守ろうと無意識に防衛する。これは社会的な評価を気にする心理が働くからだ。しかし、本当に賢い人は、その瞬間のプライドを守るコストよりも、学習による未来の利益を優先する。
知らないことを知っているふりをして、間違った努力を続けることほど、時間と金銭の無駄はない。プロたちの知識を引き出す「質問力」こそが、現代の自己投資における最高のスキルなのだと私は実感している。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
古代の知恵を教えるユダヤが遺した言葉だ。
「賢者は質問をする。愚者は知っているふりをする。」
知らないことを恥じるのではなく、その事柄に関して相手に「わからない」と質問することこそが、あなたが成長への一歩を踏み出した証拠となる。
わからないことがあったら、まずは自分で調べて行動した上で、あとはプロの力を借りてみよう。その質問は、あなたを正しい道へと導く究極のショートカットとなる。
vol.46 虚無感を埋める最強の習慣:「目的」への時間の投資
vol.46 虚無感を埋める最強の習慣:「目的」への時間の投資 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=176811753722歳の、クリスマスの時期だったと思う。
大学生だった私が、文字通り全力で遊んでいた時期だ。
飲み会の前の時間は、書店で時間を潰したり、HMVで洋楽のアルバムを試聴していたのだが、今思えばその全てがただの「暇つぶし」だった。
雪のちらつく帰り道、セブンのおでんを片手に「つまんなかったな」と独り言を言いながら歩いた、あの寒い冬の日の感覚を今でも鮮明に覚えている。年末まで2週間、びっしりと飲み会の予定を詰め込みながら、私の心はどこまでも冷え切っていた。
当時の私は、無駄に溶けていく時間に対して罪悪感すら抱けず、ただ漠然とした虚無感に無自覚なまま生きていた。毎日誰かと約束があり、華やかな場所に身を置いているはずなのに、なぜあんなにも満たされなかったのか。
その真実を、今の私は痛いほど理解できている。
快楽は虚無感に繋がる:行動経済学的な理由
毎日遊んでいても、なぜか満たされない。
この矛盾、あなたにも心当たりがあるだろうか?
そのモヤモヤは、ラス ハリス氏の『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』という本を読むまで気づかなかった。この本には、なぜ人間がネガティブなのかや、自分の価値を見つける方法など書かれている。そして、「人は快楽を追いかけても一瞬気持ちいいだけで、長い目で見た時に幸せにはなれない」とことを伝えている。
人間は、夢に向かって行動している時が最も幸せなのだという。
これには私も強く共感している。やりたいこともなく、やらなきゃいけないことを避けて遊んでばかりいた時期がまさにそうだった。自分の価値が何かさえわからず、夢も持てず、ただ快楽だけ求めて遊び続けていた。嫌なことがあっても、友達とお酒を飲めば楽しくなる。彼氏に会えば満たされる。自分と向き合わずにすむ方法が、あの頃の私の唯一の解決策だったのだ。
しかし本にもある通り、怖いことから逃げて楽なことばかりしていても、幸福にはなれなかった。好きなことばかりしてもただ虚しいだけで、目的がないため達成感も得られず、お金ばかりが減っていった。
なぜ快楽は長続きしないのか?
それは、脳が快楽に「慣れる」ようにできているからだ。ドーパミンが分泌されることで一時的に幸福感を得ても、その刺激が当たり前になると、脳はさらに強い刺激を求めるようになる。これが、快楽を追いかける人生が「虚無感」に繋がる脳科学的なメカニズムである。
一方、「夢に向かって行動する時」の幸せは、達成感や自己効力感によって得られる、より持続的な幸福(セロトニンやオキシトシン)だと言われている。これは、「内発的動機」に基づいた行動の報酬であり、時間が経つほど自己肯定感を高めていく。
人間は、快楽の中にいる時ではなく、自らの価値に沿った「目的」に向かって行動している時にこそ、最も深く持続的な幸福を感じるようにできている。当時の私は、その「目的」から最も遠い場所にいたということなのだ。
時間の投資の真実:スーパー営業マンと10年後の差
大学生の頃、私の周りは「人生の目的が明確な者」と「そうでない者」に二分されていた。
私は自分と似た目的がないタイプの友達とはすぐに仲良くなり、時間を溶かすように遊んでいた。一方、目的がある友達は勉強、資格、バイトでいつも忙しそうだった。この対照的な違いこそが、人生という行動経済学的な資産を、早期に自己投資しているか否かの明確な差だった。
同じサークルの男の子で、宅建の資格取得という目標に向かい、行動している子がいた。学部の違う彼と同じ授業を終え、薄暗くなった外を見ながら、教室を出るタイミングで、彼は「これからバイトなのに、昼飯を食う時間がなかったわ」と呟いた。その時、私はとっさに何かしてあげたくて、飲み会前に食べようと思っていたパンをバッグの中から取り出し、「これ食べなよ」と彼に手渡した。彼はコンビニで立ち止まる時間すら惜しんでいたようで、とても喜んで受け取ってくれた。
その10年後。
その子が地域の不動産のフリーペーパーに載っていて、スーパー営業マン的な記事と共に紹介されていた。それを見た瞬間、「あぁ、資格をとってちゃんと仕事に活かせているんだな」と心の底から羨ましい気持ちが沸いた。
フリーペーパーに掲載された彼の笑顔は、あの頃のようにキラキラしていた。彼は、自分にとって価値があることがわかっており、それに向かって努力を続けていた。今はもう別の夢に向かって走っているのだろうと、彼の笑顔から読み取れた。
当時の私は、彼らの持つ目的意識がどこから生まれているのか全く理解できず、その理由を深く掘り下げることも避けていた。周りが勉強やバイトに励む中、私はやりたいことを見つけられず、同じ授業を受けていても何も吸収できず、ただ椅子に座っているだけだった。
そんな輝きに満ちた彼らを横目に、携帯で誰かと次の飲み会の予定を組むことだけが、当時の私にできる唯一の行動だった。
幸せの習慣:内発的動機による心の穴埋め
だが、今は違う。
私には早起きして取り組むべき目的があり、その価値を自分自身で見出している。
運動によってストレスに強い心身を作り、幸せを感じられるホルモンが出るような行動を自律的に選択しているのだ。その価値を感じる行動の継続は、ブログの記事として、そして読んだ本と共に一つひとつ確かな証跡として積み重なっている。
結局嫌なことから逃げても、幸福にはなれない。
幸せになりたくて毎日楽しいことをやっていたとしても、持続的な幸せは得られない。
大学生の時に感じていた「私だけ何もない」という心の穴は、誰かに埋めてもらうものではなく、自分自身の価値に沿った行動の積み重ねでしか埋められないものだった。「あの時はしょうがなかったのかもしれない」と理解し、過去は手放そう。少しの負荷と、自分の価値に沿った目的こそが、自分が幸せになるための真実なのだ。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
アメリカの哲学者ジョン・デューイが遺した言葉だ。
「幸福は、人が自己の目的に向かって進んでいるときにのみ生じる。」
誰かの真似ではなく、あなたが定めた「目的」こそが、人生を真の幸福で満たしてくれる鍵なのだ。その一歩を踏み出した瞬間から、あなたの毎日は「暇つぶし」から「確かな投資」へと変わる。その小さな確信こそが、空虚な心を埋める一番の答えになるだろう。
vol.48 「褒める力」で自己承認を築く:ミラーニューロンによる成長戦略
vol.48 「褒める力」で自己承認を築く:ミラーニューロンによる成長戦略 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537八木 仁平氏の『世界一やさしい才能の見つけかた』という本に、「人よりうまくできることが才能なのではなく、無意識でついやってしまうことが才能」ということが書かれていた。もしそうであるならば、私にとっての才能は「人を褒めること」かもしれない。
私は義務や計算で人を褒めることはない。ただ純粋に、心が動かされた瞬間に称賛を送りたくなってしまうのだ。これは子供に対しても、周囲の大人に対しても同じだ。
いつしか「HAKUさんって褒めるのが上手ですよね」と言われるようになり、それが自分自身の「無意識の強み」であることに気づかされた。
内なる承認:褒めたいが止まらない本質
私の周りには、魅力的な人が溢れている。
皆それぞれが、今の自分を変えようと静かに動き始めている。
週6出勤に加え、自分磨き、おしゃれ、友人関係など、多忙を極める職場の年下のスタッフは、「行くのが面倒くさいんですよ〜」と言いつつ、定期的にジムに通っている。運動と読書習慣がなかった知人からは、私に影響されスクワットと読書を始めたと、飲みながら教えてもらった。地元の友人は、手軽なジムでランニングをしていたが、本格的なスポーツジムに入会し直し、トレーナーさんに教えてもらいながら筋トレを始めたという。
褒めるという行為は、単なる行動ではなく、忙しい日常の中で自分のために、何かを楽しみながら続けているという背景にこそ、素直にリスペクトを感じているからだ。
自分自身が一生懸命に生き、理想に向かって行動し続けていると、同じような熱量を持つ人が自然と引き寄せられる。逆に、現状への不満を抱えたまま立ち止まっている人は、他者の努力を素直に認められない。他者の輝きが「行動しない自分」を照らし出し、自己否定を突きつける鏡になってしまうからだ。他者を褒められるということは、それだけで自分がポジティブなループの中にいる証拠なのかもしれない。
ストイックな私とミラーニューロンによる影響力
私はよく「ストイック」だと言われるが、その基準を他人に押し付けることはない。なぜなら、努力の物差しは人それぞれであり、自分の中にしかないものだからだ。「やるならめちゃくちゃハードルを下げて、スクワットは1日1回を3日間続けるところからで、いいんじゃないですかね」とヘラヘラしながら、心理的な負荷を最大限に削ぎ落として伝えるようにしている。
中野 信子氏の『世界の頭の良い人がやっていること』を読み、驚きの発見があった。それは、人を上手に褒めることが、頭の良い人の行動の一つだと書かれていたからだ。自分が世界の頭の良い人の中に入って嬉しいという事ではなく、この予期せぬ発見が、私の行動にさらなる動機付けを与えたのである。
人を褒めることで、自分自身の脳のミラーニューロンが活性化する。他者の素晴らしい行動を認識し、称賛することで、自分自身の脳内でもそのポジティブな回路が強化され、次の行動へのモチベーションへと変換されるのだ。
まずは自分自身を褒めることから始めよう。
そうやって毎日、自分の良いところを見つけ、肯定していく習慣は、やがて「なりたい自分」を形作る確かな指針となる。そしてそれは、周囲の人々を惹きつける魅力へと磨き上げられていくのだ。
実際、私が自分自身を信じられるよう日々行動を積み重ねるうちに、その効果は見た目や思考の鋭さとして表れ始めた。私が「良い」と感じたものや行動を周囲に伝えると、それを聞いた人々が、自ら「自分に出来ること」を自然に始めてくれていた。私の変化を間近で見ていた彼らは、言葉を超えた何かを受け取ってくれていたのかもしれない。
褒める力の科学:自己承認の循環を創る
人を心から褒めるためには、まず自分自身の価値を認め、目的を明確に持っている必要がある。これは脳科学やポジティブ心理学が示す、「自己承認の循環」そのものである。自分の変化を自分で認め、日々自分を褒めている人だけが、他者の微かな変化を察知し、光を当てることができる。
他者の行動を「素晴らしい」と認識する行為は、脳のミラーニューロンを活性化させ、これにより褒めている自分自身の脳内でも、そのポジティブな行動(努力やクリエイティブな活動)の回路が強化され、次の行動へのモチベーションへと繋がる。つまり、褒めることは、自分の脳を成長させるための能動的な行為でもあるのだ。
あなたの目的が定まり、動き出したとき、あなたは周りの人を素直に褒められるだろうか?
もしそうであれば、それはあなたが自分の人生と努力を、心から認められている何よりの証拠となるだろう。
ニーチェの哲学:自分への義務と他者への光
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが遺した言葉だ。
「最も大事なことは、自分自身に課した義務を、どれだけ継続できるかである。」
誰かを褒める前に、まず自分自身への義務(目標設定や行動)を果たし、その努力を認めてあげよう。あなた自身の成長という火が灯ってこそ、他人の良さを照らし出す「光」になれるからだ。
自分の努力を認められる人は、他者の努力にも寄り添える。
その相互承認の連鎖こそが、孤独な努力を「共に高め合う理想的な状態」へと変えていく。あなたの内なる努力は、誰かのためではない。けれどその結果として、あなたの日常は、称賛し合える豊かな人々で満たされていくことになるだろう。
vol.49 「時間がない」と「無駄遣い」を断つ!人生を豊かにする「価値ある投資」
vol.49 「時間がない」と「無駄遣い」を断つ!人生を豊かにする「価値ある投資」 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537「振り返れば、過去の私はあまりに無自覚だった。
飲み代、洋服代、そして子供にせがまれるままのおもちゃ。欲しいものを買い、好きなだけ呑み、UFOキャッチャーのぬいぐるみの山が棚から崩れかけても、「まぁいいか」と、見て見ぬふりができていた。
けれど、本を読み、運動し、自らの意志で「思考を紡ぐ」という目的が生まれた瞬間、お金の真実はその姿を変えた。「時間」と「お金」の使い方に本当の価値があると気づけたのは、メタ認知を通じて自分自身を信じられるようになってからのことだ。
コンフォートゾーンの代償:無駄遣いの断捨離
時間がないなら作るしかないと、朝の時間を捻出し、運動や勉強を始めた。その時間しかやりたいことができないため、必死に作って完成させたこの生活が、半年以上続いている。
お金の問題も、無駄を書き出して考えた。
暇だからとフラフラ買い物に行く時間や、ネットサーフィンをして服を購入する時間は、物理的に作らないようにした。特にお酒を飲んだ後の高揚感で買ったコスメは、翌朝のメイクで使われることは一度もなかった。それらはすべて、解決すべき課題から目を逸らすための「コスト」だったのだ。私は物理的にそうした時間を排除することに決めた。
運動に関しても、ジムに行く費用は何とか工面できたかもしれない。
しかし、どう頑張ったとしても通うための「時間」だけは捻出できなかった。ジムに通えば充実した設備を利用でき、天気を気にしなくて済むというメリットはある。だが、子供を置いて一人で通うというのは、現実的にかなり厳しい選択となる。だからこそ私は、お金も場所も使わず、家でできることから行動に移したのだ。
他にお金を使うことになったのは、ブログを書くために購入したノートパソコンである。新品じゃなくても良い、記事さえ書ければどんなものでも構わない。だが、「絶対にMacがいい(理由は、見た目と薄さ・軽さが好きだから)」と夫に伝えた。
一見、なんでも良くなさそうなわがままな願いであったかもしれない。PC関係に詳しい夫に中古品を探してもらったが、画面の修理やパーツの交換などで本体の値段より高くかかってしまった。想定内の費用だったとはいえ、中古品で新品を買うよりだいぶ安く手に入れられたので、まずよしとしよう(夫に感謝)。
思考の転換:目的がなければ支出はすべてムダ
森 博嗣氏の『お金の減らし方』という本には、幸福に暮らす人は「やりたいこと」が先にあり、そのために時間とお金を工面すると記されていた。「お金がないから出来ない」は言い訳で、「お金ではなく目的に価値がある」という。
自分に照らし合わせていうと、まず「時間」の作り方や使い方が、初めに頭を悩ませるリソースだった。優先順位が明確になると、おのずと無駄な支出が見えてくる。
この本によると、「必要だから」と思ったモノの多くは他人に対する見栄だったり、手に入れれば幸せになるというような「感情」に根差した出費だという。そういった感情に根差した支出は、どれほどお金を注ぎ込んだところで問題が消えることはない。なぜなら、そのお金が癒そうとしているのは、一時的な感情の波であって、自己信頼という本質的な問題ではないからだ。
科学が示す支出の基準:「経験的優位性」
また、本の中には「どのくらい欲しいかでモノを買う」ことも書かれていた。
お金を稼ぐのは自分のやりたいことをするためであって、目的ではない。お金を稼ぐという手段が目的になってはいけないという。
これによって、より私の思考が固まった。
PCの購入は、自分のやりたいことを叶えるためのモノではなく、「手段」だと明確になった。夏のボーナスで買うことを決め、優先順位1位のPCにお金を使うことを決めた。購入後、毎日PCを使って作業をしている為、日々幸福感を感じている。
お金を使うためには、「目的」が必要だったのだ。
自分のために買ったPCは、私の思考の一部となった。目的を叶えるためのモノや時間、体験にお金を使うというマインドができてから、使う前によく考えることができた。
自己決定:人生を豊かにする「価値ある投資」
そうなると、何の目的でどれくらい欲しいかが重要となってくる。
よく考えて買ったモノは、長く大切にできるし、使いつづけるうちに自分も幸せになるだろう。
これは経験的優位性(物質より経験への支出が幸福度を高める)という理論と一致する。
PCは物質だが、ブログという経験に投資するための手段であり、その結果、学習と成長が促進される。グロービス経営大学院などの調査でも、働く社会人において、1日あたりの勉強時間(自己成長への投資)が長いほど、主観的幸福度が高いという相関が示されている。また、神戸大学の研究でも、所得や学歴よりも「自己決定」が幸福感に強い影響を与えることが明らかになっている。
あなたの成長につながる支出は、単なる消費ではない。
それは「幸福度の資産」を築くための、最も賢い選択でもあるのだ。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
哲学者アリストテレスが遺した言葉だ。
「お金は、あなたが行う選択を広げるための手段である。」
お金の多寡ではなく、そのお金でどんな経験を選び、どんな自分になるかが最も大切となる。
今日の支出や、これから手に入れようとしているモノが、未来の自分の幸福に繋がっているか。手にいれる前に、まずその点を自問自答してみよう。
