vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣
vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣 HAKU https://shikou-yohaku.com/wp-content/litespeed/avatar/39f7921b68d0923ea3342975c8ebc33c.jpg?ver=1768117537目次
新しいことを始めるとき、誰かに「もうやった?」「どうだった?」なんて聞かれると、途端に興が削がれ、一気に熱が冷めてしまう。それは、自分だけの聖域に土足で踏み込まれるような感覚だ。それは、誰かに評価されたいという動機ではなく、純粋に「好き」という気持ちだけが行動の源になっているからなのだ。
特に私は、昔から一人で完結する活動が好きだった。
知的作業なら、読書、文章を書くこと、想像すること。身体活動なら、水泳や剣道、ランニングなど、全てシングルプレイの競技ばかりを選んできた。誰かの目を気にすることなく、自分のペースで、自分のために。この「一人で完結させる」時間こそが、私の内発的動機を守る手段だった。
早朝の勉強を始めたときもそうだった。
夫は毎朝、私が机に向かっている姿を見ていたはずだが、一度も「何してるの?」とは聞いてこなかった。その無関心が、当時の私にとっては本当にありがたかった。もし「何やってるの?」「頑張ってるね」なんて言われていたら、きっとカタツムリが殻に閉じこもるみたいに、そっとやめていたかもしれない。
良い意味での無関心が、心を解き放つこともあるのだ。
無関心という最高のサポーター:本心と時間の使い方
この習慣を2ヶ月ほど続けた後、私から初めて「実は今、朝早く起きて勉強してるんだ」と夫に話した。すると彼は、その分野のおすすめのPodcastや情報をシェアしてくれるようになった。
佐藤 舞氏の『あっという間に人は死ぬから』という本に、「有意義な人生を送るには、自分の本心、価値、勘にしたがって時間を使うべき」とあった。
誰かに褒められたいからやるのではない。誰かに見られているからやるのでもない。誰にも知られなくても、誰も見ていなくても、それでもやりたいこと。それこそが、自分の本心からやりたいことなのだと気づいた。
褒められることを期待せず、誰かに承認されることを目的としない。そんな私にとって、夫はまさに「良い意味での無関心」という最高のサポーターだった。彼の存在が、私のクリエイティブな時間を守ってくれたのだ。この考え方は変だと思われるかもしれない。
でも、私は変な人が好きだし、自分も変な人間であることは知っている。
内なる承認の育て方:承認欲求の依存から脱却
誰にも邪魔されず、ただひたすらに自分の世界に没頭できる時間。
外部の評価や情報から切り離されることで、心の中に静寂が生まれる。それこそが、私たちの心を豊かにする「思考の余白」なのだ。
私たちは、誰かに認められたいという欲求を本能的に持っている。しかし、その承認欲求が強すぎると、本来の目的を見失ってしまうことがある。
たとえば、SNSで「いいね」をもらうために写真を撮ったり、誰かに褒められるために努力をアピールしたり。そうした行動は、一時的な満足感は得られても、本当に満たされることはない。それは、外からの評価という不安定なものに、自分の価値を委ねてしまっているからだ。
本当に大切なのは、自分の心が感じる「内なる承認」となる。誰かに評価されなくても、「自分はこれが好きだ」「この時間が楽しい」と、心から思えることなのだ。
思考の余白:小さな芽を育てる継続の習慣
「好き」という気持ちは、まるで小さな芽のようなのかもしれない。
最初はとても繊細で、少しの風で揺らいでしまう。だからこそ、静かで安全な場所で、じっくりと水をやり、光を当ててあげることが大切なのだ。
誰かに話すのは、その芽がしっかりと根を張り、自分の中で確信に変わってからでいい。それまでは、静かに、誰にも気にされないような場所で、あなたの「好き」をじっくりと育てていこう。
最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
それは、フランスの哲学者アランが遺した、こんな言葉だ。
「幸福を遠ざけるものは、多くを望むことではなく、自分が何者であるかを人から認められようとすることである。」
誰かの評価に縛られることなく、自分の心の声に耳を傾けること。
自らの行動そのものを報酬とすることで、習慣は揺るぎないものになる。あなたの人生の豊かさは、あなたが誰から認められたかではなく、あなたがどれだけ自分の本心に従いそれに対して行動できたのかで決まるのだ。
