• ネガティブな感情に悩んでいませんか?ブログ「思考の余白」では、脳科学や心理学の知識をヒントに、小さな習慣で自分を好きになる思考法を発信しています。

    思考

    vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣
    vol.28 「承認欲求」を断つ!無関心が育む内発的動機の習慣 HAKU

    目次


    新しいことを始めるとき、誰かに「もうやった?」「どうだった?」なんて聞かれると、途端に興が削がれ、一気に熱が冷めてしまう。それは、自分だけの聖域に土足で踏み込まれるような感覚だ。それは、誰かに評価されたいという動機ではなく、純粋に「好き」という気持ちだけが行動の源になっているからなのだ。

    特に私は、昔から一人で完結する活動が好きだった。

    知的作業なら、読書、文章を書くこと、想像すること。身体活動なら、水泳や剣道、ランニングなど、全てシングルプレイの競技ばかりを選んできた。誰かの目を気にすることなく、自分のペースで、自分のために。この「一人で完結させる」時間こそが、私の内発的動機を守る手段だった。

    早朝の勉強を始めたときもそうだった。
    夫は毎朝、私が机に向かっている姿を見ていたはずだが、一度も「何してるの?」とは聞いてこなかった。その無関心が、当時の私にとっては本当にありがたかった。もし「何やってるの?」「頑張ってるね」なんて言われていたら、きっとカタツムリが殻に閉じこもるみたいに、そっとやめていたかもしれない。

    良い意味での無関心が、心を解き放つこともあるのだ。

    無関心という最高のサポーター:本心と時間の使い方

    この習慣を2ヶ月ほど続けた後、私から初めて「実は今、朝早く起きて勉強してるんだ」と夫に話した。すると彼は、その分野のおすすめのPodcastや情報をシェアしてくれるようになった。

    佐藤 舞氏の『あっという間に人は死ぬから』という本に、「有意義な人生を送るには、自分の本心、価値、勘にしたがって時間を使うべき」とあった。

    誰かに褒められたいからやるのではない。誰かに見られているからやるのでもない。誰にも知られなくても、誰も見ていなくても、それでもやりたいこと。それこそが、自分の本心からやりたいことなのだと気づいた。

    褒められることを期待せず、誰かに承認されることを目的としない。そんな私にとって、夫はまさに「良い意味での無関心」という最高のサポーターだった。彼の存在が、私のクリエイティブな時間を守ってくれたのだ。この考え方は変だと思われるかもしれない。

    でも、私は変な人が好きだし、自分も変な人間であることは知っている。

    内なる承認の育て方:承認欲求の依存から脱却

    誰にも邪魔されず、ただひたすらに自分の世界に没頭できる時間。
    外部の評価や情報から切り離されることで、心の中に静寂が生まれる。それこそが、私たちの心を豊かにする「思考の余白」なのだ。

    私たちは、誰かに認められたいという欲求を本能的に持っている。しかし、その承認欲求が強すぎると、本来の目的を見失ってしまうことがある。

    たとえば、SNSで「いいね」をもらうために写真を撮ったり、誰かに褒められるために努力をアピールしたり。そうした行動は、一時的な満足感は得られても、本当に満たされることはない。それは、外からの評価という不安定なものに、自分の価値を委ねてしまっているからだ。

    本当に大切なのは、自分の心が感じる「内なる承認」となる。誰かに評価されなくても、「自分はこれが好きだ」「この時間が楽しい」と、心から思えることなのだ。

    思考の余白:小さな芽を育てる継続の習慣

    「好き」という気持ちは、まるで小さな芽のようなのかもしれない。
    最初はとても繊細で、少しの風で揺らいでしまう。だからこそ、静かで安全な場所で、じっくりと水をやり、光を当ててあげることが大切なのだ。

    誰かに話すのは、その芽がしっかりと根を張り、自分の中で確信に変わってからでいい。それまでは、静かに、誰にも気にされないような場所で、あなたの「好き」をじっくりと育てていこう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、フランスの哲学者アランが遺した、こんな言葉だ。

    「幸福を遠ざけるものは、多くを望むことではなく、自分が何者であるかを人から認められようとすることである。」

    誰かの評価に縛られることなく、自分の心の声に耳を傾けること。

    自らの行動そのものを報酬とすることで、習慣は揺るぎないものになる。あなたの人生の豊かさは、あなたが誰から認められたかではなく、あなたがどれだけ自分の本心に従いそれに対して行動できたのかで決まるのだ。

    vol.29 感情の波を鎮める利他行動:自己肯定を築く脳科学的習慣術
    vol.29 感情の波を鎮める利他行動:自己肯定を築く脳科学的習慣術 HAKU

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    毎日を自分らしく、幸せだと感じられるような日々を過ごしたい。

    そう思っていても、なぜか気分が沈んでしまう日がある。メイクをする気力さえ湧かず、鏡に映る機嫌の悪そうな自分を見てはため息が出る。

    そんな日は人と会うのを避け、下を向いて歩いてしまう。
    スーパーのレジの店員さんが丁寧すぎることにさえイラついてしまい、一日の質が音を立てて崩れていく。

    そんな「気分の波」に振り回されるたび、お気に入りの音楽やポッドキャストを聴くのだが、それでも気分を紛らわせられない時は、とことん全てがどうでも良く思えた。

    けれども、今ならわかる。その「不調」は、私自身が自分を受け入れられていないサインなのだ。 誰かに気分を上げてもらおうと期待する受け身の姿勢では、本当の意味で人生を乗りこなすことはできない。

    自己肯定感の真実:利他行動が世界で好かれる理由

    星友 啓氏の『全米トップ校が教える自己肯定感の育て方』という本を読んで、私はハッとさせられた。この本には、「優しくて相手を許容できること」が、世界中のどの文化圏でも最も好かれる性格だと科学的に証明されていると書かれていた。さらに、「人に優しくしている自分は、周囲から受け入れられている」ということに気づくという話も印象的だった。

    正直に言うと、私は利他的なマインドを1%も持ち合わせていない、完全に自己中心的な人間だ。その日の気分で感情がコロコロ変わるため、常に自分の感情を優先し、人に優しくできない。できたとしても、それはたまたま機嫌がよかっただけの話だ。利他的なマインドを持つというのは、かなり辛く厳しい苦行のような考え方だと感じた。しかし、この本を読んでから、意識して実行するようにした。

    クリニックでの習慣化:心のフィルターを外す優しさ

    まず、患者さんへの接し方を意識的に変えてみた。

    1. カルテを見るのではなく、必ず患者さんの目を見て、体調の変化がないか聞くようにした。
    2. 耳が聞こえにくい人にも、わかりやすい挨拶や相槌を心がけた。
    3. 話しかけやすい雰囲気を作るようにした。

    たったこれだけのことだが、驚くべき変化があった。「診察室では言えなかった不安」や「家庭の事情」を、患者さん自ら打ち明けてくれるようになったのだ。 私が心のフィルターを外し、柔らかな雰囲気を纏うだけで、閉塞していた人間関係の空気が一気に解き放たれていく。

    誰かを救おうとして始めた行動が、実は、誰よりも私自身の凍りついた心を救っていたのだ。利他とは、自己犠牲ではない。 それは、自分自身を深い愛で満たすための、最も理にかなった「戦略」だった。検査中に話せる時間は限られているが、それでも、患者さんの言葉の端々から、彼らが抱えている悩みを拾い上げ、医師にスムーズに伝わるようカルテに記入した。

    いつも怒っているように見えた人が、私が丁寧に接するだけで、絞り出すように「ありがとう」と言ってくれた。その時、彼の中にあった「誰かに大切にされたい」という痛いほどの渇望に、私は初めて触れた気がした。

    また、いつも上の空だった人が、私の真摯な眼差しを感じた途端、家族の介護で十分に眠れていない過酷な日常を打ち明けてくれた。

    私の纏う空気が柔らかくなったことで、彼らの心の重荷が、ほんの少しだけこちらに預けられたのかもしれない。

    この経験は、私自身の心を大きく揺さぶった。 それまで私が世界に向けていた「不機嫌」という名のフィルターが、いかに歪んでいたかを思い知らされたのだ。

    優しい行動がオキシトシンを呼び、自己肯定感という栄養になる

    「人に優しく接する」という行動を続けた結果、嫌な人にもそれぞれ理由があったことを知った。そして、悩みを打ち明けてもらったことで、「人に優しくしている自分は、周囲に貢献できている」と実感できるようになった。その結果、自分は相手に受け入れられているのだと確信できた。

    利他的なマインドは、「私はあなたの味方です」というメッセージを相手に送る行為なのかもしれない。実際、そのメッセージを受け取った相手が心を開くことで、自分は社会の中で受け入れられているという感覚が生まれ、それが自己肯定感に繋がることがようやくわかった。

    こうして自己肯定感が上がると、仕事中の対応がとても楽になった。他者への優しさが、巡り巡って自分の心を軽くしてくれたのだ。朝嫌なことがあって仕事前に気分が乗らない日でも、誰かに優しくするという行動が、自分自身を喜ばせることにつながった。

    心理学では、「利他行動(altruistic behavior)」が幸福感や自己肯定感を高めることが広く知られている。誰かのために行動することは、脳内で幸福ホルモンであるオキシトシンやセロトニンを分泌させ、ストレスを軽減する効果があるという。つまり、誰かに優しくすることは、自分の心を満たし、人生の質を底上げするための、極めて合理的で科学的な方法でもあるのだ。

    継続のメタ認知:感情の波を鎮めるための科学的習慣

    もしあなたが、今人と関わることに難しさを感じているなら、まずは小さな行動から始めてみてはどうだろう。職場で人に優しくする、電車で席を譲るなど、どんな些細なことでも構わない。

    「自分は優しい人間だ」と意識して行動してみる。

    その思考が、いずれ大きな自信となってあなたを支えてくれるだろう。ストレスを管理し、自己成長を促すための「優しさ」を実践できるような習慣を身につけること。大切なのは、個人の性格や相性を責めるのではなく、健全な行動習慣を築けるような環境を自分自身で整えることにある。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    これは、古代ローマの哲学者セネカが遺した言葉だ。

    「善を行う者は、それ自体が報いである。」

    誰かのために行う親切は、見返りを求める必要がない。
    なぜなら、その行為そのものが、あなたの心を満たし、自己肯定感を育む最も確実な方法だからだ。誰かの心を温めることが、巡り巡って自分の心を温めてくれる。優しい行動が、あなたの心の基盤を豊かにし、揺るぎない自己肯定感を築き上げてくれるだろう。

    vol.30 「自分を愛する」セルフケアが思考の余白と自信を創る方法
    vol.30 「自分を愛する」セルフケアが思考の余白と自信を創る方法 HAKU

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    朝の時間を活用し、運動が習慣化して自分を客観視できる余裕が生まれてきた頃。カズレーザー氏による「見た目がいい人は中身もいい」と語るショート動画が、ふと目に留まった。

    そのフレーズは、驚くほどストンと私の腑に落ちた。 クリニックで日々多くの患者さんと接する中で、私自身も同じことを肌で感じていたからだ。

    外見に「品」や「余裕」が漂っている人は、内面も驚くほど優しく、穏やかであることが多い。 それは、造形が整っているとか、高価なブランドを纏っているということではない。

    自分の心身を丁寧に扱い、大切にしているという「自愛」の姿勢が、その人の佇まいとして外側に溢れ出しているのだ。

    自己報酬系の強化:「愛すべき部分」を磨く自己投資習慣

    私は気分が乗らない日があると、とことんネガティブの沼に沈んでいくタイプだった。そんな時、田中 克成氏の『自分をよろこばせる習慣』という本で、「自分の顔の1パーツを溺愛しよう」という言葉に出会った。

    最初は、そんなことだけで変わるのかと半信半疑だったが、試してみることにした。私が実践したのは、「コンプレックスだったパーツを、愛おしい部分へと変える」ことだ。私の場合は、顔の中ではダントツ「歯」がコンプレックスだった。長年のコーヒー習慣と赤ワインで着色した歯は、鏡を見るたび落ち込むほど黄ばんでいた。

    当時、子供に読んでいた長谷川 摂子氏の絵本『めっきらもっきら どおんどん』に、「もんもんびゃっこ」というキャラクターがいた。その妖怪は、顔は真っ白なのに歯は真っ黄色という、目をひく姿だった。読み聞かせている最中に、子供がその妖怪を指差し、「これお母さん!」と言われた時は、リアルにショックだった(ひどい)。

    仕事中はマスクの着用が欠かせないが、プライベートでは基本的にマスクはしないようにしている。だからこそ、歯に自信をつけるため、ホームホワイトニングと年一回のオフィスホワイトニングを試すことにした。その結果、周りから「歯が白いね」と言われるようになり、笑顔の写真を見返すと明らかに過去の私とは表情が違っていた。

    「友達と心から笑うための下準備」「赤いリップをつけたい」のように、自分を喜ばせるための行動として捉える。この習慣を続けると、驚くほど心が上向きになり、自分を認める力が強まっていくのを感じた。ストイックになりすぎず、「たまにはホットコーヒーもいい」「今夜は赤ワインを楽しもう」と、ゆるく考えることも大切だ。

    完璧主義を捨て、柔軟な「余白」を持つ。
    これこそが、行動を軽やかに続け、自分を好きでいられる秘訣なのだ。

    脳科学が証明:ドーパミンとセロトニンの習慣化

    では、なぜこうした「自分を喜ばせる行動」が、これほどまでに心を上向きにさせるのだろうか。

    それには、脳科学的な理由がある。私たちの脳には、何かを達成した時に「ドーパミン」という報酬系のホルモンが分泌される。歯が白くなったり、二の腕が引き締まったりといった変化を鏡で確認するたびに、脳は「頑張ったね、偉いね」とご褒美をくれるのだ。

    このドーパミンが、やる気を引き出し、自己肯定感を高めてくれる。

    さらに、自分を大切にすることは、「セロトニン」という心の安定に関わるホルモンの分泌も促してくれる。好きな香りのボディクリームを塗る、お気に入りの歯磨き粉を使う、そういった五感を満たす行動は、脳に安心感を与え、穏やかな気持ちにさせてくれるのだ。

    つまり、コンプレックスを愛おしい部分へと変える行為は、単なる美容習慣ではなく、脳の「自己報酬系」を能動的に強化するトレーニングなのだ。これこそが、気分の波に振り回されない、揺るぎない自信を育む土台となる。

    未来の自分を創る:自己肯定感の積み重ね

    この習慣が身につけば、気分の波に振り回されることは減るだろう。鏡に映る自分を見て、ため息をつく代わりに、小さな自信を積み重ねることができる。

    メイクをしていない日でも、深く被った帽子やマスクに頼らなくても、あなたは堂々と歩けるようになる。なぜなら、人からどう見られるかではなく、自分が自分を愛せているという確信が、あなたの内側から輝きを放つからだ。

    この自己投資は、やがてあなたの「思考の余白」を大きくしてくれる。

    外からの評価を気にしたり、自分を責めたりするネガティブな思考が減り、本当に大切なことにエネルギーを使えるようになる。例えば、新しい趣味に挑戦したり、大切な人とじっくり向き合ったり。自己肯定感が低いと、これらの行動に踏み出せないことが多い。しかし、自分を大切にすることで、その一歩を踏み出す勇気が湧いてくるのだ。

    誰かの正解を生きるのではなく、自分で自分を喜ばせる術を知っている人は強い。毎日を豊かに生きるための、自分だけの「自己投資メソッド」を手に入れたあなたは、これからどんな人生でも創り出していける。

    習慣化の第一歩:ソクラテスに学ぶ行動

    本書とは異なるが、それは顔のパーツでも、身体のパーツでも、どこだっていいはずだ。
    コンプレックスだった部分でも、元々好きだった部分でも構わない。「ここを育てれば、私は気分が上がる!」と、自分の本心がワクワクする場所を見つけることなのだ。

    まずは鏡を出して、自分をみつめてみよう。
    一番最初に、あなたが「ここを育てたら最高かも」と思うのは、どこなのだろう?

    そのために、自己投資したい場所を見つけ、一歩を踏み出してみよう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスが遺した、こんな言葉だ。

    「自分を愛せない者は、他者を愛せない。」

    誰かを喜ばせるためには、まず自分自身が満たされている必要がある。
    そして、自分を愛するための第一歩が、日々の小さな「行動」という習慣で作られる。自己肯定感を高めることは、自分を大切にすること。それが、他者への優しさ、そして自分らしくありたい生き方へと繋がっていくはずだ。

    vol.31 「説得力」は数字と感情のハイブリッド:行動の可視化戦略
    vol.31 「説得力」は数字と感情のハイブリッド:行動の可視化戦略 HAKU

    目次

    • 行動の可視化:2kmと5kmの数字が語る評価のギャップ
    • 数字が語る努力と成果:習慣化による減量の可視化
    • 真の説得力:感情と論理(数字)のハイブリッド

    • 「人に対して説得力が欲しい。」

      そう思うようになったのは、私が運動を始めてからだ。

      「どんな運動をしてるの?」と聞かれることが増え、メニューや距離は答えられるようになった。けれど、「筋トレは絶対やったほうがいいよ」といったアドバイスを、私はどうしても断言できずにいた。自分の中でまだ確実な変化を確信できていないことに加え、その効果を数字で裏付け、論理的に説明する「言語化」が追いついていなかったからだ。

      そんなとき、2km走れるようになった喜びを夫に報告したら、「たった2kmでしょ」と一蹴された。私にとっては、ゼロから一歩を踏み出した大きな成長だった。別にそれを褒めてほしかったわけではない。ただ、2kmを走りきったという「事実」を共有したかっただけなのだ。そのとき覚えた軽い苛立ちは、自分の主観的な自信を、他者の物差しで測られたことへの拭いきれない違和感でもあった。

      その一言に一瞬、心が沈みかけた。けれど、私はすぐに思い直した。1kmも走っていない人の物差しで、自分の努力を測り、落ち込む必要なんてどこにもないのだ。

      面白いことに、不思議と「見返してやるために、次は5km、10km走ってやる!」というような反骨心すら湧いてこなかった。面白いことに、不思議と「見返してやるために、次は5km、10km走ってやる!」というような反骨心すら湧かなかった。なぜなら、このランニングは誰かに見せるためのパフォーマンスではないからだ。

      誰の目も気にせず、誰の評価も求めない。 走ることは、純度100%の「自分のための行動」なのである。

      この本質的な考え方は間違っていないと、確認できた瞬間でもあった。

      行動の可視化:2kmと5kmの数字が語る評価のギャップ

      しばらくして、年内目標だった5kmを達成した。夫がどう反応するか少しの好奇心を持って報告してみると、返ってきたのは「すごいじゃん!」という言葉だった。

      以前の私なら素直に喜べたのかもしれない。けれどその反応とは裏腹に、私の心はどこか冷めていた。「前は『たった2km』って言っていたのに、なんで5kmはすごいと思ったの?」と聞くと、「いや、5km走るのはなかなか辛いでしょ」という、どこか表面的な答えが返ってきただけだった。

      私にとって、大人になって初めて走った2kmは、果てしなく遠く、苦しい距離だった。だからこそ、走りきった自分を心の底から誇らしく思えた。対して、その後の2ヶ月で2kmから5kmへと距離を伸ばした時間は、すでに走る体力がついていたせいか、あの時ほどのハードルは感じなかった。

      本気で挑んだ「2km」が軽視され、慣れ始めた「5km」という数字が称賛される。他者の評価がいかに適当で、自分の内側の熱量や苦労を反映していないか。その事実に触れたとき、私の中で言葉にしがたい違和感が、確信へと変わった。

      この違いを明確にするために、AIにも聞いてみた。
      漠然ではあるが、「2km走ることは凄くない。しかし、5kmはすごい。なぜ?」と尋ねてみた。

      AI:『2kmを走ることは、多くの場合健康維持や運動不足解消の第一歩であり、特別な能力を必要としない一方、5kmの走行は、ある程度の持久力と体力の必要性、そしてランニングという運動の一般的な目安としての意味合いがあるため、より高いレベルの挑戦と捉えられやすいからです』

      夫は徹底して客観的で、物事をロジックで捉える人だ。彼にとって数字とは、個人の感情を挟まない「誰の目にも明らかな事実」だったのだ。それがわかると、不思議とスッキリした。彼の評価基準は私の努力の「プロセス」ではなく、あくまで提示された「数字」にある。それは単なる「見方の違い」に過ぎないのだ。

      数字が語る努力と成果:習慣化による減量の可視化

      習慣の輪は、ランニング以外にも広がっていった。筋トレや縄跳びを取り入れ、さらに食事管理や飲酒習慣も見直した。一気にやらず、一つひとつの習慣を地層のように重ねていった結果、最終的に8kgの減量に成功した。これも夫に報告すると、やはり5kg減より8kg減の方が反応は格段に良かった。

      2kmから5kmへの距離、そして5kgから8kgへの減量。 どちらも「3」という数字の差だが、他者に伝えた時の反応は驚くほど異なっていた。もちろん私も、人から聞かされたら絶対値の大きい方により強いインパクトを覚えるだろう。

      だが、実際のプロセスを振り返れば、ゼロから一歩を踏み出した「0から2km」の地点こそが最も凄まじい変化であり、そこからさらに距離を伸ばした「2kmから5km」も、本来なら驚くべき進化なのだ。数字は頭の中をクリアにしてくれる便利な道具だが、その評価は常に受け手の物差しに委ねられている。

      「数字って、なんて面白いんだろう」

      そう思ったのは、人生で初めてのことかもしれない。 誰かに褒められるために設定した目標ではなかったが、運動や減量のメリットを正しく、力強く伝えるためには、説得力を生み出す「数字」という共通言語が不可欠なのだと理解した。

      これは、ビジネスのプレゼンテーションと同じだ。 どれほど情熱的に夢を語っても、具体的な数字という裏付けがなければ、相手を動かすことは難しい。情熱は共感を生み、数字は客観的な事実として納得を運んでくる。

      「私」という人間が抱く熱い感情と、達成した数字という事実。この二つが揃って初めて、他者を説得し、周囲を動かす力になるのだ。

      真の説得力:感情と論理(数字)のハイブリッド

      運動や減量は、私にとって「自分のためにやる行動」だ。誰かの評価を求めるためのものではない。だからこそ、夫に「たった2kmでしょ」と言われた時も、心が折れることはなかった。しかし、自分の内なる変化を他者に伝えるためには、主観的な感情だけでは不十分な時がある。

      「どれだけランニングが気持ちいいか」「どれだけ身体が軽くなったか」。それは私だけの至福の感覚であって、相手には直接伝わらない。だが、そこに「5km」「8kg」という数字が加わることで、私の変化は初めて具体性を帯びる。数字は、私の感情を他者に届けるための共通言語であり、確かな証拠になってくれるのだ。


      最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
      これは、古代ローマの哲学者セネカが遺した言葉だ。

      「我々の能力は、それを試すことによって、いや、むしろ、実行することによって発見される。」

      夫の言葉に一喜一憂することなく、私はただ黙々と努力を続けた。その結果として刻まれた数字は、私の情熱と能力を、何よりも雄弁に、そして力強く証明してくれた。

      誰かの評価という不確かなものに振り回される必要はない。大切なのは、いつだって自分自身の「行動」に目を向けることだ。あなたがコツコツと積み上げてきたその歩みは、やがて数字という揺るぎない形となって、あなた自身を支える盾になる。

      他人の言葉に心を乱される前に、まずは自分の足跡をじっと見つめてみてほしい。その一歩一歩の積み重ねこそが、あなただけの物語を創り上げる、かけがえのない糧となるはずだ。

    vol.32 行動が続かないを克服!たった5分で始めるハードルを下げる習慣
    vol.32 行動が続かないを克服!たった5分で始めるハードルを下げる習慣 HAKU

    目次

    • ハードルを下げる習慣がくれた自己肯定感
    • 作業興奮の科学:意味や結果は後からわかる
    • 行動が続かないを克服:小さな一歩の行動戦略

    • 思い返せば学生の頃、世間で大流行した「ビリーズ・ブート・キャンプ」に入隊したときから私の挫折歴は始まっていた。「毎日がんばる!」と意気込んでみたものの、あまりのハードさに3日も続かず、「坊主」にすらなれぬまま除隊。筋肉どころか、残ったのは「続かない自分」という冷酷なセルフイメージのみ。3日も続けられないダメな自分へのレッテルを、自ら強く貼り直しただけだったのだ。

      そんな理由で、大人になっても動画で行うエクササイズ系を避けていた。
      ビリーの時のように、自分は絶対に続かないと強く思っていたからだ。

      そんな時、たまたまYouTubeでおすすめに上がってきた竹脇まりなさんの「5分間ストレッチ」を観る機会があった。整体に行く時間さえ無かった私は、「5分だけなら」と、恐る恐るやってみることにした。すると、固まっていた身体がスッキリし、辛くないのに心地よい感覚が残った。「このくらいなら、できるタイミングでやってみよう。」そう思えたことが大きな一歩となり、初めて3日以上行動が続いたのだった。

      1ヶ月経つ頃には、動画を観なくても体が動くようになっていた。当時住んでいたテラスで、毎日朝日を浴びながら、ぐーっと身体を伸ばして5分だけのストレッチを日課にする。この「自分を喜ばせる時間」を持つことで、スッキリした気持ちで一日をスタートできるようになった。

      ハードルを下げる習慣がくれた自己肯定感

      1日5分の継続で、1ヶ月合計150分(2時間半)になる。
      1ヶ月で2時間半と言うと、少ないと思うか、それとも多いと感じるだろうか。 これは人それぞれだろう。

      しかし、私はたった5分を毎日続けたことで、「朝から良い気分になる」というマインドセットと、「継続できる」という2つの確かな自信がついた。

      彼女の人柄も、可愛らしくてとても好きだ。明るく元気な人を朝イチで見ていたことは、良い影響だったのかもしれない。例えば、朝の5分間ベッドの中でネガティブなニュースを見ながら身体が目覚めるのを待つより、元気な人を観ながらストレッチをした方が、身体にも脳にも良いと感じられた。

      これは、脳科学でいう「プライミング効果」に似ている。
      朝一番にポジティブな情報や活発な映像をインプットすることで、その日一日の気分や行動が影響を受ける。彼女の明るい笑顔と「今日も1日頑張ろう」という最後の声かけは、無意識のうちに私の心を前向きにしてくれていたのだった。

      作業興奮の科学:意味や結果は後からわかる

      井上 新八氏の『続ける思考』にもあったが、意味や目的を深く考えず、「何でもいいからやってみる」ことがとても重要なのだ。

      毎日できそうな軽いストレッチ、筋トレ、散歩など、身体のために良さそうな運動を見つけたら、とりあえずやってみるのがいい(持病がある人は、医師や服用中の薬など制限のある行動について確認が必要だが)。

      たった5分でも朝から良い気分になれるし、毎日続けていることに成長を感じるはずだ。見た目の変化は少ないかもしれないが、心の変化はかなり大きいだろう。最初のスタートはゆるく、そして短いものがいい。意味や結果は後からわかる。

      嫌いなことを嫌々続けるのではなく、「好きなことを続けられている」という感覚を大切にすること。 その結果、継続できたという事実と自信を、自分自身で作り上げていくのだ。

      この小さな行動がなぜ効果的なのかというと、脳の仕組みが関係している。
      私たちの脳は、急激な変化や大きな目標を苦手とする。しかし、たった5分という短い時間なら、「これくらいならできそう」と感じ、行動への抵抗が少なくなる。この小さな成功体験が、脳に「報酬」を与え、次の行動へのモチベーションを高めてくれるのだ。

      これは脳を騙して習慣化させる、賢い戦略なのだ。

      行動が続かないを克服:小さな一歩の行動戦略

      私たちは、生まれ持った性格や運命に縛られる必要はない。

      自分に合ったやり方で、小さな成功体験を積み重ねていく。
      その積み重ねこそが、やがて「自分は変われる」という確信に繋がっていく。

      かつて、何をやっても三日坊主で終わっていた私。そんな私を救い出し、変えてくれたのは、驚くほど小さな「たった5分」の行動だった。この経験は、私に大きな自信を与えてくれた。そして、この「自信」こそが、新しいことに挑戦するための燃料になるのだ。

      「たった5分のストレッチを毎日続けられたのだから、他のことだってできるはず。」
      そう思えるようになったことが、私にとって小さな成功体験となり、最大の収穫だった。


      最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
      古代中国の哲学者老子が遺した、こんな言葉だ。

      「偉大な行為は小さな始まりから生まれる。」

      私たちはつい、最初から大きな目標を立ててしまいがちだ。しかし、本当に大切なのは、完璧なスタートではなく、小さな一歩を踏み出す勇気だ。そして、その一歩を継続すること。まずはそこから考えてみてほしい。

      大きな目標の前に、まずは今日できる「たった5分」のこと。いや、1分でも1回でも構わない。その小さな一歩が、やがてあなたの行動を変える大きな流れに変わるのだ。

    vol.34 「一人になりたい」の裏にある真実:不幸の反転でウェルビーイングを見つける方法
    vol.34 「一人になりたい」の裏にある真実:不幸の反転でウェルビーイングを見つける方法 HAKU

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    「1人になりたい」

    大型連休や長期休暇が来るたびに、私はずっとそう強く願ってきた。家族との旅行や外出を楽しむよりも、ただ一人で静かに過ごしたい。その欲求が人一倍強いことを、半ば逃れられない性分のように自覚していたのだ。

    旅行に行くとなれば、夫は直前まで仕事に追われ、子供の荷造りから帰宅後の大量の洗濯、荷解きまで、そのすべてが私の肩にのしかかる。

    さらに、結婚前から10年以上続く夫の大音量のいびき。扉扉3枚分も離れた部屋に寝ているはずなのに、耳栓越しに聞こえてくるその騒音のせいで眠れず、イライラを募らせることは今の家に引っ越してからも日常茶飯事だ。

    旅行先ともなれば、そんな大音量のいびきを真隣で聴かされることになる。最高に嫌な気分で朝を迎え、一日中イライラして過ごす時間は、もはや休息ではなくただの「罰ゲーム」でしかなかった。

    せっかく旅行に行っても、私だけ休めない。
    どこへ行っても、私だけがイライラしている。
    そんな旅行なら、行かない方がいい。

    私がイライラしてしまうことで、家族との思い出を壊してしまうくらいなら、最初から旅行を避けるべきだと判断するようになった。

    そのため、基本的には長期休暇などは、夫の両親や兄妹、従兄弟たちと水入らずの旅行を楽しんできてもらうことにしている。こういう時の私は、心なしか哀愁が漂う顔をしつつも、心の中はニッコニコで夫と子供を車まで見送っていたのだった。

    「一人になりたい」という不満の正体

    「家族旅行は嫌」――そんな風に考える人は、きっと私だけではないだろう。

    温泉では子供の目が離せないため、ゆっくり入ったことは家族旅行で1度もない(サウナなんて論外だ)。帰宅後はというと、荷解きと山積みの洗濯物が待っている。せっかくのリフレッシュのはずが、結局は別の何か(労働)にすり替わっているような感覚だった。

    旅行から帰った日は、決まって疲れとイライラで心がいっぱいになり、余裕がない。
    楽しかったはずの記憶も、帰宅した途端に「疲労」で黒く塗りつぶされてしまう。だから、私はいつも「一人になりたい」と心の中で叫んでいた。家族に「旅行に行こう」と誘われるたびに、面倒くさいという気持ちが先行し、「仕事で忙しい」だったり「あなたのいびきがうるさくて眠れないから無理」と言い、毎回断り続けた。

    カナダの研究が示す、ウェルビーイングと時間の要求

    だが、私が感じていたこの「一人の時間」への渇望は、多くの母親が共有するウェルビーイング(幸福)を維持するための、科学的な要求であることがわかった。

    長時間、育児やタスクに集中すると、ストレスホルモンであるコルチゾールが上昇し続ける。この状態が慢性化すると、脳は思考力を維持できなくなる。そのため、誰にも邪魔されない休息時間は、脳の機能を正常に戻すために不可欠なのだ。

    カナダの親を対象とした調査データによると、母親の半数以上(50%超)が「もっと一人で過ごす時間が必要だ」と報告しているのに対し、父親ではその割合が約3分の1にとどまった。母親が育児や家事にかける時間が増えるほど、「一人でいる時間」への欲求が高まることが示されており、これは単なる個人の感情ではなく、脳機能を維持するための資源として切実に必要とされていることを示している。

    このデータを知って、私は安堵した。自分の疲労を回復させ、脳に「思考の余白」を取り戻すための、極めて人間的な欲求だったのだと論理的に理解できたからだ。

    ちょうどその頃、全力で一人になろうとしていたお盆休みがあり、星 渉氏の『99%は幸せの素人』という本を読んだ。その中に「絶対になりたくない不幸な状態を書いてみる」という、ユニークな思考実験が紹介されていた。

    思考実験:絶対になりたくない不幸の反転

    正直に言うと、最初は「?」だったが、物は試しと思い紙に書き出してみた。

    • 仕事を嫌いになること
    • 忙しいこと
    • 太っている状態
    • 一人になること

    このリストを見て、私は心底驚いた。いつも「一人になりたい」と願っていたのに、絶対になりたくない不幸な状態に「一人になること」が含まれている。これはどういうことだろうか?自分の内面が完全に矛盾していることに気がついた。

    私は、家族が自分から絶対離れないと勝手に思い込んでいたのだ。だから、偉そうにしたり怒りを撒き散らし、ぞんざいな扱い(特に夫に対して)をしても、平気な顔をしていた。しかし、もしそんな私にうんざりして、家族がいつか離れてしまったとしたら?

    そんな状態に私は耐えられるはずがなく、心底後悔することだろう。
    この事実に気づいた途端、もの凄く怖くなった。

    本によると、この「絶対になりたくない不幸な状態」を反転させると、自分が本当に求めている「幸せな状態」がわかるらしい。

    • 仕事が嫌いなことが嫌→ 仕事を楽しめるように工夫すること
    • 忙しいのが嫌 → 時間の使い方を工夫すること
    • 太っているのが嫌 → 筋トレやランニングで引き締まった身体を作ること
    • 一人になるのが嫌 → 家族と一緒にいること

    これが自分にとっての幸せであり、取るべき行動なのだと、明確な答えが出た。これは、目標や課題(イシュー)を定めるのとはまた違う、自分の本心にたどり着くためのアプローチである。

    メタ認知:本心と行動が導く自己受容

    この気づきを得て、私は自分の行動を反省した。

    私にとっての幸せは、一人になることではなく、家族と過ごすことだったのだ。

    もちろん、たまには一人の時間を作ったり、遠方ではなく近場を選んで旅行するなど、自分の負担を減らすことも必要だ。宿泊時にいびき対策として部屋を二つおさえるといった工夫は、自分を守るための必要な行動である。しかし、「心まで家族から離れてはいけない」と痛感した。

    この経験を通して、私は大きな真実を発見した。自分が本当に欲しているものは、不満や怒りといったネガティブな感情の奥に隠されている。これは、私たちが「メタ認知」の視点を持つことで初めて発見できる真実なのだ。感情的な「一人になりたい」の裏には、論理的な「一人になるのは怖い」という、より深い本心が隠れていた。

    家族がいてくれる安心感に甘えて、わがまま放題だった私は、この理由に気づいた時、自分の身勝手さが恥ずかしくなったのだった。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの哲学者ソクラテスが残した言葉だ。

    「真実を見つける唯一の方法は、自ら探求する旅に出ることである。」

    誰かから教えられるのではなく、自分自身で探して初めて、本当の答えにたどり着くことができる。 もしあなたが「何か」に不満を抱いているなら、その不満を紙に書き出してみてほしい。そして、その感情を反転させてみよう。

    あなたの「絶対になりたくない不幸な状態」は、なんだろう?
    それを反転したら、思いも寄らない真実が、心の奥底の扉が開かれたかのように見えてくるかもしれない。

    vol.35 集中力は資産 : デジタル断食で思考の余白を創る時間術
    vol.35 集中力は資産 : デジタル断食で思考の余白を創る時間術 HAKU

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    自分のやりたいことが見つかると、スマホでの連絡が途端に億劫に感じるようになった。今までは全く気にしていなかったはずの通知が、届くたびに私の平穏を乱し、かすかな苛立ちを連れてくる。

    母からのメールにさえ、「朝から猫の写真、送ってこなくていいんですけど」と、またしても沼地からライフル銃をかまえた自分が、ぼそっと耳元で囁くようだった。

    1日の中で、私には朝しか自由に使える時間がない。
    そのため、この時間で最大限の活動をする必要がある。

    誰にも邪魔されたくないという「朝」への執着が増すにつれて、私の決意はより強固なものになっていった。

    「今」に集中:スマホの通知は時間を奪う敵

    しかし、自分のやりたいことが明確になってからは、時間に対する考え方が180度変わった。「今」という一瞬一瞬が、未来の自分を作っている。そう考えると、スマホの通知は、私から大切な時間を奪おうとする「敵」のように感じるようになった。

    特に朝の時間は、私にとって最も重要な時間だ。
    この「思考の余白」は、外部情報に支配されない、自らの意志で使うための静かな空間だ。そんな貴重な時間を、スマホの通知に邪魔されたくないと思うのは、ごく自然なことだった。

    集中力は現代の資産:メールストレスの科学

    よく「成功者は返信が早い」と言われる。 けれど、その言葉を鵜呑みにして自分に当てはめれば、私も彼らに近づけるのだろうか。

    思考を止めて盲信する前に、私は一瞬、立ち止まって考えた。

    私は比較的メールの返信は早い方かもしれないが、LINEで仕事の連絡をすることはない。それならば、家族の緊急性のある連絡に対してだけ素早く返し、その他は自分のタイミングで良いのではないかと結論が出た。仕事ができる人は、それが「仕事」だから早いだけ。 あるいは、成功者と呼ばれる人たちは、プライベートの境界線が仕事と溶け合っているだけなのかもしれない。

    そうした仕事で人間関係が回っている人たちの真似を、今の私が貴重な朝の時間を使ってまで無理してやる必要があるのだろうか。自分にとって本当に大切な人との関係は、通知の速さで決まるわけではない。むしろ、質の高いコミュニケーションを、お互いが心地よいタイミングで取る方が、ずっと豊かな関係性を築けるはずだ。

    グロリア・マーク氏の『アテンションスパン デジタル時代の集中力の科学』という本には「私たちが1日に使える集中力は限られている」と書かれていた。メールに費やす時間が長ければ長いほど、人々が受けるストレスは増大するという。多くの現代人は、メールの処理だけで一日の集中力のタンクを使い切ってしまっているのだ。この事実を知り、私はさらに警戒を強めた。朝の貴重なタンクを、緊急性のない連絡で枯渇させるわけにはいかない。

    デジタル断食:ゴールデンタイムを守るための賢者の孤独

    夜は21時までに寝てしまうので、その間に届いていたメールは朝一で返信した方がいいとは思うが、私の起床時間(4時)に連絡を返すのは気が引ける。結局、よほどの緊急性がなければ家を出る前か出勤中に返信する程度で十分なのだ。

    朝のゴールデンタイムは、試行錯誤しながらも自分のために作り出した大切な時間である。
    このわずかな時間に使える集中力を、緊急性のない連絡に削る必要はない。必要な情報と、そうでない情報は見る時間をはっきりさせる事が重要だ。本当に緊急で連絡がほしい時は、相手に電話をすればいいだけの話なのだ。このルールは、相手にもあらかじめ伝えておくことも大切である。

    これは、自分の時間を守るための「デジタル断食」のようなものかもしれない。不必要な情報を遮断し、本当に大切なことにだけ注意を向ける。そうすることで、心にゆとりが生まれ、集中力も高まのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーが遺した、こんな言葉だ。

    「賢者は孤独を愛し、凡人は孤独を恐れる。」

    私たちは、つい孤独を避け、他者とのつながりを求めがちだ。しかし、本当に大切なのは、一人になる時間の中で自分と向き合うことなのだ。そうすれば、他人の評価や連絡の速さに振り回されることなく、自分の時間を自分のためだけに使えるようになるだろう。

    vol.36 40代への投資 : 時間の使い方と家族との黄金時間
    vol.36 40代への投資 : 時間の使い方と家族との黄金時間 HAKU

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    10代の頃に「20代の頃にしておきたい17のこと」を読み、20代では30代版、そして今、30代の終わりに「40代にしておきたい17のこと」を読み終えた。

    振り返れば、これまでの私は文字通り「今」を生きていなかった。頭の中は常に先の未来を読み、不安を先回りさせていた。それなのに、実行に移す勇気はなく、多くの時間とお金を無駄にし、東京の街で大した経験も積まずに遊び呆けていた。「あの時、もっとちゃんとしていれば」。そんな後悔が頭をよぎることもある。

    けれど、ふと思うのだ。 当時の私は、今ほど高いモチベーションや明確な目標を抱けるほどの「器」ではなかった。

    あの時の私には、あの生き方が、あの選択が、精一杯だったのだ。

    過去は変えられない。 過ぎ去った時間を惜しむよりも、その未熟だった自分さえも「必要なプロセス」だったと抱きしめてあげたい。

    器が足りなかった過去を認める強さを持てた今、私はようやく、40代という新しい器を、自分の意志で、自分の意志で、より鮮やかに描き出していける気がしている。

    過去の呪縛を断つメタ認知:DMNと「しょうがない」

    「あの時」の後悔の念に囚われるのは、脳の「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」が活発になっている証拠だという。DMNは、脳が休んでいるときに過去の反省や未来の不安といった思考を巡らせる機能だ。しかし、過去は変えられない。だからこそ、その思考のループから意識的に抜け出すメタ認知が大切になる。

    私は過去の自分を「しょうがない」と受け入れた。

    これは諦めではなく、当時の自分には今の情熱が備わっていなかったことを冷静に認める戦略的受容なのだ。そうすることで、過去への後悔に費やされていたエネルギーを、すべて「今」と「未来」に振り向けることができる。

    過去を肯定し、思考を「実行モード」へ切り替える。この土台があって初めて、新しい習慣を受け入れるための「思考の余白」が脳内に生まれるのである。

    40代への自己投資:健康と時間の価値

    「40代にしておきたい17のこと」から抜粋した、今の自分にできていることがある。

    本「40代にしておきたい17のこと」から、今の私が全力を注いでいるテーマがある。それは「健康と時間への投資」だ。40代からは生き方の差がはっきりと外見に現れる。顔のたるみ、シワ、体型。これらはすべて、これまでの生活習慣や人間性が蓄積された「人生の履歴書」のようなものだ。

    生き方が表情に表れるからこそ、健康への投資は未来の自分という「資産」を育てる行動経済学的なアプローチと言える。朝の運動で分泌されるセロトニンがストレスを軽減し、内面的な安定をもたらす。この地道な努力が、40代以降の「表情の明るさ」という形で見事に還元されるのだ。

    自己投資は早く始めた分だけ、そして年齢が上がるほどそのリターンは大きくなる。私は今、未来の自分のために最も価値ある資産を積み立てている最中なのだ。

    家族との時間:経験への温かい投資

    もう一つ、本から学んだ大切なこと。
    それは、「家族と繋がる最後の10年を大切にする」ということだ。

    この本を読むのが遅かったこともあるが、私の場合はあと5年と考えた方が良さそうだ。私は母親が35歳の時に産んだ子なので、両親ともに同じ学年の子の親と比べて年齢が高い。さらに子供の年齢も考えると、あと10年も共に楽しむことは難しいかもしれない。

    「私には自分のやりたいことを実行する時間だけでなく、家族と過ごす時間も作らなければならない」と思い直すことができた。今まで一人で過ごしたい欲が強かったので、少し反省した。

    誕生日やイベントを企画し、久しく疎遠だった兄や姉も含めて集まる場を作る。兄弟仲が良いとは言えない期間が長く続いていたが、せめて母が楽しそうに笑い、集合写真を撮るその瞬間だけでも、私たちは家族として協力してもいいのではないだろうか。

    親の喜ぶ顔を見ることは、自己中心的な私の中にも温かい感情を呼び起こす。これは単なる消費ではなく、自分自身の心の土台を安定させるための「精神的な投資」だ。もちろん、無理をしてストレスを溜める必要はない。「無理のない範囲」での調整こそが、良好な関係を長く続ける秘訣なのだから。

    行動こそが未来:ジェームズに学ぶ自己成長

    色んな思い出の形がある中で、私はやはり、自分の両親の喜ぶ顔を見るのが好きなのだと思う。

    旅行先でお土産を買っても、素敵な洋服をプレゼントしても、体験という思い出ほど人の記憶に残るものはないだろう。これは、経験(時間)への投資が、物質的なものへの投資よりも大きな幸福をもたらすというポジティブ心理学の原則とも一致している。モノはすぐに価値が減るが、経験は記憶として残り、幸福度を増し続けるのだ。

    あと少しの間、30代でできる最大限のことを実行しよう。
    そのために、自分のための運動であり、勉強であり、そして家族との時間を作り、思い出を増やしていくのが良いかもしれない。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    それは、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズが遺した言葉だ。

    「未来は、今、あなたの手の中にある。」

    年齢やステージが変わるたびに、人生の設計図も変化する。
    その変化を傍観するのではなく、自ら主体的に行動し、未来という設計図を描き続けることが大切なのである。過去を気に病むのではなく、今、目の前の経験に全力を尽くそう。あなたが今投資した健康と時間が、これからの人生を豊かにしてくれる確かな資産となるだろう。

    vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略
    vol.37 プラトーを乗り越える「内発的動機」の習慣化戦略 HAKU

    正直な話、私の小学生時代、宿題をやった記憶はほとんどない。

    「宿題ってあったっけ?」というレベルだったが、1時間目が始まる前に急いで問題を解いた記憶はあるので、おそらく宿題自体はちゃんとあったのだろう。夏休みの宿題も、最終日に答えを写しながらなんとか終わらせるのが常だった。

    両親から「宿題をしろ」と言われた記憶も、そういえばなかった。最初こそやっていたのだが、家でわからないことを聞こうとしても、私の理解力が乏しいため父は教えながらイライラし始め、いつも家の仕事で忙しい母には時間的な余裕もなかった。子供心に「親には頼れない」と判断した私は、いつしか学ぶことを放棄していた。

    中学生になっても宿題をやった記憶は皆無だった。部活動や放課後の遊びに明け暮れる生活は、高校時代も続いた。姉から推薦枠にギリギリ入る点数で良いと言われていたので、一応赤点は取らずにはいたが、できる範囲の勉強しか行わなかった。そうしたできる範囲の努力だけで、大学までを泳ぎ切ったのだ。

    大学に入っても全ての教科に興味がないため、授業内容はさっぱり理解できず、周りの友達に助けてもらってやっと卒業できた。しかし、唯一極度の緊張を覚えた瞬間が一度だけあった。それは卒業者発表の掲示板を見に行った日のことだ。掲示板を見に行く直前まで、自分の番号があるか不安すぎてずっとソワソワしていたことを覚えている。当時の私は、この不安が「自分を信じるに足る努力を積み上げていないこと」から来ているのだとは、微塵も気づいていなかった。

    私の学生時代は、最後の最後まで、真剣に努力をすることなく、ただ「運」だけで通り抜けてきてしまっただけなのだ。

    こんな風に大学を卒業するまで、一度も勉強が好きだと思ったことや、自ら学びたいという意識もなく生きていた私だが、運動習慣や朝の勉強時間を始めてもう半年以上になる。その中で、脳科学、認知行動療法、哲学、習慣化の方法など、沢山の本を読み、ノートに書き写し、インプットとアウトプットを繰り返しながら学ぶようになった。

    あの頃の私が今の私を見たら、一体何と言うだろうか?

    プロが実践する:プラトーの停滞期と思考の再構築

    学びの中で出会ったジョージ・レナード氏の『達人のサイエンス』には、真の成長を遂げる人の共通点が記されていた。それは「プラトー(停滞期)」における振る舞いだ。

    • 「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」
    • 「プロになる人はその物事が好き」
    • 「プロになる人は学び続ける」

    プラトーというのは、成長する過程で壁にぶつかっても、その壁を乗り越えて繰り返しどんどん上達していくことを指す。つまりは「停滞期」のことだ。ダイエットでも何でも、うまくいった時こそ、その後の停滞期をどのように乗り越えるかが鍵となるだろう。まさにそれだ。

    私も勉強、筋トレ、ランニングを継続するうちに、プラトーにさしかかったタイミングがいくつかあった。成長を感じられるタイミングの後にいつも、「この方法をこのまま続けていいのだろうか」という不安感が出てくる。もっと良い方法があるのでは無いかと、頭を悩ませながら進めていくことも少なくなかった。

    この不安感は、「思考の再構築」が必要なサインだ。
    脳は同じ作業を繰り返すと効率化しようとするが、停滞期は「現状のやり方では次のレベルに行けない」という警告である。だからこそ、私は行動の質を変えることにした。具体的には、得た知識を別の視点から見直すために「専門外の本を読む」ことや、「やり方を変えてみる」という行動に切り替えた。これは、認知心理学でいう「問題の再定義」に他ならない。

    それを少しずつ、色々な本を読みながら模索して行動し、今に至る。
    その間に確認し続けていたのは、ノートの1ページ目に書いた自分の目標だった。ふと悩んだらそれを目で見て、「今私がやっていることは、何の為にしていることなのか?この先には何があるのか?」と、その都度思い起こしながら勉強や行動を続けた。

    結論は明確になっていたものの、プラトーにさしかかると立ち止まりそうになるため、目標をこまめに確認するようにした。

    覚醒:「好き」が習慣化の最強エンジンとなる理由

    今の私は、「プロになる人はプラトーがきても練習をやめない」、「プロになる人はその物事が好き」「プロになる人は学び続ける」この三つの行動を続けられている。

    その事がわかると、「自分は今やっていることが心から好きで、変化を学びに変えながら実行していて、プラトーの中で時間を過ごしていても辛くない」と感じるようになった。この事実は、私にとって大きな自己認識(メタ認知)の転換だった。かつて勉強が大嫌いだった私が、今は「学び」を楽しんでいる。自分でも信じられないような変化だ。

    実際、このブログを書いたところでお金が発生するわけでもない。 何なら今、読者はゼロ。プレビュー数が「0」という冷厳な数字を前に、私は淡々と文章を紡いでいる。

    むしろ手元にあるのは、早起きによる仕事中の強烈な眠気や、週末の夜更かしという甘い誘惑だけだ。

    客観的に見れば、割に合わない投資かもしれない。けれど、私の中に湧き上がる「学びたい、伝えたい」という衝動は、どんな報酬よりも私の心を充足させてくれる。それが自分にとって最高に意味のある「好きなこと」だとわかっているから。

    報酬がなくても、観客がいなくても、プラトーという停滞期が来ても。 私はもう、自分の意志で選んだこの道を、立ち止まることなんてできないのだ。

    本を読み、気づきを得たこの真実は、自分の中で自信となり、より力強いモチベーションとなっていった。

    この「楽しい」という感情は、単なる気分ではない。
    心理学でいう、内発的動機づけによる幸福である。外的な報酬(給料や評価)に依存せず、活動自体から得られる喜び(フロー状態)が、私を幸せにし、結果として継続を可能にしている。

    人生のテーマ:幸せに生きるための継続の哲学

    プラトーの中で淡々と継続し、その状態をさえ楽しいと思えることを見つけた人。そんな人こそが、最も充実した人生を送っているのかもしれない。プロを目指すかどうかではなく、報酬がなくても続けられる「何か」を持っていること自体が、人生の幸福度を決定づけるのだ。

    最低限の努力で生きていた頃の私は、常に自分を信じることができなかった。しかし今、自分の「好き」を燃料にして行動し続けることで、不透明だった未来は、確かな手応えを感じる自信に変わりつつある。

    あなたが今、無償でも続けていること。
    誰にも見られていなくても、熱中できること。

    それこそが、あなただけの人生の目的そのものなのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが残した言葉だ。

    「苦しみなくして、力ある情熱は生まれない。」

    これはニーチェの言葉の中でも、私が最も大切にしている意識である。
    停滞期(プラトー)という名の苦しみを乗り越え、それでも続けることができるのは、その先にある「好き」という情熱があるからこそ。その情熱こそが、あなたを本当の意味で強くするのだ。

    vol.38 ストレス解消の自然療法:「畏怖の念」が思考の余白を創る
    vol.38 ストレス解消の自然療法:「畏怖の念」が思考の余白を創る HAKU

    私が育った場所は、いわゆるコンクリートジャングルだった。視界を遮るようにマンションが立ち並び、植物は限られ、川のせせらぎさえも遠い世界。夜空の星には点滅する飛行機の光が混ざり、強度近視の私にはその区別さえつかなかった。
     
    虫も動物も、カラスや鳩、蟻やセミといういわゆる定番の生き物しか目にすることはなかった。図鑑で見るような宝石色の虫は、もはやファンタジーの産物。ホタルに関して言えば、ツチノコと同じくらい、非現実的な生き物のように感じていた。田んぼにいる鷺を見た時は「通報しなければ」と思うほど、カラスや鷹よりも大きな鳥を、30歳になるまで自然界で見たことがなかった。

    東京に住んでいた頃は、四方八方にマンションやビルが多く建っていたため、遠くから雨雲が迫っていることも気付くことはなく、洗濯物を干したあとに土砂降りの雨が降ることも多かった。仕事が休みの日、窓を開けてベッドから見上げた空は、建物の隙間に切り取られたほんのわずかな断片。やりたいこともなく過ぎる毎日と、その隙間から流れるように消えゆく鱗雲は、どこか似ているような気がしていた。

    そして地元に戻った今の家も、空の広さは東京ほどではないにせよ、コンクリートに囲まれている環境はさほど変わっていない。早朝に帰宅する酔っ払いが喚く声や、カラスの鳴き声が響くマンションの一室で、夫と子供と静かに暮らしている。

    都会の脳疲労:「自然への投資」が欠けていたピース

    常に人工的な情報とノイズに囲まれてきた私の脳は、「自然に触れることがストレス解消になる」という概念自体を知らずに生きてきた。

    そんな中、フローレンス・ウィリアムズ氏の『自然が最高の脳を作る』という本を読んだ。自然に触れるとストレスが解消されて脳が働くようになるのだという。都会を歩いている時と比較して、森の中を歩いている時の方がストレスホルモンの値が下がることがわかっているらしい。

    この本が提唱する「自然への投資」こそが、私の生活に欠けていた1つのピースだとハッとした。脳科学的に見ても、人工的な環境は絶え間なく注意を引くため、脳の集中力を使い果たしてしまう。自然の中に身を置くことは、その疲弊した注意力を回復させるための最高のリカバリーだったのだ。

    長年、都会の喧騒や人工的な情報に晒されてきた私の脳は、無意識のうちに疲弊しきっていたのだろう。その疲労は「イライラ」や「不満」という形で表現されていたに過ぎなかった。

    畏怖の念の科学:20分間の魔法と思考の余白

    この本の中には「1ヶ月に5時間は自然の中で過ごすと良い」と書かれている。そして年に一回は、大自然に畏怖の念を抱く経験をすることを勧めている。

    人は畏怖の念のような大自然を見ると、謙虚になり、他者への思いやりや視野の広がり、寛大な行動や好奇心が高まるようだ。この「畏怖の念」は、ネガティブな感情や自己中心的な思考を一時的に棚上げし、心を解放してくれる効果があるという。

    コンクリートと人工物ばかりの環境で育った私が、地元に帰ってきて初めて、思いがけず「畏怖の念」を感じた場所があった。それが、河原沿いのランニングコースだった。

    走り始めてすぐ、沿道に様々な植物が植えられていることに気づいた。7月だったので、ネムノキのピンクの花、美しく咲く紫陽花、民家の庭に生えているラベンダーなど、走っているだけで、季節の豊かさや生命の息吹を感じ、目でも楽しめた。

    ランニングコースは、往復2kmの距離。Uターンして日の出の方向へ向かった瞬間、赤い太陽とどこまでも澄み切った青空のコントラストに、私は言葉を失い立ち止まった。

    富士山の山頂まで行かずとも、河原の上に無限に広がる雄大な空だけで、私は十分に「畏怖」を感じることができたのだ。その瞬間、内側から希望が溢れ出すような感覚に包まれ、抱えていた悩みのスケールが驚くほど小さく見えた。

    これこそが、メタ認知的な「視点の転換」を強制的に引き起こす、自然の魔法なのだ。

    幸福度を高める:経験への投資がもたらす長期的リターン

    この体験は、科学的データとも一致している。

    ミシガン大学の研究では、都市生活を送る人々が自然の中で20分から30分過ごすだけで、ストレスホルモンである唾液中のコルチゾール値が有意に低下することが示された。これは、自然との接触が自律神経系のリラックス(副交感神経の活動)を促していることを裏付けている。

    畏怖の念を感じる経験をすることで、「あぁ、今抱えている悩み事なんて大したことではないのかも」と、物事のスケールが小さく感じられたり、「今日も一日やりきろう!」と前向きな気持ちが湧いてくることがわかった。自然の力は本当にすごい。怖い側面もあるけれど、その中に身を置くことで、心は確実に前向きな思考へと変わる。毎週走り続けたことで、日常で起きたストレスがだんだん小さなことに思えた。

    ストレス解消と称して爆食いするよりも、モノを散財するよりも、定期的に自然の中に身を置き、畏怖の念を感じられるような経験をすることが、どんなストレス解消にも負けない方法になることを行動により実感できた。

    これは、モノを使ってドーパミンを即座にドバドバだす快楽よりも、「経験への投資」が持続的な幸福をもたらすというポジティブ心理学の原則と完全に一致している。衝動買いで一時的に気分を上げても、その幸せはすぐに消える。自然の中でセロトニンやオキシトシンを出した方が、脳と心にとって遥かに幸せなのだ。

    そして、私の心と体を本当に満たすのは、モノの所有ではなく、時間と場所の使い方にあるということが、この体験を通して改めてわかった。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代ギリシアの医師であり哲学者であるヒポクラテスが残した言葉だ。

    「自然は、もっとも偉大な治療家である。」

    高価なセラピーや一時的な快楽に頼るのではなく、自然との調和こそが、私たちの心と体のバランスを整える本質的要素なのだ。あなたの疲れた心を癒すために、自然という名の「癒やし」に意識的に時間を投資してみてほしい。

    vol.40 「筋の悪い努力」をやめる質問力:最短距離で自己投資を加速する方法
    vol.40 「筋の悪い努力」をやめる質問力:最短距離で自己投資を加速する方法 1024 1024 HAKU

    私はよく、人に質問するタイプの人間である。
    特に専門職の人には積極的に話しかけて、その知識をわかりやすく教えてもらうことが大好きだ。

    新しいことをスタートする時は、まず自分で軽く調べて行動することが多いのだが、それだけでは途中で行き詰まる。現在、身体や筋トレについては信頼できるクリニックのDr.に、髪や頭皮のケアは担当の美容師さんに、そして骨格やストレッチのことは通っている整体師さんに質問すると決めている。

    こうしたプロフェッショナルが身近にいる環境は、私にとって計り知れない幸運だ。わからないことを曖昧なままにしておくのは絶対に嫌だし、何より「筋の悪い努力」で時間を浪費することだけは避けたい。信憑性のある「答え」を持つ人に一度聞いておかなければ気が済まない、これは私の譲れない性分なのだ。

    専門家の幸運:思考のショートカット戦略

    自分で調べてやったことを継続していても、必ず壁にぶち当たる時や、停滞するタイミングが訪れる。そんな時に頼りになるのがプロたちだ。

    そんな時、齋藤 孝氏の『本当に頭のいい人の思考習慣』で紹介されていた「専門家から話を聞く」という教えに触れたとき、「自分の直感は間違っていなかったのだ」と背中を押され、これまでの試行錯誤を優しく肯定されたような気持ちになった。

    私たちは日々、情報過多の時代に生きている。スマホを開けば、筋トレの方法も、最新の美容法も、仕事の効率化テクニックも無限に出てくる。しかし、その情報が自分に合っているか、正しい順番なのかはわからない。試行錯誤は避けられないが、何が自分に合っているかを確認するタイミングが必ず出てくる。それをせずに時間だけを浪費し、疲弊してしまうのが、「筋の悪い努力」である。

    筋の悪い努力を続ければ、なかなか成果が出ず、何が自分に合うかを見つけられずに苦労するだろう。その点、プロのアドバイスは、その人が何年もかけて培った知識と経験の集大成だ。これをたった数分の質問で得られることは、計り知れない価値があり、自己投資に対する大きなリターンとなる。

    脳科学的なメリットとして、専門家に聞くという行動は、自分の「思考のショートカット」を可能にする。脳が膨大な情報を処理する手間を省き、最短距離で目標達成に必要な情報だけをインプットできる。これは、「集中力(アテンション・スパン)」を無駄に消耗させない、賢い戦略である。「思考の余白」を確保するためにも、不要な情報収集は避けるべきなのだ。

    最短距離の知識:筋の悪い努力vs.確実なリターン

    私たちが求めているのは、納得感のある成果だ。
    最も非効率なのは、間違ったフォームで努力を続け、体を壊したり時間を失ったりすること。プロのアドバイスは、そうした「失敗のリスク」を劇的に減らしてくれる。

    例えば、筋トレのフォームをDr.に相談したとき。「その角度は腰に負担がかかるから、この方法がいい」と即座に修正案をいただいた。もし一人で続けていたら、私は今頃腰を痛めて運動を中断していただいろう。医師としての医学的知見と、自らもパーソナルジムを掛け持ちする実践的な知識。その融合から生まれる一言は、数ヶ月分の試行錯誤と怪我のリスクを回避させてくれたのだ。

    インターネットの情報は玉石混交だが、「信頼できる専門家」が選んだ情報は、まさに選りすぐりの宝石である。この「信憑性」に基づいた知識を実践することこそが、目標達成への速度を劇的に高める。これは、自己成長の確信につながるのだ。行動経済学的に見ても、確実なリターンが見込める場所に時間という資源を投資するのは理にかなっている。

    メタ認知とドーパミン:成功体験を積み上げる質問術

    これを継続していくと、自分にとっての解けない問題は一瞬で解決し、その後の動きがスムーズになる。この継続が深まると、「アドバイスを実践した結果、成果を感じられた」と実感し、よりポジティブに変わる。

    プロのアドバイス通りに行動して得られるのは、知識だけではない。それは「成功体験」である。

    成功体験を通じて成果を感じると、「私は正しい道を選んだ」あるいは「結果が出た」という確信が持てる。この確信が、ドーパミンを分泌させ、次の努力へのモチベーションになる。筋の悪い努力をしていた頃の不安感やイライラから解放され、心に「思考の余白」が生まれるのだ。

    専門家に質問することは、決して難しいことではない。媚びを売る必要もなく、ただ誠実に聞けばいい。プロフェッショナルほど、自分の培った知識を共有することに喜びを感じるものだ。

    あなたの身近にいるそのプロたちが、あっという間に問題を解決してくれるだろう。これは、自分の脳を最大限に活用し、最短距離で目標を達成するためのメタ認知的な習慣である。

    賢者の行動:なぜ質問こそが最高のスキルなのか

    人間は、「知らないこと」を恥と捉え、プライドを守ろうと無意識に防衛する。これは社会的な評価を気にする心理が働くからだ。しかし、本当に賢い人は、その瞬間のプライドを守るコストよりも、学習による未来の利益を優先する。

    知らないことを知っているふりをして、間違った努力を続けることほど、時間と金銭の無駄はない。プロたちの知識を引き出す「質問力」こそが、現代の自己投資における最高のスキルなのだと私は実感している。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    古代の知恵を教えるユダヤが遺した言葉だ。

    「賢者は質問をする。愚者は知っているふりをする。」

    知らないことを恥じるのではなく、その事柄に関して相手に「わからない」と質問することこそが、あなたが成長への一歩を踏み出した証拠となる。

    わからないことがあったら、まずは自分で調べて行動した上で、あとはプロの力を借りてみよう。その質問は、あなたを正しい道へと導く究極のショートカットとなる。

    vol.41 会話力を覚醒。「伝わらない」をなくす脳科学的思考法
    vol.41 会話力を覚醒。「伝わらない」をなくす脳科学的思考法 HAKU

    私は、話すことが大の苦手だ。
    特に物事を順序立てて論理的に説明するのが、最も苦手である。

    そんな私に対し、夫はいつも容赦なかった。「何が言いたいのか伝わってこない」「一体なんの話をしているの?」。以前の私は、その言葉を聞くたびに「文脈から察する能力が足りないからわからないんでしょ」と、伝わらない原因のすべてを相手に押し付け、心の扉を閉ざしていた。

    しかし、医療関係で働くうちに、話が相手に伝わらないのは、自分に原因があるのではないかという、残酷な真実に気づき始めた。

    伝わらない原因:会話のボトルネックと論理構成

    「言葉の使い方が美しい人」として一番最初に思ったのは、過去に総合病院で働いていた時に会った消化器外科のN医師だった。 患者さんが途切れた診察室から漏れ聞こえる彼の話し方は、驚くほど整理され、流れるように綺麗だった。

    医師という立場から、患者さんに説明するスキルが求められるのは当然だが、そうではない医師も多いのが現状だ。

    自分の知識だけで完結しているような説明では、患者さんの理解度が極端に低くなり、医療における情報格差を生む。実際、勤務医の約3割がトラブルを経験し、医療事故の約7割近くがコミュニケーションエラーから発生しているというデータもある。このようなデータからも、医師の真のスキルは経験年数ではなく、患者への想像力に依存すると強く感じる。

    結局、「伝わらない」のは相手の理解力が低いからではなく、「伝える」側の論理と構成が甘いからだと、この時期に痛感したのである。

    共感の鍵:「例えば」が作る想像力

    消化器外科のN医師は、専門用語は一切使わず、とにかくわかりやすく話していた。そして話の度に「例えば」を使って、誰にでも思い浮かべられるイメージを作り、相手に柔らかくボールを投げるように言葉を発していた。

    同じ空間で聞いていた私にもよくわかる内容のもので、ずっと喋っていて欲しいと感じるほどだった。

    現在の職場であるクリニックのDr.も、まさにその話し方をする医師だ。子供からお年寄りまで、本当にわかりやすく話している。

    例え方のレパートリーも多く、難しい言葉は一切使わず、相手のための言葉を選びながら説明している姿を見ると、心から尊敬する。

    難しいことを、難しそうな顔で話すのは簡単だ。しかし、本当に知性が高い人は、相手に合わせて言葉を「翻訳」することができる。知識の量や語彙の豊富さをひけらかすのではなく、相手が今何に困り、どんな言葉なら受け取れるのかを徹底的に想像する。コミュニケーションの質とは、語彙力の多寡ではなく、相手への想像力の深さに比例するのだ。

    メタ認知:頭が良い人の「話す前の思考」

    安達 裕哉氏『頭の良い人が話す前に考えていること』という本で、今話題に出した2人のDr.のことが多く書かれていた。彼らの話し方は、まさに「頭が良い人の話し方」を体現していたのだ。

    • 相手のために言葉を使う
    • 相手のレベルに合わせてわかりやすく伝える
    • 感情的にならず冷静に話す
    • 話す前に相手の求めている結論を考える

    これらの要素が一致していたからこそ、多くの患者さんが「先生に診てもらいたい」と訪れるのだろう。信頼と影響力は、言葉の選び方に多く含まれている。

    私も近くで勉強させてもらいながら、その影響を強く受けている1人である。
    伝えるべき内容を「相手の視点」で考えることは、メタ認知(自分の思考を客観視する力)の訓練にもなる。話す前に相手の頭の中を想像し、「この人は何に一番困っているのか?」「どんな結論を求めているのか?」を先回りして考えることで、会話の無駄を極限まで減らせるのだった。

    この「話す前の思考」を習慣化することは、認知行動療法の観点から見ても、コミュニケーションの不安を軽減し、冷静さを保つことにつながる。感情的にならずに論理的に話すことで、相手の脳に負担をかけずに情報を受け渡すことができるのである。

    行動変容:ロールプレイングで会話力を習慣化する

    もし、あなたも私と同じく説明が苦手で、人との会話が億劫に感じるとしたら、一つ視点を変えてみてはどうだろう。

    身の回りで話の流れが綺麗な人がいないか見て、もしいたら少しずつ真似をしてみる。なりたい人をイメージして、その人が言うように自分もやって見る。まずはそこから始めてみよう。

    意識するのは「あの人ならどんな風にこの内容を相手に伝えるだろうか?」という視点だ。イメージが湧くと、それを演じるような振る舞いができてくることだろう。

    これは、自分の脳を「伝わる話し方」モードに切り替えるための、最も簡単な認知行動療法である。あなたの周りにいる「話し方が綺麗な人」こそが、あなたの自己成長を加速させるための最高の教材になるはずだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    20世紀ベルギーの哲学者、ハイム・ペレルマンが遺した言葉だ。

    「話し手は、話しかけようとする相手に順応しなければならぬ。」

    あなたの言葉の伝え方を変えることは、人間関係の質と仕事の成果を劇的に変える、最も強力な自己投資となる。今日から、相手の「聞く準備」に合わせて、話し方を設計してみよう。相手のために言葉を選ぶ習慣こそが、あなたの信頼と影響力を高める。どんな言葉を選ぶか考えることから、あなたの世界はゆっくり変わり始めるはずだ。

    vol.43 モノより体験へ投資!幸福を持続させる贈り物の選び方
    vol.43 モノより体験へ投資!幸福を持続させる贈り物の選び方 HAKU

    毎年、母の日の直後にやってくる、私の母の誕生日。
    一昨年はスカート、昨年は日傘。今までは本人のリクエストに応じた「モノ」を贈っていたのだが、今年は違った。脳科学や心理学を学び、「物質的なモノは幸福をもたらさない」という科学的な知識を得ていたため、今年は例年以上に頭を悩ませることになった。

    母が喜びそうなものは何か、一生懸命考えた。
    モノではなく、行動、経験、旅行など、何を楽しめるか思考を巡らせた。

    その結果、母が昔よく「ものまね歌合戦」をテレビで見ていたことを思い出し、当時出ていた芸能人のイベントがないか検索した。その結果、「コロッケ&美川憲一のコンサート」が近隣で開催されることを知り、すぐに母にメールを送った。

    母は一人でコンサートに行くタイプではない。だからこそ、これは「母との思い出作り」という名目の、私自身の時間を投じる投資でもあった。当時のモノマネの詳細は覚えていないけれど、私は母の付き添いとして、会場へと足を運んだ。

    行動経済学の選択:モノではなく体験に投資する理由

    結果は、大成功だった。

    母の表情が緩んでいくのを隣で見届けて、この「記憶への投資」の正しさを確信した。 けれど、物語はそこでは終わらなかったのだ。

    驚くべきことに、私自身もまた、予想を遥かに上回る衝撃を受けることになったのである。

    本音を言うと、母への誕生日プレゼントなので私自身はそこまで楽しまなくても良いと思っていた。しかし、予想を上回るほどコンサートは楽しい体験となり、終わってからも色々考えるきっかけとなった。

    ポジティブ心理学が示すように、物質的なモノは購入直後に幸福度のピークを迎え、その後はすぐに慣れて価値が低下する。しかし、コンサートのような「体験への投資」は、記憶として残り、時間が経つほど価値が増していく。モノではなく時間を贈るという選択は、母の幸福を持続させるための最も賢い行動経済学的な判断だった。

    この経験は、「誰かのために行動する」ことが、結局は「自分の幸福度を高める」という、利他的な行為が自己肯定感に繋がるというポジティブ心理学の原則とも一致する。相手の喜びが、自分自身のセロトニン分泌を促した一つの証明だ。

    予期せぬ気づき:一流のエンタメが思考を変える

    会場でまず目を奪われたのは、満席のホールを埋め尽くした高齢者たちの、弾けるような笑い声と、一幕ごとにかける声援の力強さだった。

    日々のクリニック勤務で目にするのは、疾患や苦痛を抱えた患者さんたちの姿。その日常との強烈な対比によって、私は「健康」の真意を再定義することになった。健康とは、単に病気がないことではない。心から笑い、魂を震わせるエネルギーを持っていることなのかもしれない。

    次に感じたのは、コロッケ氏を知っているようで知らない私でも、爆笑するほど面白いネタを見たという感覚だった。実際のところ、人を笑わせるのは、怒らせるよりもずっと大変なはずだ。それなのに、昔のネタを知らない私を含め、会場のほぼ全員が笑っている。それは、彼らの芸が感情の本質に訴えかけているからだと感じた。一流のエンターテインメントは、世代や知識、時代さえも超えて人の心を動かす力を持っているのだ。

    そして、美川憲一氏がシャンソンの歌の合間に放ったこの一言が、私の胸の奥深く、最も熱い場所に突き刺さった。

    「死ぬほど生きなさい」

    その言葉は、棘よりも鋭く、心臓を直接揺さぶるほどの重みを持っていた。

    この時の私は、夜明け前から走り、誰にも言わずに学び、自分を信じるために必死で行動を積み上げている最中だった。何ヶ月もかけて「死ぬほど生きている」と言ってもいいほど、真剣になっていたからからこそ、この言葉が刺さったのだろう。母の隣で、涙をこぼそうになったが必死にこらえた。なぜかというと、私がこの頃何をしていたのかを、両親にはまだ伝えていなかったからだ。説明の出来ない涙は、流せない主義なのである。

    母のために選んだ場所で、自分の潜在意識が必要としていた「答え」に出会う。この予期せぬ覚醒が、私のこれからの行動に、さらなる強固な動機づけを与えてくれた。

    行動が先:メタ認知で無知を楽しむ習慣化

    この体験が教えてくれたのは、「行動」が先で、「気づき」は後からついてくるという習慣化の鉄則だ。未知の場所に自分からどんどん飛び込んでみる他ない。たとえ自分には関係ないと思っていた分野であっても、一流のものに触れることで、自己成長の扉は思いがけない方向から開かれる。

    自分から動くことはもちろん、時には「誰かの誘いに乗ってみる」のも一つの手だ。
    自分のフィルターだけでは選ばない場所に身を置くことで、思考の余白に新しい風が吹き込み、思いがけない発見がもたらされる。自分の殻に閉じこもらず、メタ認知によって「自分の知らない世界」を面白がること。その姿勢こそが、新しい自分への道を切り開く最高のスキルとなるだろう。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    ドイツの科学者・哲学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツが遺した言葉だ。

    「最も良い着想は、問題から離れ、気晴らしをしている時に、思いがけずやってくる。」

    母のために選んだ体験への投資は、結局、自分自身の人生を豊かにする決断の一部となった。
    効率ばかりを追い求める脳に、あえて「普段の自分なら選ばない選択」という投資をしてみよう。その先に、思いがけない発見があることだろう。

    vol.44 「ゼロヒャク思考」は欠点ではない:ドーパミン報酬を最適化するメタ認知
    vol.44 「ゼロヒャク思考」は欠点ではない:ドーパミン報酬を最適化するメタ認知 HAKU

    黒か白、0か100。パンよりご飯、犬より猫、海より山。
    昔から、妥協や曖昧さを嫌う、そんな極端な性格だった。

    楽しいことには周囲が引くほどの熱量で突き進むが、興味を失えば糸が切れたように止まってしまう。そんな私に対し、夫や家族は呆れ顔を見せることが少なくなかった。

    「やりたくないことは、絶対に無理」「私はこういう性格なのだから仕方ない」

    かつての私は、そう一点張りで生きてきた。極端な性格を個性だと信じることで、かろうじて自分の形を保っていたからだ。自発的な制御の欠如という言葉では片付けられない、核のような強いこだわり。それをうまく言語化できず、「お母さんはいつもわがまま」というレッテルを、ただ黙って飲み込むしかなかった。

    脳科学の真実:ゼロヒャク思考と報酬が足りない脳

    そんな私を肯定してくれるような記事を見つけた。

    以前から薄々感じていた「自分はADHDかもしれない」という特性について、脳科学系の本を多く出版しているアンデシュ・ハンセン氏の『最強脳』の中で深く知ることができた。この本には、ADHD(注意欠如・多動症)の強みと弱み、ADHDとドーパミンの関係が書かれていた。

    まず、私の0か100かという思考はドーパミンが影響しているようだ。さらにいえば、脳の側坐核(そくざかく)という部分が関係しているという。

    一般の人が普通の喜びで分泌されるドーパミンで満足できるのに対し、ADHD傾向のある脳は、側坐核がドーパミンを十分に受け取ることが難しい。そのため、他の人と同じ体験をしても「報酬」を感じにくく、気分の良さを得るためには、より強い刺激、より高いハードル、あるいは特別なご褒美を必要とするのである。

    欠点ではない:「0か100」の強みとメタ認知

    だからこそ、私は他人に誘われるだけの娯楽には満足できなかったのだ。「「自分で選んだ場所で、好きなことに全力を注ぐ」という極端なコミットメントがなければ、私の脳は満足(報酬)を得られなかった。

    最強脳』によれば、ADHD傾向のある人は、周囲が尻込みするような状況でも「ないなら自分で作ってしまおう」という思考に切り替えやすいという。この傾向が強いため、新しい発見を見出す成功者が多いとも書かれていた。自分は成功者ではないのだが、だからこそ、私はどこの職場でも、どこの場所へいっても足りないものや違和感のある部分に目をつけてしまっていたのだろう。このことを知って、すとんと腑に落ちた。

    どこの職場へ行っても改善すべき点に気づき、変化を望まずにはいられない。これまで「面倒な性格」だと思っていたその特性の正体は、私の脳が常に新しい価値を探し求めている証拠だったのだ。このメタ認知こそが、長年の自己嫌悪から私を解放し、前を向くための土台となった。

    行動変容の鍵:ドーパミンを自己成長のエンジンにする

    全力で楽しむ努力や、「ないなら自分でつくってしまおう」という思考は、もともと自分の中に存在する意識だった。この特性をネガティブなものとして捉えるのではなく、「生まれ持った探求心」として受け入れることが、自己肯定感に繋がる。

    これからも、自分に対して好きなことをやって、とことん楽しみながら生きていきたい。それは一人で楽しむことも重要ではあるが、家族といる時であっても自分が楽しめる状態にもっていく双方の努力が必要になる。それが今、自分にはできていない。

    そのためには、レクリエーションのように「目的地はここで遊ぶけど、一箇所だけお母さんも楽しめる場所や食べ物を共有してほしい」という要望をうまく取り入れてもらいながら進めるべきなのかもしれない。

    自分ばかりが我慢して行きたくないこと、やりたくないことをする必要はない。ドーパミンを受け取りにくい脳だからこそ、「楽しさの最大化」への戦略的努力が必要なのだ。

    人生を100%楽しむための設計図

    自分の脳の特性を理解することは、「人生をデザインする」ことと同義である。

    私たちが目指すべきは、ドーパミンの分泌を抑えることではない。分泌のトリガーを「自己成長や健康的な体験」へと切り替えることだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    フランスの思想家サルトルが遺した言葉だ。

    「人は自分の選んだもののなかに自己を投げ入れ、それによって、全人類に対して自己を選ぶという責任を負うのである。」

    あなたの「0か100か」という情熱は、あなたが自己を投げ入れるための最強のエンジンだ。この特性を欠点として隠すのをやめて、味方につけること。 それが、あなたの脳の「最高のご褒美」を理解し、誰にも真似できない100%の自己実現を達成する鍵となる。

    vol.45 「アハ体験」を呼ぶ思考法:習慣化で人生の設計図を創る
    vol.45 「アハ体験」を呼ぶ思考法:習慣化で人生の設計図を創る HAKU

    目次


    私は今まで、「幸せになりたい」と本気で意識したことがなかったのかもしれない。

    なんとなく過ぎゆく日々。行きたくない仕事や、負担に感じる子供の学校行事。それらを乗り切るための「ご褒美」として週末のイベントを設定していた。あの頃は、楽しい予定を入れることだけに囚われ、その本質については考えることさえしていなかった。

    私にとっての幸せとは、大好きな友人たちと会って遊ぶことだと勘違いしていたのだ。確かに会えば楽しい。しかし、それが「真の幸せか?」という問いに対し、心は静かにNOを突きつけていた。

    この漠然とした違和感は、私の内面にある問題が引き起こしていた。

    自分を信じられず、怒りに支配され、新しい一歩を恐れる自分。
    そこから抜け出すために、私は貪るように本を読んだ。

    話題の人気本だけでは足りないことはわかっていた。
    興味のなかった分野、ありとあらゆるカテゴリーを片っ端から読み漁ってみた。かつて私の本棚に並んでいたのは「怒りの鎮め方」の本ばかりだったのだが、今は違う。脳科学、行動経済学、そして認知行動療法。自分の「行動」を責めるのではなく、その背景にある「脳の状態」をメタ認知する視点を得たとき、私の中に変化が訪れた。

    覚醒のメカニズム:アハ体験と思考の再構築

    「勉強して考え続ければいつか答えが出る」と、金森 重樹氏の『借金の底なしで死ぬまで知ったお金の味』という本に記されていた。思考は、ある一つのことを継続し、深掘りし続けた先に、突然の「解決」を連れてくる。

    「洞察(アハ体験)」とは、脳内の情報が一気に再編成され、解決策が突如として現れる現象だ。ノースウェスタン大学などの研究によれば、この「ひらめき」による解決は、論理的に一歩ずつ考えた場合よりも正答率が高いことが示されている。限界まで考え抜いたあとの「中断」が、脳内の再編成を促し、劇的な「覚醒」を呼び起こす。この「思考の再構築」こそが、解決への道を明るく照らす最短ルートとなるのだ。

    幸せの設計図:内発的動機による習慣化

    脳科学、認知行動療法、哲学、人間についての本を、これほど集中的に読んだ経験はない。

    点と線がつながり、ようやく一つの設計図が見えてきた。
    自分を信じる技術、目的の定め方、習慣化の作り方、脳に支配されない生き方が。

    それらをうまく自分に取り込むことで、常に幸せな状態を作り出そうと今も動き続けている。

    この「覚醒」は、決して特別な才能ではない。なりたい自分になるために、あるいは技術を習得するために、極限まで熱意を持って調べ尽くし、考え抜く。報酬がなくても、観客がいなくても、歩みを止められない「内発的動機」こそが、習慣化の最強の燃料となっていたのである。

    行動変容の第一歩:考える努力を止めない哲学

    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの実業家・思想家であるヘンリー・フォードが遺した言葉だ。

    「考えるのをやめた時、人は老いる。」

    答えが出なくても、考え続けるその努力こそが、あなたの脳を活性化し、人生に新たな「覚醒」をもたらすはずだ。

    あなたの「今」の行動は、無意識に集めた知識を繋ぎ合わせ、人生の設計図を完成させる。
    今日から意識的に思考する習慣を日常のルーティンに取り入れよう。その継続こそが、未来の新しい自分を創り出す、力強い源泉となるのだから。

    vol.46 虚無感を埋める最強の習慣:「目的」への時間の投資
    vol.46 虚無感を埋める最強の習慣:「目的」への時間の投資 HAKU

    22歳の、クリスマスの時期だったと思う。
    大学生だった私が、文字通り全力で遊んでいた時期だ。

    飲み会の前の時間は、書店で時間を潰したり、HMVで洋楽のアルバムを試聴していたのだが、今思えばその全てがただの「暇つぶし」だった。

    雪のちらつく帰り道、セブンのおでんを片手に「つまんなかったな」と独り言を言いながら歩いた、あの寒い冬の日の感覚を今でも鮮明に覚えている。年末まで2週間、びっしりと飲み会の予定を詰め込みながら、私の心はどこまでも冷え切っていた。

    当時の私は、無駄に溶けていく時間に対して罪悪感すら抱けず、ただ漠然とした虚無感に無自覚なまま生きていた。毎日誰かと約束があり、華やかな場所に身を置いているはずなのに、なぜあんなにも満たされなかったのか。

    その真実を、今の私は痛いほど理解できている。

    快楽は虚無感に繋がる:行動経済学的な理由

    毎日遊んでいても、なぜか満たされない。
    この矛盾、あなたにも心当たりがあるだろうか?

    そのモヤモヤは、ラス ハリス氏の『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』という本を読むまで気づかなかった。この本には、なぜ人間がネガティブなのかや、自分の価値を見つける方法など書かれている。そして、「人は快楽を追いかけても一瞬気持ちいいだけで、長い目で見た時に幸せにはなれない」とことを伝えている。

    人間は、夢に向かって行動している時が最も幸せなのだという。

    これには私も強く共感している。やりたいこともなく、やらなきゃいけないことを避けて遊んでばかりいた時期がまさにそうだった。自分の価値が何かさえわからず、夢も持てず、ただ快楽だけ求めて遊び続けていた。嫌なことがあっても、友達とお酒を飲めば楽しくなる。彼氏に会えば満たされる。自分と向き合わずにすむ方法が、あの頃の私の唯一の解決策だったのだ。

    しかし本にもある通り、怖いことから逃げて楽なことばかりしていても、幸福にはなれなかった。好きなことばかりしてもただ虚しいだけで、目的がないため達成感も得られず、お金ばかりが減っていった。

    なぜ快楽は長続きしないのか?

    それは、脳が快楽に「慣れる」ようにできているからだ。ドーパミンが分泌されることで一時的に幸福感を得ても、その刺激が当たり前になると、脳はさらに強い刺激を求めるようになる。これが、快楽を追いかける人生が「虚無感」に繋がる脳科学的なメカニズムである。

    一方、「夢に向かって行動する時」の幸せは、達成感や自己効力感によって得られる、より持続的な幸福(セロトニンやオキシトシン)だと言われている。これは、「内発的動機」に基づいた行動の報酬であり、時間が経つほど自己肯定感を高めていく。

    人間は、快楽の中にいる時ではなく、自らの価値に沿った「目的」に向かって行動している時にこそ、最も深く持続的な幸福を感じるようにできている。当時の私は、その「目的」から最も遠い場所にいたということなのだ。

    時間の投資の真実:スーパー営業マンと10年後の差

    大学生の頃、私の周りは「人生の目的が明確な者」と「そうでない者」に二分されていた。

    私は自分と似た目的がないタイプの友達とはすぐに仲良くなり、時間を溶かすように遊んでいた。一方、目的がある友達は勉強、資格、バイトでいつも忙しそうだった。この対照的な違いこそが、人生という行動経済学的な資産を、早期に自己投資しているか否かの明確な差だった。

    同じサークルの男の子で、宅建の資格取得という目標に向かい、行動している子がいた。学部の違う彼と同じ授業を終え、薄暗くなった外を見ながら、教室を出るタイミングで、彼は「これからバイトなのに、昼飯を食う時間がなかったわ」と呟いた。その時、私はとっさに何かしてあげたくて、飲み会前に食べようと思っていたパンをバッグの中から取り出し、「これ食べなよ」と彼に手渡した。彼はコンビニで立ち止まる時間すら惜しんでいたようで、とても喜んで受け取ってくれた。

    その10年後。
    その子が地域の不動産のフリーペーパーに載っていて、スーパー営業マン的な記事と共に紹介されていた。それを見た瞬間、「あぁ、資格をとってちゃんと仕事に活かせているんだな」と心の底から羨ましい気持ちが沸いた。

    フリーペーパーに掲載された彼の笑顔は、あの頃のようにキラキラしていた。彼は、自分にとって価値があることがわかっており、それに向かって努力を続けていた。今はもう別の夢に向かって走っているのだろうと、彼の笑顔から読み取れた。

    当時の私は、彼らの持つ目的意識がどこから生まれているのか全く理解できず、その理由を深く掘り下げることも避けていた。周りが勉強やバイトに励む中、私はやりたいことを見つけられず、同じ授業を受けていても何も吸収できず、ただ椅子に座っているだけだった。

    そんな輝きに満ちた彼らを横目に、携帯で誰かと次の飲み会の予定を組むことだけが、当時の私にできる唯一の行動だった。

    幸せの習慣:内発的動機による心の穴埋め

    だが、今は違う。
    私には早起きして取り組むべき目的があり、その価値を自分自身で見出している。

    運動によってストレスに強い心身を作り、幸せを感じられるホルモンが出るような行動を自律的に選択しているのだ。その価値を感じる行動の継続は、ブログの記事として、そして読んだ本と共に一つひとつ確かな証跡として積み重なっている。

    結局嫌なことから逃げても、幸福にはなれない。
    幸せになりたくて毎日楽しいことをやっていたとしても、持続的な幸せは得られない。

    大学生の時に感じていた「私だけ何もない」という心の穴は、誰かに埋めてもらうものではなく、自分自身の価値に沿った行動の積み重ねでしか埋められないものだった。「あの時はしょうがなかったのかもしれない」と理解し、過去は手放そう。少しの負荷と、自分の価値に沿った目的こそが、自分が幸せになるための真実なのだ。


    最後に、私自身がこの習慣を続ける上で大切にしている言葉を一つ贈りたい。
    アメリカの哲学者ジョン・デューイが遺した言葉だ。

    「幸福は、人が自己の目的に向かって進んでいるときにのみ生じる。」

    誰かの真似ではなく、あなたが定めた「目的」こそが、人生を真の幸福で満たしてくれる鍵なのだ。その一歩を踏み出した瞬間から、あなたの毎日は「暇つぶし」から「確かな投資」へと変わる。その小さな確信こそが、空虚な心を埋める一番の答えになるだろう。