• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

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    vol.33「時間の投資」で実現する人間関係の断捨離と自己成長
    vol.33「時間の投資」で実現する人間関係の断捨離と自己成長 HAKU

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    私は今まで、ほとんどの物事を「好きか嫌いか」で判断してきた。自分を信じることは難しくても、自分の中にある「好き」や「嫌い」という感覚にだけは、常に揺るぎない確信を持って生きてきたのだ。

    だからこそ、私が何を愛し、何を拒むのかを理解してもらえない相手とは、基本的に深く関わることができない。

    自分の繊細さを自覚しているからこそ、境界線を無視して土足で踏み込んでくるような、無遠慮な言動には人一倍敏感に反応してしまうのだ。

    いわば「取り扱い注意」な自分を理解しているからこその、防衛策。表面的なだけの立ち話や、惰性で続くママ友付き合いは、私の世界には存在すらしない。

    大人になって「この人と友達になりたい」と思う瞬間はあっても、その関係が長く続くことは稀だった。相手に「つまらなさ」を感じた瞬間、繋がりを維持する努力をやめてしまう。それは冷淡さというより、自分自身の感覚に嘘をつけないという、不器用な誠実さの裏返しなのかもしれない。

    時間の資産:「好き」に縛られていた過去

    星 渉氏の『神時間』という本を読んで、改めて立ち止まって考えた。「好き嫌い」と同じくらい、「時間」について深く考えるきっかけになったのだ。
    「人生とは時間の投資。自分に与えられた24時間を何に投資すれば、自分の欲しいものが得られるかを考える」と書いてあった。今の私が欲しいものは、「自分を信じる力」。そのために、小さな成功体験を作る行動として、まず運動を最優先にすると決意していた頃だった。

    最初、24時間あるうち、たった30分筋トレする時間を捻出することさえとても難しかった。それでも、必ず無駄な時間があるはずだと疑って、私は自分の時間を洗い出した。出勤前に15分見ていたスマホをやめて腕のストレッチをしたり、昼休みにはスクワットをしたり。そうして、隙間時間を使いながらトータル1時間、1日の中で運動する時間を捻出することができた。

    本には「ゴールに関係のない頼みは断る」という徹底した戦略が記されていた。私はこれを、人間関係に適用した。大好きな友人であっても、「今はその時じゃない」と感じれば、迷わず自分の時間を優先した。もともと誘う側の人間だったこともあり、断ることへの罪悪感は驚くほどなかった。

    私の性格は「猫」そのものだ。
    甘えたい時は自分から寄っていくが、そうじゃない時は放っておいてほしい。

    幸い、私の数少ない友人たちは、その気まぐれさを無言で受け入れてくれた。数ヶ月会わなくても、「きっと何かで忙しいんだろう」と察してくれる。その静かな理解に、今は心から感謝している。

    時間の投資戦略:人間関係の価値を問い直す

    私たちは皆、平等に24時間という資産を持っている。
    この資産を何に投資するかで、未来の自分が決まる。私はこのシンプルな事実に気づいてから、時間に対する意識が大きく変わった。

    友人と会って楽しく過ごす時間は、もちろん貴重だ。しかし、今の私にとって最も価値のある投資先は、「自分を成長させるための時間」だった。筋トレや勉強、自分の内面と向き合う時間。これらは、すぐに目に見える結果が出ないかもしれないけれど、未来の私を強く、自信に満ちたものにしてくれる希望の時間である。

    この「時間の投資」という考え方は、人間関係にもそのまま当てはまる。友人と会う時は基本的に飲みの場なため、「その人との時間に、週末の睡眠時間や翌朝のランニング、または勉強の時間を引き換えにするだけの価値があるか?」私はそう問うようになった。

    価値のない関係を断つという選択は、もしかしたら冷淡に映るかもしれない。だが、私の周りにはそう思う友人はいないので、安心していいだろう。これは友人を信じ、愛しているからこそ思うことかもしれない。離れていても、全く気まずくない関係性をかれこれ20年近く続けている。

    人からどう思われるかではなく、今は自分がどうなりたいかを最優先にすること。それが、この時の私にとって一番大切なことだと確信していた。

    断捨離と行動原理:「猫」と「価値」の基準

    私は人間関係において「お互いを高め合えるか」を絶対的な基準にしている。 尊敬する人からの言葉は、私の心を輝かせる宝物になる。

    けれど、互いに高め合えない関係から発せられる言葉は、私の大切な「心の余白」をただ曇らせるだけのものに感じてしまうのだ。

    だから私は、自分の資産(時間)を投じるべき相手を、静かに、けれど確信を持って厳選することに決めた。

    それは誰かを切り捨てるためではなく、私が私らしく、前を向いて歩き続けるために。 互いの熱量を共鳴させられる「尊敬の念を抱ける相手」を、丁寧に選び取る。その作業こそが、私の人生をより鮮やかに、そして豊かにしてくれるのだと確信している。

    試行錯誤の末、友人とは3ヶ月に1回の頻度で誘うようになった。以前は毎月会っていたほどの仲なので、久しぶりに会った時はハグするほど嬉しかったし、話すことが止まらなくて結果的に二日酔いになるほど楽しめた(翌日二日酔いというのもスケジュールに入れておく)。そんな、爆発的な質を伴う再会こそが、今の私には必要な「投資」なのだ。

    今の自分にはやりたいことがあり、そのモチベーションは高い状態が続いている。故に、付き合う人を洗い出し、その関係性に価値があるのかどうか確認することは、時間という資産を使う上で極めて重要だと知った。

    会った時間が「自分に必要な投資だった」と思えるためには、お互いの進歩やモチベーションを高め合える対話が不可欠だ。その前提があるからこそ、友人との時間を最大限に活かそうとする事前の準備や、日々の努力の質も爆発的に上がるのだった。

    自己成長:人生は、自分で選ぶ時間でできている

    投資先を厳選すれば、当然、失われる関係もある。
    常にネガティブな言葉を吐き、自らを「うまくいかない場所」に置き続ける人。変化を拒む人。以前の私なら、相手に合わせて自分の感情を殺してお酒を飲むこともできた。けれど、今の私はもうそこにいない。他人を変えるエネルギーがあるなら、それは自分のために使いたい。不満だらけの友からは、そっと、そして静かに離れればいいのだ。

    友を失うことは怖かった。けれど、自分が変われば、住む世界(コンフォートゾーン)も、そこに集まる人々も変わるのが道理だ。相手を攻撃したり、傷つける必要はない。ただ、静かに、優しく離れればいい。今の私には、新しい関係を築く余裕はないかもしれない。けれど、それでいい。「今はこれで良い」と割り切ることも、立派な戦略なのだから。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した言葉だ。

    「人生は選択の連続である。」

    私たちは、どんな人と時間を過ごし、何に時間を投資するか、すべて自分自身で選択できる。その選択一つひとつが、未来のあなたを創るのだ。今日から「時間の使い方」に意識を向け、未来の自分のために選択していこう。

    自分を大切にするとは、心地いい空間と前向きな人を選ぶことと同義だ。この自己決定と自己探求こそが、あなたの人生をより深く、より強く、そして何よりも揺るぎない充足感で満たしてくれるだろう。

    vol.34 「一人になりたい」の裏にある真実:不幸の反転でウェルビーイングを見つける方法
    vol.34 「一人になりたい」の裏にある真実:不幸の反転でウェルビーイングを見つける方法 HAKU

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    「1人になりたい」

    大型連休や長期休暇が来るたびに、私はずっとそう強く願ってきた。家族との旅行や外出を楽しむよりも、ただ一人で静かに過ごしたい。その欲求が人一倍強いことを、半ば逃れられない性分のように自覚していたのだ。

    旅行に行くとなれば、夫は直前まで仕事に追われ、子供の荷造りから帰宅後の大量の洗濯、荷解きまで、そのすべてが私の肩にのしかかる。

    さらに、結婚前から10年以上続く夫の大音量のいびき。扉扉3枚分も離れた部屋に寝ているはずなのに、耳栓越しに聞こえてくるその騒音のせいで眠れず、イライラを募らせることは今の家に引っ越してからも日常茶飯事だ。

    旅行先ともなれば、そんな大音量のいびきを真隣で聴かされることになる。最高に嫌な気分で朝を迎え、一日中イライラして過ごす時間は、もはや休息ではなくただの「罰ゲーム」でしかなかった。

    せっかく旅行に行っても、私だけ休めない。
    どこへ行っても、私だけがイライラしている。
    そんな旅行なら、行かない方がいい。

    私がイライラしてしまうことで、家族との思い出を壊してしまうくらいなら、最初から旅行を避けるべきだと判断するようになった。

    そのため、基本的には長期休暇などは、夫の両親や兄妹、従兄弟たちと水入らずの旅行を楽しんできてもらうことにしている。こういう時の私は、心なしか哀愁が漂う顔をしつつも、心の中はニッコニコで夫と子供を車まで見送っていたのだった。

    「一人になりたい」という不満の正体

    「家族旅行は嫌」――そんな風に考える人は、きっと私だけではないだろう。

    温泉では子供の目が離せないため、ゆっくり入ったことは家族旅行で1度もない(サウナなんて論外だ)。帰宅後はというと、荷解きと山積みの洗濯物が待っている。せっかくのリフレッシュのはずが、結局は別の何か(労働)にすり替わっているような感覚だった。

    旅行から帰った日は、決まって疲れとイライラで心がいっぱいになり、余裕がない。
    楽しかったはずの記憶も、帰宅した途端に「疲労」で黒く塗りつぶされてしまう。だから、私はいつも「一人になりたい」と心の中で叫んでいた。家族に「旅行に行こう」と誘われるたびに、面倒くさいという気持ちが先行し、「仕事で忙しい」だったり「あなたのいびきがうるさくて眠れないから無理」と言い、毎回断り続けた。

    カナダの研究が示す、ウェルビーイングと時間の要求

    だが、私が感じていたこの「一人の時間」への渇望は、多くの母親が共有するウェルビーイング(幸福)を維持するための、科学的な要求であることがわかった。

    長時間、育児やタスクに集中すると、ストレスホルモンであるコルチゾールが上昇し続ける。この状態が慢性化すると、脳は思考力を維持できなくなる。そのため、誰にも邪魔されない休息時間は、脳の機能を正常に戻すために不可欠なのだ。

    カナダの親を対象とした調査データによると、母親の半数以上(50%超)が「もっと一人で過ごす時間が必要だ」と報告しているのに対し、父親ではその割合が約3分の1にとどまった。母親が育児や家事にかける時間が増えるほど、「一人でいる時間」への欲求が高まることが示されており、これは単なる個人の感情ではなく、脳機能を維持するための資源として切実に必要とされていることを示している。

    このデータを知って、私は安堵した。自分の疲労を回復させ、脳に「思考の余白」を取り戻すための、極めて人間的な欲求だったのだと論理的に理解できたからだ。

    ちょうどその頃、全力で一人になろうとしていたお盆休みがあり、星 渉氏の『99%は幸せの素人』という本を読んだ。その中に「絶対になりたくない不幸な状態を書いてみる」という、ユニークな思考実験が紹介されていた。

    思考実験:絶対になりたくない不幸の反転

    正直に言うと、最初は「?」だったが、物は試しと思い紙に書き出してみた。

    • 仕事を嫌いになること
    • 忙しいこと
    • 太っている状態
    • 一人になること

    このリストを見て、私は心底驚いた。いつも「一人になりたい」と願っていたのに、絶対になりたくない不幸な状態に「一人になること」が含まれている。これはどういうことだろうか?自分の内面が完全に矛盾していることに気がついた。

    私は、家族が自分から絶対離れないと勝手に思い込んでいたのだ。だから、偉そうにしたり怒りを撒き散らし、ぞんざいな扱い(特に夫に対して)をしても、平気な顔をしていた。しかし、もしそんな私にうんざりして、家族がいつか離れてしまったとしたら?

    そんな状態に私は耐えられるはずがなく、心底後悔することだろう。
    この事実に気づいた途端、もの凄く怖くなった。

    本によると、この「絶対になりたくない不幸な状態」を反転させると、自分が本当に求めている「幸せな状態」がわかるらしい。

    • 仕事が嫌いなことが嫌→ 仕事を楽しめるように工夫すること
    • 忙しいのが嫌 → 時間の使い方を工夫すること
    • 太っているのが嫌 → 筋トレやランニングで引き締まった身体を作ること
    • 一人になるのが嫌 → 家族と一緒にいること

    これが自分にとっての幸せであり、取るべき行動なのだと、明確な答えが出た。これは、目標や課題(イシュー)を定めるのとはまた違う、自分の本心にたどり着くためのアプローチである。

    メタ認知:本心と行動が導く自己受容

    この気づきを得て、私は自分の行動を反省した。

    私にとっての幸せは、一人になることではなく、家族と過ごすことだったのだ。

    もちろん、たまには一人の時間を作ったり、遠方ではなく近場を選んで旅行するなど、自分の負担を減らすことも必要だ。宿泊時にいびき対策として部屋を二つおさえるといった工夫は、自分を守るための必要な行動である。しかし、「心まで家族から離れてはいけない」と痛感した。

    この経験を通して、私は大きな真実を発見した。自分が本当に欲しているものは、不満や怒りといったネガティブな感情の奥に隠されている。これは、私たちが「メタ認知」の視点を持つことで初めて発見できる真実なのだ。感情的な「一人になりたい」の裏には、論理的な「一人になるのは怖い」という、より深い本心が隠れていた。

    家族がいてくれる安心感に甘えて、わがまま放題だった私は、この理由に気づいた時、自分の身勝手さが恥ずかしくなったのだった。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの哲学者ソクラテスが残した言葉だ。

    「真実を見つける唯一の方法は、自ら探求する旅に出ることである。」

    誰かから教えられるのではなく、自分自身で探して初めて、本当の答えにたどり着くことができる。 もしあなたが「何か」に不満を抱いているなら、その不満を紙に書き出してみてほしい。そして、その感情を反転させてみよう。

    あなたの「絶対になりたくない不幸な状態」は、なんだろう?
    それを反転したら、思いも寄らない真実が、心の奥底の扉が開かれたかのように見えてくるかもしれない。

    vol.36 40代への投資 : 時間の使い方と家族との黄金時間
    vol.36 40代への投資 : 時間の使い方と家族との黄金時間 HAKU

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    10代の頃に「20代の頃にしておきたい17のこと」を読み、20代では30代版、そして今、30代の終わりに「40代にしておきたい17のこと」を読み終えた。

    振り返れば、これまでの私は文字通り「今」を生きていなかった。頭の中は常に先の未来を読み、不安を先回りさせていた。それなのに、実行に移す勇気はなく、多くの時間とお金を無駄にし、東京の街で大した経験も積まずに遊び呆けていた。「あの時、もっとちゃんとしていれば」。そんな後悔が頭をよぎることもある。

    けれど、ふと思うのだ。 当時の私は、今ほど高いモチベーションや明確な目標を抱けるほどの「器」ではなかった。

    あの時の私には、あの生き方が、あの選択が、精一杯だったのだ。

    過去は変えられない。 過ぎ去った時間を惜しむよりも、その未熟だった自分さえも「必要なプロセス」だったと抱きしめてあげたい。

    器が足りなかった過去を認める強さを持てた今、私はようやく、40代という新しい器を、自分の意志で、自分の意志で、より鮮やかに描き出していける気がしている。

    過去の呪縛を断つメタ認知:DMNと「しょうがない」

    「あの時」の後悔の念に囚われるのは、脳の「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」が活発になっている証拠だという。DMNは、脳が休んでいるときに過去の反省や未来の不安といった思考を巡らせる機能だ。しかし、過去は変えられない。だからこそ、その思考のループから意識的に抜け出すメタ認知が大切になる。

    私は過去の自分を「しょうがない」と受け入れた。

    これは諦めではなく、当時の自分には今の情熱が備わっていなかったことを冷静に認める戦略的受容なのだ。そうすることで、過去への後悔に費やされていたエネルギーを、すべて「今」と「未来」に振り向けることができる。

    過去を肯定し、思考を「実行モード」へ切り替える。この土台があって初めて、新しい習慣を受け入れるための「思考の余白」が脳内に生まれるのである。

    40代への自己投資:健康と時間の価値

    「40代にしておきたい17のこと」から抜粋した、今の自分にできていることがある。

    本「40代にしておきたい17のこと」から、今の私が全力を注いでいるテーマがある。それは「健康と時間への投資」だ。40代からは生き方の差がはっきりと外見に現れる。顔のたるみ、シワ、体型。これらはすべて、これまでの生活習慣や人間性が蓄積された「人生の履歴書」のようなものだ。

    生き方が表情に表れるからこそ、健康への投資は未来の自分という「資産」を育てる行動経済学的なアプローチと言える。朝の運動で分泌されるセロトニンがストレスを軽減し、内面的な安定をもたらす。この地道な努力が、40代以降の「表情の明るさ」という形で見事に還元されるのだ。

    自己投資は早く始めた分だけ、そして年齢が上がるほどそのリターンは大きくなる。私は今、未来の自分のために最も価値ある資産を積み立てている最中なのだ。

    家族との時間:経験への温かい投資

    もう一つ、本から学んだ大切なこと。
    それは、「家族と繋がる最後の10年を大切にする」ということだ。

    この本を読むのが遅かったこともあるが、私の場合はあと5年と考えた方が良さそうだ。私は母親が35歳の時に産んだ子なので、両親ともに同じ学年の子の親と比べて年齢が高い。さらに子供の年齢も考えると、あと10年も共に楽しむことは難しいかもしれない。

    「私には自分のやりたいことを実行する時間だけでなく、家族と過ごす時間も作らなければならない」と思い直すことができた。今まで一人で過ごしたい欲が強かったので、少し反省した。

    誕生日やイベントを企画し、久しく疎遠だった兄や姉も含めて集まる場を作る。兄弟仲が良いとは言えない期間が長く続いていたが、せめて母が楽しそうに笑い、集合写真を撮るその瞬間だけでも、私たちは家族として協力してもいいのではないだろうか。

    親の喜ぶ顔を見ることは、自己中心的な私の中にも温かい感情を呼び起こす。これは単なる消費ではなく、自分自身の心の土台を安定させるための「精神的な投資」だ。もちろん、無理をしてストレスを溜める必要はない。「無理のない範囲」での調整こそが、良好な関係を長く続ける秘訣なのだから。

    行動こそが未来:ジェームズに学ぶ自己成長

    色んな思い出の形がある中で、私はやはり、自分の両親の喜ぶ顔を見るのが好きなのだと思う。

    旅行先でお土産を買っても、素敵な洋服をプレゼントしても、体験という思い出ほど人の記憶に残るものはないだろう。これは、経験(時間)への投資が、物質的なものへの投資よりも大きな幸福をもたらすというポジティブ心理学の原則とも一致している。モノはすぐに価値が減るが、経験は記憶として残り、幸福度を増し続けるのだ。

    あと少しの間、30代でできる最大限のことを実行しよう。
    そのために、自分のための運動であり、勉強であり、そして家族との時間を作り、思い出を増やしていくのが良いかもしれない。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが遺した言葉だ。

    「未来は、今、あなたの手の中にある。」

    年齢やステージが変わるたびに、人生の設計図も変化する。
    その変化を傍観するのではなく、自ら主体的に行動し、未来という設計図を描き続けることが大切なのである。過去を気に病むのではなく、今、目の前の経験に全力を尽くそう。あなたが今投資した健康と時間が、これからの人生を豊かにしてくれる確かな資産となるだろう。

    vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略
    vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略 HAKU

    正直な話、私の小学生時代、宿題をやった記憶はほとんどない。

    「宿題ってあったっけ?」というレベルだったが、1時間目が始まる前に急いで問題を解いた記憶はあるので、おそらく宿題自体はちゃんとあったのだろう。夏休みの宿題も、最終日に答えを写しながらなんとか終わらせるのが常だった。

    両親から「宿題をしろ」と言われた記憶も、そういえばなかった。最初こそやっていたのだが、家でわからないことを聞こうとしても、私の理解力が乏しいため父は教えながらイライラし始め、いつも家の仕事で忙しい母には時間的な余裕もなかった。子供心に「親には頼れない」と判断した私は、いつしか学ぶことを放棄していた。

    中学生になっても宿題をやった記憶は皆無だった。部活動や放課後の遊びに明け暮れる生活は、高校時代も続いた。姉から推薦枠にギリギリ入る点数で良いと言われていたので、一応赤点は取らずにはいたが、できる範囲の勉強しか行わなかった。そうしたできる範囲の努力だけで、大学までを泳ぎ切ったのだ。

    大学に入っても全ての教科に興味がないため、授業内容はさっぱり理解できず、周りの友達に助けてもらってやっと卒業できた。しかし、唯一極度の緊張を覚えた瞬間が一度だけあった。それは卒業者発表の掲示板を見に行った日のことだ。掲示板を見に行く直前まで、自分の番号があるか不安すぎてずっとソワソワしていたことを覚えている。当時の私は、この不安が「自分を信じるに足る努力を積み上げていないこと」から来ているのだとは、微塵も気づいていなかった。

    私の学生時代は、最後の最後まで、真剣に努力をすることなく、ただ「運」だけで通り抜けてきてしまっただけなのだ。

    こんな風に大学を卒業するまで、一度も勉強が好きだと思ったことや、自ら学びたいという意識もなく生きていた私だが、運動習慣や朝の勉強時間を始めてもう半年以上になる。その中で、脳科学、認知行動療法、哲学、習慣化の方法など、沢山の本を読み、ノートに書き写し、インプットとアウトプットを繰り返しながら学ぶようになった。

    あの頃の私が今の私を見たら、一体何と言うだろうか?

    プロが実践する:プラトーの停滞期と思考の再構築

    学びの中で出会ったジョージ・レナード氏の『達人のサイエンス』には、真の成長を遂げる人の共通点が記されていた。それは「プラトー(停滞期)」における振る舞いだ。

    • 「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」
    • 「プロになる人はその物事が好き」
    • 「プロになる人は学び続ける」

    プラトーというのは、成長する過程で壁にぶつかっても、その壁を乗り越えて繰り返しどんどん上達していくことを指す。つまりは「停滞期」のことだ。ダイエットでも何でも、うまくいった時こそ、その後の停滞期をどのように乗り越えるかが鍵となるだろう。まさにそれだ。

    私も勉強、筋トレ、ランニングを継続するうちに、プラトーにさしかかったタイミングがいくつかあった。成長を感じられるタイミングの後にいつも、「この方法をこのまま続けていいのだろうか」という不安感が出てくる。もっと良い方法があるのでは無いかと、頭を悩ませながら進めていくことも少なくなかった。

    この不安感は、「思考の再構築」が必要なサインだ。
    脳は同じ作業を繰り返すと効率化しようとするが、停滞期は「現状のやり方では次のレベルに行けない」という警告である。だからこそ、私は行動の質を変えることにした。具体的には、得た知識を別の視点から見直すために「専門外の本を読む」ことや、「やり方を変えてみる」という行動に切り替えた。これは、認知心理学でいう「問題の再定義」に他ならない。

    それを少しずつ、色々な本を読みながら模索して行動し、今に至る。
    その間に確認し続けていたのは、ノートの1ページ目に書いた自分の目標だった。ふと悩んだらそれを目で見て、「今私がやっていることは、何の為にしていることなのか?この先には何があるのか?」と、その都度思い起こしながら勉強や行動を続けた。

    結論は明確になっていたものの、プラトーにさしかかると立ち止まりそうになるため、目標をこまめに確認するようにした。

    覚醒:「好き」が習慣化の最強エンジンとなる理由

    今の私は、「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」、「プロになる人はその物事が好き」「プロになる人は学び続ける」この三つの行動を続けられている。

    その事がわかると、「自分は今やっていることが心から好きで、変化を学びに変えながら実行していて、プラトーの中で時間を過ごしていても辛くない」と感じるようになった。この事実は、私にとって大きな自己認識(メタ認知)の転換だった。かつて勉強が大嫌いだった私が、今は「学び」を楽しんでいる。自分でも信じられないような変化だ。

    実際、このブログを書いたところでお金が発生するわけでもない。 何なら今、読者はゼロ。プレビュー数が「0」という冷厳な数字を前に、私は淡々と文章を紡いでいる。

    むしろ手元にあるのは、早起きによる仕事中の強烈な眠気や、週末の夜更かしという甘い誘惑だけだ。

    客観的に見れば、割に合わない投資かもしれない。けれど、私の中に湧き上がる「学びたい、伝えたい」という衝動は、どんな報酬よりも私の心を充足させてくれる。それが自分にとって最高に意味のある「好きなこと」だとわかっているから。

    報酬がなくても、観客がいなくても、プラトーという停滞期が来ても。 私はもう、自分の意志で選んだこの道を、立ち止まることなんてできないのだ。

    本を読み、気づきを得たこの真実は、自分の中で自信となり、より力強いモチベーションとなっていった。

    この「楽しい」という感情は、単なる気分ではない。
    心理学でいう、内発的動機づけによる幸福である。外的な報酬(給料や評価)に依存せず、活動自体から得られる喜び(フロー状態)が、私を幸せにし、結果として継続を可能にしている。

    人生のテーマ:幸せに生きるための継続の哲学

    プラトーの中で淡々と継続し、その状態をさえ楽しいと思えることを見つけた人。そんな人こそが、最も充実した人生を送っているのかもしれない。プロを目指すかどうかではなく、報酬がなくても続けられる「何か」を持っていること自体が、人生の幸福度を決定づけるのだ。

    最低限の努力で生きていた頃の私は、常に自分を信じることができなかった。しかし今、自分の「好き」を燃料にして行動し続けることで、不透明だった未来は、確かな手応えを感じる自信に変わりつつある。

    あなたが今、無償でも続けていること。
    誰にも見られていなくても、熱中できること。

    それこそが、あなただけの人生の目的そのものなのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが残した言葉だ。

    「苦しみなくして、力ある情熱は生まれない。」

    これはニーチェの言葉の中でも、私が最も大切にしている意識である。
    停滞期(プラトー)という名の苦しみを乗り越え、それでも続けることができるのは、その先にある「好き」という情熱があるからこそ。その情熱こそが、あなたを本当の意味で強くするのだ。

    vol.38 ストレス解消の自然療法:「畏怖の念」が思考の余白を創る
    vol.38 ストレス解消の自然療法:「畏怖の念」が思考の余白を創る HAKU

    私が育った場所は、いわゆるコンクリートジャングルだった。視界を遮るようにマンションが立ち並び、植物は限られ、川のせせらぎさえも遠い世界。夜空の星には点滅する飛行機の光が混ざり、強度近視の私にはその区別さえつかなかった。
     
    虫も動物も、カラスや鳩、蟻やセミといういわゆる定番の生き物しか目にすることはなかった。図鑑で見るような宝石色の虫は、もはやファンタジーの産物。ホタルに関して言えば、ツチノコと同じくらい、非現実的な生き物のように感じていた。田んぼにいる鷺を見た時は「通報しなければ」と思うほど、カラスや鷹よりも大きな鳥を、30歳になるまで自然界で見たことがなかった。

    東京に住んでいた頃は、四方八方にマンションやビルが多く建っていたため、遠くから雨雲が迫っていることも気付くことはなく、洗濯物を干したあとに土砂降りの雨が降ることも多かった。仕事が休みの日、窓を開けてベッドから見上げた空は、建物の隙間に切り取られたほんのわずかな断片。やりたいこともなく過ぎる毎日と、その隙間から流れるように消えゆく鱗雲は、どこか似ているような気がしていた。

    そして地元に戻った今の家も、空の広さは東京ほどではないにせよ、コンクリートに囲まれている環境はさほど変わっていない。早朝に帰宅する酔っ払いが喚く声や、カラスの鳴き声が響くマンションの一室で、夫と子供と静かに暮らしている。

    都会の脳疲労:「自然への投資」が欠けていたピース

    常に人工的な情報とノイズに囲まれてきた私の脳は、「自然に触れることがストレス解消になる」という概念自体を知らずに生きてきた。

    そんな中、フローレンス・ウィリアムズ氏の『自然が最高の脳を作る』という本を読んだ。自然に触れるとストレスが解消されて脳が働くようになるのだという。都会を歩いている時と比較して、森の中を歩いている時の方がストレスホルモンの値が下がることがわかっているらしい。

    この本が提唱する「自然への投資」こそが、私の生活に欠けていた1つのピースだとハッとした。脳科学的に見ても、人工的な環境は絶え間なく注意を引くため、脳の集中力を使い果たしてしまう。自然の中に身を置くことは、その疲弊した注意力を回復させるための最高のリカバリーだったのだ。

    長年、都会の喧騒や人工的な情報に晒されてきた私の脳は、無意識のうちに疲弊しきっていたのだろう。その疲労は「イライラ」や「不満」という形で表現されていたに過ぎなかった。

    畏怖の念の科学:20分間の魔法と思考の余白

    この本の中には「1ヶ月に5時間は自然の中で過ごすと良い」と書かれている。そして年に一回は、大自然に畏怖の念を抱く経験をすることを勧めている。

    人は畏怖の念のような大自然を見ると、謙虚になり、他者への思いやりや視野の広がり、寛大な行動や好奇心が高まるようだ。この「畏怖の念」は、ネガティブな感情や自己中心的な思考を一時的に棚上げし、心を解放してくれる効果があるという。

    コンクリートと人工物ばかりの環境で育った私が、地元に帰ってきて初めて、思いがけず「畏怖の念」を感じた場所があった。それが、河原沿いのランニングコースだった。

    走り始めてすぐ、沿道に様々な植物が植えられていることに気づいた。7月だったので、ネムノキのピンクの花、美しく咲く紫陽花、民家の庭に生えているラベンダーなど、走っているだけで、季節の豊かさや生命の息吹を感じ、目でも楽しめた。

    ランニングコースは、往復2kmの距離。Uターンして日の出の方向へ向かった瞬間、赤い太陽とどこまでも澄み切った青空のコントラストに、私は言葉を失い立ち止まった。

    富士山の山頂まで行かずとも、河原の上に無限に広がる雄大な空だけで、私は十分に「畏怖」を感じることができたのだ。その瞬間、内側から希望が溢れ出すような感覚に包まれ、抱えていた悩みのスケールが驚くほど小さく見えた。

    これこそが、メタ認知的な「視点の転換」を強制的に引き起こす、自然の魔法なのだ。

    幸福度を高める:経験への投資がもたらす長期的リターン

    この体験は、科学的データとも一致している。

    ミシガン大学の研究では、都市生活を送る人々が自然の中で20分から30分過ごすだけで、ストレスホルモンである唾液中のコルチゾール値が有意に低下することが示された。これは、自然との接触が自律神経系のリラックス(副交感神経の活動)を促していることを裏付けている。

    畏怖の念を感じる経験をすることで、「あぁ、今抱えている悩み事なんて大したことではないのかも」と、物事のスケールが小さく感じられたり、「今日も一日やりきろう!」と前向きな気持ちが湧いてくることがわかった。自然の力は本当にすごい。怖い側面もあるけれど、その中に身を置くことで、心は確実に前向きな思考へと変わる。毎週走り続けたことで、日常で起きたストレスがだんだん小さなことに思えた。

    ストレス解消と称して爆食いするよりも、モノを散財するよりも、定期的に自然の中に身を置き、畏怖の念を感じられるような経験をすることが、どんなストレス解消にも負けない方法になることを行動により実感できた。

    これは、モノを使ってドーパミンを即座にドバドバだす快楽よりも、「経験への投資」が持続的な幸福をもたらすというポジティブ心理学の原則と完全に一致している。衝動買いで一時的に気分を上げても、その幸せはすぐに消える。自然の中でセロトニンやオキシトシンを出した方が、脳と心にとって遥かに幸せなのだ。

    そして、私の心と体を本当に満たすのは、モノの所有ではなく、時間と場所の使い方にあるということが、この体験を通して改めてわかった。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの医師であり哲学者であるヒポクラテスが残した言葉だ。

    「自然は、もっとも偉大な治療家である。」

    高価なセラピーや一時的な快楽に頼るのではなく、自然との調和こそが、私たちの心と体のバランスを整える本質的要素なのだ。あなたの疲れた心を癒すために、自然という名の「癒やし」に意識的に時間を投資してみてほしい。

    vol.39 「ネガティブな口癖」が人生を止める:一言で思考を整理する習慣術
    vol.39 「ネガティブな口癖」が人生を止める:一言で思考を整理する習慣術 HAKU

    口癖に関しては、正直、私は厳しい方かもしれない。

    「疲れた」「どうせ」「私なんか」

    この3大ネガティブワードを無意識に垂れ流していないか、私は常に自分自身の意識を律しながら過ごしている。子供に対しても、これらの言葉が出たときは「自分を傷つける言葉はやめようね」と即座に注意してしまうほどだ。

    その背景には、姉の存在がある。
    姉は「疲れた」「めんどくさい」「時間がない」「運が悪い」という言葉を連発する人だった。

    スマホを眺めている時や歌のアプリに熱中している時はあんなに生き生きとしているのに、仕事の話になれば途端に「時間がない!」とイライラを募らせる。家族であっても、本人の意志がなければ人は変えられない。だから私は、負の言葉を撒き散らしながら自らを「可哀想な人間」へと追い込んでいく姉の姿を、ただ横目で見て見ぬふりをするしかなかったのだ。

    「疲れた」という度に疲れるし、「運が悪い」と思うほどに運が悪くなってしまう。そんな暮らしの中で、姉に対して「口癖だけなら変えられるのに」と、ずっと思っていた。結局のところ、本人の意志でしか、行動や思考の舵を切り替えることはできないのだから。

    思考のストッパー:3大ネガティブワードとの決別

    私たちは、自分が発した言葉を、一番近くで、そして一番多く聞いている。脳科学的に見ても、自分の言葉が「先行する刺激がその後の行動に無意識の影響を与える」セルフ・プライミングとなり、思考や感情、行動を方向づけてしまう。ネガティブな言葉を繰り返すことは、自分で自分の脳に「私は不幸だ」「私は無力だ」という呪いをかけているようなものだ。

    姉の姿を見ていて痛感したのは、ネガティブな口癖は「思考のストッパー」になるということだ。「疲れた」からやらない、「時間がない」から諦める。これでは現状を打破するための「思考の余白」など生まれるはずがない。

    性格を変えるのは時間がかかるが、口癖だけなら今この瞬間の「一言」で変えられる。行動が続かないと感じたなら、まずはこの一言を変えることから始めるのが最も簡単な自己改革になるはずだ。この「一言の習慣」を変えるだけで、脳は行動への抵抗を減らし始める。

    セルフ・プライミング:脳をサクサク動かす独り言

    さらに、アンガーマネジメントの視点からも「言葉」の重要性を学んだ。安藤 俊介氏の『心がラクになる言い方』という本には、怒りをコントロールし、脳をポジティブな方向へ誘導する「魔法の独り言」が紹介されている。

    その中に、「ポジティブになれる独り言」が紹介されていたので、一部をシェアする。

    • 「ま、いっか」
    • 「終わりよければ全てよし」
    • 「こう言うこともある」
    • 「大したことではない」

    私はよく「ま、いっか」を使う。許容範囲を広げることで脳の疲れを防ぐためだ。
    思い返せば、私の母の口癖は「大したことじゃない」だった。父や姉がイライラするたびに、母のその一言が家庭内の不穏な空気をニュートラルに戻していた。あれは無意識のアンガーマネジメントだったのかもしれない。

    母の言葉が家庭内の「イライラ」を鎮めるように、職場にも同じような「魔法の独り言」があることに気づいた。

    Dr.が仕事中によく言う「よし、よし!」という言葉だ。
    私も一つ一つの作業の終わりに、先生のように決意を表す感嘆詞を真似するようになった。これを口にすると、サクサク作業が進み、次もちゃちゃっと終わらせてしまおうという気持ちになる。これは、脳科学でいう「ドーパミン報酬系」の仕組みを利用している。脳が「よし!」をトリガーに小さな報酬(達成感)を認識し、次の行動へのモチベーション(ドーパミン)を分泌させている状態だ。自ら小さなご褒美を与え、効率を上げているのである。

    言葉と思考:ポジティブ心理学的セルフ・コントロール

    言葉に関する多くの本を読んで、さらに気づいたことがある。口から出る言葉は全て自身の行動に繋がっており、怒りと思考と言葉の点は、全てつながって自己が形成されていることがわかった。

    ネガティブな言葉を吐く人の頭の中には常に悪い思考が渦巻き、ポジティブな言葉を吐く人は自分を肯定しながら生きている。

    だからこそ、ポジティブな言葉を意識的に使うことで、脳は現実の中からその言葉を裏付ける事実を探し始める。例えば、「大したことじゃない」と言えば、脳は本当にその問題が些細なものである理由を無意識に探し、ストレスレベルを下げようとする。これが、ポジティブ心理学に基づいた、脳のセルフ・コントロール術なのだ。

    行動の舵:一言が人生を決める哲学

    もしあなたが自分を変えたいと願いながらも、ソファから立ち上がるのさえ億劫に感じるなら、まずは口癖だけを変えてみてほしい。一歩踏み出すよりも、一言発するほうがずっと楽なはずだ。その小さな一言から、あなたの思考の舵は確実に回り始める。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスが残した言葉だ。

    「言葉は、思考の道具であり、行動の舵である。」

    あなたの発する一言が、あなたの人生を左右する。今日から、意識的にその舵をポジティブな方向に向けてみよう。その小さな言葉の選択こそが、あなたが望む未来へと進むための、パワフルなスイッチとなるだろう。

    vol.40 「筋の悪い努力」をやめる質問力:最短距離で自己投資を加速する方法
    vol.40 「筋の悪い努力」をやめる質問力:最短距離で自己投資を加速する方法 1024 1024 HAKU

    私はよく、人に質問するタイプの人間である。
    特に専門職の人には積極的に話しかけて、その知識をわかりやすく教えてもらうことが大好きだ。

    新しいことをスタートする時は、まず自分で軽く調べて行動することが多いのだが、それだけでは途中で行き詰まる。現在、身体や筋トレについては信頼できるクリニックのDr.に、髪や頭皮のケアは担当の美容師さんに、そして骨格やストレッチのことは通っている整体師さんに質問すると決めている。

    こうしたプロフェッショナルが身近にいる環境は、私にとって計り知れない幸運だ。わからないことを曖昧なままにしておくのは絶対に嫌だし、何より「筋の悪い努力」で時間を浪費することだけは避けたい。信憑性のある「答え」を持つ人に一度聞いておかなければ気が済まない、これは私の譲れない性分なのだ。

    専門家の幸運:思考のショートカット戦略

    自分で調べてやったことを継続していても、必ず壁にぶち当たる時や、停滞するタイミングが訪れる。そんな時に頼りになるのがプロたちだ。

    そんな時、齋藤 孝氏の『本当に頭のいい人の思考習慣』で紹介されていた「専門家から話を聞く」という教えに触れたとき、「自分の直感は間違っていなかったのだ」と背中を押され、これまでの試行錯誤を優しく肯定されたような気持ちになった。

    私たちは日々、情報過多の時代に生きている。スマホを開けば、筋トレの方法も、最新の美容法も、仕事の効率化テクニックも無限に出てくる。しかし、その情報が自分に合っているか、正しい順番なのかはわからない。試行錯誤は避けられないが、何が自分に合っているかを確認するタイミングが必ず出てくる。それをせずに時間だけを浪費し、疲弊してしまうのが、「筋の悪い努力」である。

    筋の悪い努力を続ければ、なかなか成果が出ず、何が自分に合うかを見つけられずに苦労するだろう。その点、プロのアドバイスは、その人が何年もかけて培った知識と経験の集大成だ。これをたった数分の質問で得られることは、計り知れない価値があり、自己投資に対する大きなリターンとなる。

    脳科学的なメリットとして、専門家に聞くという行動は、自分の「思考のショートカット」を可能にする。脳が膨大な情報を処理する手間を省き、最短距離で目標達成に必要な情報だけをインプットできる。これは、「集中力(アテンション・スパン)」を無駄に消耗させない、賢い戦略である。「思考の余白」を確保するためにも、不要な情報収集は避けるべきなのだ。

    最短距離の知識:筋の悪い努力vs.確実なリターン

    私たちが求めているのは、納得感のある成果だ。
    最も非効率なのは、間違ったフォームで努力を続け、体を壊したり時間を失ったりすること。プロのアドバイスは、そうした「失敗のリスク」を劇的に減らしてくれる。

    例えば、筋トレのフォームをDr.に相談したとき。「その角度は腰に負担がかかるから、この方法がいい」と即座に修正案をいただいた。もし一人で続けていたら、私は今頃腰を痛めて運動を中断していただいろう。医師としての医学的知見と、自らもパーソナルジムを掛け持ちする実践的な知識。その融合から生まれる一言は、数ヶ月分の試行錯誤と怪我のリスクを回避させてくれたのだ。

    インターネットの情報は玉石混交だが、「信頼できる専門家」が選んだ情報は、まさに選りすぐりの宝石である。この「信憑性」に基づいた知識を実践することこそが、目標達成への速度を劇的に高める。これは、自己成長の確信につながるのだ。行動経済学的に見ても、確実なリターンが見込める場所に時間という資源を投資するのは理にかなっている。

    メタ認知とドーパミン:成功体験を積み上げる質問術

    これを継続していくと、自分にとっての解けない問題は一瞬で解決し、その後の動きがスムーズになる。この継続が深まると、「アドバイスを実践した結果、成果を感じられた」と実感し、よりポジティブに変わる。

    プロのアドバイス通りに行動して得られるのは、知識だけではない。それは「成功体験」である。

    成功体験を通じて成果を感じると、「私は正しい道を選んだ」あるいは「結果が出た」という確信が持てる。この確信が、ドーパミンを分泌させ、次の努力へのモチベーションになる。筋の悪い努力をしていた頃の不安感やイライラから解放され、心に「思考の余白」が生まれるのだ。

    専門家に質問することは、決して難しいことではない。媚びを売る必要もなく、ただ誠実に聞けばいい。プロフェッショナルほど、自分の培った知識を共有することに喜びを感じるものだ。

    あなたの身近にいるそのプロたちが、あっという間に問題を解決してくれるだろう。これは、自分の脳を最大限に活用し、最短距離で目標を達成するためのメタ認知的な習慣である。

    賢者の行動:なぜ質問こそが最高のスキルなのか

    人間は、「知らないこと」を恥と捉え、プライドを守ろうと無意識に防衛する。これは社会的な評価を気にする心理が働くからだ。しかし、本当に賢い人は、その瞬間のプライドを守るコストよりも、学習による未来の利益を優先する。

    知らないことを知っているふりをして、間違った努力を続けることほど、時間と金銭の無駄はない。プロたちの知識を引き出す「質問力」こそが、現代の自己投資における最高のスキルなのだと私は実感している。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代の知恵を教えるユダヤが遺した言葉だ。

    「賢者は質問をする。愚者は知っているふりをする。」

    知らないことを恥じるのではなく、その事柄に関して相手に「わからない」と質問することこそが、あなたが成長への一歩を踏み出した証拠となる。

    わからないことがあったら、まずは自分で調べて行動した上で、あとはプロの力を借りてみよう。その質問は、あなたを正しい道へと導く究極のショートカットとなる。

    vol.41 会話力を覚醒。「伝わらない」をなくす脳科学的思考法
    vol.41 会話力を覚醒。「伝わらない」をなくす脳科学的思考法 HAKU

    私は、話すことが大の苦手だ。
    特に物事を順序立てて論理的に説明するのが、最も苦手である。

    そんな私に対し、夫はいつも容赦なかった。「何が言いたいのか伝わってこない」「一体なんの話をしているの?」。以前の私は、その言葉を聞くたびに「文脈から察する能力が足りないからわからないんでしょ」と、伝わらない原因のすべてを相手に押し付け、心の扉を閉ざしていた。

    しかし、医療関係で働くうちに、話が相手に伝わらないのは、自分に原因があるのではないかという、残酷な真実に気づき始めた。

    伝わらない原因:会話のボトルネックと論理構成

    「言葉の使い方が美しい人」として一番最初に思ったのは、過去に総合病院で働いていた時に会った消化器外科のN医師だった。 患者さんが途切れた診察室から漏れ聞こえる彼の話し方は、驚くほど整理され、流れるように綺麗だった。

    医師という立場から、患者さんに説明するスキルが求められるのは当然だが、そうではない医師も多いのが現状だ。

    自分の知識だけで完結しているような説明では、患者さんの理解度が極端に低くなり、医療における情報格差を生む。実際、勤務医の約3割がトラブルを経験し、医療事故の約7割近くがコミュニケーションエラーから発生しているというデータもある。このようなデータからも、医師の真のスキルは経験年数ではなく、患者への想像力に依存すると強く感じる。

    結局、「伝わらない」のは相手の理解力が低いからではなく、「伝える」側の論理と構成が甘いからだと、この時期に痛感したのである。

    共感の鍵:「例えば」が作る想像力

    消化器外科のN医師は、専門用語は一切使わず、とにかくわかりやすく話していた。そして話の度に「例えば」を使って、誰にでも思い浮かべられるイメージを作り、相手に柔らかくボールを投げるように言葉を発していた。

    同じ空間で聞いていた私にもよくわかる内容のもので、ずっと喋っていて欲しいと感じるほどだった。

    現在の職場であるクリニックのDr.も、まさにその話し方をする医師だ。子供からお年寄りまで、本当にわかりやすく話している。

    例え方のレパートリーも多く、難しい言葉は一切使わず、相手のための言葉を選びながら説明している姿を見ると、心から尊敬する。

    難しいことを、難しそうな顔で話すのは簡単だ。しかし、本当に知性が高い人は、相手に合わせて言葉を「翻訳」することができる。知識の量や語彙の豊富さをひけらかすのではなく、相手が今何に困り、どんな言葉なら受け取れるのかを徹底的に想像する。コミュニケーションの質とは、語彙力の多寡ではなく、相手への想像力の深さに比例するのだ。

    メタ認知:頭が良い人の「話す前の思考」

    安達 裕哉氏『頭の良い人が話す前に考えていること』という本で、今話題に出した2人のDr.のことが多く書かれていた。彼らの話し方は、まさに「頭が良い人の話し方」を体現していたのだ。

    • 相手のために言葉を使う
    • 相手のレベルに合わせてわかりやすく伝える
    • 感情的にならず冷静に話す
    • 話す前に相手の求めている結論を考える

    これらの要素が一致していたからこそ、多くの患者さんが「先生に診てもらいたい」と訪れるのだろう。信頼と影響力は、言葉の選び方に多く含まれている。

    私も近くで勉強させてもらいながら、その影響を強く受けている1人である。
    伝えるべき内容を「相手の視点」で考えることは、メタ認知(自分の思考を客観視する力)の訓練にもなる。話す前に相手の頭の中を想像し、「この人は何に一番困っているのか?」「どんな結論を求めているのか?」を先回りして考えることで、会話の無駄を極限まで減らせるのだった。

    この「話す前の思考」を習慣化することは、認知行動療法の観点から見ても、コミュニケーションの不安を軽減し、冷静さを保つことにつながる。感情的にならずに論理的に話すことで、相手の脳に負担をかけずに情報を受け渡すことができるのである。

    行動変容:ロールプレイングで会話力を習慣化する

    もし、あなたも私と同じく説明が苦手で、人との会話が億劫に感じるとしたら、一つ視点を変えてみてはどうだろう。

    身の回りで話の流れが綺麗な人がいないか見て、もしいたら少しずつ真似をしてみる。なりたい人をイメージして、その人が言うように自分もやって見る。まずはそこから始めてみよう。

    意識するのは「あの人ならどんな風にこの内容を相手に伝えるだろうか?」という視点だ。イメージが湧くと、それを演じるような振る舞いができてくることだろう。

    これは、自分の脳を「伝わる話し方」モードに切り替えるための、最も簡単な認知行動療法である。あなたの周りにいる「話し方が綺麗な人」こそが、あなたの自己成長を加速させるための最高の教材になるはずだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    20世紀ベルギーの哲学者、ハイム・ペレルマンが遺した言葉だ。

    「話し手は、話しかけようとする相手に順応しなければならぬ。」

    あなたの言葉の伝え方を変えることは、人間関係の質と仕事の成果を劇的に変える、最も強力な自己投資となる。今日から、相手の「聞く準備」に合わせて、話し方を設計してみよう。相手のために言葉を選ぶ習慣こそが、あなたの信頼と影響力を高める。どんな言葉を選ぶか考えることから、あなたの世界はゆっくり変わり始めるはずだ。

    vol.42 「身銭を切る」自己投資が現状維持バイアスを打ち破る
    vol.42 「身銭を切る」自己投資が現状維持バイアスを打ち破る HAKU

    上の姉兄たちから大きく年の離れた末っ子として生まれた私は、父にとって常に「手元に置いておきたい存在」だったようだ。

    小・中学生時代、父に「宿題はやったのか?」「将来何になりたいんだ?」と聞かれた記憶はほぼゼロに等しい。大学を卒業してもなお、「HAKUは就職はせずに、この家にいたらいいんじゃないか」と本気で提案されるほど、私は徹底して甘やかされて育った。

    大人になって「今度資格を取るんだ」と宣言した時も、父は「HAKUはいつも頑張っているから」と茶封筒に資金を入れて手渡してくれた。資格や学びについてお金に糸目をつけない父は、子どもたちが何歳になろうが、口は出さずにお金を出す。そんな人物であった。

    けれど、私はアラフォーになり、父は70歳を過ぎた。

    いつまでも私を子供だと思われていては困るのだ。「末っ子には永遠の可愛さがあるのだから」と、ぬるま湯に浸かったカエルにはなりたくなかった。変化に気づかぬまま茹で上がってしまう前に、この危機感を行動のエンジンに変えなければならない。

    そう強く思う瞬間が、今まで何度もあった。

    親の庇護からの脱却:「身銭を切る」覚悟

    父の愛は、兄弟の中で私にだけ断トツ甘くて深い。
    その甘すぎる愛こそが、私の「自己成長」のストッパーになっていたのかもしれない。

    親の庇護下にある心地よさは、自分の人生の責任を放棄していることと同義だ。私は、父がいなくなった後も、自分の力で立ち、自分の人生を切り開いていける人間になりたい。いや、ならなければいけない(皮肉なことに、親に甘やかされた人ほど、その危うさを察知するメタ認知能力が育つのではないか、とさえ思う)。

    そんな頃、自分の誕生日に欲しいものができた。
    ブログを書くための、ノートパソコンだ。

    新品じゃなくていい。自分で買える金額の範囲内のスペックで十分だった。夫に協力してもらい、中古のパソコンをメルカリで探して購入した。修理が必要だったので、落札時の価格よりも少し高くついてしまったが、「自分で全額を支払う」ことに最大の意味があった。結果的に、人生で最も満足度の高い買い物となった。

    誕生日が近かったことから、購入前に夫から「俺がプレゼントするよ」と提案されたのだが、丁寧にお断りした。「人の好意を無下にした」と思われても、この価値観だけは譲れなかった。自分で払ったものに価値があり、それを自分が一番感じたかったからだ。

    最高の贅沢:経験的優位性がもたらす持続的な幸福

    自分のやりたいことに身銭を切ろうと思ったのには、明確な理由がある。

    それは、「パソコンを買う」「本を買う」「大学に行く」など、自己成長のための「身銭を切る行為」が、単にモノや知識を得る以上の心理的・認知的なメリットをもたらすことを知っていたからだ。特に、この投資が「知識や経験」に変わる時、その効果は絶大なのである。

    コーネル大学の研究が示すように、人は物質的な「モノ」よりも「経験」に支出した方が、より長く、より深い幸福度を得られるという「経験的優位性」が確認されている。

    パソコンを購入し身銭を切ることで、その購入は単なる所有物ではなく、自己のアイデンティティの一部となる。経験は記憶として残り、時間が経っても価値が薄れにくいため、幸福感が持続するのだ。

    そのパソコンで、毎日ブログを書いたり調べ物をしている。
    自分のお金で買ったものを使うことで、日々やりたいことを実現できているという現状に、小さな幸せを感じている。

    脳科学:身銭を切る行動が自己効力感を強化する理由

    なぜ、誰かに買ってもらうのではなく「自分で支払う」ことが重要なのか?
    それは、脳が支払いのコストと、得られた経験の価値を強く結びつけるからだ。

    自分が働いて作り出したお金(時間と労働力)を投じることで、脳はその成果をより強く「自分のもの」として認識し、大切に扱うようになる。これが自己効力感を高め、次のモチベーションに繋がるのである。

    この行動は、ポジティブ心理学の観点からも非常に合理的だ。グロービス経営大学院などの調査では、働く社会人において、1日あたりの勉強時間(自己成長への投資)が長いほど、主観的幸福度が高いという相関が示されている。つまり、身銭を切る行為は「私は成長にコミットしている」という意識を強化し、結果として幸福感の向上という形でリターンをもたらすのだ。

    もし、あなたも自分にとって必要なもの、それが自分自身を成長させてくれるものだと解っている場合、身銭を切ることでより強く身につくだろう。

    人間とは、そういうものなのかもしれない。
    自分の幸せが何かわかると、それを自分で手に入れたくなるのだ。

    自己決定:幸せは、誰かに与えられるものではない

    誰かに幸せにしてもらうことももちろん重要だが、結局は自分次第だと感じる。その真実を「身銭を切る」という体験を通して、より強く実感できるだろう。

    大切なのは、「必要なものに、自分が投資している」という感覚なのだ。

    この感覚こそが、自己成長のエンジンであり、親からの依存的な庇護から卒業し、自立した大人として生きるための行動である。メタ認知を通じて、自分の真の目的を見極めることが、正しい投資先を見つける鍵となる。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソンが遺した言葉だ。

    「自分自身を信頼せよ。あなたの心の中にある、その聖域に頼るのだ。」

    父の深い愛に感謝しつつも、今回初めて私は自分の足で立ち、自らの手で知恵を勝ち取る道を選んだ。

    あなたにとって、身銭を切ってでも手に入れたい未来は何だろう?
    自分にとって、価値のあることに気づくことから始めてみよう。

    vol.43 モノより体験へ投資!幸福を持続させる贈り物の選び方
    vol.43 モノより体験へ投資!幸福を持続させる贈り物の選び方 HAKU

    毎年、母の日の直後にやってくる、私の母の誕生日。
    一昨年はスカート、昨年は日傘。今までは本人のリクエストに応じた「モノ」を贈っていたのだが、今年は違った。脳科学や心理学を学び、「物質的なモノは幸福をもたらさない」という科学的な知識を得ていたため、今年は例年以上に頭を悩ませることになった。

    母が喜びそうなものは何か、一生懸命考えた。
    モノではなく、行動、経験、旅行など、何を楽しめるか思考を巡らせた。

    その結果、母が昔よく「ものまね歌合戦」をテレビで見ていたことを思い出し、当時出ていた芸能人のイベントがないか検索した。その結果、「コロッケ&美川憲一のコンサート」が近隣で開催されることを知り、すぐに母にメールを送った。

    母は一人でコンサートに行くタイプではない。だからこそ、これは「母との思い出作り」という名目の、私自身の時間を投じる投資でもあった。当時のモノマネの詳細は覚えていないけれど、私は母の付き添いとして、会場へと足を運んだ。

    行動経済学の選択:モノではなく体験に投資する理由

    結果は、大成功だった。

    母の表情が緩んでいくのを隣で見届けて、この「記憶への投資」の正しさを確信した。 けれど、物語はそこでは終わらなかったのだ。

    驚くべきことに、私自身もまた、予想を遥かに上回る衝撃を受けることになったのである。

    本音を言うと、母への誕生日プレゼントなので私自身はそこまで楽しまなくても良いと思っていた。しかし、予想を上回るほどコンサートは楽しい体験となり、終わってからも色々考えるきっかけとなった。

    ポジティブ心理学が示すように、物質的なモノは購入直後に幸福度のピークを迎え、その後はすぐに慣れて価値が低下する。しかし、コンサートのような「体験への投資」は、記憶として残り、時間が経つほど価値が増していく。モノではなく時間を贈るという選択は、母の幸福を持続させるための最も賢い行動経済学的な判断だった。

    この経験は、「誰かのために行動する」ことが、結局は「自分の幸福度を高める」という、利他的な行為が自己肯定感に繋がるというポジティブ心理学の原則とも一致する。相手の喜びが、自分自身のセロトニン分泌を促した一つの証明だ。

    予期せぬ気づき:一流のエンタメが思考を変える

    会場でまず目を奪われたのは、満席のホールを埋め尽くした高齢者たちの、弾けるような笑い声と、一幕ごとにかける声援の力強さだった。

    日々のクリニック勤務で目にするのは、疾患や苦痛を抱えた患者さんたちの姿。その日常との強烈な対比によって、私は「健康」の真意を再定義することになった。健康とは、単に病気がないことではない。心から笑い、魂を震わせるエネルギーを持っていることなのかもしれない。

    次に感じたのは、コロッケ氏を知っているようで知らない私でも、爆笑するほど面白いネタを見たという感覚だった。実際のところ、人を笑わせるのは、怒らせるよりもずっと大変なはずだ。それなのに、昔のネタを知らない私を含め、会場のほぼ全員が笑っている。それは、彼らの芸が感情の本質に訴えかけているからだと感じた。一流のエンターテインメントは、世代や知識、時代さえも超えて人の心を動かす力を持っているのだ。

    そして、美川憲一氏がシャンソンの歌の合間に放ったこの一言が、私の胸の奥深く、最も熱い場所に突き刺さった。

    「死ぬほど生きなさい」

    その言葉は、棘よりも鋭く、心臓を直接揺さぶるほどの重みを持っていた。

    この時の私は、夜明け前から走り、誰にも言わずに学び、自分を信じるために必死で行動を積み上げている最中だった。何ヶ月もかけて「死ぬほど生きている」と言ってもいいほど、真剣になっていたからからこそ、この言葉が刺さったのだろう。母の隣で、涙をこぼそうになったが必死にこらえた。なぜかというと、私がこの頃何をしていたのかを、両親にはまだ伝えていなかったからだ。説明の出来ない涙は、流せない主義なのである。

    母のために選んだ場所で、自分の潜在意識が必要としていた「答え」に出会う。この予期せぬ覚醒が、私のこれからの行動に、さらなる強固な動機づけを与えてくれた。

    行動が先:メタ認知で無知を楽しむ習慣化

    この体験が教えてくれたのは、「行動」が先で、「気づき」は後からついてくるという習慣化の鉄則だ。未知の場所に自分からどんどん飛び込んでみる他ない。たとえ自分には関係ないと思っていた分野であっても、一流のものに触れることで、自己成長の扉は思いがけない方向から開かれる。

    自分から動くことはもちろん、時には「誰かの誘いに乗ってみる」のも一つの手だ。
    自分のフィルターだけでは選ばない場所に身を置くことで、思考の余白に新しい風が吹き込み、思いがけない発見がもたらされる。自分の殻に閉じこもらず、メタ認知によって「自分の知らない世界」を面白がること。その姿勢こそが、新しい自分への道を切り開く最高のスキルとなるだろう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの科学者・哲学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツが遺した言葉だ。

    「最も良い着想は、問題から離れ、気晴らしをしている時に、思いがけずやってくる。」

    母のために選んだ体験への投資は、結局、自分自身の人生を豊かにする決断の一部となった。
    効率ばかりを追い求める脳に、あえて「普段の自分なら選ばない選択」という投資をしてみよう。その先に、思いがけない発見があることだろう。

    vol.44 「ゼロヒャク思考」は欠点ではない:ドーパミン報酬を最適化するメタ認知
    vol.44 「ゼロヒャク思考」は欠点ではない:ドーパミン報酬を最適化するメタ認知 HAKU

    黒か白、0か100。パンよりご飯、犬より猫、海より山。
    昔から、妥協や曖昧さを嫌う、そんな極端な性格だった。

    楽しいことには周囲が引くほどの熱量で突き進むが、興味を失えば糸が切れたように止まってしまう。そんな私に対し、夫や家族は呆れ顔を見せることが少なくなかった。

    「やりたくないことは、絶対に無理」「私はこういう性格なのだから仕方ない」

    かつての私は、そう一点張りで生きてきた。極端な性格を個性だと信じることで、かろうじて自分の形を保っていたからだ。自発的な制御の欠如という言葉では片付けられない、核のような強いこだわり。それをうまく言語化できず、「お母さんはいつもわがまま」というレッテルを、ただ黙って飲み込むしかなかった。

    脳科学の真実:ゼロヒャク思考と報酬が足りない脳

    そんな私を肯定してくれるような記事を見つけた。

    以前から薄々感じていた「自分はADHDかもしれない」という特性について、脳科学系の本を多く出版しているアンデシュ・ハンセン氏の『最強脳』の中で深く知ることができた。この本には、ADHD(注意欠如・多動症)の強みと弱み、ADHDとドーパミンの関係が書かれていた。

    まず、私の0か100かという思考はドーパミンが影響しているようだ。さらにいえば、脳の側坐核(そくざかく)という部分が関係しているという。

    一般の人が普通の喜びで分泌されるドーパミンで満足できるのに対し、ADHD傾向のある脳は、側坐核がドーパミンを十分に受け取ることが難しい。そのため、他の人と同じ体験をしても「報酬」を感じにくく、気分の良さを得るためには、より強い刺激、より高いハードル、あるいは特別なご褒美を必要とするのである。

    欠点ではない:「0か100」の強みとメタ認知

    だからこそ、私は他人に誘われるだけの娯楽には満足できなかったのだ。「「自分で選んだ場所で、好きなことに全力を注ぐ」という極端なコミットメントがなければ、私の脳は満足(報酬)を得られなかった。

    最強脳』によれば、ADHD傾向のある人は、周囲が尻込みするような状況でも「ないなら自分で作ってしまおう」という思考に切り替えやすいという。この傾向が強いため、新しい発見を見出す成功者が多いとも書かれていた。自分は成功者ではないのだが、だからこそ、私はどこの職場でも、どこの場所へいっても足りないものや違和感のある部分に目をつけてしまっていたのだろう。このことを知って、すとんと腑に落ちた。

    どこの職場へ行っても改善すべき点に気づき、変化を望まずにはいられない。これまで「面倒な性格」だと思っていたその特性の正体は、私の脳が常に新しい価値を探し求めている証拠だったのだ。このメタ認知こそが、長年の自己嫌悪から私を解放し、前を向くための土台となった。

    行動変容の鍵:ドーパミンを自己成長のエンジンにする

    全力で楽しむ努力や、「ないなら自分でつくってしまおう」という思考は、もともと自分の中に存在する意識だった。この特性をネガティブなものとして捉えるのではなく、「生まれ持った探求心」として受け入れることが、自己肯定感に繋がる。

    これからも、自分に対して好きなことをやって、とことん楽しみながら生きていきたい。それは一人で楽しむことも重要ではあるが、家族といる時であっても自分が楽しめる状態にもっていく双方の努力が必要になる。それが今、自分にはできていない。

    そのためには、レクリエーションのように「目的地はここで遊ぶけど、一箇所だけお母さんも楽しめる場所や食べ物を共有してほしい」という要望をうまく取り入れてもらいながら進めるべきなのかもしれない。

    自分ばかりが我慢して行きたくないこと、やりたくないことをする必要はない。ドーパミンを受け取りにくい脳だからこそ、「楽しさの最大化」への戦略的努力が必要なのだ。

    人生を100%楽しむための設計図

    自分の脳の特性を理解することは、「人生をデザインする」ことと同義である。

    私たちが目指すべきは、ドーパミンの分泌を抑えることではない。分泌のトリガーを「自己成長や健康的な体験」へと切り替えることだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    フランスの思想家サルトルが遺した言葉だ。

    「人は自分の選んだもののなかに自己を投げ入れ、それによって、全人類に対して自己を選ぶという責任を負うのである。」

    あなたの「0か100か」という情熱は、あなたが自己を投げ入れるための最強のエンジンだ。この特性を欠点として隠すのをやめて、味方につけること。 それが、あなたの脳の「最高のご褒美」を理解し、誰にも真似できない100%の自己実現を達成する鍵となる。

    vol.45 「アハ体験」を呼ぶ思考法:習慣化で人生の設計図を創る
    vol.45 「アハ体験」を呼ぶ思考法:習慣化で人生の設計図を創る HAKU

    目次


    私は今まで、「幸せになりたい」と本気で意識したことがなかったのかもしれない。

    なんとなく過ぎゆく日々。行きたくない仕事や、負担に感じる子供の学校行事。それらを乗り切るための「ご褒美」として週末のイベントを設定していた。あの頃は、楽しい予定を入れることだけに囚われ、その本質については考えることさえしていなかった。

    私にとっての幸せとは、大好きな友人たちと会って遊ぶことだと勘違いしていたのだ。確かに会えば楽しい。しかし、それが「真の幸せか?」という問いに対し、心は静かにNOを突きつけていた。

    この漠然とした違和感は、私の内面にある問題が引き起こしていた。

    自分を信じられず、怒りに支配され、新しい一歩を恐れる自分。
    そこから抜け出すために、私は貪るように本を読んだ。

    話題の人気本だけでは足りないことはわかっていた。
    興味のなかった分野、ありとあらゆるカテゴリーを片っ端から読み漁ってみた。かつて私の本棚に並んでいたのは「怒りの鎮め方」の本ばかりだったのだが、今は違う。脳科学、行動経済学、そして認知行動療法。自分の「行動」を責めるのではなく、その背景にある「脳の状態」をメタ認知する視点を得たとき、私の中に変化が訪れた。

    覚醒のメカニズム:アハ体験と思考の再構築

    「勉強して考え続ければいつか答えが出る」と、金森 重樹氏の『借金の底なしで死ぬまで知ったお金の味』という本に記されていた。思考は、ある一つのことを継続し、深掘りし続けた先に、突然の「解決」を連れてくる。

    「洞察(アハ体験)」とは、脳内の情報が一気に再編成され、解決策が突如として現れる現象だ。ノースウェスタン大学などの研究によれば、この「ひらめき」による解決は、論理的に一歩ずつ考えた場合よりも正答率が高いことが示されている。限界まで考え抜いたあとの「中断」が、脳内の再編成を促し、劇的な「覚醒」を呼び起こす。この「思考の再構築」こそが、解決への道を明るく照らす最短ルートとなるのだ。

    幸せの設計図:内発的動機による習慣化

    脳科学、認知行動療法、哲学、人間についての本を、これほど集中的に読んだ経験はない。

    点と線がつながり、ようやく一つの設計図が見えてきた。
    自分を信じる技術、目的の定め方、習慣化の作り方、脳に支配されない生き方が。

    それらをうまく自分に取り込むことで、常に幸せな状態を作り出そうと今も動き続けている。

    この「覚醒」は、決して特別な才能ではない。なりたい自分になるために、あるいは技術を習得するために、極限まで熱意を持って調べ尽くし、考え抜く。報酬がなくても、観客がいなくても、歩みを止められない「内発的動機」こそが、習慣化の最強の燃料となっていたのである。

    行動変容の第一歩:考える努力を止めない哲学

    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの実業家・思想家であるヘンリー・フォードが遺した言葉だ。

    「考えるのをやめた時、人は老いる。」

    答えが出なくても、考え続けるその努力こそが、あなたの脳を活性化し、人生に新たな「覚醒」をもたらすはずだ。

    あなたの「今」の行動は、無意識に集めた知識を繋ぎ合わせ、人生の設計図を完成させる。
    今日から意識的に思考する習慣を日常のルーティンに取り入れよう。その継続こそが、未来の新しい自分を創り出す、力強い源泉となるのだから。

    vol.46 虚無感を埋める最強の習慣:「目的」への時間の投資
    vol.46 虚無感を埋める最強の習慣:「目的」への時間の投資 HAKU

    22歳の、クリスマスの時期だったと思う。
    大学生だった私が、文字通り全力で遊んでいた時期だ。

    飲み会の前の時間は、書店で時間を潰したり、HMVで洋楽のアルバムを試聴していたのだが、今思えばその全てがただの「暇つぶし」だった。

    雪のちらつく帰り道、セブンのおでんを片手に「つまんなかったな」と独り言を言いながら歩いた、あの寒い冬の日の感覚を今でも鮮明に覚えている。年末まで2週間、びっしりと飲み会の予定を詰め込みながら、私の心はどこまでも冷え切っていた。

    当時の私は、無駄に溶けていく時間に対して罪悪感すら抱けず、ただ漠然とした虚無感に無自覚なまま生きていた。毎日誰かと約束があり、華やかな場所に身を置いているはずなのに、なぜあんなにも満たされなかったのか。

    その真実を、今の私は痛いほど理解できている。

    快楽は虚無感に繋がる:行動経済学的な理由

    毎日遊んでいても、なぜか満たされない。
    この矛盾、あなたにも心当たりがあるだろうか?

    そのモヤモヤは、ラス ハリス氏の『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』という本を読むまで気づかなかった。この本には、なぜ人間がネガティブなのかや、自分の価値を見つける方法など書かれている。そして、「人は快楽を追いかけても一瞬気持ちいいだけで、長い目で見た時に幸せにはなれない」とことを伝えている。

    人間は、夢に向かって行動している時が最も幸せなのだという。

    これには私も強く共感している。やりたいこともなく、やらなきゃいけないことを避けて遊んでばかりいた時期がまさにそうだった。自分の価値が何かさえわからず、夢も持てず、ただ快楽だけ求めて遊び続けていた。嫌なことがあっても、友達とお酒を飲めば楽しくなる。彼氏に会えば満たされる。自分と向き合わずにすむ方法が、あの頃の私の唯一の解決策だったのだ。

    しかし本にもある通り、怖いことから逃げて楽なことばかりしていても、幸福にはなれなかった。好きなことばかりしてもただ虚しいだけで、目的がないため達成感も得られず、お金ばかりが減っていった。

    なぜ快楽は長続きしないのか?

    それは、脳が快楽に「慣れる」ようにできているからだ。ドーパミンが分泌されることで一時的に幸福感を得ても、その刺激が当たり前になると、脳はさらに強い刺激を求めるようになる。これが、快楽を追いかける人生が「虚無感」に繋がる脳科学的なメカニズムである。

    一方、「夢に向かって行動する時」の幸せは、達成感や自己効力感によって得られる、より持続的な幸福(セロトニンやオキシトシン)だと言われている。これは、「内発的動機」に基づいた行動の報酬であり、時間が経つほど自己肯定感を高めていく。

    人間は、快楽の中にいる時ではなく、自らの価値に沿った「目的」に向かって行動している時にこそ、最も深く持続的な幸福を感じるようにできている。当時の私は、その「目的」から最も遠い場所にいたということなのだ。

    時間の投資の真実:スーパー営業マンと10年後の差

    大学生の頃、私の周りは「人生の目的が明確な者」と「そうでない者」に二分されていた。

    私は自分と似た目的がないタイプの友達とはすぐに仲良くなり、時間を溶かすように遊んでいた。一方、目的がある友達は勉強、資格、バイトでいつも忙しそうだった。この対照的な違いこそが、人生という行動経済学的な資産を、早期に自己投資しているか否かの明確な差だった。

    同じサークルの男の子で、宅建の資格取得という目標に向かい、行動している子がいた。学部の違う彼と同じ授業を終え、薄暗くなった外を見ながら、教室を出るタイミングで、彼は「これからバイトなのに、昼飯を食う時間がなかったわ」と呟いた。その時、私はとっさに何かしてあげたくて、飲み会前に食べようと思っていたパンをバッグの中から取り出し、「これ食べなよ」と彼に手渡した。彼はコンビニで立ち止まる時間すら惜しんでいたようで、とても喜んで受け取ってくれた。

    その10年後。
    その子が地域の不動産のフリーペーパーに載っていて、スーパー営業マン的な記事と共に紹介されていた。それを見た瞬間、「あぁ、資格をとってちゃんと仕事に活かせているんだな」と心の底から羨ましい気持ちが沸いた。

    フリーペーパーに掲載された彼の笑顔は、あの頃のようにキラキラしていた。彼は、自分にとって価値があることがわかっており、それに向かって努力を続けていた。今はもう別の夢に向かって走っているのだろうと、彼の笑顔から読み取れた。

    当時の私は、彼らの持つ目的意識がどこから生まれているのか全く理解できず、その理由を深く掘り下げることも避けていた。周りが勉強やバイトに励む中、私はやりたいことを見つけられず、同じ授業を受けていても何も吸収できず、ただ椅子に座っているだけだった。

    そんな輝きに満ちた彼らを横目に、携帯で誰かと次の飲み会の予定を組むことだけが、当時の私にできる唯一の行動だった。

    幸せの習慣:内発的動機による心の穴埋め

    だが、今は違う。
    私には早起きして取り組むべき目的があり、その価値を自分自身で見出している。

    運動によってストレスに強い心身を作り、幸せを感じられるホルモンが出るような行動を自律的に選択しているのだ。その価値を感じる行動の継続は、ブログの記事として、そして読んだ本と共に一つひとつ確かな証跡として積み重なっている。

    結局嫌なことから逃げても、幸福にはなれない。
    幸せになりたくて毎日楽しいことをやっていたとしても、持続的な幸せは得られない。

    大学生の時に感じていた「私だけ何もない」という心の穴は、誰かに埋めてもらうものではなく、自分自身の価値に沿った行動の積み重ねでしか埋められないものだった。「あの時はしょうがなかったのかもしれない」と理解し、過去は手放そう。少しの負荷と、自分の価値に沿った目的こそが、自分が幸せになるための真実なのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの哲学者ジョン・デューイが遺した言葉だ。

    「幸福は、人が自己の目的に向かって進んでいるときにのみ生じる。」

    誰かの真似ではなく、あなたが定めた「目的」こそが、人生を真の幸福で満たしてくれる鍵なのだ。その一歩を踏み出した瞬間から、あなたの毎日は「暇つぶし」から「確かな投資」へと変わる。その小さな確信こそが、空虚な心を埋める一番の答えになるだろう。

    vol.47 キャリアの危機感をチャンスに変える「船の乗り換え」戦略
    vol.47 キャリアの危機感をチャンスに変える「船の乗り換え」戦略 HAKU

    帰郷後、私は派遣社員として地元の総合病院に勤め始めた。

    配属先の仕事内容は、コロナ関連部署での検査と事務対応だった。通勤時間が30分以内という好条件に加え、総合病院を選んだことで、両親にも「病院で働く娘」として安心してもらえた。当初は大した資格も持っていないのに、「大きな船に乗れてよかった」と、心から安堵を感じていた。

    コロナ号が沈む:危機感がメタ認知を覚醒させた瞬間

    総合病院に派遣社員として入職し、しばらくたった頃に、在職中のコロナ部署が2ヶ月後に終わるかもしれないという話を上司からされた。派遣会社との契約は3ヶ月更新。コロナ部署の終了は、規定外のタイミングとなってしまった。

    幸い、別の部署への配属が提案され、即座に職を失う事態は避けられたが、私の中にあった微かな懸念は、確信に満ちた「危機感」へと変わった瞬間でもあった。

    年末の休みに入り、世間がお休みモードへと変わる中、私は家で転職サイトにかじりついていた。初夢さえ覚えていないほど、頭の中は「次の一手」で埋め尽くされていた。

    この差し迫った危機感こそが、私のメタ認知を強制的に覚醒させた。
    沈みゆく船に乗っている自分を客観視し、溺れる前に次の岸を目指す。生存本能に基づいた、冷徹で素早い判断の始まりだったのだ。

    船の切符:学ぶ力と資格が証明する努力の価値

    岡崎 かつひろ氏の『お金に困らない人が学んでいること』という本に、「学ぶ力がある人が生き残る」と書かれてあり、まさにその通りだと実感した。沈む船から別の船へ乗り換えるためには、自分が有能であることを証明する「切符(カード)」が必要であり、私にとってそれは「資格」だった。

    「私は自分で目標を立て、努力し、それを達成できる人間です」。面接という名の交渉の場で、そう堂々と宣言するための証拠が欲しかった。私は子育ての合間を縫って、病院実務に直結する2つの資格を数ヶ月で取得することに決めた。学びに対する娘の本気の姿勢を見た父は、あの頃よくこう言っていた。「HAKUが勉強しているの、今まで見たことがない」と。そのくらい、自分でも学びを得たいという気持ちで、自発的に何かを学ぶことは人生で初めてだった。

    最終的に総合病院から、現在のクリニックという船に乗り換えることができた。 私の行動の素早さと学ぶ力が、良い方向に傾いた満足いく結果となった。派遣という更新が必要な業種と、コロナという異例の部署が、私の行動をよりスピーディーにさせてくれたのだろう。

    私は「ここまでは絶対に成し遂げる」と期限を設けると、集中力が極限まで高まるようだ。今回のこの差し迫った危機感は、私に「生きるか死ぬか」のような強烈な目標を与えてくれたのだ。

    その目標に向かって進んだ努力のプロセスこそが、知識や資格以上に、私にとっての揺るぎない自己肯定感の確かな土台となった。

    行動経済学:変化できない者が失うコスト

    同じ部署で、沈みかけている船に同乗していた年上の女性がいた。
    私とは対照的に、その人はこちらが焦る状況でも、かなりのんびりしている様子だった。部署がなくなることは同時にわかっていたにも関わらず、彼女は何も行動を起こさなかった。同時期に契約終了となった数週間後、会社から契約を打ち切られたと連絡が来た。

    彼女はメールで「世知辛い世の中だ。」と言っていたが、本当にそうだろうか。

    自ら動かず、現状維持こそがリスク回避だという様子で、昼の休憩中パンをかじりながらスマホを楽しむ彼女を常に見ていた。そのため、私は全く同情できなかった。徹底して受け身の生存戦略を選んだ者に伝えられた、担当者の最終回答が「契約打ち切り」という現実を目の当たりにした。

    生きていくための変化は、明らかに自分のためだ。誰かになんとかしてもらおうと待っていても、結局何も起きない。だからこそ、自分で行動しなければいけない。いつ何時だって、思っていたことと異なる困難が人生に何度もやってくる。そんな時に、船を乗り換えられるような思考や行動を、常に持ち続ける必要があると知れたのだ。

    私のように、期限付きの特殊な環境で働く人や、現状に疑問を感じる場所にいる人は、今すぐにでも次のキャリアへ移るための「切符(資格やスキル等)」を作る戦略を立てた方が良いだろう。自分には何が足りないか。次のステージで何を活かせるか。学ぶことで人生の解像度を上げ、ピンチを飛躍のバネにしていかなければならない。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンが遺した言葉だ。

    「強いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残るのだ。」

    現代社会を生き抜くための、行動経済学的な真理である。
    変化を恐れず、常に切符を準備する必要がある。その切符(資格やスキル)とは、他者に依存しない「学ぶ力」と「変化を読み行動する力」によって裏打ちされるものである。変化し続ける勇気こそが、あなたの人生の大きな資産となるだろう。

    vol.48 「褒める力」で自己承認を築く:ミラーニューロンによる成長戦略
    vol.48 「褒める力」で自己承認を築く:ミラーニューロンによる成長戦略 HAKU

    八木 仁平氏の『世界一やさしい才能の見つけかた』という本に、「人よりうまくできることが才能なのではなく、無意識でついやってしまうことが才能」ということが書かれていた。もしそうであるならば、私にとっての才能は「人を褒めること」かもしれない。

    私は義務や計算で人を褒めることはない。ただ純粋に、心が動かされた瞬間に称賛を送りたくなってしまうのだ。これは子供に対しても、周囲の大人に対しても同じだ。

    いつしか「HAKUさんって褒めるのが上手ですよね」と言われるようになり、それが自分自身の「無意識の強み」であることに気づかされた。

    内なる承認:褒めたいが止まらない本質

    私の周りには、魅力的な人が溢れている。
    皆それぞれが、今の自分を変えようと静かに動き始めている。

    週6出勤に加え、自分磨き、おしゃれ、友人関係など、多忙を極める職場の年下のスタッフは、「行くのが面倒くさいんですよ〜」と言いつつ、定期的にジムに通っている。運動と読書習慣がなかった知人からは、私に影響されスクワットと読書を始めたと、飲みながら教えてもらった。地元の友人は、手軽なジムでランニングをしていたが、本格的なスポーツジムに入会し直し、トレーナーさんに教えてもらいながら筋トレを始めたという。

    褒めるという行為は、単なる行動ではなく、忙しい日常の中で自分のために、何かを楽しみながら続けているという背景にこそ、素直にリスペクトを感じているからだ。

    自分自身が一生懸命に生き、理想に向かって行動し続けていると、同じような熱量を持つ人が自然と引き寄せられる。逆に、現状への不満を抱えたまま立ち止まっている人は、他者の努力を素直に認められない。他者の輝きが「行動しない自分」を照らし出し、自己否定を突きつける鏡になってしまうからだ。他者を褒められるということは、それだけで自分がポジティブなループの中にいる証拠なのかもしれない。

    ストイックな私とミラーニューロンによる影響力

    私はよく「ストイック」だと言われるが、その基準を他人に押し付けることはない。なぜなら、努力の物差しは人それぞれであり、自分の中にしかないものだからだ。「やるならめちゃくちゃハードルを下げて、スクワットは1日1回を3日間続けるところからで、いいんじゃないですかね」とヘラヘラしながら、心理的な負荷を最大限に削ぎ落として伝えるようにしている。

    中野 信子氏の『世界の頭の良い人がやっていること』を読み、驚きの発見があった。それは、人を上手に褒めることが、頭の良い人の行動の一つだと書かれていたからだ。自分が世界の頭の良い人の中に入って嬉しいという事ではなく、この予期せぬ発見が、私の行動にさらなる動機付けを与えたのである。

    人を褒めることで、自分自身の脳のミラーニューロンが活性化する。他者の素晴らしい行動を認識し、称賛することで、自分自身の脳内でもそのポジティブな回路が強化され、次の行動へのモチベーションへと変換されるのだ。

    まずは自分自身を褒めることから始めよう。
    そうやって毎日、自分の良いところを見つけ、肯定していく習慣は、やがて「なりたい自分」を形作る確かな指針となる。そしてそれは、周囲の人々を惹きつける魅力へと磨き上げられていくのだ。

    実際、私が自分自身を信じられるよう日々行動を積み重ねるうちに、その効果は見た目や思考の鋭さとして表れ始めた。私が「良い」と感じたものや行動を周囲に伝えると、それを聞いた人々が、自ら「自分に出来ること」を自然に始めてくれていた。私の変化を間近で見ていた彼らは、言葉を超えた何かを受け取ってくれていたのかもしれない。

    褒める力の科学:自己承認の循環を創る

    人を心から褒めるためには、まず自分自身の価値を認め、目的を明確に持っている必要がある。これは脳科学やポジティブ心理学が示す、「自己承認の循環」そのものである。自分の変化を自分で認め、日々自分を褒めている人だけが、他者の微かな変化を察知し、光を当てることができる。

    他者の行動を「素晴らしい」と認識する行為は、脳のミラーニューロンを活性化させ、これにより褒めている自分自身の脳内でも、そのポジティブな行動(努力やクリエイティブな活動)の回路が強化され、次の行動へのモチベーションへと繋がる。つまり、褒めることは、自分の脳を成長させるための能動的な行為でもあるのだ。

    あなたの目的が定まり、動き出したとき、あなたは周りの人を素直に褒められるだろうか?
    もしそうであれば、それはあなたが自分の人生と努力を、心から認められている何よりの証拠となるだろう。

    ニーチェの哲学:自分への義務と他者への光

    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが遺した言葉だ。

    「最も大事なことは、自分自身に課した義務を、どれだけ継続できるかである。」

    誰かを褒める前に、まず自分自身への義務(目標設定や行動)を果たし、その努力を認めてあげよう。あなた自身の成長という火が灯ってこそ、他人の良さを照らし出す「光」になれるからだ。

    自分の努力を認められる人は、他者の努力にも寄り添える。
    その相互承認の連鎖こそが、孤独な努力を「共に高め合う理想的な状態」へと変えていく。あなたの内なる努力は、誰かのためではない。けれどその結果として、あなたの日常は、称賛し合える豊かな人々で満たされていくことになるだろう。

    vol.49 「時間がない」と「無駄遣い」を断つ!人生を豊かにする「価値ある投資」
    vol.49 「時間がない」と「無駄遣い」を断つ!人生を豊かにする「価値ある投資」 HAKU

    「振り返れば、過去の私はあまりに無自覚だった。

    飲み代、洋服代、そして子供にせがまれるままのおもちゃ。欲しいものを買い、好きなだけ呑み、UFOキャッチャーのぬいぐるみの山が棚から崩れかけても、「まぁいいか」と、見て見ぬふりができていた。

    けれど、本を読み、運動し、自らの意志で「思考を紡ぐ」という目的が生まれた瞬間、お金の真実はその姿を変えた。「時間」と「お金」の使い方に本当の価値があると気づけたのは、メタ認知を通じて自分自身を信じられるようになってからのことだ。

    コンフォートゾーンの代償:無駄遣いの断捨離

    時間がないなら作るしかないと、朝の時間を捻出し、運動や勉強を始めた。その時間しかやりたいことができないため、必死に作って完成させたこの生活が、半年以上続いている。

    お金の問題も、無駄を書き出して考えた。
    暇だからとフラフラ買い物に行く時間や、ネットサーフィンをして服を購入する時間は、物理的に作らないようにした。特にお酒を飲んだ後の高揚感で買ったコスメは、翌朝のメイクで使われることは一度もなかった。それらはすべて、解決すべき課題から目を逸らすための「コスト」だったのだ。私は物理的にそうした時間を排除することに決めた。

    運動に関しても、ジムに行く費用は何とか工面できたかもしれない。
    しかし、どう頑張ったとしても通うための「時間」だけは捻出できなかった。ジムに通えば充実した設備を利用でき、天気を気にしなくて済むというメリットはある。だが、子供を置いて一人で通うというのは、現実的にかなり厳しい選択となる。だからこそ私は、お金も場所も使わず、家でできることから行動に移したのだ。

    他にお金を使うことになったのは、ブログを書くために購入したノートパソコンである。新品じゃなくても良い、記事さえ書ければどんなものでも構わない。だが、「絶対にMacがいい(理由は、見た目と薄さ・軽さが好きだから)」と夫に伝えた。

    一見、なんでも良くなさそうなわがままな願いであったかもしれない。PC関係に詳しい夫に中古品を探してもらったが、画面の修理やパーツの交換などで本体の値段より高くかかってしまった。想定内の費用だったとはいえ、中古品で新品を買うよりだいぶ安く手に入れられたので、まずよしとしよう(夫に感謝)。

    思考の転換:目的がなければ支出はすべてムダ

    森 博嗣氏の『お金の減らし方』という本には、幸福に暮らす人は「やりたいこと」が先にあり、そのために時間とお金を工面すると記されていた。「お金がないから出来ない」は言い訳で、「お金ではなく目的に価値がある」という。

    自分に照らし合わせていうと、まず「時間」の作り方や使い方が、初めに頭を悩ませるリソースだった。優先順位が明確になると、おのずと無駄な支出が見えてくる。

    この本によると、「必要だから」と思ったモノの多くは他人に対する見栄だったり、手に入れれば幸せになるというような「感情」に根差した出費だという。そういった感情に根差した支出は、どれほどお金を注ぎ込んだところで問題が消えることはない。なぜなら、そのお金が癒そうとしているのは、一時的な感情の波であって、自己信頼という本質的な問題ではないからだ。

    科学が示す支出の基準:「経験的優位性」

    また、本の中には「どのくらい欲しいかでモノを買う」ことも書かれていた。
    お金を稼ぐのは自分のやりたいことをするためであって、目的ではない。お金を稼ぐという手段が目的になってはいけないという。

    これによって、より私の思考が固まった。
    PCの購入は、自分のやりたいことを叶えるためのモノではなく、「手段」だと明確になった。夏のボーナスで買うことを決め、優先順位1位のPCにお金を使うことを決めた。購入後、毎日PCを使って作業をしている為、日々幸福感を感じている。

    お金を使うためには、「目的」が必要だったのだ。
    自分のために買ったPCは、私の思考の一部となった。目的を叶えるためのモノや時間、体験にお金を使うというマインドができてから、使う前によく考えることができた。

    自己決定:人生を豊かにする「価値ある投資」

    そうなると、何の目的でどれくらい欲しいかが重要となってくる。
    よく考えて買ったモノは、長く大切にできるし、使いつづけるうちに自分も幸せになるだろう。

    これは経験的優位性(物質より経験への支出が幸福度を高める)という理論と一致する。

    PCは物質だが、ブログという経験に投資するための手段であり、その結果、学習と成長が促進される。グロービス経営大学院などの調査でも、働く社会人において、1日あたりの勉強時間(自己成長への投資)が長いほど、主観的幸福度が高いという相関が示されている。また、神戸大学の研究でも、所得や学歴よりも「自己決定」が幸福感に強い影響を与えることが明らかになっている。

    あなたの成長につながる支出は、単なる消費ではない。
    それは「幸福度の資産」を築くための、最も賢い選択でもあるのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    哲学者アリストテレスが遺した言葉だ。

    「お金は、あなたが行う選択を広げるための手段である。」

    お金の多寡ではなく、そのお金でどんな経験を選び、どんな自分になるかが最も大切となる。
    今日の支出や、これから手に入れようとしているモノが、未来の自分の幸福に繋がっているか。手にいれる前に、まずその点を自問自答してみよう。